8 『可愛い』は最強。
ここは通さんと言わんばかりに、俺はカップルの前に立ちはだかった。
帽子はまだ被ったまま。服装はスタッフさんから借りた黒無地のジャンパーに、男女どちらもイケる自前のジーンズだが、hikariスイッチが入っているため立ち振舞いは女の子らしさを意識している。
大丈夫だ、俺は可愛い。
そして『可愛い』は最強だ。
「……前を見ずにぶつかってきたのはあなたたちですよね? ぶつかった相手の子に謝罪してください。暴言を吐いたことに対しても謝ってもらいます。それからあなたの踏んだどら焼きも弁償してくれますか」
声のトーンもワントーン高めに。
hikariは写真を通しての活動のみで、動画デビューなどはしていないが、俺の正体を知らない関係者に挨拶することも多々あるし、自然な女声の出し方だって姉さんと特訓済みである。
「はあ?」
「なあに、この女」
カップルはそろって「不愉快です」という顔をするが、不愉快なのはこっちだからな馬鹿野郎。
周囲の人に支えられて立ち上がった雨宮さんは、闘志むき出しの見知らぬ少女(俺)をハラハラと不安気に見ている。
あまり騒ぎになると俺も困るし、ここは手早く済ませてしまおう。
ぐっと、俺は大きく一歩踏み出して、カップルのチャラ男の方に顔を近付けた。
帽子を取れば自慢の飴色の髪(ウィッグだが)が風に靡く。
チャラ男は露になった俺の顔に、間抜けにもポカンと口を開けた。俺はそんなチャラ男の顔を至近距離でじっと見つめる。上目遣いは角度が大事。美空姉さん式可愛い分野のテストに出るからな。
そうかと思いきや、相手の服の裾をきゅっと控え目に握ってみせる。
それから爪先を立てて背伸びして、あざとく耳元で囁いた。
「ちゃんと謝って……くれますよね?」
トドメに、にこりと微笑みをひとつ。
『世界史に残る美少女』とまで謳われた、俺の必殺スマイルをまともに食らったチャラ男は、あっという間に骨抜き。見事に全身茹でタコのようになり、「は、はい……」と情けない返事をした。
フッ、他愛もない。
並大抵の男では、hikariの本気の可愛さに太刀打ちなど出来るはずがないのだ。こちとら可愛いのエスキスパートだぞ。
ちなみに実はこの技、男性スタッフさんにも試したことがあるのだが、「相手が心肺停止になるから無闇に使用禁止。死人が出る」と注意された禁断の技でもある。
ほらな、可愛いは最強だろう?
「はい、謝罪」
「も、申し訳ありませんでした!」
「私にじゃないですよね?」
再度、チャラ男を雨宮さんの前まで連れていって頭を下げさせる。雨宮さんはわたわたと慌てたが、「も、もういいですよ。怪我もありませんでしたし……」とやんわり許していた。
なんて優しいんだ。
女神か?
慌てる様子も可愛い。
チャラ男も雨宮さんの心の広さに感化されてか、今度は自ら進んで「お詫びに……」と、なにやら紙ペラを雨宮さんに渡していた。
こっそり覗けば、最近街中に出来たばかりのスイーツ店のロゴ。そこのスイーツ食べ放題のペア無料ご招待券だった。
目玉で『幻のどら焼き』とやらまであるらしい。なんだ、今ってどら焼きが空前絶後のブームなのか? 俺が知らないだけ?
雨宮さんは恐縮していたが、最終的には押しに負けて券をおずおずと受け取っていた。普通にどら焼きを買い直してもらうより得したな。迷惑料も含めてこれでチャラだ。
一件落着……と思いきや、そこで「ちょっと!」と声をあげたのは、展開に置いてかれていたチャラ男の彼女である。
キッと、彼女が睨む矛先はチャラ男だ。
「さっきからなんなの、他の女に鼻の下伸ばして! この浮気者!」
「違っ! い、いや、これはその……」
「いつもそうじゃない、この前だって私の友達と二人で歩いてるとこ見たんだから! スイーツ店の招待券も私は誘われてないわよ! 誰と行くつもりだったわけ!?」
「ま、真由子のことなら誤解だ!」
「…………私が言ったのは恵美のことなんだけど」
「ヤベッ」
なんか修羅場が始まった。
これは俺のせい……じゃないよな?
もう知らない! と足早に消える彼女を、墓穴を掘ったチャラ男は必死に追いかけていった。
弁明には時間が掛かりそうとみた。
まあ、うん、がんばれ。
「それじゃあ、私もこれで……」
詫びを入れさせることには成功したし、hikariの出番は終わりだと、俺もそそくさと撤退しようとする。
だがそこでワッ! と拍手が起こり、俺は様子を見守っていた人々の輪に囲まれてしまった。
「すごい、女の子なのに勇敢でした! カッコいい!」
「スカッとしたー」
「アイツらのこと、注意できなくてごめんね。ぶつかられた子も無事でよかったよ」
「しかも君、めちゃくちゃ可愛いよね! もしかして芸能人? 超美少女じゃん」
「写真いいですか?」
「というかさ、hikariに似てない?」
「思った! hikariそっくり!」
大正解なコメントにギクリとなる。
俺は冷や汗をかきながらも「アハハ、hikariに似てるってよく言われますけど、私はあんなに可愛くないですよー。あ、写真はNGでーす。絶対に止めてくださーい」とかわして人混みを抜けていく。
スマホを構えている奴がいないかも念のためチェック。よし、写真は撮られてなさそうだな。
こういう事態はなにも初めてではないので、対応は慣れたものだ。
囲いからの脱出に成功した俺は、人気のないとこまで小走りで逃げる。木陰でささっと帽子をかぶり直したら、あとは何事もなかったかのように撮影場所に戻る手筈……だったのだが。
「あ、あの! 待ってください!」
競歩並みの速さで歩く俺の後ろから、雨宮さんがついてきてしまっていた。
引き留めようとしてくるが、ごめんな、止まるのは得策ではないんだ。
「もっとちゃんとお礼をさせてください! え、えっと、hikariさんですよねっ? モデルの……!」
「いえ、人違いです」
「でも、あの……」
「人違いです」
「けど」
「人違いです」
止まるな。
止まってはいけない。
そう言い聞かせていたというのに。
「ま、待ってーー晴間くん!」
ーークラスで名前を呼ばれるときみたいに呼ばれ、俺はついピタリと足を止めてしまった。





