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他サイトにも重複投稿。

 十四メートルもの距離を置いて男二人が手に凶器を携え、醒めた目で互いの始終を見据えたまま止まっている。

 既に日は暮れていて薄闇の帳が天頂を覆い、住宅街の街路灯には薄橙の明かりがアスファルトと闇の境界を鮮明にしている。

 どちらも死んだ動物のように眼球の反応がない。完全に互いの微に入るまでの差違を見逃すまいとする精神力がなす芸当であって、死に直結する失態を犯してはならないという意思の表れである。

「ヤメタ」

 その睨み合いを唐突に止めたのは上下ジャージ姿で右手に剣、左手に鞘を持った男だった。剣と鞘をそれぞれの手、親指と人差し指の間に挟み持ったまま小馬鹿にした風に肩をすくめ掌を見せてヤメタ、ヤメタと連呼し始めた。

「なんだ、まだ始まって五分も立ってねぇぞ」

 言葉を聞いても、構えを解いたティーガルト・バルトーを見ても、クロウセル・ハルトベスは姿勢を崩すことはなかった。むしろ厳にしたと言っても過言ではない。

 ふざけた輩は大抵の場合は面倒くさい事この上ない。

 それが『真面目』にふざけているのなら、そいつは計算尽くであるだけだ。クロウセル自身、他者にふざけていると見られることで立場というものを作り上げる事をしている。単純に政治的理由でもあるが、社会的に必要な手段として用いている。

 だがこのティーガルトという男は『単純』にふざけている。大抵のふざけているだけの馬鹿は、してはならない場所で失態を犯してこの世から居なくなって行くが、幸運で生き残ったふざけた輩はタチが悪い。

 自分は恵まれているから何一つ瑕疵はないのだと勘違いする馬鹿のタチは、それは酷く悪いが、もっとタチの悪い、最悪の馬鹿が存在する。

「ティはベツにキミと戦いたいワケじゃあナイからネ」

 そう言いながら剣をおもむろに鞘に納め、自分には敵対する意思がないと誇大してそれを主張する。

 自覚のある馬鹿が最もタチが悪い。

 自分がどう見えるのか理解していてなお、その態度を改めることをしない。それも天性の才か、本能的に死線をくぐり抜ける能力だけは飛び抜けている。

 クロウセルはその場からティーガルトを逃すつもりなど無い。

「戦いたくないからと云って戦わなくて済むなら誰も死なないんだよ」

「ソウだネェー」

 そう言いながらも本当に戦う気がないのか、直剣を手の中から虚空に消してしまう。攻撃の手段を一つ目の前から消したのだから、やはり逃げ切る事を念頭に置いているらしい。

「逃げ切れるとでも思ってるのか」

「ニゲキル? ん、んん? キミはナニをイっているの?」

「あ?」

 逃げるわけではない。そうティーガルト・バルトーは問題が発生する度に行方をくらませる事で有名である。確実に仕留めることを目的にクロウセルが派遣されてきたのだから、ここで逃せばアイツからの命令としてこの場所に留まる期間が長くなるだけだ。

「ネェ、ナニもしなかったとオモったの」

 そう言われた瞬間、クロウセルは舌打ちをする。無論、苛ついたからだとか、腹立たしいから、自分の失態に気が付いたからなどという下らない理由ではない。

 辺りが暗くなろうとも、互いに相手の一挙手一投足を見逃すことはなく、また見逃されることはないと理解している。その中でティーガルトは何かをしたと曰っている。

 音が聞こえた瞬間、立ち並ぶ灰色の電柱を繋ぐ黒い電線から青白い雷光が見え、それが電柱に付けられた変圧器の外面を穿ち、爆発した。

 破片は放射状に飛ばず、全てティーガルトに向かって行く。明らかに物理的な挙動を逸脱しているが、魔法学的にはそうでもない。

 破片を避ける素振りもなくただ立ちつくしたままティーガルトはその右腕を振り払って破片を全て退けた。目の前に壁でもあるのかと見紛う程に爆風と破片が左右上下に流れて抜けて行く。

 その爆音でも近隣住民は玄関先から通りを伺おうなどとは思わない。魔術式に耐性の無い人間ならば絶対に人払いの術式に抗う術など無いのだから、必然、二人の陣取る通りには誰もが近寄ろうとも、見ようとも思わない。

 弾け飛んだ変圧器の衝撃で電柱が軋む。両側に伸びていた電線は切れて垂れ下がり、一部停電したのか民家の暗がりが増え、自然、近隣の街路灯も沈黙する。

 ティーガルトが腕で振り払い煙が晴れる寸前、千切れた四本の電線から青白い雷光がティーガルトへ走る。続けざまに四発。それも千切れた電線は同方向ではなく、視角内や死角からと角度や時間差で差し迫った。

 三発はティーガルトの躱す動作で無用となったが、一発が右脇腹を掠めジャージが裂け、彼の表皮を貫いた。

 その一撃を喰らってタダで済むはずもない。槍のように硬化した「雷」が脇腹を貫いて肉を千切り、臓腑を傷つけて通り抜けて行く。腹部から背後に抜けて行った雷撃の槍は十数センチ飛翔して後、空中で霧散して辺りは暗転する。

 人間の目とは違い、魔法使い達は闇夜の中でも互いの姿はおろか、顔の機微までありありと分かる。

 右の脇腹を硬質な雷撃が突き抜け、肝臓を損傷したがティーガルトはその顔に痛む素振りも見せない。対面するクロウセル自身、怪我など何度も経験しているが、流石にティーガルトの無反応さは予想外だった。確かに魔術式で脳内麻薬を過剰生成して痛みを感じないようにすることも可能だが、それは怪我をした後に行われる対処であって、常用してよい魔術式ではない。

「ハァー、ヨウシャないネェー」

「お前が殺したヤツにはこれまで容赦してきたのか」

「ン? 殺すのなら容赦はしないけど、殺さないバアイはヨウシャしてるコトになるんじゃあナイの?」

「それは容赦云々じゃねぇよ。ただ普通のことだ」

 ティーガルトは口をへの字に曲げて肩をすくめてみせる。次にティーガルトは右手を脇腹に当てた。最低限の止血でもしようとでもしたのかと、クロウセルは身構えたがその選択はある種、正しいモノだった。

 クロウセルの眼前、血に濡れた何かが迫る。鋭利な骨だった。顔先、鼻息がそれに当たるくらいまで寄せられてクロウセルは咄嗟に仰け反って避ける事が、彼の精一杯である。

 それに合わせてティーガルトはクロウセルに詰めていて、クロウセルの右脇腹を回し蹴りで叩き付けていた。

 骨を眼球に受けることは免れたが、お礼とばかりに同箇所を蹴りつけられてしまう。無手でも魔法使い同士ならば十二分に殺し得るが、そういうつもりでもないらしい。

 クロウセルはティーガルトの一挙手一投足から目を離さなかったはずだ。だがそれを易くかいくぐられ、まさか蹴りを同じ負傷箇所に貰うとは思いも寄らない。

「ベツにティはキミと戦ってカテるとはオモってないヨ」

 そう言いながらクロウセルの間合いから飛び退いて、十数メートルも間を取った。それは間違えることはない。

 外から見ては大した負傷には見えないが、クロウセルの脇腹には確かに違和感がある。痛みもしかり、明らかに肋骨の一本を仕留められた事も確かに分かる。

 この負傷でティーガルトが放ってきた物が右の折れた肋骨を引き抜いて投げて来たのだと理解した。それと、もう一つ。

「幻術か」

「うーん、チガうけど。ニたようなものかな」

 幻術、認識や知覚を文字通り幻惑する魔法だがそんなもの警戒していないはずもない。対人戦闘において化かし合いなど初歩の初歩である。実際、幻術系統の認識や感覚を阻害するものを探知する術式など展開済みで、それに引っかからないのだから、ティーガルトの言うとおり幻術ではないのだろう。

 本人が、ティーガルト自身が言い切ったようにクロウセルは直接的な戦闘ならばティーガルトには勝てるだろうという自負がある。だが感覚のずれや認識を阻害する「幻術ではない」魔術式をどうにか出来なければ「負ける事」はないにしても「勝つ事」も出来ない。

 だからこそ、このティーガルト・バルトーという男は言ったのだ。

 逃げ切るとはどういう意味で言っているのかと、そうクロウセルに問いかけた。

 そう、逃げ切るのかと訊いたクロウセルの問いそのものが無用である。

 クロウセルの感覚や認識を阻害してもティーガルトの力ではクロウセルとまともにやり合って勝てるとは思っていないだろう。一撃、腹に回し蹴りを入れられるだけの余力が有ったと見るならば甘く、クロウセルが仕合う最中に術式を見破ったならば負けるのはティーガルトである。

 クロウセルとて相手の式を看破できぬ程無能ではない。いくつか候補を既に掲げ、次のティーガルトの行動如何をもって消去法の後に対抗策を見つけるに違いないのだから。そうなればティーガルト自身も迂闊に攻撃する事は出来ない。

 ティーガルトの優位性は防御にのみ発揮され、またクロウセルもティーガルトが攻撃して来るところを見極めなければ勝つための道は無い。裏を返せばクロウセルが打って出る事を選べば最悪ティーガルトは必殺ないし、重傷を負わせるだけの手を用いる可能性もある。

 これによってクロウセルはティーガルトを見逃す。いや、ただ見送る他に手が無くなった。

「てめぇ、次に会ったらすり潰すからな」

「タイサクされちゃうからツギはナイよ」

 ぼたぼたと流血している脇腹をもう一度手で押さえ、今度こそは止血の式を用いていた。ただ肉や失った臓腑の再構成はこの場では出来ないと判断したのか、脇腹に開いた傷はそのままに、続けざまにティーガルトはクロウセルに向けて言う。

「ティはやるコトがあってここにいるけど、オワったらサヨナラするヨ」

 そう言いながら止血した事を手で触って確認する。既に手は血で塗れていて触って分かるのかクロウセルには疑問だったが、なるほど血液の吹き出る圧力をその手に感じなくなったのだと分かるや納得する。

 ティーガルトも止血に満足がいったのかまた両手の平を天に向けて肩をすくめてみせる。状況を作り出したのはティーガルト自身だが、まさか自分を狩り得る者の目の前に立たされるとは思いも寄らなかった。

 対してクロウセルも「アイツ」に自分自身が選ばれたと言うことに疑念を抱く事に違いない。クロウセルならばティーガルトを仕留められるからこそ、ここに送ったのだと思っていたのだが現に仕留め損なって、これから眼前で逃がさねばならない。

 アイツの差配はこれまで腹立たしいことに一度たりとも外したことはない。それも最悪なことに怪我人や死人が出たとしても、それに納得せざるを得ない成果を上げさせる。そんな男がここで打つ手を違うはずもない。ならばクロウセル自身が何か考え方を間違えている可能性もある。アイツは勝手な斟酌をしているようだが、これもまたクロウセルの経験上では外れた事もないのだから、ここでティーガルトを逃がすこともその内なのだろうと自分を納得させる他ない。

 ティーガルトはよろよろと後退って行く。暗がりで顔も体捌きも容易に見て取れるが、空を飛ぶこともなく交差点まで後退って行く光景をクロウセルは冷めた目で見据えていた。

「じゃあネ―― あれ? キミ、なんてイう名前?」

「ああ? ただのマヌケだ」

「フゥン、やっぱりティはキミ嫌いだよ」

 交差点の角の先も見ることなく、ただクロウセルを見据えたまま屏の影に消えた。無論、魔力を追うことも出来るのだから、クロウセルからは壁向こうを歩くティーガルトの動きは見て取れたが、わざわざ壁や民家をぶち抜いてまでティーガルトと戦おうとは思わなかった。

 単純に戦ってタダでは済まないという前提条件がある。確かに一撃回し蹴りなぞ貰ったが、それが剣筋だったらなどとは思うまい。単純にクロウセルもティーガルトも必殺を互いに警戒し合ってそれを注視していた。蹴りなど必殺には及ばないと分かっていたからこそティーガルトはクロウセルに届くと考えたし、クロウセルも甘んじて「蹴り」だけは受けておいたに過ぎない。

 もし蹴り如きを躱していたら、次にはらわたを抜かれていたのはクロウセルだったのだから。

 単純に戦闘ならば読み合いと手数の上でクロウセルは確かに、ティーガルトを屠るには余りあると自覚したし、ティーガルトもそれを理解して撤退を選んだ。

 だが、ティーガルトという男はタチの悪いことに、感覚で何事も捉える馬鹿とは違って論理的に物事を捉えられる馬鹿だという事が問題だった。

 もう一つ、家や壁をぶち抜く訳にはいかない理由がある。単純にクロウセルの立場としては破壊活動を極力控えるよう「アイツ」に厳命されたからに他ならない。

 人間が住んでいるから壊してはいけないなどとは思わない。クロウセル自身、彼ら人間には多少同情はしても手段としては放棄する立場ではない。見知らぬ他人よりも優先すべき事があるのなら見殺しにしようとも、巻き込もうともそれは仕方のない事だと考えている。

 だがそれとクロウセル個人としての振る舞いは別だ。仕事上そう振る舞うことが現在の立場と言うだけで、可能であれば無関係な者の死は避けたいのだ。

 それを承知していて「アイツ」はクロウセルをこの立場においているのだと、クロウセル自身理解した上で今この場所に立っている。

 ならばこそ、彼なりに身を振ればよい。

 舌打ちの音が聞こえる。術式を短縮したものではなく、自然とクロウセルが打ったものである。逃げ去って行く徒歩のティーガルトもまたその音を聞いて一瞬歩みを止めて身構えた様が魔力の流れから視覚的に理解できたが、それが悪態である事に合点がいけばティーガルトはクロウセルの方向を注視したまま彼の観測範囲から悠々と出て行った。

 おおよその逃げた方向は分かるが、それが欺瞞用の魔力なのか本人なのかは追わなければ分からない。そもそも追う必要性が無くなったのだから、クロウセルには関係のない話だ。

 過ぎたことを考えていても仕方なの無いことだ。蹴られた右脇腹を右手で押さえる。回復のための式など、クロウセルは簡単な物しか知らない。いつもなら面倒事に駆り出される時の相棒であるマレリデルがクロウセルを治していたので、本業の式を目にしてもそれを使おうなどとは思ったことはない。だが折れた肋骨が他の臓器を傷つける前に仮止め程度にでも治さねばならないと、マレリデルが用いていた式を思い出しついでに、自身で書き換えを行いながら治療する。

 左手は戦杖を携えたまま、警戒を崩さずにそれを成す。必ずこの様をティーガルトが見ているのだと言い聞かせるようにクロウセルはただ完璧な式を用いることに集中した。ここでティーガルトに付け入る隙は一分も無いのだと理解させるためには油断してはならないと考えてのことで、別段この場で治癒の式をわざわざ用いる必要など無い。

 ティーガルトは退却することを選んだが、退却中に「戦況」が変われば行動通りの目的を果たす義理もない。とって返してクロウセルを仕留める為に攻撃してくる可能性も十二分に有るのだから、その可能性の目を一つずつ摘まねばなるまい。


 静寂が住宅街を支配する。車のエンジン音も、水道の蛇口をひねる音も、他に人間が営む全ての音も。その住宅街には一つとして聞こえない。

 人払いの式は無駄な音の一切を立てさせない事にも腐心している。邪魔な生活音などしては戦いの妨げにしかならない。そんなものは立てて貰っては困るし、なにより音を立てた者が人質に取られたり危害を加えられたりする副次的な損害を被る訳にはいかないのだ。戦闘をする周囲には余計な者の存在は単純に邪魔でしかないのだから。

 ティーガルトが居なくなって久しい。辺りは暗くなり、まだ電気の通っている電柱には街路灯が煌々とアスファルトを照らしている。

 戦杖を携えていたクロウセルはおもむろに虚空にその杖を仕舞う。空間の向こう側、異次元空間に物を仕舞い込む術式だが、こちら側の質量は保持される。手が空いただけに過ぎず、戦杖自体の重量はクロウセルの体にのし掛かる。普段からこうして戦杖を持ち歩いているので重量が変わるという感覚も全くない。

 暗がりでクロウセルの口元に赤みが射した。穿いているジーンズのポケットからしわくちゃになった紙箱を握りしめ、もう片方の手には火の付いたタバコを提げる。

 仕留め損なったのはアイツの読み通りならば良いが、もし違ったら……などとは考えすぎであろうか。クロウセルが今いくら考えたところで無駄なのは承知している。今必要なのは仕損じた仕事よりも、直接指示された仕事の方ではないだろうか。

 小娘二人と人形屋の動きを追った方が良いと判断し、クロウセルはトンと地面を一蹴りするなり、高度にして八十数メートル上空へ飛び上がった。体は引力に抗い、空中にその体を留めて住宅街の上に制止していた。

 探すのは人形屋の方ではなく、小娘二人の方だ。よちよち歩いているのが容易に分かる。あの二人のお守りに人形屋が付いて歩いているが、本当に子供と大人ほどの魔法使いとしての力量の差が遠巻きからでも見て取れるのだから、あの人形屋は小娘二人をどう育てようと言うのだろうか。三人が歩いている所に、一人おかしいモノが居る。見知ったソレは、まだ人形屋ですらクロウセルに感づいていないにも関わらず、一瞬だが目線を寄越してきた。

 動物の勘とは、恐れ入る。




 引きつった笑顔でタクシーの運転手が一万円札を受取った後、千円札数枚と小銭を滝川まりねに差し出す。


 規制線の張られた場所に立っている警察官が、タクシーから降りてきた年若い少女二人、壮年の大男一人を見て不審に思う。そして少し遅れて三十代半ばの女性が最後に降りてきて、いよいよ困り顔を隠さなくなった。

 近隣住民は確かにここで何がおきたのか知っているが、彼女たちはここへ何をしに来たのか。立ちつくしていた警察官は怪訝な表情を隠さないし、なにより明らかに親子でもない年齢感の違う女性三人とデカイおっさんの取り合わせなど金遣いの荒い野次馬だという事もないだろうと、彼らの素性が分からずに困惑する他ない。

 少女二人が降りてから歩道で佇み、その傍に男が歩み寄る。そして眼鏡を掛けた三十代半ばの女性が彼女らの元で止まることなく、規制線の前で佇む警察官の元に歩み寄ってきた。

「こんばんは」

「……こんばんは」

 事件現場で現場保全をしていると必ず『何かあったんですか』と聞かれる事がある。それで慣れているには違いないが、現場保全に立たされた彼の前に現れたのはそう言う類の人間では無かった。

 白衣を着た女性は彼の前でスカートのポケットから二つ折りの革のケースを出してきた。自分自身も持っている身分証でそこには氏名、滝川まりね。階級、警部と記載されている。彼は慌てて敬礼するが、その対面の彼女はばつが悪そうに言葉を掛けてくる。

「あの、聞いてるか分からないんですけれど。雑対係から来てですね……」

 立ちつくすだけの仕事を与えられた彼にも聞き覚えがある。東都統括第一警察署内になにやら得体の知れないおかしな奴らが居るという事を。

 近くの交番から保全の為に応援要員として一時的に寄越されただけの巡査では雑対係の事を知っていても、どう対応して良いのか全く分からない。仕方ないので無線で連絡を取ると彼の心外にも簡単に返答をすまされた。

『雑対係? ……ああ、アレか。取り敢えず云うとおりにしておいてやれ』

 二三、言葉を返したが巡査のイヤホンには「いいから、云うとおりにしておけ」と再三返事が寄越されるだけだった。上司に連絡してこれなのだから、下っ端である巡査の彼には従うほか無い。

「……中に入るんですか」

「ええ、中に入って調べたいんです。あたし達で」

「は、はあ……」

 あたし達、ということは滝川まりね警部の後ろで黒いワンピースを着た少女が人種の分からない大男の脛を黒いエナメルの靴で蹴っていて、それを慌てて十代後半の少女が脇の下から両手を入れて引きはがしている光景が目端に見えるが、あの三人も入れろと言うのか。与えられたのは現場の保全であり、人一人が亡くなっている事件である。どこの誰かも分からない様な人間を三人も入れるなど、正気の沙汰とは思えない。

「あの、本当にあの三人も入れるんですか」

 現場を荒らされては自分自身の昇進にも関わり、また犯人を見つける手がかりが子供や得体の知れない人間に消されるのではないか。

「ああ、まあ。大丈夫です、たぶん」

 後半、不安顔の巡査は滝川まりね警部の言葉を聞きそびれた。理由は尻すぼみに言葉が小さくなったからだが、近くを車が通ったせいでもある。

 これ以上関わり合いになったとしても直接上司からのお達しを盾に、厄介事はその上司に押しつけてしまえばよい。

 もう一度だけ滝川まりね警部の後ろに居る三人に目を映してみるが、蹴りを入れていた少女は暗い夜空をじっと見ていて、その横で十代後半の少女が男に平謝りしていて、本当にどういう取り合わせで、どういう関係なのか不安で仕方なかった。

 不安で仕方ないが、与えられた命令なので従わなければこれも仕方がない。張られているビニールの規制線を持ち上げて通れるようにする。片側一車線の道路を挟んで向こう側、近隣住民が立ち話をしながらその様子を見てなにやら話しているが、巡査の知ったことではない。

 まりねがくぐると十代後半の少女が十代前半くらいの少女の手を引いてやってきて頭を巡査に下げてからくぐり抜けた。問題はその後を音もなく付いてきた大男である。巡査も百七十後半だが、肩幅のせいか百八十を少し越える程度の身長の男に圧倒される。取っ組み合いにでもなれば絶対に勝てるワケがないと、日々柔道に勤しむ警察官の彼ですら直感を覚えるのだから、持ち上げたビニールの規制線をくぐらない男に恐怖を覚えた。流石にこの規制線を男のために外す訳にはいかないので頭を下げてでもくぐって貰いたいのだが、じっと事件現場を注視したまま動かない。

「あの、どうしたんです。師匠」

 規制線の前で動かなくなった大男に滝川まりね警部はそう話しかけたが、男は黙ったまま事務的に屈んで通り抜けた。何が彼をそこへ一時的に押し留める要因になったのか誰にも分からなかったが、コンビニの入り口付近へ歩いていく背を巡査は不思議そうな顔をして見つめていた。


 歩く度に大気が揺れるような感覚を得た。その原因はシュライナー・デルシェリムであり、その感覚を得て動揺しているのは二人の弟子である。普段から魔力に当たることは有る。だが当たると言っても風のように吹き付けられた程度のものから、突風と呼べるもの、また暴風と呼ぶに至るものまで。今に受けたのはそのどれをも凌駕する、魔力の混沌に当たった。

 魔法使いと言うモノがどういうモノなのか、それなりに月日を共にして知った気で居た滝川まりねと松下エリザは師の垣間見せる魔法使いとは斯くや、といった言動に一々動揺を覚える。今日のこれも、その動揺を覚えるものだったがそれはまだ師の真意を測りかねた状態での動揺でしかない。

 デルシェリムの足取りはしっかりとしているが、その一足一足には地面を確かめるかのような気遣いを感じる。コンビニの前、まだ駐車場を中途まで歩いたに過ぎないが既にその理由は彼らの眼前に現れていた。

「そうか、もう使いを覚えたのか」

「いぬ?」

 不自然にコンビニ店内の照明が明滅を始め、店の周りに不可思議な影の領域を作り上げる。そこには角張った犬のような影がすくと立ち上がり、両面黒い折り紙で四角四面に織り上げられた奇怪な造形物である。山に折り谷に折り、影の中に陰影が僅かに見え、折り目である事が辛うじてわかる。

 それが二つ。

 それを数える為の言葉が正しいのかどうかも四人には分からなかった。

 魔力の混沌中に松下エリザと滝川まりねは放り出された気分で、真珠と呼ばれていた少女など既に走って先ほど四人を訝しげに見ていた警察官の元まで逃げて、ちゃっかり後ろに隠れてしまっている。自分だけは助かろうというつもりなのだろうが、流石にエリザもまりねも真珠にソレと戦えなどとは一分も思わない。

 戦えるのは誰か。そうこの状況に置いて師であるシュライナー・デルシェリムを置いて他には居ないのである。最後、一足をコンビニ前のアスファルト、白と黒の交互になった入り口付近に降ろしたとき既に支度は調っている。

 デルシェリムの背後数十センチの中空に光が浮いている。大きさで言えば杭のようなもので、明らかにそれは二体の犬のような影に指向されている。

 杭の数は七本、それぞれがエリザやまりねの運用できる魔力量を既に超えていて、圧縮された魔力とそこに収束した光子の熱量は既に人知を越えている。

 なんの動作もない。

 光が弾丸のように中空からはじき飛ばされ、犬のような影に飛ぶ。その場にいた人間の動体視力では追い切れるはずもなく、撃ち出された先に居た犬が飛び退いた後でどちらに向けて撃ちだしたのかを理解した。

 デルシェリムから向かって右にいた影の犬が飛び退いて避けた様には見えたが、よけきれていなかったのか左の前後、二本の足を引きちぎられて影が陰の中に倒れ伏した。それでも影の犬は戦意を失っていないのか右の足だけで器用に立ち上がり、デルシェリムへ向けて跳躍する。

 それも二体同時に飛びかかってきた。

 それをデルシェリムは回避など行わず、背後に留めていた光の杭で対抗する。左半分を失っていた一体は光の杭を頭頂部に受け、体全てをねじ切られる様に影は四散する。もう一体、五体満足だった左の影の犬は、咄嗟に左手で守りに入ったデルシェリムのその腕に噛みつき、黒い影の牙が腕を貫いて硬質なモノを噛み砕く音を周囲にまき散らす。

 しかし、デルシェリムは顔色一つ変えもせず、ただ影の犬に自身の腕を噛ませて泰然としている。残り五本の杭が背後からデルシェリムの頭上に音もなく移動し、直下の犬に全て指向している事にエリザ達が気がついたときには、その全てが同時に影の犬を穿ち、抉り、引き裂いた。それも自らの左腕をも巻き込んで。

 若干傾斜のあるコンビニ前のアスファルトに熔解した跡が七つ。影の犬は四散した折りに元の陰に呑まれて消えた。

 エリザやまりねがその始終を恐怖と驚きと共に見守って居たが、それとは違う物の見方をする人間もいる。

「――なん、なんだ」

 目の前で起きていた物事に一番当てられていたのはコンビニ前の駐車場を保守していた警察官である。ただ事件現場に入った人間が、突然、陰から現れた黒い生き物のような影に大男が襲われ、また大男の周りに光が棒状になった物体が降り注いでその黒い生き物を撃ち消す様を、彼は見た。

 雑対係という東都統括第一警察署内にある意味不明の係。ただそれだけの先入観で滝川まりねという警部を見た。それに付き従ってぞろぞろと少女二人と大男などという部外者を入れたかと思えば、人に言って信じて貰えるか疑わしい騒動が目の前で起きた。

 雑対係というものが警察内で何を取り扱っているのか、彼は憶測の域を出ない事実を得ることとなった。

「大丈夫ですか師匠」

「問題ない」

 十メートルほども離れていない距離で滝川まりねと大男がそんな会話をしているのを彼は聞いた。始終を眺め、何が起こったのか、滝川警部と大男の関係はどういうものなのか、遅れて駆け寄ったバッグを肩に掛けた少女はどういった人物なのか、彼は上司から与えられた場所でただ眺めていた。彼らにはついて行けないし、関わり合いになるなどという事になれば、自分自身の身が持たないだろう。黒い化け物の様なものが大男の腕を砕き、彼が見ている今まさに手首がアスファルトへ千切れ落ちた。

「う、うでが」

「……あんなモノに噛まれたんですから腕くらいで済んで、良かった方ですよ」

 独りごち漏らした言葉に、背後から言葉が返ってきた。

 振り返ると先ほどまで腰にまとわりついてきていたもう一人の、小さい方の少女が腕が千切れ落ちた大男の方を見ながら、何の感慨もないのか、ただ真顔で眺めてそう警察官の彼に言葉を不意に返してきていた。

 雑対係に関わり合う人間はおかしい、何もかもがおかしい。上司が厄介払いするように言うとおりにしておけと言っていたのは巻き込まれる事への恐怖に違いない。

 それに、この幼い少女はなんだろうか。黒い化け物が現れたときはあれだけの恐れようだったにもかかわらず、見知った大男の左腕が手首からもげ落ちても取り乱したりしない。

 この小さな少女が恐怖を感じているのは自分に害が及ぶことだけであって、他人が傷つく事には興味がないと言った口ぶりである。

 近くにいた少女は警察官の彼を置き去りに、一度規制線の辺りで立ち止まって空を一瞥した後、ふたたび自ら規制線をくぐって彼女らの元へ駆けていった。

 規制線のこちら側に残された警察官の彼は、その線の向こう側で起こったことを上司に報告すべきかどうか逡巡した。なにをどう報告すればよいのか、頭の中で整理が付かなかった事が主な理由である。

 報告したところでそれを事実だとして認識して貰えるのかどうか。この保守の仕事が嫌で、おかしな事を言って逃げようとでもしているのではないかと思われないか。雑対係という得体の知れない係が、本当は日夜彼の思いも寄らぬ人間の敵と戦っているのではないか。

 彼が規制線の外側で、規制線の内側に居る彼女らを眺めて思う。

 その線の向こう側とこちら側では、次元が違うのではないかと。




 左腕を失ったデルシェリムは血液が滴り落ちる左腕の止血など無視し、右の腕でコートの内側を探り、小さな茶色い粘土板を取り出した。落ちている左腕を中心に、円形を描き、縁に沿って円の内側に文字を書いて行く。言語はそこにいるデルシェリム以外には理解が及ばないもので、彼自身の理解の範疇にはこう記している。

『血の交わり有れば、祖の元に還らむ』

 遠巻きに一人。

 便利なものだとその光景に感心し、魔法使いが脇腹を無様にさすりながらそこへ向かって飛んでいた。

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