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03

他サイトにも重複投稿。

 東都統括第一警察著。

 滝川まりねの勤務場所である。そこは東都南方を管轄していて管轄地域は東都という大行政区の五分の二という広域にわたる。そこで起こる事件、事故に対処するために裂かれる人員は多く、管轄区署員達は二万人余りをも抱える。

 統括第一署は本署から更に別建屋に別れていて、同一敷地内にあるその別棟は当該地域を管轄する警察署。その、近隣地域を担当するはずの警察署内に雑対係がある。

 滝川まりねはそこに所属しているが、係に仕事が与えられない限り普段は検視を担当している。

 署内地下。廊下の片側がアクリル窓になっていて、その向こうには駐車場が見える。警察署の外観からして変わった様相だった。

 そこに来た三人には興味がない事実だが、公金を使って建てられた警察署であるがデザイナーによる設計である。地域に親しまれ、それでいて洗練された世界に誇れる警察署を。下らない見栄と、誰かの利権の象徴のような場所。

 建てられてそれなりに経年しているらしいが、地下の一角は特に劣化が激しいようだった。

 検視室。その一角は特に酷い。扉には金属が擦れた後が腰の高さほどに、真一文字に複数有る。車付き担架に乗せられた遺体が押し入れられる観音開きの扉には、その往来の数だけ担架で押し開かれた痕跡がありありと浮かんでいる。

 ただ、それだけならば良いのだが検視室の中には何故かそこら中に弾痕の様な穴が空いていた。

 その穴はあまり良い気のする穴ではない。

 検視室にはいくつも扉がある。そこにもその穴は穿たれていた。そこには空いていてはいけないものだ。検視室の壁面に備え付けられたその扉は遺体を安置するための零下保存ケースの扉である。腐敗を防ぐために遺体を零下、零度以下に保ち検視作業のために一時預かりをする。その扉にも穴が空いている。

 何があったのか。普通に考えれば奇々怪々。しかし、そこを訪れたのはその奇々怪々を起こす側の者。

「何人かいるな」

「あの、何の話で――」

「冗談だ」

「マジやめて」

 滝川まりねが両の手にビニール製の手袋をはめ、稼働しているケースから袋を取り出した。袋と言ってもあまりにも大きい。それこそ、人一人分の大きさだった。

「……先に云っておくけど、かなり酷いから覚悟してちょうだい」

「俺は見慣れてるから問題ねぇ」

「あなたじゃなくて、エリザちゃん」

「は、はい……」

 ケースから伸びた引き出し棚の上の袋は漠然と人の形と分かる。頭部の丸み、胸部のふくらみ、足先に行くにつれ細くなり、爪先が袋の天を突いている。

 エリザはそれだけで胸に迫る。人の死を、これほどまでに近くで体感する事は今まで一度もなかった。まだ高校生の松下エリザに対し、滝川まりねは言うまでもない。それにガラの悪い男、クロウセル・ハルトベスが言い放った見慣れているという言葉は伊達ではないのだと、彼の態度を見てエリザは確信する。

「じゃあ、見せるけど……」

 まりねがエリザを見据え、言外に気を確かに持てと視線を送る。そんなモノには気付いているのだろうが、それに気を遣うような男ではない。ただ黙して状況を見据えている。

 まりねの手が頭部側、袋を閉じているジッパーのツマミを指先で掴む。

 そして引き開ける。





 まず、死臭がする。

 生きている人間にも不快な臭いのする人間が居るが、この臭いはそれのどれよりもエリザは不快に感じた。袋の中には遺体がある。そこからまとわりつくような死臭が溢れてくる。それは強烈な臭いという訳ではない。遺体が腐敗しないように冷却されている為に、その死臭は限りなく薄くなっている。それでも、その死臭にエリザは眼を細め、眉間に皺を寄せるほど厳しいものだった。

 臭いだけでこれだ。それを、その遺体を直接見なければならない。

 そしてそれを、何の臆面もてらいもなく顔元まで歩み寄って男はのぞき込んだ。

 しかも、

「酷い酷いと云うからどれ程のモノかと思ったら大したモンじゃねぇな」

「……いや、十分酷いわよ。普通、人間はこんな風に死んだりしないもの」

 少しのやり取り、その二人の会話でますます遺体状況をエリザは想像してしまう。酷くはないという男の言葉、普通、人間はこういう風に死なないというまりねの言葉。

 少し離れた場所で歩み寄ることを躊躇った自分自身に、エリザは言い聞かせるほかない。もう私は、普通の人間を辞めたのだと。

 遺体へ歩み寄り、男の横に、クロウセルの横に居並んだ。

 その遺体を視界に入れたとき、すぐにその遺体の異常さに向き合うこととなった。

 眼球もまぶたもない。それに、口元が笑っている。

 死ぬ人間が笑うだろうか。短絡的にエリザは考えたが、エリザ自身、人の死というものに対しての経験や知識が全くない。エリザよりも遺体や死に関わることの多い二人はそれをどう捉えているのだろうか。

 なのに、クロウセルはまた別のことを言い放つ。

「俺は手出ししねぇからな」

「え、なんで来たのよ」

 まりねとしてはクロウセルなどという、見知った魔法使いが来たのだからこの件に直接関わる気があるのだと捉えていた。実際にはただ来て、それだけ。

 クロウセルはまりねに子細説明する事が面倒なのか、前後逆にしていた野球帽を一度外し、銀色の髪をわしわしと掻いて、ばつが悪そうにズボンのポケットからくしゃくしゃのソフトケースを取り出した。

「ダメに決まってるでしょ」

「……」

 中から次のタバコを取り出す前にまりねに止められる。クロウセルは所構わずタバコを吸おうとするが、東都では屋外では歩きタバコは条例で禁止されているし、屋内も喫煙所がわざわざ設置されている場所ばかりである。タバコを吸う人間には肩身の狭い環境でしかない。それなのに、つど指摘されても一向に改めようという意思を感じない。

 小さな舌打ちの後、クロウセルは元のポケットにしぶしぶといった感じでねじ戻す。

「本当はこの人――クロウセルさんがこの仕事をどうにかしようとしていたらしいです」

「どうにかって」

 子細は仕方なく、エリザがまりねへ説明してやることとなった。クロウセルは見た目や態度ほど悪い人物ではない。エリザはそう自分に言い聞かせるように、まりねへと伝えることにした。

「ふうん」

 半分納得した様な、半分うさんくさい様な。

 遺体を直接見る時間が減った。それに意識的に感じていた不快な死臭に、時間が否応なく鼻を馴らせてゆく。エリザが遺体と同じ空間に居続ける事でそれに慣れる。説明を放棄し、話の骨子を敢えて崩壊させる事で説明をエリザに押しつける。それがクロウセルの思惑かともエリザは考えたが、そんなものは今考える必要性はない。

「それで、これはどうしたらこういう死に方になるのかしら」

「知らん」

「いや、知らんって」

 先ほどからまりねが話しかけ、クロウセルがテキトウな事ばかりを言って、吸っては居ないが煙にはまいている。

「何もしてないないのに理由なんて解るわけねぇだろ」

 二人はそれを聞いてそれはその通りだろうと思うのと同時、言い換えれば何かをすれば何かが分かるのだろうかと思い至る。

「なにをすればいいの」

「魔法や魔術の産物にやられたのなら残滓を探知すればいい」

 魔法使いは魔法を使って終り。そういう単純な事はない。人間がなにかを成したのならばそこには痕跡が残る。魔法使いも同じである。魔法使いなら、魔力が残る。

 例えるなら指紋。人間一人一人指紋が違う。犯行現場に残る犯人を示す決定的な証拠。それを探し出せと、クロウセルは曰った。





 しかし、

「あの、タンチってどうすれば……」

「あ?」

 なんでそんな事もわからないんだと、クロウセルは半眼でバカにした風を微塵も隠さない。そのクロウセルは手に持っていた帽子を遺体の入った袋の、腹の上に放り投げる。二人は亡くなった方に失礼だと憤りを覚えたが、その男は死者の尊厳など踏みにじって当然であるかのような態度だった。

「ちょっと――」

 タバコだった。ポケットの中のソフトケースを取り出し、まりねの制止を今度は完全に無視し、口にくわえる。指先に火、流麗な動きは口を差し挟むなと言う意志を言外に、端的に示すものだ。

 制止を無視して点火し、一呼吸をし煙を悠然と吐きだして後、小さな舌打ちの音が聞こえる。それはまりねの制止に対する反感ではない。当然、彼女たちが探知の魔法を知らなかった事に対するものでもない。

 煙が滞留する。いや、目には煙のそれだが、完全に空中に停止していた。

「――」

「魔力を探知する方法はいくつかある。今、タバコに俺の魔力を流して止めた。わかるか」

 目の前の紫煙には魔力が流れている。そうでなければ空気中に煙が完全な停止が叶うはずがない。それはまりね、エリザ両名にもにもわかる。物理的な視点で見れば煙が一箇所に完全固定するようなことは不可能だ。しかし、それはあくまでも常識から照らし合わせた解として魔法を使っていると分かるだけだ。

 そこに魔力が流れているかどうかなど、今の二人には全く分からない。

「おい、お前ら色も見えないのか」

「いろって、あの――」

「はぁー」

 かなり長い溜め息だった。それもタバコの煙を吐き出しながら。その煙は滞留し、そこに完全に止まったままの前に吐いた煙にぶつかるが、透けた様に通り抜け留め置かれた煙は形を全く変えなかった。

 完全にこの世の物理現象とは隔絶している事が目視で確認できた。

「魔力には色がある。それは個人でそれぞれ違う色だ。見えるか、嬢ちゃん達」

 そこに見えるのは止まった煙。

 そして二人には、

「え、灰色にしか――」

「あぁっ?」

 ふざけるな、という鋭い眼光が答えへの採点の全てだった。まりねには、クロウセルの言う魔力の色などと言う高尚なモノは全く見えない。実際、自分の使う魔力の色も分からないのに、他人のモノなど解るはずもない。

 まだ一人答えていない。

「魔力って、あの使うとずごごごっ、ってなるヤツ―― ですよね」

「――」

 立ったまま気絶しているのではないかと、その原因を作った二人がふざけ半分申し訳なさ半分に後退る。タバコを咥えたままだが、右手を顔半分に当てて今度は頭を掻くこともない。小さく声にならぬ音が喉元から漏れ聞こえているが、溜め息なのか二人にはもうわからない。

「あのおっさん、嬢ちゃん達に何教えてたんだよ」

 タバコをしっかりと吸う事もない。ただ唇にはさみ、歯で引っかけて落とさないようにしている。完全にクロウセルも動きを止めた。

 刻一刻と時が過ぎる。まりねの左腕にまかれたアナログ時計の針音が検視室に響く。じりじりと火がタバコの巻紙を支配して滅ぼしてゆく。彼らの目の前に時間の経過を示すのは、クロウセルの口元の発光だけだった。

「わーった、俺が探知の術式を教えるから。今すぐ覚えろ」

「い、今ですか」

「明日にするか、またこれが一つ増えるぞ」

「……ぃや、やります」

 今すぐに覚えろと言うのかと問いかけたのはまりね。

 脅されて先にやると答えたのはエリザだった。

 魔法使いは人の道から外れた者だ。

 今更泣き言をいった所で仕事が終わるわけではない。

「まず式を書く」

「えっと、やったことないんですけれど」

「……だろうな」

 探知の魔法を使えない。クロウセルが誰かに魔法、魔術式の基礎を教えるのならばまず教えるのは探知の術式である。

 だが、彼女たちが魔力の色を捉えられないというのは最悪だった。そんなものクロウセルには物心ついた時から見えていて当然のモノ。父母も、祖父も祖母も。一族は、代を辿れば王家本筋にも至る五龍の嫡男である。魔法の素質というモノであれば初めから恵まれている身の上だ。だからこそ、全く素質のない人間に教えるなどと言うのは彼自身初めてのことである。

「紙と書くものを」

 左手でタバコを持つ。右手は掌を見せて、要求した。それに即座に答えたのは滝川まりねだった。エリザは鞄にノートや筆箱を仕舞い込んでいるが、まりねは白衣の胸ポケットにメモ帳も、ペンも入っている。学生の本分は腰を据えて教えてもらうことだが、すでに社会人であるまりねは自分の前職からの癖で携帯していた。

 その両方を手渡されたクロウセルは左手のタバコを咥えると一息吸い込んでゆるゆると煙を吐き出しつつ、普通のボールペンと下線の引かれたメモ帳を検める。

 ボールペンとメモ帳が珍しい、という訳ではない。そしてすぐにまりねの手元に返した。

「それで眼鏡美人が書け」

「ちょ、あ、あたしが、びびび、美人って」

 エリザが男の横で「ああ、この人はテキトウな事を言って茶化しているんだな」とそういう醒めた目で見ていたが、男の態度は何も変わらなかった。

「まず紙ぎりぎりに大きな円を書け、極力真円に近いものを書け」

 作業する場所がない。手に持った紙に円を書こうと、それも真円に近しい円を書こうと思ったらほぼ不可能だ。手近な台になりそうなものは遺体を乗せて引き出した棚の上で、遺体のそばで円を書いた。

「次、頂点が円の内側に接している正三角形を。可能な限り綺麗にな」

 まりねの線はゆっくりなものだった。緊張感は子供の落書きの比ではない。ただ丸と三角を書けと言われただけだが、まりねの向かう台には眼窩に何も入っていない遺体がある。彼女の死はなんだったのか。

 滝川まりねは年下の上司に警察官になることを勧められた。そしてそうなった。それは理不尽な人の死に抗う力が手に入るからだと言われたのだ。だが、まりねの目の前にはその理不尽によって亡くなった人間の遺体がある。その緊張感たるや。

 その線が円の内側、三角形の頂点に結ばれたとき男は、クロウセルは言い放った。

「一番簡単な術式陣だ。死体の顔に置いて、魔力を流せ」

 クロウセルが一番初めに、父から習った魔法。いや、魔術の基礎術式陣である。父に習った時にはそれを「宝探し」と呼んでいた。しかし、今はそれを二人には言うまいと心の内に留めることにした。

 術式の求める所は魔力の追跡である。探知術式だけとっても数千、数万に上るだろう。その中でクロウセルが知っているのはせいぜい十数個。その上、クロウセル自身が主に使うのは片手の指でおつりが来る程度の数しか使わない。

 二人には話さないと決めた事だが、クロウセルは探知、追跡に長けた魔法使いではない。魔法も術式も、即物的なモノを好む。好むという言葉はクロウセル自身、使うことはない。正確には必要に迫られてそういう類のモノを用いらざるを得なかったというのが正確な表現である。

 魔法使いが魔法使いを殺すには、そうならざるを得なかっただけの話だ。

 紙切れをつまみ上げ、それをただ何もせずに見つめた後、クロウセルの方をみやる。それに対しクロウセルは怪訝な顔をしたが、まりねはすぐにエリザの方を見つめる。

「あたしより、繊細な魔力操作はエリザちゃんの方が上手いから、ね」

 息を吐き出す音がする。新たにはき出した煙は魔法で留め置かれていた固まりを一緒くたに吹き飛ばす。禁煙だから吸うなと言う言葉は既に意味を成さない。そんな言葉を今更誰かにぶつけられたところでクロウセルには心底興味がない。

 まりねがエリザに役割を変わってもらいたいと願い出た事にも、クロウセルは興味がない。

「が、頑張ります」

 クロウセルは二人のやり取りを見ていて、そこに苛立ちを覚える。クロウセルは即断即決をしなければならない状況下で生きる時間が長すぎた。二人してよたよた、もたもた。歩き始めたばかりのひな鳥のような二人を眺めていると自分が老成したのか、彼女たちがまだ青いのかと無駄なことまで考える。

 紙をどこに置けばいいのか分からないというので、クロウセルは遺体の額に置けとだけ言う。エリザは恐る恐る眼窩の虚空を仰いでる遺体に紙切れを置き、そこに手を当てる。

 まりねが初めて陣を敷き、それをエリザが使う。互いに術式の陣を作るのも、使うのも初めてだった。

 魔力は一方的に流すモノだとまりねもエリザも思っていたが、エリザの手元で回転を始めたのが分かった。図形に魔力が走っている表面ではなく、図形の裏でもない。ましてその中でもない。どこに魔力が走っているのかわからないが、そこに流れている事が分かる。

 真円部分を走り、正三角形を辿る。円と三角を流れる魔力にはそれぞれ速度が違い、そこに何か変わった感覚を得た。

 中央から何かエリザには覚えのない感覚を広く得た。その先に漆黒を感じる。

 暗く、凝り固まった闇から誰かがこちらを見ている。視覚情報ではなく、掌から触覚に近い感覚なのに何故か誰かがエリザを見ていると解る。そこにあるのは眼球で、二つ、こちらを見つめたまま瞬きすらしない。虚から、ただエリザを見つめている。

「居たか」

 クロウセルの声で、掌の感覚よりも聴覚からの情報量が上回った。我に返るように引き戻されたエリザは、今まで得た感覚を反射的に答えた。

「あの、誰か見てるような」

「どの辺りか分かるか」

「え、いや、その――」

 なにやら詳しい説明はないが「探知の魔法」を使ったはずなのだから、当然どこに何が居るのかわかるはず――と、まりねもエリザも思い込んでいたし、実際その感覚をえたエリザが誰か見ているというのだ。だから、当然エリザは対象がどこにいるのか分からない事に焦る。

 また溜め息と共に煙を吐き出されるのかとエリザは身構えたのだが、

「そうか。こちら側にはもう居ないかもしれねぇな」

 まりねもエリザも、クロウセルの言葉には虚を突かれた思いだった。

 もういない。既に誰か、他の魔法使いがこの遺体を作り上げた犯人をどうにかしてしまったのではないだろうか。クロウセルはそう都合良く取りはしないが。

「探さなくちゃあならねぇのは影だ。実体じゃあない」

「た、探知の魔法で見つからないなら手がかりが――」

 そう手がかりがない。まりねは自分の元に遺体が辿り着いたとき『これは自分の仕事である』と思った。自然、まりねは一年ほどで既に検視室の主のような扱いを受けていて、実際前任が居なくなった今、その主の座を否応なく拝命しなければならない立場にある。

 まりね自身「本業」である検視から全く何も分からなかったのだから後はもう、魔法に頼るほか無い。

「探知が無理なら本人に訊くしかないが」

「それは、あたしがもうやりました」

「あ? 死んだヤツの脳から情報だけ抜く術式は知ってんのか」

「え、いえ。ですから術式の組み方はまだ師匠に教えていただいておりません。あたしは遺体に魔力を流して、一時的に脳機能を回復させて喋ってもらったり、五十音表を使って視線で聞き出せるので」

 唯一と言っても良い。確かに炎を出したり、水を出したり、風でモノを切り裂いたり。簡単な魔法自体はまりねにも使えるが、あくまでも簡単なものだけ。だが、それとは違って安易な物理現象とは違い、人間の神経系を支配する事の出来る唯一絶対の、一芸魔法である。

「眼鏡の嬢ちゃんはそれはそれですごいんだが、効率の悪いことだな」

 なんとなくバカにされた様な気はするが、まりねとしては自分の一芸がどれくらい効率の悪い魔法かという事は身を持って理解している。それを使う度に血糖値が下がる。冗談やふざけた話ではない。魔力を使うには糖分を使う。これは魔法使いならば皆、常識と知っているが、まりねのその魔法ではかなり血糖値が下がるような消費を伴う。

 ただ、クロウセルの言う効率が悪いというのは別の話だが。

「それで、この死体から何を聞いたんだ」

「……名前は金谷香、二十一歳、女性。職業は大学生で、アルバイト前にコンビニでアイスを買って、店の前で買い食いしているところを襲われたそうよ」

 クロウセルはまりねの言葉を黙って聞いては居たが、内心やはり苛立ちを覚えていた。名前も年齢も、職業も。個人の詳細情報など必要がない。既に死んだ人間であって、これから探さねばならない「影」には何の関係もなければ、何の手がかりにもならない。それにこちら側にはもう居ないとクロウセルが二人に向けて言ったはずだが、魔力もそれを見る力もない死んだ人間如きに興味はないのだ。

 それとも何か、同情してやれとでも言いたいのか。クロウセルにはそうしてやるだけの義理もなければ時間もない。

「襲われたのは見れば分かる。どんなヤツに襲われたのかだ」

「……く、黒い人間みたいなモノ、だそうですけど」

「まずいな」

 遺体の利用価値はこれ以上無い。クロウセルは額の上の紙切れをつまみ取る。

 クロウセルは顎でまりねに遺体をしまうように指図する。それに反発もなく、丁寧に無駄な衝撃などを与えないようまりねはジッパーを閉め、引き出し棚を戻してゆく。

 その一連を眺めていたエリザは、小さく息を吐いていた。

 遺体の額の上に置いていた紙をクロウセルは手に取るとそれを魔力で焼いた。紙切れをここに残す必要性がない。魔力の探知術式など子供の遊び程度の物だが、クロウセルとしては消せる痕跡は徹底的に消す。普段、術式を紙に描く事などほとんど無い。魔法を用いた戦闘を行う場合、大掛かりな陣は予め着衣に縫い込んでおく事などクロウセル達魔法使いの初歩たる。最悪、体に刺青として刻んでいる者も居る。

 クロウセルとしてはシュライナー・デルシェリムはこの二人を正式な弟子として迎える気がないのではないかと推し量っている。まともに魔力の操作もできない、まともな知識もない。これであの男が弟子であると豪語したら一発顔面を戦杖でぶん殴ってやらねば目が醒めないのではないか。

 アイツが言うのだから、任せなければならない。それを頭は理解していても、その命令の真意を理解できる事ではない。

 だが、アイツは一度たりとも適宜、駒の位置を違えた事はない。

 この二人、小娘二人を育てろと言うのが言外の命令かも知れない。この後、彼女らの一助がなければならぬというお達しか。それにしても無能すぎてあと二、三十年はかかりそうなものだ。

 それこそはじめは陰から見守ろうと思っていたのに、何の因果か嬢ちゃん二人に捕まって助言を求められる状況だ。

「まずいって、どういう事ですか」

「影は影でもそこらの日影とは違う。魔法使いが、死んだ魔法使いは日照と星陰を使い探求していた。ちなみに探求内容は魔法使いそれぞれだから、俺は内容は詳しくは知らん。まあ、その探求する拠点の防衛に死んだ魔法使いは影を使っていたんだが、その影は基本的に――」

「動物を使うんですよね」

 口を差し挟んできたのはエリザだった。クロウセルとしては説明してやっているのだから最後まで聞けと言ってやりたかったのだが、それは止めだ。

「動物を生け贄にして、その魂を影に縫いつけて作る。城の、門番。です、よね」

「そうだ」

 影に魂を縫いつける。魔法使いの中でこれは滅多にはないモノだ。大抵は魂を縫いつけるよりも生きている動物の脳に直接命令を書き込む方が効率的だ。殺さずに対象を捕獲し、生け贄としてその対象の影に魂だけを縫いつけて魔法使用者を守るように命令する。これはいくつもの術式を重ねなければならず、それ相応に大量の魔力消費を強いるモノだ。

 一言で言えば効率が悪い。しかし、それ相応に手間と暇を掛けたのだから得られるものもある。動物そのものを直接使う門番程度ならばそれなりの練度を積んだ魔法使いでは相手にもならない。如何に強化してあったとしても何らかの方法をもって倒すことができる。それが、物質世界から解放されたモノだとその方法、手段がその分だけ減る。

 本来、物質世界で影だけがそこに残留する事はない。それを留めるのは魔法であり、魔術。物理的に生きている対象を殺すのなら人間にも可能である。だが、魔法で永らえたそれは、魔法使いにしか倒すことは叶わない。

「嬢ちゃん、気付いたんだろう」

「……」

 影に魂を縫いつける。そして門番にする。動物を生け贄に使ってその影を作る。そう、影は元の形と同じモノだ。

「に、人間を生け贄にしたって事ですか」

 エリザのその言葉を聞かずとも、まりねは既に気付いてはいた。だがそれを口に出そうとは思わなかった。金谷香に『黒い人間みたいなモノ』と聞いたとき、前日に師匠から影の話を聞いたことと照らし合わせて既に思い至っていた。

 師匠に聞いた影の作り方。魔法使いならば、動物に限らないのではないかと。

「単純。人間も畜生に変わりない」

「あなた、なんて云い方するのよ。これを始めたのは魔法使いの方じゃないっ」

 まりねが平手でクロウセルの顔を叩こうと振り抜いたように見える。だがそれは腕の振りがそう見せただけで、掌はクロウセルに易々と掴まれていた。

「撤回するつもりはない。なんなら言葉通りだが。一度あのおっさんに訊いてみれば良い」

 まりねもエリザも、師匠になにを訊けばよいのか。そんなモノは解りきっているが、それを訊く気にはならない。

 人間は畜生である。動物と変わらず営みを持ち、そして死に、また生まれ来る。生来という意味では人間も確かに動物とは変わらない。だが、意味はそれではないだろう。

「まあ、関係ねぇからこの話はこれで終りだ。それより、違う方のおっさんに文句を云う方が先だ」

 どのおっさんなのだろうか。唐突なおっさんという言葉をクロウセルが身代わりのように吐き出したが、文句を言う相手とは誰なのか。

「サージっていう若作りしたおっさんなんだが」

「あ。わたし会ったことありますよ」

「あたしも……」

 面倒くさい説明をする手間が省けて良かったとクロウセルは思うと同時に、なぜ二人はアレとの面識があるのかそちらの方が不思議だった。あの男は家のドアを叩いてのこのこ出て来るような輩ではない。会う者を特に選ぶタイプの魔法使いで、彼女たちと面識があると言うのはデルシェリムからの繋がりか。

「元々その魔法使いの城を解体する仕事はあのおっさんの仕事だったんだよ。それが何匹か撃ち漏らしたとか云い出して、その内の一匹が嬢ちゃん達の仕事相手だ」

「えぇ、あの人の――」

 尻拭い、とでも言いたかったのだろうが滝川まりねはその言葉を飲み込んだ。あまりお淑やかな言葉遣いではない事もそうだが、どこであの男が話を聞いているのかも解ったモノではないと、まりねは知っているからだ。

「あの人、あたしの所属する雑対係に監督するって云って来たのよ」

「はーん。どうせ監督役になっても表には出ないと思ってたんだが、酔狂だな」

 クロウセルが会いに行った時は凄まじい剣幕で睨まれた。彼の使いかなどと第一声を掛けられた気もするが、使いになった覚えはないので無視した気もする。

 必要な伝達だけ済ませ、ただ彼の店を後にした。それだけだ。

「文句を云ってもどうにもならないじゃないですか。それより、影を探しましょうよ」

 エリザは完全に不安に囚われている。天井の蛍光灯が部屋中に白い光を当ててはいるが、この部屋は検視室である。見目には明るいが、ここには人の死が詰まっている。

 流石に人間を生け贄にしただの、魔法の存在に殺されただの。普通の人間として生きていたのなら絶対に擦れ合うことのない縁に、エリザは心穏やかでは居られない。

「どうやって探すんだ。手がかりは全滅したぞ」

「えっと、げ、現場百回でしたっけ」

 テレビで流れている二時間くらいの推理モノドラマで良く言う台詞だ。それが物語のご都合主義によって描かれた誇張だとはエリザも知っている。なんなら百も承知と皮肉って自虐しても良い。

「現場に行ったとしても何も無いかもしれないぞ」

「その時は、その時です。そうだったら、またそこで考えましょう」

 早く逃げたいのか。クロウセルはエリザの物言いにそんな漠然とした印象を持ったのだが、それはどうもクロウセルの見込み違いだった様で、エリザには頑とした志向があるのだと気が付いた。

 確かに、検視室に入った時、遺体を見ると身構えた時、そして直接遺体を見た時。その折々で彼女は一つ一つ重い石を背負っていくように俯いていった。だが途中、明らかにエリザはその重石を自ら退け払う瞬間があった。

 人間を生け贄にしたのか。そう自分が、エリザ自身が気付いて、確信した瞬間に重石をどこかへ捨て去ったらしい。

 彼女の中で魔法使いとはどういうものなのか、クロウセルには分からない。物語に出てくる悪い魔法使いや良い魔法使い。この程度の認識かも知れない。

 本当に魔法を教える気があるのかと、デルシェリムの方針を疑ったがこれで確信した。まだ彼女たちに教えてやるかどうか決めあぐねて居るに違いない。

 この仕事は彼女たちの踏み絵を兼ねているのだ。これから先に、進めるかどうかで彼女たちの生き様を決めようと。

 先ほど火を点けたばかりだと思っていたが、耽る間に応分の時間を吸い尽くしたらしい。このままでは彼女らが影に辿り着くことはない。だがクロウセルが口を出した所で何かが変わるわけではない。

 魔法も不出来であり、また術式の一つもまともに組めないのだからこれ以上は手詰まりである。ならば次に人が死んだ所で、彼女たちはどうすることも出来はしない。

 影を見つけたところで、影を刈り取る能力が無ければその影に喰われて終わるだけだ。

 ならばまず、闘う術がなければいけない。

「おい。そんな所に行く前に、文句を云う方が先だ」

「サージさんの所に行ったって、何も――」

「誰が若作りジジイの所だって云った。お前らの師事者の所だ。あの無責任なおっさんの所だよ」

 早く影を見つけなければならないと喚いて散らすお子様と、困惑顔だが落ち着いた風を装う大人の振りをした小娘と。

 彼女らの向かうべき標はクロウセルは知らない。それを知っているのは彼女らを教える者だけだ。




「……」

 じっと黙っている事が彼の仕事だった。

 目の前で、それこそ相手の息が当たる所まで近づかれたとしても無心でいる事が仕事だ。

 部屋に入ってきた人物は見知った顔だったが、一点を見つめたままただ人形の様に、いや、人形として役割を果たさねばならない。

「あの子、こんな人形いつ買ったのかしら」

 ああ、我が君よ。いつお戻りでしょうか。

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