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他サイトにも重複投稿。

「こりゃ、ひどいな」

 立ち会ったのは警視庁捜査一課、四係。そこには鑑識が一つの遺留物も現場に残しはしまいと、文字通り腹這いになって闇の中をさらう。

 時刻は午後八時。

 けたたましいサイレンの音に近隣の住民は不安顔で寄せる。現場保守と交通混乱を引き起こさぬように動員された警察官の数は相応に多く、封鎖されたコンビニエンスストアは今や犯人を追い詰めるための修羅の生き場にある。

「通り魔にしては残虐……ですけど」

「怨恨か? だがな……」

 全くもって不可解な事件だった。被害者は一部損壊が激しく、それを見て怨恨であると判断する者もいれば、愉快犯、快楽犯の仕業であると見立てる者もいるような異常な死に方だった。

 絶叫の果てに、両の眼を奪われて、血の涙を流しながら死んだのだ。

 虚穴が二つ、揺らぐ星灯りを眺めていた。




「一人死んだぞ」

「――っ」

 学校に、それも女生徒用トイレの手洗い場に見知らぬ男が突然現れ、松下エリザにそう曰った。

 人が死んだと言われ、確かに恐怖した。それでも話しかけられたのが用を足している最中でなくて良かったと、全く別次元の事に少々の安堵を覚えたのは「魔法使い」慣れをし始めている証拠で、デリカシーの無い魔法使いにも慣れ始めてきた頃合い。この場では溜め息をつく程度で済んだ。

 彼女が洗面台で手を洗っている最中。膝のところが破れている穴の開いたジーンズ、ふくよかな人向けの丈も幅も合わない英語で侮蔑語や罵倒語の羅列がプリントされただらしないTシャツを着、値札やメーカータグが付いたままの野球帽を前後反対に被った銀髪の男が背後の壁に背を預けて立っていた。

 どこの誰か。エリザには全く解らないが、おそらく魔法使いに違いない。なにせ女生徒用のトイレに居て、誰も彼も気がつかない。短い休み時間、用があるのだから訪れないわけにはいかない。往来は生徒数に比例して多く、その誰一人として女生徒用トイレの出入り口にいる男を訝しむような素振りは見せない。更に男が語りかけた際、隣に他の生徒が居たにも関わらず、男の声には一切反応しなかった。

「俺は別に早くしろとは云わない。期限が決まった話ではないし、どれだけ犠牲が出ても関知しない。だが、お前達はそれでいいのか」

「……いいわけ、ないじゃない」

 銜えていたハンカチで手を拭きつつ、トイレから出る。

 見知らぬこの男と違い、エリザには声を他人に認識されないようにする魔法など使えない。教わったこともないし魔法の基礎知識にすら乏しい有様で、人が死ぬような仕事を与えられ足がすくむ思いだった。

 それでも立ち止まるわけにはいかない。

 約束をしたのだ。フリードを貰い、彼女が魔法使いになったあの日。

『以後、自分を人間と思うな。人ならざる人として生きるに、これより先に屍の山を見る。我々の見姿に如何な夢を見るのも自由だが、それが裏切られることも覚悟しておけ。それが出来るならば、弟子にしてやろう』

 松下エリザが言葉の意味を真に理解したのは、今この時だった。

 知らないところで人が死ぬのはごく当たり前の事だ。けれど彼女が与えられた「仕事」に関わって人が亡くなると言うのは耐え難い。

 無言で歩いてる間にも男は黙ったまま物珍しそうに校内を眺め、往来の生徒を珍獣でも見るが如く睨め回す。後ろにそんな輩が居ると解って居るのはエリザ一人で、他の生徒は「エリザが通る邪魔」にならないようになぜか避けて行く。

 普段誰も使わない非常階段出入口にて、エリザは足を止めた。

「良い訳ないじゃないっ!」

「……お前、バカだろ」

 誰も寄りつかない所まで来たのは良いが、大声を出すのは本末転倒である。エリザには声を対象者のみに届ける魔法など使えないのだから、誰かが聞きつけて来るかも知れない。男には差し支えたりしないが、話が前に進まないのは面倒なことこの上なかった。

 チッと音が聞こえた。エリザがそれは男の舌打ちだと気がついた頃には学校内の喧噪が遠退いた。水の中に飛び込んだような、空間がくぐもった音に支配された。

「何、何っ」

「人払いと音漏れ防止だ。余計な手間かけされるな。それでこれからどうするつもりだ」

 しれっと言ってのけたのがエリザには腹立たしい。もちろん男の態度で苛立ちを覚えたことも事実だが、人が死んだことを彼女自身の責任と糾弾するような態度にも苛立ちを覚えるが、それよりも最も苛立たしいのは無力な自分だ。

「どうするって云われても、影がなんなのかも解らないんだから、どうしようもないじゃない」

「それくらい調べろ」

「わたしにはそんな力はないの、あなた達が解っているのならあなた達で解決してくれれば良いじゃないですか」

「そうしたいのは山々だが、手出し無用の命令だ。お前だって解るだろう、世の中どうにもならねぇ事くらいごろごろ転がってるくらい。だいたい、この仕事はお前達に与えられた仕事であって、お前に与えられた仕事じゃねぇんだよ。アタマ使え、アタマ」

 他人をバカにした様に自分の帽子を被った頭を両手の人差し指で交互に突く。ふざけているような態度が腹立たしいことこの上ないが、こんなふざけた男に苛立っていても仕方ない。

 人が死んだというのはこの男から聞いただけでしか無いので不確定だが、わざわざ魔法使いである男がこんな報告をしてくるのだから、何かあるのかもしれない。

「っ――」

 制服の上着、内ポケットが震える。入れていた携帯電話が着信を知らせて来た。基本的に校内では携帯電話の使用は校則で禁止されているが、持ってきてはいけないという訳でもない。彼女のアドレスを知っているのは彼女の本分たる学生の友達と、家族など顔を見知っている者だけだから、こんな時間帯に連絡を寄越すのは緊急時以外には無いだろう。

 急いでポケットから携帯電話を取り出して画面を見る。電話の着信、相手は滝川まりね。本当に緊急時にしか掛けてこないような品行方正な相手であり、真っ当な学生なら知り合いになる機会が滅多に無い相手。

「出てみろ」

「でも――」

 画面から顔を上げた先に居るのは魔法使いだ。手の中で震える携帯電話は火急の知らせに違いなく、学校内で憚られる使用も男の目を見て決心が付いた。

 どうせ男の力で今この時は世界から隔絶されている。

 受話を押して、用途通りに耳に当てる。

「エリザちゃんっ? 今、大丈夫?」

 声に焦りと動揺が浮かぶ。滝川まりねの焦り様はエリザが初めて聞いたようなモノで、いつも大人としての落ち着き払った彼女しか見ていなかった為、その変わりように当てられてエリザも焦りが移る。

「は、はひぃ。大丈夫です」

「今日の未明なんだけど、あたしの所にご遺体が運ばれてきたの。どうにもあたしたちの仕事に関係有りそうな気配がして――」

 エリザはそこまで聞いて男の顔色を伺う。普段休み時間は誰も彼もがそこらでふざけ合い、談笑する空間で、今日は人の声が周りから聞こえない、という状態がこれほどまでに心細いモノだとは思わなかった。

 その男は電話でのやり取りに気を遣ったのか、一言も発さずにただ肩をすくめておどけて見せる。

 魔法使いの在り方というものは、これほど人間とは違うのだろうかと思うと背筋に怖気が走るが、男が言った犠牲という言葉に自分が直接的に関わる事になったのだ。

 逃げる訳にはいかない。

「あの、それわたしも見に行って良いですか」

「えっ、いやぁ、あの…… ご遺体よ? それにあたしは見慣れているから良いけど、損壊が激しいからエリザちゃんにはちょっと――」

 その遺体がどういう状況になっているのか全く見当が付かない。そもそも人の死などというものに、縁遠い現代人である。事故に遭遇するか、病院で死を迎える場に立ち会うか、葬儀の時に棺に横たわる遺体を見る程度でしかない。

 いままで松下エリザはそういう機会に巡り会ったことはない。幼い頃に一度だけあった母方の祖父はベルクガリアウスに住んでいて、その地で亡くなったらしいが葬儀に行った覚えはない。遠かった事もあるが、何より亡くなる数年前から始まったベルクガリアウス内戦によって渡航そのものが制限され、行く手段も機会も無かったためだ。

 死というものは知っている。それを直接的に目の当たりにする機会が全くないただの高校生の少女が、検視を担当する滝川まりねをして損傷が激しいという状態の遺体を直視できるのだろうか。心中に不安と恐怖しか渦巻いていなかったが、その渦を裂いて割ったのは他でもない、魔法使いだった。

「この件は俺が片付けると具申したんだ。それが小娘二人にやらせろって上が云うもんだから、俺は従うしかないんだよ」

「……まりねさん。わたし、見に行きますから」

 電話口でなんとかエリザに思い留まってもらおうと滝川まりねは止めておいた方がと直に暗に何度か言うものの既にエリザの決心は固く一方的に電話を切ってしまう。

 携帯電話を制服の内ポケットに収め、思い詰める顔を崩さないままにエリザはガラの悪い魔法使いに問いかけた。

「手出しはしないって云った割には助けてくれるみたいだけど」

「手出し無用とは云われたが口を出すなとは釘を刺されなかったんでね」

 捻くれた物言いの中から分かるのは実際に手出しするような手伝いは出来ないが、助言は出来るという事だ。

 魔法使いは人の生き死にに、兎角関わるものだと弟子入りしてから口酸っぱく師匠であるデルシェリムから云われ続けてきた。だが、ここにいるガラの悪い、うさんくさい魔法使いはわざわざ学校にいたエリザの元に現れて釘を刺してきた。

 喋り方に亡くなった方への同情の念を感じないものの、その実、裏を返せば彼は一人目の犠牲者が出たとエリザ達を非難しに来た訳ではなく、これ以上の犠牲を食い止めるために彼女らを暗に導こうとしているのではないだろうか。

 死人が出たこと自体は滝川まりねが警察に属していて情報が入ってくるのだから遅かれ早かれの問題でしかなく、わざわざ件の犠牲者だと丁寧に教えてまでくれたのだからやはり彼は人の死を悼んでいてもおかしくはない。

「わたしはこれからその……亡くなった人を見に行くから。あなたも来るんでしょ」

「んぁ?」

 「何で俺が」なんて言いつつも、続けて小さく「しょうがねぇなあ」等とわざとらしいこの上のないお遊戯までしているが、その顔は厳しい。

 確かに付いてくる気は有ったのだろうが、それは勝手に隠れて来るつもりだったのかも知れない。堂々と横を並んで歩くつもりもなければ、道中エリザに質問させる気もなさそうだった。

「じゃあ、わたしはこれから早退の手続きをしてくるから、あなたは誰にも見つからないように外で待ってて」

「おいおい、俺は一人で先に――」

「待ってて」

 ガラの悪い男よりも幾分か背の低いエリザだが、蛇に睨まれた蛙のように男は黙ってしまう。なんとなくガラの悪い、うさんくさい格好をしているものの、女性の押しに弱いような気がしたのだ。単純にそれはエリザの所謂「女の勘」だがそれは捨てた物ではない。

 実際に、へいへいなどと半分バカにした風に返事をするもののどうやら聞いてはくれるらしい。半笑いで手をひらひら振って早く行けとばかりに煽ってくるのが小憎らしい事この上なかったが、それに突っかかるほど子供ではない。

 教室の方向へ向かおうと歩みを進めたところで焦げる臭いがした。エリザが振り返って見ればくわえタバコに指先から火を灯しているガラの悪い男の姿だった。

「ちょ、ちょちょちょっとぉ」

「うお」

 エリザは足早に駆け寄って手刀を振り下ろしてくわえタバコをたたき落とし、陸上短距離で鍛えた健脚を持って小気味よく踏みつけ、仕舞いには捻り潰す。学校の廊下はワックス掛けをされていて良く清掃が行き届いているのか靴裏のゴムと床の擦れる音が響く。

「ここ、学校だからダメに決まってるでしょ」

「今は俺の事はお前以外見えねぇよ」

「ダメ、煙とタバコ臭いのは残るんでしょ」

「向こうにいるアイツ」

 そう言って一人の生徒を指さして続けざまに言う。

「あそこに居る男だってポケットに入れてるんだから別に良いのかと」

「学校でタバコはダメに決まってるじゃない。あいつは素行不良なの」

「じゃあ俺も悪いんで」

 そう言ってもう一本、くしゃくしゃになったソフトケースからタバコを取り出して口にくわえる。悪びれる様子はなく、 また火を灯した。

「あのねぇ――」

「そいじゃ、先行ってるわ」

  そう言うとガラの悪い男は窓を開けて片手を軽く挙げて飛び出ていった。三階のまどからひょいと飛び出して、何でもないように着地して歩いてゆくのをエリザは窓から眺めるほかない。

 一度七階から投げ落とされて何ともなかった身としては、今更魔法使いが高いところから飛び降りても何とも思わなくなっている。

 気付けばエリザの口から溜め息が漏れていた。次に喧噪が戻っ来ている。

 窓枠に両腕を組んで置き、もう誰も居ない外を眺めた。

 エリザの日常世界に、魔法使いが割り込んできた事実に自分の身の程を痛いほど理解した。




 滅多に早退などした覚えはない。した覚えはないどころか、先生の元に行って早退の申し出をした時、自分が勤勉である事を思い知る。

 去年の夏の頃に病気だと診断され何度か病院に通う為に早退したくらいで、あとは一日無断欠席。それ以外はとても勤勉である。

 で、あるからこそ嘘をついて学校を早退するのは心苦しい。

 心苦しいのだが、彼女はそれを若干後悔してもいる。

「はぁ……」

 先ほど溜息をついた気がするが同日、一時間もしないうちに同じ人物のせいで溜息をつくことになるとは思いも寄らなかった。

 学校から出て滝川まりねと待ち合わせをした場所に行くため、バス停へ向かっていたのだがその途中、先ほど見知ったばかりの顔がある。

「ちょっと、それなによ」

「杖」

 学校近く、歯科医院の前にあったコスモスの花壇。腰辺り、一メートルくらいの高さ。

 コンクリート上の花壇に咲き乱れているそこに、いわゆらなくてもヤンキー座りで背中を壁面に預けたガラの悪い男がタバコを吸って待っていた。ただその男は先ほどまで持っていなかった長く青白い棒状のものを持っていて、それを杖だという。

 杖。足の悪い人が主に使っているイメージだが、エリザにはその「杖」はとても足の不便を支えるための補助具には到底見えない。

 青色の杖はどうやら石のようなもので出来ているようで、そこには女神の様な、女性の彫り物がしてあったり、甲冑の騎士が彫ってあり、また翼竜が人を喰らう様も彫られている芸術品のような印象を受ける。

 博物館などに飾られていても違和感のないその杖を、大事そうに肩へ引っかけているが、反面その態度はどう見ても怠そうにしか見えない。

 近くへ寄ると男はすくと立ち上がるが、その杖の長さはやはり男の背丈とほぼ変わらないほど長く、先ほど学校内で少し彼と歩いたが足が悪いからと、持っているわけではなさそうだった。

「邪魔じゃないの」

「嬢ちゃんが居ない間にちょっと使う用事があっただけだ」

 そう言って片手で中程を持つとその杖を手の中で一回転させる。素早く動くものは残映を伴うが、たった一回転の内にエリザはその長物の行方を見失った。

 消えた。ものの見事に、それこそ手品のように消えた。

 いや、これこそ魔法である。

 だがこれと同時に、エリザは悪寒を覚える。エリザの師、シュライナー・デルシェリムと全く違う魔法の在り方を感じざるを得ない。師であるシュライナー・デルシェリムは論理的な解を求める魔法の在り方を尊んでいる。

 エリザが師と過ごした時間、それは常に学問の徒そのものであり、理論を実現する手段として人形の制作に没頭している。

 時たまに行きすぎた実地試験の様な試作品を作り上げる事もあるが、どれもこれも知的好奇心と研究へ向ける向学心の結果である。

 だが目の前で見た男の用いる魔法は即物的に見えた。実用性が全てで、速度に重きを置き、また実用に重きを置いている。

 それがどういう事か。エリザには師と共に過ごした時間から理解するのにそう難しくはない。

「それで、どこに行くんだ」

「ま、まりねさんの所に――」

「どこだ」

「最終的には警察著だと思うけど」

「あの糞ボウズの所のマリネとかいう嬢ちゃんか」

「知ってるの」

「一度見たことがあるだけだ、直接話したことはない」

 まりねという名前にはそれ程顔色を変える事はなかったが、糞ボウズと誰か分からない人間の事を頭に思い描いたであろう時、眉間に皺を寄せて苛立たしげな表情を隠さなかった。

 バスに乗らねばならない。学校では普段仕舞い込んだままひけらかす事の少ない携帯電話を取り出して今日は存分に活躍してもらうことにする。学校最寄りのバス停留所からの時刻表自体は学校を出る迄に確認していたがまりねとの合流場所からの移動路を確認する為だった。

 歩いてバス停に向かい、暫く待った。平日の日中、ガラの悪い男と女子高生が並んでバスを待つ。それ自体はあり得ない事ではないだろうが、問題はその両者共に魔法使いであるという特殊性だ。

 魔法使いならばホウキにでも乗って空でも飛べと思うかも知れないが、エリザはそれが如何に難しいか身を持って知っている。

 以前、師であるシュライナー・デルシェリムに空を飛ぶ魔法はないのかと尋ねたとき、師は簡単に有ると答えた。

 有る。有るにはあるが、それをエリザが使えるなどとは一言も言わなかった。師は律儀に教えてはくれたのだ。その、エリザには使えない魔法を。

 試しにと寂れた師の住まう巨像の駐車場にて空を飛ぶ魔法を使ってみた。初めは師匠の手本を見た。紛う事なき飛行の魔法そのものであり、それを見様見真似で使ってみたのだが飛ぶには飛べた。三メートルほど宙に浮いて、師匠に向けて私も出来るのだと胸を張って誇ってやろうと思った瞬間、顔面から地に伏せる事になった。

 踏みつぶされた蛙の鳴き声のような音がエリザ自身の喉から鳴ったことにも驚いたが、途轍もなく扱いの難しい魔法だという事に最も驚きを覚えた。

 魔法使いというのは存外生き辛い。何か生活の向上に繋がるのではないかと浅はかにも考えて見たりしたのだが、エリザの考え方は楽観に過ぎる。

 バスが来た。隣で退屈そうにタバコを煙らせている男と共に乗り込もうとするが、男はそのまま乗り込もうとする。ずいぶん前に公共交通機関は全て禁煙になっていて、そのまま乗り込まれるのは困る。

「禁煙だから」

「世知辛ぇな」

 言えば渋々といった感じで火を消す。それどころかタバコごと宙に消えるのだから、周りに見られていないかと、知っている身の上からエリザは不安に思ったが誰も見ては居ない。

 乗り方も知らないのか男は中扉の整理券も取らず乗ったので仕方なく二枚引き抜いた。その賃料は彼女が二人分払うことになるのだろうが、降りた後に請求してやろうと考える。後から請求して世間知らずだと糾弾して負い目の一つでも作ってやろうとその時は考えたのだが、それは甘かった。


「これ、何」

「ダイヤ」

「……」

「足りないか」

 思惑通り自ら支払いをせずエリザに丸投げした男にバス賃を払えと、後からせっついて見たのだが「それはすまんかった」と素直に謝られた上、手を出せと言われたのでエリザも素直に、返すように手を出してしまう。その手の上に載せられたものがダイヤモンドだった。

 が、ダイヤモンドという物は高価である。高価であるからこそ指輪などの装飾品になって、それこそ指の根本に小さく光るくらいが大半のダイヤモンドの終着点である。

 大きい物は高いと言うが、限度という物があるのではなかろうか。

「ねぇ、これ……」

「合成ものじゃねぇからな。天然物だ。三日前になんちゃら大陸の山で見つけてな。地中から抜き出した。触媒にしようかと思ったんだが、別に急ぎで使うわけでもないしな」

「……」

 そのなんちゃら大陸とはどこなのかと問い質したかったが、そういう事ではない。また突然空中からそれを取り出したと思ったら、その大きさがおかしい。

 掌の上に載せられて、慌てて両手で掴み、今は重くて手に提げている程。

「で、でかくない」

「三キロあるな」

「だ、だんべる……」

 世界一大きなダイヤモンドはどれくらいの大きさだったろうか。そんなことを考えてみたりしたがエリザの疑問に答えられる人間に心当たりはない。それよりも先に、答えを見つけなればならない問題がある。

「ごめん、へぁ、ちょ、ちょっと抜けるのが遅くなって――」

 暗めの灰色をしたセーターに、裾の広いスーツスカートを翻して現れたのは滝川まりね。大慌てで来たのか若干薄汚れた白衣を着て、足元をよく見れば安物のスニーカー。

 身分は警察官。階級は警部。中途採用でまだ一年だというが階級は既に警部である。所謂キャリアでもこれはおかしい。

 そのおかしい階級の在り方を体現しているのが彼女の属する雑対係という場所だが、普段は検視官として働いているらしい。

 滝川まりねは警察官だが、彼女には基礎体力がほぼ無い。運動靴といえば取り敢えずスニーカーを買い、走り方もどう考えても運動の下手なお嬢さん走り。現に今も両手を膝に当てて前屈みで息も絶え絶えに、眼鏡美人が女子高生とガラの悪い男を見上げている。

「よう」

「――」

 男に言葉を掛けられたまりねは顔を引きつらせた。明らかに困惑と、そこには恐怖の念が見える。男は先ほどエリザに滝川まりねを見知っていると言っていたが、確かに互いに見知っているらしい。それはここで第三者となったエリザにも分かる。

「森田殺し――」

 人の名前。更に不穏当な語。モリタと言う日本人名なのだからこの国の人間であろうという事はエリザにも分かる、だが「殺し」という明らかに非合法で不穏な語が連なった。

 魔法使いである以上、生き死にに関わる。知っているはずだ、師に言われ続けて一年も経てきたのだから。

「新しい日本酒みたいな名前で呼ぶんじゃねぇよ」

「あなたねぇ、人一人――」

「俺のことよりもこれから死ぬ人間を減らす為に行動する方が先だろうがよ」

 エリザは悔しそうな顔をした滝川まりねを見るのは初めてだった。正確には師の所で見る悔しさとは違う感情を含んだ悔しさを見るのは初めてだった。

「……それで、どうしてあなたがエリザちゃんと一緒に居たの」

「悠長にしてやがるから尻を蹴りにな」

「……そう」

 品のない言葉を吐きかけられたにもかかわらず、滝川まりねは意外にも素直に納得した。滝川まりねと松下エリザは今日この日、エリザの授業が終わってから合流して情報収集をする予定だった。

 だが仕事を師に与えられたのは昨日。そう、シゴトは昨日から既に始めていなければならない。だがそれを二人はなんとなしに『見習い魔法使いに与えられた仕事なのだから、きっと軽い仕事』なのだろうとたかを括ったのがまずかった。

「だから嫌だったんだ。兵は拙速を尊ぶって云うだろうがよ。お前らみたいな素人になんでアイツは押しつけたかな――」

 男の口ぶりからすると仕事の大本を依頼した者を知っているらしい。それも滝川まりねと松下エリザに仕事が割り当てられることを反対していた。

 まりねもエリザも、この男が初めから最後までこの仕事をこなしていれば当日中に終わったのではないのかと思ってしまう。

 エリザはこの一、二時間で思い知っており、また滝川まりねはエリザの知らぬ場所で男の力量を知っている。

 そして男の言葉にこの仕事への姿勢を問われるモノがあった。

『兵は拙速を尊ぶ』

 これはただの魔法使いに与えられる仕事ではない。無論、見習いに等しい魔法使いに与えられて良い仕事ではない。真に人の生死に関わる、これは殺し合いを前提とした仕事であり、これまで師に純粋培養で育てられてきた二人にはあまりにも荷が重い仕事だった。

 今更二人して俯いてしまう。バス停留所は駅前で、そこから少し歩いて石像の前。

 学校を抜け出した女子高生が鞄を肩に引っかけたまま両手で得体の知れない半透明の石を抱え、薄汚れた白衣を着た女が服装に似合いもしない安物のスニーカーを履いて待ち合わせの名所である手の石製オブジェの前で、二人して酷く落ち込んでいた。

 もし、もしこの二人がシュライナー・デルシェリムの弟子でなければそもそも犠牲者は出なかったのではないか。この仕事を二人に与えた者は、悪戯や遊びに近い感覚で二人にこの試練を科したのではないか。他にも魔法使いの弟子などになるべきではないと、彼らの世界への歩みを阻もうと辛い仕事を与えたのではないか。

 二人して自分達が如何に厳しい道を歩んでいるのか、これから歩まねばならないのか。

 焦げる臭いがする。独特の、モノが焼けてゆく臭い。まりねは社会に出ている身で時たまそれを愛好する人間を知っていて、その臭いも知っている。それに対し、エリザは家族でそれを嗜好する人間は居らず、また彼女の行く先は学校などの公共の場で、大抵禁止か専用所が設けられていて臭いに対する理解や寛容さはない。

 二人は全く吸わないので嫌悪する他に感想や態度はない。だが、それは必要悪の存在を示すには十分なものだった。

「嬢ちゃん達には悪いが、この件は他の誰かに回せねぇんだ。アイツの言葉は否応なしに絶対なんだよ」

 タバコを咥えたまま、そのフィルター部分を苦虫のように噛みつぶして言う。男本人もエリザに言ってのけたが、可能であれば自分でやったと言う。それは解決が早いからだとか、被害が最小限になるとか。そう言う事だとエリザは思っていた。

 だがそれは違う様で

「嫌なんだよ。俺達のせいで誰かが不幸になるのは」

 一つ、煙を長く吐き出して毒を吐く。

「元々俺達はこの星の住人じゃない。外様が勝手にそこに住んでいる奴らをどうこうしようっていうのはおこがましいんだよ。それに――」

 一呼吸。深く息を吸い込むと同時に恋い焦がれたように熱量が男の口元へ近づく。

「嬢ちゃん達だって、誰かを殺したいなんて思って魔法使いになった訳じゃあねぇだろ。一緒なんだよ、元々俺達だって誰かを傷つけたり、殺したいなんて思って魔法を使う訳じゃあねぇんだ」

 便利なモノ。徒歩から馬車へ、馬車から自動車へ。進歩し、発展した先に事故が発生する。事故だけではない、故意において殺傷を成すことも可能になる。徒歩であれば事故、故意による殺傷の数は限りなく少ない。だが馬車は、自動車は。

 誰が、何を用いるのか。袖擦れ合うのが全て善人であるとは限らないのだ。

 根本まで燃焼を済ませ、手で口元から吸い殻を離す。

「どこかで。いつからか、どこからか手繰り寄せる糸を間違えるヤツが必ず居るんだ。誰かが一本、それを手繰り寄せるとがんじがらめになって負が連鎖する。だから誰かが――」

「切らなくちゃ、いけないんですね」

 一度絡み合った糸を解きほぐすことは至難である。一本、二本ならばその労力はそれに見合うだけのモノで済む。だが百を、千をと絡み合い、硬い玉のように結ばれてしまっては断ち切るほかない。それを上手く解きほぐす、最適の解を知るものが存在していれば話は別だが。大抵の場合、断ち切らねば他に波及する。

 これは、この仕事は絡み合い始めた糸の始まりを解きほぐす作業なのだ。まだ間に合うかも知れない、だが、ここで立ち止まっていたら――

「まりねさん、遺体。見に行きたいです」

「……わ、わかったわ」

 傍目から見ても女子高生がよくわからない半透明の石を抱えたままというのはおかしいし、エリザとしても持っていても邪魔で仕方ない。

「これ、いらないから」

「んあ?」

 三キロものダイヤモンドなど、どうすればいいのかエリザには分からない。そもそも一般人が規格外の大きさであるそのダイヤモンドを上手く利用できるはずもない。売るにもどこから手に入れた物か訊かれるであろうし、研磨技師の所に持っていったとしても同じである。

 バス賃など菓子パン二つくらいの金額だったのだから、過剰な返礼などむしろエリザには迷惑でしかない。

 立ち止まっていてもどうにもならない。三人はまりねの案内に従って手がかりの一つである遺体の有る場所へ向かうことにした。歩き始めと同時、男は握りしめた手の中で吸い殻を燃やす。

 二人の足取りは重い。男はそれを意に介した風でもなくただ付いてくる。

「あとさぁ。あなた名前名乗ってないけど」

「ん、ああ。そうか」

 白衣を着た眼鏡の美人に、学校をサボりそうにない風体の女子高生。それにガラの悪い男が付き従って歩く様は昼を少し過ぎた駅前のバスターミナルでは目立った。

 取り合わせが三者おかしいのだから目立つ。それも一人、明らかにこの国の人間とは思えないような顔立ちと髪色をしているのだから。

「クロウセルだ」

「くろうせる?」

 名前なのか、苗字なのか。隣で聞いただけではエリザには分からなかった。後ろで二人、前を歩く滝川まりねは前から見知ってはいたが詳しくは知らないその男の事が気になっていたのか、歩きながらも何度か様子を窺って振り返っていたのだが男が名乗ったとき、その歩みを止める。

「クロウセル・ハルトベス。職業はそうだな……ただの負け犬だ」

 その男、クロウセル・ハルトベスは新しいタバコをくしゃくしゃになったソフトケースから一本取りだして咥える。火を灯すのはライターやマッチではない。

 魔法。

 滝川まりねには出来ない繊細な魔力の制御。まりねならばタバコを焼き尽くし、前髪も燃えるかも知れない。エリザにもそれだけの速度で熾してから消すまでの即応性がない。

 二人の師、シュライナー・デルシェリムの魔法には尊敬を通り越して崇拝に近い思いである。それでもこの男の使う魔法にはそれ以上に「無駄」が存在しない。

 仕事を相手にするのは、この「程度」にまで昇らねばならない。

 独特の、煙の臭いがする。

「ちょっと、アンタァッ」

「は――」

 駅前ターミナルから徒歩二分、中華料理店の前でそれは起こった。小さな駅前商店街。中華料理店の前、ホウキで掃き掃除をしていた料理店の店員らしい恰幅の良い女性に怒鳴られた。その上、女性の持っていたホウキの柄がクロウセルの頬に抉るように突き立てられ、タバコを取り落とす。

「歩きタバコは違法だよ」

「しゅ、しゅみましぇん」

 魔法使いにはホウキが似合う。

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