14 蛇足4 END
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頬に掌を付けて、深く溜息をつく。
頬杖を突いた体勢だが、吐き出す息の分だけずるずると沈んでいるような気がする。
「エリザ、どうしたの」
「ああ、カナコ」
学校で自らの席に就いていたエリザの元に、カナコが寄ってきて友人の憂鬱そうな顔を見て声をかけてくれた。カナコにはエリザ自身魔法使いであると事実を伝えているし、なんなら目の前で実演したこともある。
秘密を共有できる親友たるカナコだが、学校で誰が聞いているか分からない場所で迂闊に出来る話でもない。
「あっちの事でちょっと色々あって……」
「大変だね、エリザ」
「うん。まあ、主にフリードの事な――」
「フリード君の話なの? 何、何かあったの」
フリード自身もカナコの食い気味に迫る感覚に引き気味だが、エリザが語るフリードの話にもカナコは強烈に食いついてくる。もはや食いつくというよりも喰らい付くといったような態度に友人といえども若干及び腰にならざるを得ない。
「きょ、今日はカナコの家に一緒に行くから。その時、その時に話すから」
「本当っ! ねぇ、大丈夫だよね。フリード君は大丈夫だよね」
先程まで憂鬱そうなエリザを気遣っていたが、フリードという目下カナコが一方的に溺愛している存在の話が出てしまった以上、優先度があからさまに変わった。
「だ、大丈夫だって。フリードの事ではあるけど、どちらかというとわたし側の問題で――」
「じゃあ早く解決しよう。今すぐに。私も手伝うから」
エリザの左腕は頬杖をついていたので、空いていた右手をそっと取ってカナコが握りしめてくる。
普段は物静かな美人であるカナコ。あまりクラスの中では目立たないよう、人前に進んで出ないタイプの少女である。
カナコが密かに男子の人気が高い事はエリザも承知しているし、なんだったらカナコの虫よけとしてエリザ自身が機能している様な気がしないでもない。
ちなみに「身長のわりに有る胸か。胸なのか」とは誰かの心の声である。
そのカナコが見るからに異常ともいえる興奮度でエリザに食って掛かる様は、教室内では日常の事でもある。
余談だが、フリードという人物名が出るたびに榊カナコの様子が豹変するのだ。教室内の男女問わず噂にするのは『クォーターであるエリザの知人である外国人らしき、フリードなる人物にカナコが懸想している』というモノだ。
当たらずとも遠からずというなんとも微妙な噂のせいで、一部男子生徒が恨めしそうにエリザを睨んでくる事があるが知ったことではない。他人のせいにしている暇があるなら自分で動けばいいのにとは思うものの、助言などしてやるものか。ヘタレどもめ。
「おい、榊。ホームルーム始めるから座れよー」
「は、はいぃ」
普段なら担任に怒られるような素行は取らないカナコだが、エリザの話は彼女の視野を狭めるには十分だったらしい。
悪夢である。
村山慶次はここ最近珍しく、一人で安眠したはずである。
真珠という不純物が居ないという解放感に、滅多に飲まない缶ビールを飲むくらいには開放的な時間を過ごしたはずである。
飲み終えてからちゃんと片付けもしたし、明日の業務に差しさわりの無いように準備してから寝たはずだった。
はずだった。
ベッドの中でもぞもぞと動くモノがある。しかもほんのり暖かく、とても柔らかい何かが。
そして、
「ううん……」
幼いが艶っぽい声がするのである。
「……」
恐る恐る村山は掛け布団をめくると珠のように白い肌、濡れ烏のごとく黒い髪を持つ少女が居た。
全裸で。
「ああん、お兄様。そんなにしたら赤くなっちゃいますよぉ」
意味不明な寝言の様な文言をほざく、真珠が居たのだ。
めくりあげた掛け布団をそっと戻すと共に、自らはするりとそこから抜け出――せない。
その小さな体のどこから出るのか分からないが、すさまじい腕力でひしと腰にしがみついて来た。大学時代の水球部ジャージ姿で寝ていた村山は掛け布団の中で今にも下が脱がされそうだ。
「おい、やめろっ!」
「ふへ、ふへ。良いではないですか、良いではないですかぁ」
どこで覚えたのか、使い古された悪代官ごっこを始めだす。
真珠が化け物じみた腕力という実力行使をするのだから、村山が握りこぶしのゲンコツを真珠の頭部に放ったとしても文句を言われる筋合いもない。
「あたっ」
「なにしてるんだ。つーかどこから沸いた」
村山は何か変なことをこれ以上されまいとそそくさと掛け布団から抜け出て、ベッドに腰掛ける。
ベッドの中でねころがったままぶー垂れている真珠が寝転がったまま小突かれた頭頂部を両手でさすりながら上目遣いで見上げてくるが、見るからに『わたくし、あざと可愛いでしょう?』という態度すら隠さないのだから、ため息しか出ない。
「で、本当にどこから沸いて出たの」
「暗闇があればどこからでもお兄様の元へたどり着きますよ」
黙っていれば確かに可憐な少女と言っても、誰もが納得する容姿である。
問題は彼女の存在が得体の知れないモノであるという事だ。マトモな人間ではない。
いくら見てくれが美少女だとしても、まともな人間ならば暗闇の中ならば自由自在に出入りできるなどと言う超常現象を起こしたりできない。
「そしてなんで裸で入ってきたの」
「え? 葉っぱとか、貝殻の方がよろしかったですか」
「どっちもよろしくねーよっ」
村山の頭が痛いのは別に昨日の晩に飲んだアルコールが残っているからではない。
得体の知れない『真珠』という存在が毎度の事、村山にまとわりついてくるという問題に因ってだ。
彼女がなぜ村山にまとわりついてくるのか、しかも何をもって「お兄様」なのかさっぱり分からない。村山慶次をそう呼ぶ理由は本人も説明する気はさらさら無いらしく、ただただ得体の知れない存在でしかない。
しかもただまとわりついてくるだけならば見目の良い少女であるからして鬱陶しくても我慢もできるのだが、なぜか今日のように性的なアプローチを繰り返すのだから強制排除する以外にしゅだんがない。
水中の格闘技と呼ばれるような水球を大学五年間続けた村山ですら腕力で真珠に負け、取れる手段が怪我をしない程度に痛打を与えて逃れるくらいしかない。
村山とて真珠だけにかまっている暇はない。
昨日、上司の魔法使い講座などと言うモノを開催して普段よりも帰宅時間が遅くなった。
村山の本来の業務はどうやら「魔法使いに対処する」事であるらしく、魔法使いという村山からすれば得体の知れない存在である。件の上司もその魔法使いであり、弓張三千代というその魔法使いは不詳な人物である。
別に身元がはっきりしないとか、どういう人となりか分からないというわけではなく。急に警察署の係にふらりと現れたと思うと、業務時間中でもお構いなくいつの間にか帰っていたりする。
極力係に人がいない状況を無くすためにやっているのは知っているが、それとは別にどうやら魔法使い側ではなく国の上層部とのやり取りで忙しくしている様でもある。
故に、可能な限り村山が上司の代わりに雑対係に詰めておいてやろうと思っている。
だからこそなるべく早く署にたどり着きたいのだが、それを全力で妨害する存在が真珠である。
「ぶー、お兄様との気怠い朝が――」
「一人でずっと寝ててくれ」
真珠を無視してさっさと着替える。ジャージを脱いでようやく着慣れてきたスーツを身にまとう途中、スーツの下。スラックスを穿いて太もも辺りまで持ち上げた時、急に負荷がかかる。
「おいこら。手を放せ」
「えぇ」
ベッドの中から手を伸ばして穿けないように全力で妨害してくる。
これが、真珠と出会ってからほぼ毎日繰り返される朝だ。
いいかげんにしてくれ。
食べ終えた氷菓の木の棒を口に咥えたまま、弓張三千代は自宅のソファーに寝転がっていた。
「にぃさま、お行儀悪い」
「疲れてるんだよ」
「もうっ」
ひまわり柄の藍色を基調とした和服を着たツインテールの少女が、調理器具のおたまを片手にソファー脇に仁王立ちして見下ろす。
お前は俺のかーちゃんかと、なんとなしに漏らせば待ってましたとばかりにおたまで額を叩かれる。しかも手加減など一切なく、完全に懲罰を目的として振るわれた。
ぬおおお、などとうめき声をあげる義兄に弓張こゆりは一切の同情などない。
「あたちもにぃさまと一緒にずっと居たでしょう。あたちだって同じくらい疲れてるの。でもちゃんとご飯作ってるでしょっ」
調理器具で人の額をフルスイングする時点で本当に食事を作っているのかと疑われそうだが、こゆりと言う少女はつんけんした態度とは裏腹に実際は甲斐甲斐しく面倒見の良い性格をしている。無論、ご飯を作ったというのも嘘ではない。
「ちゃんと起きて、座って。早く食べて」
「はいはい」
起き上がり、ソファー前のテーブルに並べられたレンコンの煮物や刻んだ野菜を混ぜただし巻き玉子などに向き合う。
三千代が口に咥えていた氷菓の棒は当たり付きの菓子である。
咥えたままの棒きれを手元にあった取り皿にひょいと放り投げる。
その棒切れは「当然」アタリと印字されていた。
「はい、いただきます」
「ただきます」
大分年下の少女にいただきますの音頭をとられ、反抗期の少年のようにしぶしぶ中途半端に追従して発音する。ただ手はそうもいかない。氷菓を食べる余裕はあったものの、箸へ手が伸びない。
「にぃさま。そんなに思いつめない方が良いわよ」
「ああ」
先日、滝川まりねより報告があったが「影」によって子供を含む十数人が殺害されるという事件が起きた。
当然、国の関係各所へ情報が行く。
そもそも魔法使い側の不手際ではあるが「影」を消すという役割を負ったのは他でもない、雑対係に所属する滝川まりねである。そこには姉弟子の松下エリザが付随してくるが問題は未成年が同道したという事ではなく「雑対係」が対応に出たのに死者が出ている事だ。
以前、警察内部から「魔法使い」が出て事件を起こした際も死傷者数の凄まじい凄惨な事件となった。それを調査していた「雑対係」は唯一、少女を救出した実績があるのだ。
三千代は多数の死者が出る凄惨な事件から、一人でも救うことが出来たという事実を重視している。
だが国はわざわざ魔法使いたちに対抗するために「雑対係」なるものを作ったにも関わらず、多数の死者を出した上、たった一人しか救えなかった。などという観点で現実を見ようとする。
そもそも雑対係は弓張三千代が提案して発足した係である。
発足理由は今まさに彼の目の前で自分で作ったおこわを頬張っている「コユリ」の存在に他ならないが、それはあくまでも私的な理由でしかない。それとは別に、自分達と同じ被害者を生まないためにというものが対外的な理由である。
魔法をお偉いさんたちの前で「実演」してなんとか認めさせたが、雑対係を発足するにあたって与えられた予算はほぼない。全くないというわけではなく警察官としての身分と、警察官としての給与が「予算」であるという事らしい。
魔法は確かに魔力と使用者の意思があれば使えるが、魔術はそうもいかない。詠唱ならば確かにタダで使えるが、声一つですぐばれるような魔術は下策でしかない。故に触媒を使用する魔術を用いたいところだが、触媒を買う予算など全くないに等しい。
一応、弓張三千代は「警視」などという役職であるからして高級を得ることに成功しているが、それでも生活費のほかに自腹で触媒などを用立てると、かなりの出費となり手元に残るのは僅かばかりだ。
古来より魔法使い達は高給取りである。正確には出費が多い分、収入が多い。
それこそ科学が発展するまでは為政者は「占い」や「祈祷」の類を重視したし、魔法使いたちは国家から金銭的に優遇されてきた。宗教団体の税が安いのもその名残である。
ただインチキな新興宗教や、昔は力を以って隆盛を誇ったが今は魔法使いとしての能力が皆無である名前だけの団体など、魔法使いとして国家に貢献しないものも恩恵に預かるという状態だ。
当然、現代でも「本物」は自ら金を稼ぐ方法などいくらでもある。三千代も雑対係など作らずに阿漕な商売をすれば遥かに稼げる。
三千代ですらそうなのだから現在国内に居る人間の魔法使いは大抵が合法違法問わず、高給を得つつ自らの魔法や魔術を次代に継承するために腐心している。
魔法は個人の技能であるが、魔術は継承できる技術である。
三千代をはじめ、人間の魔法使い達に必要なのはまず血統である。
親が魔法使いであるというのは決定的な魔法の才を決める要素になりうるからだ。あちらさんの魔法使いならば確実に両親ともに魔法使いであるし、その前代たる祖父母に至っては四人ともが魔法使いであろう。
だが人間の場合、両親ともに魔法使いというのは難しいのだ。魔法や魔術を運用できるだけの魔力的素質を持ちうる人間自体が少なく、魔法使いの子が必ずそれを継承できるとも限らない。
逆に当人たちは魔力的素質を持たぬ両親から、素質を持った子が生まれることもある。何代も前に魔力を持った祖先が居た場合、先祖返り的に魔力を持って生まれる事がある。
例を挙げるならば三千代の部下、滝川まりねがそうだろう。
滝川家は代々医者や薬師の家系だと聞いている。古来、治療のために魔術を用いる事も珍しくない。三千代の見立てでは、おそらく数代も遡れば魔法使いに当たるだろうとみている。
魔法使いが求めるのは優秀な血統である。例えば遡って十代、千二十四人の中に何人魔法使いが居るかという事だ。当然、その数の中に魔法使いが多ければ多いほど優秀な血筋となる。
その優秀な血筋を得る方法は金である。当然だが魔法使いでなくとも金銭的な余裕があれば優秀な人間を伴侶として得る可能性は高まる。
だが人間の魔法使い達の血統重視姿勢は、国の定める法規をも差し置いて優先されるほどだ。
現代において人身売買が平然とまかり通り、幼いころに結婚の相手を親に決められて売られる者も少なくない。
他ならぬ義妹、弓張小百合が弓張家に来たのも金で買われたためだ。
そしてなにより、弓張三千代の母もそうだった。
魔法使い達は先立つものが無ければ動きはしない。一般人の金銭欲などとは違い、彼らは魔術を用いるための触媒購入費、家系存続のための資金として金を必要とする。
故に実入りの少ない事業には手を貸さないし、力を持つ者の義務のなどと言う幼稚な社会正義を振りかざすより、古臭い魔法使いとしての矜持を守る方が優先される。
だからこそ国から公的な予算が人件費以外に、装備費や別枠名目で出ないというのは「雑対係」にこれ以上の人員増を増やす余地を与えないという事だ。
これまでに三千代が得られた人材は、金よりも人命の在り方を重視して賛同してくれた元医者の滝川まりね。普通の警察官に憧れただけの、稀有な力を持った村山慶次。
たった二人だけだ。
三人で魔法使いを相手に被害者を減らすなど無理な話である。
三人の中でまともに魔術を使えるのは三千代ただ一人で、まりねに至っては一芸に秀でているが今はまだそれだけだ。村山などそもそも変わった能力を持ってはいるが、別に魔法や魔術を使えるようになるわけでもない。
単純に対魔法使いとしての人員不足であり、魔法使いとしての練度不足でもある。
先立つものが無ければ人が足りず、また物資も足りない。
無い無い尽くしでは当然、魔法使いの起こす事件に対処しきれない。
対処できなければ「雑対係」の評価が下がる。
そして評価が落ちれば予算は増額されない為、人員を増やせない。
無い無い尽くしで、堂々巡り。弓張三千代の悩みは一朝一夕で解決する類のモノではない。
「……」
ふと三千代が顔を上げると向かいに正座して座布団に座るこゆりと目が合った。
問題は眉間にしわを寄せていて、お怒りであるという事だ。
「ど、どした」
「どした、じゃないよ。冷めちゃうでしょ。考え事してないで食べちゃってよ」
続けざまに「仕事遅れるよ? 洗い物もしなきゃなんだから」などと完全に主婦か何かのように愚痴る。本来それでいいはずだ。彼女は「正しく」生きていればそういう生き方が出来たのだから。
正しくないのは、いつも魔法使いである。
放課後。
松下エリザは自宅へ帰り私服へ着替えた後、筆記用具などの入った肩掛け鞄を斜め掛けに。それとは別にフリードをいつもの大きなビニール製の巾着に押し込んで肩にかけて家を飛び出した。
エリザが急いでいる理由は単純、榊カナコの期待が厚い為だ。
親友が待っていてくれるから急いでいると言うのとは若干毛色が違う。親友の期待が異常に高い理由は少々強引に巾着袋へ押し込んだフリードへのモノである。
榊カナコはフリードを手に入れる前からの友人だが、以前はそれこそ極力自分からは前に出ないタイプを地で行く少女だった。が、フリードを手に入れたエリザが「うちの子、可愛いでしょう」といった感覚でカナコに見せてしまったのが運の尽きだ。
フリードは元来人形である為、完全に人形として振舞うことが可能である。故に最初見せた時は一切動かず、喋らず、物としての「人形、フリード」の状態である。
カナコはフリードを見た瞬間「はひぃ」などと言う意味不明な音を口から漏らしていたが、アレが榊カナコがフリードに「落ちた」瞬間だったのだろう。
以来、カナコはひたすらフリードの服を作り続けている。そして毎度着せ替えられるフリードは辟易しているようだった。
しかし、カナコの作る服に興味を持ったのは意外にも松下エリザの師匠、シュライナー・デルシェリムその人だった。
師匠の家で魔法の修行を行った時だ。フリードに素早く魔力を注いで戦闘用のヒト化させるというモノ。フリード用の服など持っていなかったエリザは師匠デルシェリムの作った最初の一着だけを着せていたのだが、その日はカナコが作った服を着せたままフリードを巨大化させてしまった。
フリードの巨大化魔術に対応していないカナコの服。まずい破れてしまうと思った次の瞬間、なんと破れもせず伸びておかしくなる事もなく、ちゃんとフリードの身を覆ったまま追従して巨大化し、百九十センチ近いフリードのヒト化に完全に対応した。
これは異常事態であると言ったのは他でもない師匠。魔術的素質は一切ないが、なぜか制作した衣服だけは魔術に準ずるという意味不明な能力をカナコが有しているというのだ。
師匠は会いたいと言い出したが流石にカナコに会わせるのは、カナコの精神的によろしくない。フリードを会わせた時点で精神的によろしくないが、仏頂面というか常に無表情の大柄なおじさんにカナコを引き合わせたくないと単純に思っただけだ。
興味のある事になると人が変わったようにおかしな喋り方をし、前のめりになるのは師匠の悪い癖だ。
師匠は不満を漏らしていたが、隠れ住む本物の魔法使が一般人に会うのはどうかと苦言を呈すと不承不承といった感じで直接会う事は止めてくれた。
代わりにエリザにカナコ宛の手紙を持たせ「フリードの衣装をこれからも作るとよい」などと言うお墨付きを与えてしまった。しかも師匠の手紙の内容をエリザが勝手に読むことを許さなかったおかげでフリードが魔術で動く人形である事がバレ、更にカナコ宛の手紙の中にエリザ宛の手紙が入っていて「話すも話さないもエリザ次第である」旨が書かれていた。
魔法使いである事は極力隠さなくてはならないと厳命されていたのだが、師匠自身がカナコに隠すつもりが無いというのだからエリザもそれに従ってこれまでにあった事、そして自分が自身がどうなったのかを話した。
当人であるエリザがなんだかよく分からないうちに難病が治った上に、普通の人間には考えられないような肉体を手に入れた事。
更に肉体自体を作り替えられた為に魔力を人よりも多く保持できるようになり、魔法や魔術を使えるようになった事。
そして新しい肉体を得る際に実験動物扱いされた為に、慰謝料として「フリード」を作ってもらった事を。
そしてエリザの話を聞き終わった後、カナコの第一声が、
「私もお師匠さんの人体実験に参加したら、フリード君みたいな子を作ってもらえるのっ?」
などと言う危険な発想をしたかと思えば、カナコの方から師匠に会いたいと言い出した。
流石に何の身体的不備もない、普通の女の子を自らの師匠の実験のために差し出そうなどと思うはずもない。しかも以前からの親友と言っても差し支えない友人であればなおのことだ。
エリザは全力でいかにデリカシーの無い師匠かを訥々と語り、最悪おっぱいからロケットが出るかもしれないなどと、師匠の不名誉をエリザの悪意で割り増ししてなんとか思いとどまらせることに成功した。
一部エリザによる不適切な説得がカナコの遠い目を生み、十二分に思いとどまらせる要因となった事はカナコは死ぬまで知らないだろう。
カナコは自宅の玄関でひとしきりフリード抱きしめて堪能した後、エリザを自室へ案内する。
部屋へたどり着いた二人と一体。
カナコの家はエリザの家から最寄駅から二駅先。その駅から徒歩四分という好立地にあるマンションの一室だ。両親と娘の三人暮らしで、午後三時五十分現在両親共に経営する不動産屋で就業中である。故に榊カナコ宅の中にはエリザを魔法使いと知り、フリードが意思を持っていて動いて喋る人形であると知っている者だけが居る。
「んふふふっ」
エリザが玄関に入ってからフリードをカナコにひょいと奪われ、それ以降ずっと大切そうに抱っこしたまま部屋に入るまで一度たりともエリザに返そうとしなかった。無論その間、フリードは人形の様な無表情を貫いていた。エリザ曰く、カナコの前ではフリードは死んでる。
カナコの部屋に入ったエリザはまず一目見て凄いと思った。
テーブルの上にはすでにお茶と菓子が用意してあって、カナコが飲み物を取りに浮く必要が無い。用意してあったのは電気ポッドとティーポッド、紅茶、緑茶の缶と茶筒が置いてあり選ぶこともできる。そして甘いものはバラエティーに富んだクッキー数種と三種類ほどのお煎餅。
至れり尽くせりの歓待ぶりであり、すべて平らげるまでエリザを帰すまいというカナコの意思表示でもある。
カナコ当人は普段地味な私服を着る癖に、部屋の中はかなり少女趣味である。
オーバーオールを着せられた大きなクマのぬいぐるみがベッドに座っているし、部屋中ピンク色などという事は無いがそれでも落ち着いた色調の、可愛らしい調度がそこかしこにある。
同い年のエリザはどちらかというと着るもの以外、母が買ったものを使うくらいには頓着しない。部屋のカーテンの色なんてどうでもいいし、寝るだけのベッドに敷かれている蒲団の色なんてどうでもよいと。
そしてカナコの可愛らしい部屋の中に彼女を象徴するものとして、学習机の上には電動ミシンが鎮座している。
理由は単純にカナコが服飾関係の仕事に就きたいという目標があるから。小学生の時、誕生日プレゼントにカナコは両親に自分専用の電動ミシンをねだるほど服を作るのが趣味であった。
小学校に入る前から絵を書く時は人物より服のデザインを念入りに書いていたらしく、家庭科の授業では教材キットで大体似たようになるはずのエプロンも一人だけ手縫いで刺繍を入れる余裕を見せる程。
そんな少女趣味なカナコと、陸上部で体育会系のエリザ。
接点の無さそうな二人が仲良くなったのは二人の共通点からだ。
高校に入ってすぐエリザは物静かなクラスメイト、榊カナコに興味を持った。
榊カナコ。その名前は本名である。
そして四十人居るクラスメイトの中で二人だけ、自らの名前がカタカナ表記だった。
カナコの方は物静かで前に出るタイプではないからして、入学当初は誰かに話しかけるなどという事もなく。ただ静かに己の席に座るだけ。
そんなカナコに松下エリザは「何故カナコはカタカナ表記なのか」と問いかけたのだ。
カナコ当人も知る由が無く、両親に聞いたこともないと。ただカタカナ表記された名前の話題で少し話しただけだ。それでも高校入学後見知らぬ人間が多い中、一度話した事があるというだけでも二度目以降の会話のハードルは下がる。
物静かで前に出ないカナコは入学してすぐの頃はエリザと会話することが多かった。
エリザは陸上部に入って交友関係が広がる中で、エリザを介してカナコも彼女の友人たちと話す機会が増えてなんとか孤立せずに済んだと後に笑い話にしていたくらいだ。
そんな物静かで普段、自ら前に出ないタイプのカナコが今まさに全力でグイグイ来ている。
「フリード君、これ、これこれ。次はこれっ」
「は、はぁ。カナコ様……」
人形時の身長は三十七センチらしい。カナコはフリードの委細を持ち主であるエリザよりも良く把握している。
フリードが文字通り着せ替え人形と化している間、カナコが用意したクッキーを何かの敵かのようにかみ砕き、咀嚼するエリザ。最近はカナコの家に来るたび、ただひたすらカロリー摂取する女子と化している様な気がしないでもない。
カナコの気が済むまで衣装替えを延々と繰り返し、今日はこれだというモノをフリードに着せるまではずっとこうだ。フリードは与えられる新作にひたすら着替え、着終えたらカナコの方がフリードの周りをぐるぐると見て回って「もっとこうすればよかった。次はこういうのにしよう」などとぶつくさ独り言を漏らす。
そしてカナコが落ち着くまでなんと一時間半も要した。
「ふふふ、うふふふ」
にこにこと笑うカナコの胸元に白シャツに黒いサスペンダー付き緑色のズボン、そしてハンチング帽を被ったフリードが抱きかかえられている。今日のお気に入りはこれらしい。
「良かったわね」
「は、はあ」
フリードは「え? どこがですか?」とでも言いたいのだろうが無表情である。人形であるフリードのポーカーフェイスは超一流で、カナコに気疲れしたフリードの本心を悟らせる事は無い。
それでも、状況把握するにエリザがフリードの内心を悟るには苦労しない。
「それで、朝エリザがフリード君の事でどうとかって云ってた話は?」
「あ、ああ。えっとね」
そして初仕事の折に出会ったガラの悪い魔法使いに言われた「エリザの死後、フリードはどうなるか」という問題についての説明をする。
「それ、エリザがどうこうしなきゃならないの?」
「え? どうこうって、わたしがフリードの持ち主なんだし。誰かに悪用されたりしないように――」
「そうじゃなくて、エリザが死んじゃうなんて私はそもそも考えたくないんだけれど」
フリードだけではなく、ちゃんと親友であるエリザの心配もしつつそう前置きした。
カナコ曰。
もし何かあってエリザが死んだ場合、すでにフリードは彼女の責任から外れるのではないかという事だ。
カナコの両親は不動産業を生業としている。家を売り、また家を貸すことが両親の主な仕事である。
不動産業界隈では稀に事故が起こることがある。不幸なことに火災であったり、更にひどい話であれば貸した家で自殺することも稀にあるらしい。
持ち家ならば当人の責任問題だが、賃貸ではそういうわけにはいかない。
不動産業で賃貸物件を紹介する場合、オーナーと賃借人との仲介をする。不動産、家の持ち主はオーナーだが、借りて住むのは賃借人。
この場合、借りている人間がその部屋で自殺すると部屋そのものが事故物件として扱われる。不利益を生んだのは自殺した人間だが、実害としての不利益は貸している側の責任として降りかかる。
カナコの言説ではエリザがオーナーで、フリードが物件だろう。
そして、不利益をもたらす賃借人が、悪意を持ってフリードを使う者だろう。
やはりそれだと不利益はオーナーの元に降りかかってくるように思うのだ。
それをエリザは指摘した。
「違うよ。だってオーナーであるエリザの方が先に死んじゃってるんだから、どうやってエリザは不利益をこうむるの?」
言われてみれば確かにそうだ。持ち主が死んだあとの事でその持ち主が不利益を被る事は無い。
死んでいるのだから、そもそも被れない。
エリザ亡き後。フリードが悪意を持った者に使われたとして、それが死んでいるエリザの不利益になるというのは無理筋である。
フリードが悪用されるというのは確かに、エリザとしても心苦しいが死後の事にまで万事心を砕くというのは実際には不可能だ。
不本意にも後継者を決めずに死ねば、どれだけ必死に対策を講じたところで後にフリードを手に入れる者がどういう思想信条なのか分かりはしないのだ。
そもそも簡単な話である。エリザが死ななければいいだけだ。だがそれは絶対に無理な話だ。
師匠、シュライナー・デルシェリムが作った強靭な肉体だとは言え、不老不死ではない。
故にエリザが死なないように己を鍛え、彼女の遺志を継いでくれる者を探せばよい。
ただ、それだけの話だ。
「相続した家を売りたいっていう人もうちに来るんだよ。でもその元の持ち主は死後に誰かが住んでくれる事を前提に残したのか、ただ売るための資産として残したのか。不動産屋としては次にその家を売り買いする立場じゃ分からないよ」
そう、自分が死んでしまえばその後の事なんて誰にも解らないのだ。
「わたしがなるべく長く生きて、フリードの事を大事にすればいいって事よね。結局」
「そうだと思うよ」
松下エリザは彼女の死後、残されるであろうフリードの未来を考えることは止めた。
フリードの事を思うのなら、今の彼女自身が強く在れば良いだけなのだ。
普通の人間よりも強靭な体を手に入れて、魔法使いになった。
ならばあとは魔法使いとして、人間として強くなればいいだけだ。
そんなエリザの新たにした心持を、フリードは無表情で見つめる。
己の強さを目指すのならば、まずカナコの谷間に埋まった自分を助け出すことから始めてほしいと、彼は心底願っていた。