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10 END

他サイトにも重複投稿。


後日談的なものを数話書く予定です。


「ティはイマねェ、スゴくオコってるんだヨ」


 誰もがその存在に恐怖した。

 一見のある滝川まりね然り、本日邂逅してしまった松下エリザ然り、既知であるシュライナー・デルシェリム然り、袋越しに知覚していたが初めて目の当たりにしたフリード然り。

 そして他でもない、最も恐怖していたのは己の存在を明確に脅かした「影」自身だ。

 フリードを目標として振るっていた両の腕は前傾した歪な体を支えていたが、力任せに体を起こす。

 「影」の背中と思しき肉の部位に器用に立っていたその男は飛び退いたりせず、そこにあるのが当たり前かの様に両足を「影」の背に付けたまま、体を横倒しにしたままの姿で直立し、そこに平然と存在する。

 重力というモノに逆らっているなどと言う光景ではなく、「影」の方向に、男の足元への引力が存在するようにしか思えない、そんな在り方だった。

 左手には直剣の鞘を持ち、右の手には緋色の剣を持つ。下駄履きで、ジャージ姿のその男は次に言葉を吐いたと同時に剣を再び突き込んだ。

「お友達がねェっ! 今日、公園でアソんでくれた子達がどうしてここにいイるのさァ! ねェっねェっ! ねェっ!」

 鈍い音がする。何度も、何度も何度も何度も言葉と共に剣の刺突が吐き出される。

 剣が突き込まれて深々と刺さり、剣の根本、鍔にまで肉が当たる度に鈍い衝撃音が辺り響くのだ。普通、剣で肉を突いた所で音などしないが、手が刀身に滑り出ないように止める用途の鍔が、肉に当たる度鈍い音が鳴る。

 力任せに殴りつけるような扱いだが緋色の剣は折れもせず、撓うが曲がったままになる事もない。


 強烈な刺突と殴打によって「影」の纏っていた肉がズタズタに引き裂かれ始めた。既に血が出るような生物的な反応はなく、赤黒く変色し、押し固められた様な肉が崩れ、剥がれ落ち始めた。

 それをただ甘んじて「影」は受け入れはしない。異様に長いその両腕を使って背面に張り付いた男を叩こうとしたのか、それとも振り払おうとしたのか。

 そのどちらでもよい。結果は無駄なのだから。

 両腕が背中に到達したように見えた瞬間、男はつまらなさそうに剣を二度三度振るっただけだが、長かった腕は軽々と薙ぎ払われ、切り飛ばされた塊がまりねの足元に飛んできた。

「ひぃっ」

 普段見慣れた遺体とは明らかに違う異臭を漂わせる肉の塊に恐怖した事もそうだが、何より背中に張り付いているその男を今現在、二番に、近く目の当たりにしているのは滝川まりねである。

 前に見た時は男はへらへらと笑い、常にふざけている態度を崩さなかったそれが、能面のような無表情で転がった肉塊を眺めているのだ。滝川まりねの、彼女の足元を。

「ねェ」

「――っ」

 まりねは転がってきた肉塊を見て悲鳴を上げ、すぐにその男を見たはずだ。確かに男は背中に張り付いて、落ちた塊を見ていたはずだ。

 それがどうだろう。

 一つ、瞬きをした事は覚えている。

 男は、ティーガルト・バルトーは横座りした滝川まりねの背後に立ち、真上から彼女の顔を覗き込みながら声をかけてきた。

「――」

 移動自体に理解など及ばないし、その声に答える手段は彼女には存在しない。

 脳の機能が完全に麻痺していた。物理的にではなく、精神的に。彼女にはこれほどの意味不明な恐怖感を味わう機会など全く存在してこなかった。

 元々はそれこそ一般人である。子供のころから親の職業を継ぐのだという使命感で医者になったような彼女に、悪意を持った命の奪い合いを経験するような経験は無いのである。

 故に今何をどうすればよいのか、何をどう言葉にすればよいのか彼女の頭の中には対処方法が存在しない。

「アー、キミ。前にティの術式解いた子だよねェ?」

 背筋が寒い。滝川まりねには思い当たる事柄が一つあるが、前回遭った時も同様の質問をされた。ただその時は、今の様に男は手に剣など持っていなかったが。

「キミがコレ作ったの?」

「――」

 昔、滝川まりねが医師として勤務していた時、パニックによって過呼吸状態に陥った人間を見てきたが、今自分が呼吸しているのか、過呼吸に陥っているのかすら認識できなかった。そんな状態で質問されたとしても、彼女には答える事はできない。

「ンー、違うか。キミ、そのジュツシキも書いちゃうんだから作れるワケないよね」

 置く予定だった二枚目の魔法陣を描いた皺の寄った紙切れがまりねの手元に落ち、それを睥睨したティーガルトは鼻で笑う様に追い詰める。

 別段ティーガルトはまりねを犯人だとは思っていないが、彼女を馬鹿にするような態度からはまりねの命を軽んじているような印象を受けてしまう。

 気に食わないからと軽く剣を振って殺されてしまいそうな、そんな危うさを感じ、まりねは精神的に追い詰められて行く。

 横座りの体勢で両の手を拳にし、自分の体の前で小さく腕を交差させて縮こまる以外に彼女に出来る事は無い。

「待て」

「ン、ンン……」

 声を掛けられた瞬間、何かが背後からティーガルトに向けて飛来する。一切その軌道を見てもいないにも関わらず、右方向に体ごと回転してそれを斬り払った。

 飛来したのは「影」の振るった腕であり、何の意味もなさずティーガルトに斬り払われ、元は二メートルは有りそうに見えていた肉の腕が今や三割ほどに減じていた。

 背後からの攻撃すら素気無くあしらわれ、「影」は歪な足を動かしてティーガルトから逃げようとし始める。

「デェ、何ぃ」

「我々はその影を始末する為にここにいるだけだ。まりねも、あちらにいるエリザも影の主とは関係が無い。もちろん私もだ」

「ふぅん」

 ティーガルトは面白くなさそうに、真顔のまま肩に剣の側面をペしぺしと当てながら、茂みからぬっと音もなく抜け出てきたデルシェリムと会話を続ける。

「ジャア、コレ誰がヤったのかシってるの」

 鞘を持った左手、親指だけ立てて後退る「影」を指してコレと宣う。

「いや、私たちは仕事として請け負っただけだ。誰がやったのかは訊いてはいない」

「ソウ。でもアンタは手出ししないで見てただけだよねェ」

「まりねとエリザの二人に与えられた仕事だ。私は手を出すなと厳命されている」

「デモ、そこの子とあっちの子ジャア無理だよねェ。ゼンゼンワかってないンだよナァ」

 口をへの字に曲げていかにも不満顔、といった風を装ってティーガルトは文句を言う。本当はなんとも思ってはいない。ただ彼女らを馬鹿にしているのだとこの場ではデルシェリムだけが気が付いたが。

 じりじりと後退る「影」はエリザの近くまで下がって来た。「影」も含め、誰もがティーガルトへの警戒をしていたがフリードだけは「影」の逃げ腰を警戒し、少し離れた位置に居たエリザと「影」の間に割って入る。

「だからサァ、ティがヤるねェ」

 近くに居るまりねや「影」の向こう側にいるエリザなどそもそも頭数に入れず、ただティーガルトはデルシェリムだけに向けて言う。

 振り向いて一歩。

 まりねの眼球で辛うじて追えたのは一歩踏み出してから飛び上がり、「影」へ迫る姿だった。

 ティーガルト・バルトーは空中に飛び上がると右手に携えた剣を唐竹割に降り下ろす。刀身の長さは八十センチ程度にもかかわらず、肥大化した「影」を一太刀で両断してしまう。

 ドラム缶のような巨大な頭部が割れ、伴って胴も左右に割れてゆく。


 実に呆気ない。

 ティーガルトの宣言通り「影」は消えた。

 唐竹割に頭から真っ二つに斬り裂かれ、切り伏せる緋色の剣は魔力を帯びて光を放つ。

 既に「影」はまりねよりもエリザの側に近い場所まで移動しており、間近でティーガルトの剣を見たエリザとフリードは緋色の剣が、光を帯びてオレンジ色に輝いている様を見た。

 「影」は自己回復量を上回る魔力での圧縮光を受けると消える。

 そう説明して教えてくれたのは二人の師であるデルシェリムである。

 それがたったひと振りで成った。

 エリザとまりねが走り回り、フリードが足止めをし、術式を発動して光で閉じ込めようなどと、そんなものは何の価値もないと一刀で伏せられた。

 エリザもまりねもただその様を呆然と眺めた。

 「影」が纏っていた肉がそれぞれ倒れ、鈍い音をフリードとエリザに聞かせる。

 肉の内側にいた「影」までもが二つに両断されていて、黒い「影」が夜闇の中に際立って端の方から霧散してゆく様が見える。

 細かく粒子状に空気中に舞い、さながら黒いダイヤモンドダストの様に消えてゆく。

 ただその様を見て呆然としたのはエリザとまりねだけであって、エリザの前で槍を携えたフリードは警戒を崩さなかった。

 槍の穂先はティーガルトに向けられたままだ。

 フリードにしてみれば脅威の度合が単純に増しただけである。物理的に振り払ってくる肉の塊ならばまだ良いが、今エリザの身を脅かす危険性がある手合いは『本物』である。

 エリザとまりねは理解していないが、本能で殺す動物と理性的に殺す『本物』の違いをフリードとデルシェリムは十二分に承知している。

 フリードはティーガルトを相手にエリザを守れるなどとは思えない。フリード自身を盾にしても数十秒稼げるかどうかと言う所だ。

 それでも、フリードは人形たる優位性を用いて瞬き一つせずにティーガルトへの構えを取り続けた。

「ナァニ、ティとヤルのォ」

 口の端を吊り上げて男は笑う。人形は自分との力量さも弁えずに戦う意思を示しているのだろうかと、込み上げてくる笑いを抑えきることができない。

「我が君を害するというのならば致し方ないと私は考えております」

「後ろの子でショ、キョウミな――」

 言葉が途中で打ち切られた。

 ティーガルトが急に振り向き、飛び退いた様をフリードは見逃しはしなかったがエリザにもまりねにもその動きは追えていなかった。

 ティーガルトは気が付いて飛び退いたがそれはわずかに遅く、辺り一面を一瞬だけ紫色の光が覆う際にそれを受けた。

 ティーガルトは躱し切れずに脇腹に紫電を受け抉られる。口から血を吐きながらも、一瞬にして跳ぶように数歩で公園から逃げてしまった。

 これをエリザとまりねが直視していれば恐慌したろうが、攻撃を受けてからあまりにも早くティーガルトが逃げて行った為にどれだけあの男が負傷したのか理解していなかった。

「え、なに? どうなったの?」

 事態を全く把握できていないエリザが声を上げ、まりねはきょろきょろと辺りを見回している。人間の動体視力で追えなかったのは不幸中の幸いである。

 ティーガルトはたった一撃をその身に受けて脇腹を大きく喪失した。その右の脇腹を抉った紫電の槍はティーガルトの右肺下部、へそ、右大腿骨上部の三点を結ぶ半円状に抉り、普通の人間ならば即死するようなショックを受けてもおかしくは無い重傷を与えていた。


「よう、お前ら生きてるか」

 ティーガルトを貫いた一撃を見舞った男が、空から声を投げてくる。

 ティーガルトが空から飛んできた事には驚いたが、その男が空から降りてくることに今更誰も驚いたりはしなかった。

「クロウセルさん」

 エリザに名前を呼ばれた男は直立した姿勢のまま長い棒状の物を携えて垂直に空から降りてきた。ただの人間ならば即死するような高さから急降下した後、地上一メートルほどから急減速して音もなく着地した。

「あ、あなたが何かしたの」

 よたよたと起き上がり、憔悴した顔のまりねが歩み寄ってクロウセルに尋ねる。

「まあ、これが俺の仕事だからな」

 まりねのもとにエリザは駆け寄って怪我はないか、どこにも違和感がないかと尋ねるが苦笑いを浮かべたまりねに何度も大丈夫大丈夫と繰り返すしかない。

 驚き、恐怖して転んだことは事実だがそれだけなのだ。「影」に何かされた訳でもないし、運よくティーガルトにも何もされなかった。むしろティーガルトに至っては「影」の振りぬいた腕を斬り払ってもらうという、見方によれば助けてもらったとも思える。

 槍を掲げ持ったフリードがエリザに続いてクロウセルの元に来る。

「ありがとう御座います。我が君共々命拾いしました」

「別に助けようと思ったわけではないけどな」

 フリードと同じように周りの邪魔にならぬよう縦に携えた棒を何もない場所で立てかけるような仕草を見せると、持ち主の身長と変わりないそれが虚空に消えてしまった。

 まりねはその手品のようなものに驚いて、どうやったのかと驚いていたようだが、エリザは一見した事のあるそれに驚きはしなかった。

 が、エリザは別の事が気になって仕方ない。

 ふと『これがツンデレか、初めて見た』と思ってしまったのだ。

 思ってしまっただけで、決して口に出さなかったが。

「よくもまあ、あれだけの深手を与えたものだ。私やサージではあそこまで追い込むには入念な準備が必要だな」

「ここで仕留めるつもりでやったんだが、あの生き残ろうとする能力はやべぇな」

 デルシェリムが徐にその大きい体躯を揺らしてクロウセルの元まで歩いてくる。言葉では褒めているようだが、その実は敵対したくないと言外に申し込んでいるようなものだ。

 事前に準備をして有利な状況下でティーガルトと戦えばなんとか、といったところであると述べている。

 逆を言えば有利不利の働かなかったここで、一撃、不意を突いたとは言え即死狙いを敢行できるのだ。この『締結者』が伝える「あの方」の命令は絶対に履行するとここで暗に宣言したに違いない。

「おい、あのカラス娘はどこ行った」

 そうクロウセルに言われてまりねとエリザは「からす」など今何か関係があるのかと不思議に思ったが、少し考えた後、ムスメと言ったのだから女の子だと合点がいく。

「あ。そういえば真珠ちゃんが居ないわ」

「失礼ですね。ずっといましたよ」

「うわっ」

 声が聞こえたのは「真珠が居ない」と声を上げたまりねの足元だ。

 ほんの僅かに市街の明かりが届き、薄暗い中にも更に濃い陰ができる。まりねの黒く濃い陰の中に膝を抱えてしゃがみ、白に黒を湛えた瞳が二つ。

「なんです、人を見て『うわっ』って失礼じゃないですか。もぉー」

 そこに膝を抱えてしゃがみ込んでいるのがエリザの髪を結って遊んでいた真珠だと気が付くまでにさして時間は掛からなかったが、問題は「誰か」ではない。

「えぇ……どこにいたのよ、あたし全然気づかなかったんだけど」

 転んだ際に気が動転していてと言えばまあ分からなくもないが、そもそも彼女はエリザの髪結いをやめた後は暇そうに木陰の中、真っ暗闇で足元の小石を蹴って遊んでいた覚えがある。いつまりねの傍についていたのか見当もつかない。

「ずっととし――ま、まりねおねーさんの陰の中にいましたよ」

 内心『やっべ、また怒れれるところだった』などと恐々としていたが、制裁は無さそうだった。

「は? 影の中?」

 まりねの濃い陰の中から歩き出て、薄っすらと少女の輪郭が分かる。

「そもそもさっきの出来損ないはわたくしが見つけたじゃないですかぁ。あんなのでも陰渡が出来るんですから、わたくしにもできますよ」

「カゲワタリって何?」

「はぁ、そんなところからですか。もう、めんどーくさいですね」

 十歳前後の可憐な少女が腕を組んで腰を左右に捻ってイヤイヤと大げさに拒否する。しつこく聞けば教えてくれそうな気もするが、別に無理に聞き出して機嫌を損ねる必要もない。

「ま、まあいいわよ。無事ならそれで」

「そうでしょう。感謝してくださいね」

 真珠は満足げな顔でまりねを見上げていたがこの暗がりの中、まりねの視力ではどんな表情をしているのか正しく認識できなかった。

 まりねと真珠で若干食い違った掛け合いになったが、これ以上どう何を訊いても真珠の機嫌が悪くなりそうなので話はこれでおしまいである。

「で、『影』を消すという仕事ですが、不本意ながら終わった……のでしょうか」

 まりねは一度エリザを見据え、それからデルシェリムとクロウセルに尋ねる。良くわからないがあの気持ちの悪い肉塊から霧散するように黒い何かが立ち上ってゆく様を見たのだ。アレで目的通り「影」が消えたのか、それとも逃げられたのか。

「間違いなく、あれはこの世から消されている。指示通りかと云われれば否だが、結果としては達せられたと考えて問題なかろう」

「まあ、ティーガルトが消したが。そもそも依頼は『影を消すこと』だけだ、方法や手段は問わないからな。これで終わりだ」

「そうですか」

 クロウセルの言葉にまりねは納得したが、師匠であるデルシェリムの言葉だけでは不安だった。仕事の依頼を師匠にしたのは他でもないクロウセルである事は明白である。

 その依頼主が「終わり」と言うのだから終わったのだろう。

 だが一名、納得のいかない者が居る。

「あれ? どうしてクロウセルさんはあの……てぃーがると? でしたっけ、あの人が『影』を消したって知ってるんですか?」

 依頼を受けたもう一人、松下エリザである。

「どうしてって、アイツが剣で真っ二つに斬ってたろ」

 今更何言ってるんだと、眉根を寄せつつもズボンのポケットからタバコのソフトケースを取り出しながら彼の見たことをそのままエリザに伝える。

「見てたんですか」

「見てたが?」

 タバコを一本口にくわえ、ソフトケースを元のポケットに突っ込んだ。

「もっと早くあの、てぃーがるとって人から助けてくれても良かったんじゃないですか」

「そうは云ってもな。あの状況でお前らには影を倒す為の打つ手が無かったし、アイツが『陰』を目の敵にしてくれたんだから、アイツに倒させた後に隙を見て仕留められれば良いと思っ――」

「ちょっと、それあたしとエリザちゃんを囮にしたって事?」

 一度は納得したが、どうにも聞けばティーガルトが襲来してすぐから事を見守っていたらしいという、流石にまりねも口を差しはさむ。

 小さく火が生まれる。クロウセルの手に点いた小さな火が辺りを照らし、まりねとエリザが徐々に怒りを上げて行く様も、それこそよく見える。

「そうだが? それがどうした」

 エリザもまりねも、なんだかんだと言いつつクロウセルは手を差し伸べてくれる面倒見のいい男だと思っていたのだが、考え方を改めなければならないかも知れない。

「あ、あたし殺されてたかも知れないのよ」

「だから何だ。自分でどうにかできるだけの能力が無いとそうなる、ってだけの話だろ」

 何一つ悪びれることなどない。指先に灯した小さな火を口元に近づけ、紙筒の先端を焼く。小さな赤い光がその先に灯ると、指先の火は役目を終えて消え去った。

「エリザ、まりね。助けて貰ったことにはかわりあるまい」

「それは、そうですけど……」

 不承不承に肯定の意をエリザが示す。

 そこに風に乗って、クロウセルが吐き出した紫煙の匂いがする。

 煙に巻かれた気分だった。

 納得は行かない。エリザもまりねも確かに危機的状況で手の打ち様もなくなって、何も思いつかず、何の行動もとれなかった。それを考えれば結果的に助けられた事にはかわり無い訳であり、助けてくれた相手に文句を言うのは筋違いでもある。

 そもそも論として、シュライナー・デルシェリムという『生粋』の魔法使いが二人の弟子に「正しい」魔法使いとしての教育を怠ったことが原因である。

 先に師匠であるデルシェリムの自宅で散々ぱらクロウセルから指摘された事でもある。ただその問題を自覚し、深く理解したのはデルシェリムだけだ。

 弟子である彼女ら二人にはまだ、そう、まだ「魔法使い」として自覚が足りないと、今ここでクロウセルに八つ当たりた事で自白した様なものだ。

 その弟子達の無自覚な恥の上塗りをされて困るのは師であるデルシェリムである。

「止めなさい」

 それなりに長く、付き合いのある弟子たち二人がこれは怒っているなと辛うじて気が付く程度に怒気を孕んだ声だった。流石にクロウセルを一方的に、悪し様に糾弾するというのは彼女ら自身にも、師匠であるデルシェリムにも良くは無いと時間はかかったが思い至ったようだった。

「あの、もう終わったのならわたくし帰りたいんですけど」

 先ほどから暇そうに小石を拾っては池に放り投げる作業を続けていた真珠が、もう用が無いのなら帰りたいと言い出した。

「あ、ちょっと待ってね」

 まりねがそう言うと不信感を抱いたままだが、クロウセルとデルシェリムに向けて「陰」が得て、今や物言わぬ彼ら彼女らの成れの果てをどうするのかと問いかけた。

「こっちでやっておくから、帰っていいぞ」

「えぇ……」

 混じり合って個人が特定できそうにない醜悪な肉の塊になり果てたものを「やっておく」の一言で片づけ、帰って良いとクロウセルは宣った。

 不信感に輪をかけてしまうが、デルシェリムまでもが「いつもの事だ、任せておけばよい」などと恐ろしいことを言って、暗に「帰ってもよい」とそう言われたのだ。

 「影」を消すために、エリザとまりねは慣れない使命感を背負って必死にここまで来たが、帰りにはとても重たい気分を、大きな後悔を背負うことになった。


「はぁ……」

 何か得体の知れないものが圧し掛かってくる様な、精神的な疲労を口から吐き出すようにため息が出る。

 暗いが辛うじて市街地の光で池の外周を巡る歩道は見える。そこを滝川まりね、松下エリザ、真珠が伴って歩く。真珠はやっと解放されると喜び足取りが軽いが、他二人は来た時と大差なく足取りは重い。

 公園の出口付近にまで歩いてきて、まりねはふと気が付いた。来るときはタクシーで来たではないか。帰るタクシーを呼ばなくては。億劫な作業に一度呼んだタクシー会社を履歴から選び出し、車を呼んだ。


「あー、さっきのお嬢さんたちじゃない。へいへいへぇーい、おじさんのクルマに乗ってくかーい?」


 選ぶ会社を間違えたと、まりねは心の底から後悔した。




 息を吸い込むと燃焼から赤みが口元へ進む。満足したら息を吐きだし、薄闇に煙を溶かしてゆく。

「アンタは理解したか? 俺は何となくアイツの云いたいことが分かった」

「私もあの方に己の甘さを指摘された思いがするな」

 そうか、それならよかった。

 クロウセルの言葉は『良かった』などという言葉とは程遠い、あまりにも辛辣な言い方だった。明らかに「シュライナー・デルシェリム」はアイツに己の安直な行いを窘められ、そしてそれに気が付いたその男は深く反省し、これまでの行いを後悔するに至った。

 真顔でクロウセルの傍には居るが、決して近いわけでもない。意思の読めない表情は流石人形屋と言ったところだが、読めずとも会話の中からどう心中に渦巻いているのかは手に取るようにわかる。

 アイツも俺に対してそうだったのだろう。そういう考えに至るあたり、毒されているような、感化されているような。どちらでもいい、そのどちらも反吐が出るほど不愉快だった。

「アンタも大変だな」

「それはお互いそうだろうな」

 つい、鼻で笑ってしまった。





「ぬおおおおおおおぉぉぉっ」

 彼女は自分の喉から野太い声が出ていることに気が付きはしたが、気合を入れて全力を注力するにはこれが最も効率が良いのだから、身内しかいないこの場で恥はかなぐり捨てる事にした。

「おお、我が君。出来ております、出来ておりますよ」

 松下エリザが自分に割り当てられた作業台の上で小さな人形を十六体も行進させていた。いつぞやは六体動かしてもつれ合い、互いに干渉しあって無様な山を築いていたが今や立派な行進を机の上で披露していた。

 ある程度行進させてなんとか満足のゆく時間持続させたと小休止。

 使役していた本人は肩で息をしてはいるが、以前の様に机に突っ伏すような無様は晒さなかった。

「へ、へへっ」

 ニコニコと笑顔を浮かべ右手をサムズアップさせて余裕ぶってはいるが、彼女の未発達な細い魔力の通り道に、高負荷をかけてなんとか動かした反動でかなり消耗している。

 時間をかけて何度も流量を増やし、運用量や質を上げて臨む基礎的な訓練だがこれを以前にも増して精力的に行うようになった。

 松下エリザは己の無力に反省した。何度もやめておけと言われたにも関わらず、魔法使いになると師匠に宣言した自分の覚悟はあまりにも幼稚なものだったと思い知った。

 子供の憧れだけで、成るものではない。

 魔法使いに関わると人死にが珍しくないと聞いていたが、彼女自身が思っていた以上に死生を伴うものだと痛感したのである。

 もし、もし彼女の目の前で誰かが、親しい人間が不幸な目に遭った時、それをただ傍観しているだけの自分でいいのだろうか。

 自分には普通の人間とは異なる力がある。

 それを出し惜しんで誰かが不幸になるのなら、ただ後悔だけが残るだろう。

 その後悔は、影を消す依頼で最初で最後にしたい。

 そう決めて、今出来ることを全力で取り組むのだ。


 滝川まりねは師の住居に「作業台」を与えられたもののそれをまともに使うことはなった。そもそも魔力を「通す」事に重きを置いていて、魔力を「制御」する能力に難がある。姉弟子である年下のエリザはその先、維持と応用した動作管理を学んでいる。しかも維持と動作管理を繰り返すと共に魔力の量や質も向上するらしい。

 影を消す仕事から三日。たったそれだけの短期間でエリザは今や仕事前にはできなかった多数の人形を動体維持し、綺麗に整列したまま行進するという動作管理までこなしている。

 姉弟子とは言え、年下の彼女が目を見張るような成長を遂げているにも関わらず、自分は何の成長もなくて良いなどと言う事は無い。

 滝川まりねは仕事場の上司がデルシェリムに師事する事を勧めてくれた。

 彼女の生まれ持った特殊な能力を生かすために、類似した系統の魔法使いに教わるとよいと言うことでデルシェリムの弟子となった。

 自慢ではないが彼女自身、外科医師として一流であると自負している。救急救命勤務でこれまで救ってきた人間の数はそれこそ数えきれないほど多いが、それは彼女以外の医師でも出来る事だ。

 彼女が魔法使いになったのは「常識的」な助け方では絶対に助からない人間を助けるためだ。

 これは彼女の仕事場の上司には出来ないことである。彼には専門的な医学的知識が無いのだから、それを補うためには彼女自身の能力が必要だった。

 故に普段は検視官として不本意ながら働いているが、必ず、彼女の能力が必要になる事件があるのだと自分を納得させて彼の作った係に所属している。

 ならば今は上司の、そして新しく入ってきた後輩の足を引っ張るような事は絶対にあってはならないと、彼女は「魔法使い」としての能力向上に努めることにした。

「――っ」

 医師として手術台での施術患部縫合などお手の物ではあるが、魔法使いとしてのそれは桁違いの難易度を誇る。

 滝川まりねは今現在、自分の「作業台」に向かって赤黒い糸で豚肉を縫っていた。

 糸を染める赤黒いものは血液で、それも豚の血である。血液は循環する元来用途上、魔力循環させるには良い教材であると師匠に教えてもらったが、それは魔力を通す者の血液であればなお良いのである。

 だがここ二日は自分の血液を用いず、豚の血で代用してある。循環する物という属性は変わらないが、当然、自分のモノではない血液であるから制御が難しい。

 その血染めの糸を針に通したもので、『手を触れずに』魔力で操って豚肉を縫う。

 同じ作業ならば姉弟子は一応こなせるのだ。

 エリザは縫合方法自体は分からなくとも、一つだけに集中して「操る」こと自体は難なく遂げる。なんだったら血液を用いず、木偶の人形を十六体も制御下に置いているのだから、その制御能力は雲泥の差があるといっても過言ではない。


「まりねさん体に力入ってるから、体の力は抜いて。魔力を流す感覚だけに集中すると良いですよ」

 エリザは自分の作業台から離れ、小休止の合間にまりねの作業台脇に来て先達としての助言を与える。自分も通った道であり、制御の難しさは身に染みて知っている。

 エリザはむしろ師匠には人間にしては「制御」が上手いと褒めてもらった事があるが、あれは褒めていた訳ではなくただ単純に事実を声に出して教えてくれただけだと今は分かる。

 人間にしてはという言葉をわざわざエリザに付けたのだから、エリザ以外の人間は彼女よりも「制御」が不得手であると思えばまりねの苦労を推し量る以外に無いが。


 彼女らの魔法の鍛錬に「なんとなく」や「師匠が言うから」などという消極的な理由は三日前に消え去った。自分達が受動的な姿勢でいると巻き込まれた際には今回の様にただ事の成り行きを傍観する立場になりかねない。そういった強迫観念から能動的な「戦力強化」を望んで学ぶ姿勢を変えたのだ。

 今回の様にただ誰かに守られる、教えられたまま考えずに試行錯誤を放棄してただ状況に流される目には二度と遭いたくない。

 彼女らはデルシェリムや他の魔法使いに聞き及んだ脅威を、体感してみてどういう世界に身を置いたのか真に理解した事だろう。

「エリザ、まりね。次からは実践だけではなく、座学に多く時間を割こうと思う」

「はい」

 まりねは作業台に向かったまま声を上げなかったが、傍に居たエリザは反射的に肯定の声を上げる。

 彼女らには師である自分の甘さが伝染でもしていたのかも知れない。ここ暫くデルシェリムは荒事と呼べる荒事の中心になる事は無かった。それが慢心に繋がっていないとは言い切れない。

 弟子として二人を迎え入れたのならば、師としての責務を負うのだ。





 息を長く吐き出す。その分だけ比例して紫煙が長く空気中に流れてゆく。

 タバコを吸っているから、これはタバコを吸っているから吐き出されたものだ。

 決して、ため息などではない。

 ここに赴任させられた事に何の感慨も無いが、無関係の人間が死ぬ様を傍観する立場というのは中々に腹立たしい。

 今回は可能な限り言い訳を用意してアイツに向かい合うしかない。

「損ばかりしてるな」

 漏れたのはため息ではない。愚痴というヤツだ。

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