01
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夢と現の狭間で、自惚れにも寵愛を受けていると奢る者よ――
ある魔法使いと、二人の弟子が己の在り方を考える話。
「ああ、ちょっとっ!」
足をもつれ、重なり合うように倒れる彼らの光景に、彼女は堪らずに声を上げる。
「うぐぐぐっ……」
自らの指揮不足に因る混乱は否めなく、それは集中力の欠如だとか、真剣に向き合う姿勢が足りないという「師匠」の言に尽きる。目の前に倒れた彼らの目には彼女を恨めしいなどと思う色はなく、ただ重なり合って動けなくなった場所から各々抜け出そうと互いの動きを阻害し合っていた。
「う、えっと――」
「全員一度に動かそうとするな、上から一つずつ。順番に繰れ」
「あ、ああ。はい、了解です」
折り重なっていた彼らは動きを止め、人の形というただ物質的なモノに成る。元からそうあって然るべきであり、彼女の操りに因ってその行動を支配されていたのだから元有るように戻っただけの事。命を吹き込まれた様に動き出した彼は山の上から、人形達の上から退き始める。
「~~」
「自分でやったことだ、それで苛つくなど論外だ」
「わ、解ってます――」
解ってはいるのだが、それは納得とは別である。一度覚えた自分への苛立ちは、そう簡単には消えるモノではない。もし簡単に解消されるならば、ジレンマなどと言う言葉は存在しないのだから。
山の上に倒れていた一体が山の上にすくと立ち、仲間の凹凸という不名誉な足場にもかかわらずその歩調を乱すことなく易々と下山した。先ほどまで一団の覚束無い足取りと乱れた隊列とは相反するように、たった一つの人の形ならば、彼女には難なく繰れるモノだと確かに解る。
「人形師が一体ずつ使役できたとして、それが何の役に立つ?」
「や、役に立つとか、そういう事ではないと思います。て云うか、操れているだけ普通に考えてすごいと思いませんか?」
「思わん」
彼女の横に立って、ただ人形達の動きを眺めていた大柄な男は人形を操っていた少女に臆面無く言ってそれを退ける。
操っていた彼女から人形へと繋がるモノは見るからに何もない。ただの人間が見れば彼女が操っていた事実さえ理解できないであろう。手を差し伸べて糸で繰っていた訳でもなく、コンピュータで制御して定められた動きをさせていた訳でもない。
人形に動力部は無く、本来なら関節も自在に動くような代物ではない。それを歩き、跳び、陣形を組んで居並ぶ事を求められたのだから、本来なら無謀に他ならない。
だが、
「魔法使いなら、百や二百、従えて見せろ」
「無茶云わないでください、ししょー……」
師匠と呼ばれた男、名をシュライナー・デルシェリムという魔法使い。
「エリザ。私の弟子である以上、私を越えるべく努力する者でなければならない」
エリザと師匠である男に呼ばれた少女もまた、魔法使いだった。
東都のある区に寂れた場所がある。喧噪から隔絶された様な場所で、人影の寄らぬ場所。かの場所には高級と呼ぶべきマンションが林立しているが、そのどれもが本来の「役割」を与えられる事無く、無人に極まる。
六棟も居並ぶ高層二十階立てマンションはそれこそ居並ぶ巨像のように住まいを得ているが、残念な事にそこに何ら価値はない。この大規模建築がどうして放棄されたのかは定かではない。
都市伝説の一説に、不動産会社が計画を立ち上げ建設したものの、買い手がつかなかったという物がある。
交通の便も良く、一室につき駐車場と四畳ほどの物置が付く様な優良物件で、都内の閑静な住宅街、小学校や中学校に近く、大きな総合病院も遠くない場所。六棟の中心には公園まで存在する。その優良の城に買い手が付かなかったというのは全く持って理解し得ない状況だが、現にそうなっているのだから不思議なモノである。
そう、近隣住民は不思議には思えど、不審には思わない。
私有地につき立ち入り禁止と敷域内への経路には立て札や金網のフェンスに付けられたパネルには企業名と立ち入った場合の法対処が書かれているだけで、侵入を直接拒むように鎖で仕切られているとか、車止めが設置されている訳ではない。
無人の建物には時たま人が訪れる。それは保守点検、管理の人間であったり、好奇の心を抑えられない者、不定の者が住処を得ようと現れたりする。だがある一つの巨像の元には不埒な者は訪れる事は決してない。
訪れることが叶う者は、必ず選ばれた者である。
「だーっ! ムリィ、マジィ、ムリィ……」
与えられた作業台に上体を投げ出して伏せる。肉体労働でもなく、頭脳労働もしていないにも関わらず、彼女は重篤な疲労を被っていた。突っ伏した頭は上がらず、両の手も放り投げた様に弛緩していて、とてもではないが彼女は以降動く気にはなれない。
建物そのものは誰も住んでいないような寂れ具合で、共用廊下はおろか各部屋の扉もなく、内装も手付かずで放棄されている有様だが、その部屋は唯一鉄扉が敷設されていた。
ただ鉄扉には一度強い圧力で曲がったような跡が残っているが、その部屋への出入りを制限する物として今も機能している。
「四体まとめて動かせる様になれてはじめて見習いだな」
「一人前とかじゃなく……」
「多数を従えて初めて人形師として身を立てられるな」
「うぐぐぐぐぐっ」
こうべを机上に留め打たれたのではないかと見まがわんばかりの有様に、師匠であるシュライナーデルシェリムは不甲斐ない弟子、松下エリザに苦言を呈す。
当のエリザは唸るように声を上げるのが精一杯で、更に反論の余地もない不甲斐なさに当たり散らす先も思い浮かばない。
間接照明の薄い蜂蜜色の部屋に、唸る少女とそれを無視して己の作業台に腰を下ろし、白磁の部品を検め始める大男。木調の部屋に不釣り合いな二人がそれぞれ作業台に違った面持ちで向かう。
そこに、また別の声。
「我が君。ご自愛下さいませ」
「うーん、フリード。ありがとう。君だけだよー、わたしの事を気遣ってくれるのは……」
「何を仰いますか、カナコ様も心配されますよ」
声は年の頃に若く、しかし明朗であり、声色の中に真摯に気遣う色がある。だが、その場に居合わせる生き物は二人。師匠のデルシェリムと弟子のエリザ。言葉を発して弟子のエリザをを労るのは他でもなく、彼女の作業台の上で二足にて台面へとすくと立つ人の形であった。
「そうねー、カナコも良い子だし――」
そう言いながら彼女は突っ伏したまま頭を横に向け、離れた作業台を見つめる。労いの言葉一つ無く、彼女が起こした「奇跡」に対してただの一言も評価するような言葉はない。恨めしげに向こう側を眺め、じっと師匠が気がつくまで睨み続けた。
「自分の不出来を私の責にされてもな」
件の師匠は一瞥もくれず、彼女の心中を察するに彼の背を恨めしげに睨んでいるのだろうと言葉を選んだ風でもなく弟子へと投げつける。
師匠が弟子に辛辣であり、厳しい評価基準を用いることはままあるのだろうが、弟子であるエリザが置かれた状況というのはまるで「普通」とはかけ離れていて、彼女の気が滅入ってしまうのは致し方のない事でもある。
唇を尖らせてぶー垂れた弟子に、追い打ちまでかける。
「人間が、人ならざる人として生きるというのは誰にも評価などされない。この程度で音を上げると云うのならば私の弟子として相応しくない」
「またそういう云い方するし……」
呆れ顔で無慈悲なる師匠の背を眺め、その「特別」な感覚が彼女の中で回復するまで体を投げてそうしていた。
「こんばんは」
希に訪れるのは選ばれた者だけ。それは、かの城の主に選ばれた人間であり、魔のモノに寄るモノだけである。その時訪れたのは他でもなく、城の主が認めた「人間」だった。
「差し入れ持ってきたわ」
「あー、まりねさーん」
若干くたびれた重たい鉄扉を苦労しつつ片手で開け、家主の応が無いままにずかずかと部屋へ上がり込んでくる。そんな彼女の来訪にて、松下エリザは机上に突っ伏したまま地獄に天使が降臨したような得も言われぬ安堵感を得た。
部屋に入ってくるときからビニール袋の音が聞こえ、毎度のこと「滝川まりね」の携えてくるお土産に心躍る。
「またあんみつだけど、食べる?」
「食べたいでーす」
それこそ毎度のこと代わり映えしなく、コンビニで売っているらしい丼状のあんみつを買ってくる。初めて買って来たときは三人分と称して四つも購入していたが、デルシェリムが食べないと解った後も、彼女は必ず四つものあんみつを購入して仕事帰りに訪れる。
「はい」
「ありがとうございまーす」
「どういたしまして」
エリザの眼前に置かれたがそれを開けようという意思が起きない。確かに消費した糖分や疲れに、目の前の糖分が喉から手が出るほど愛おしいが、思いの手が出たとしても物理的な手を容易には動かせない。
「我が君。私が開封いたしましょうか」
「お願い」
エリザのすぐ側に置かれた器をただながめながら、率先してフィルムを剥がしにかかる人形を見る。名を『フリード』と言い、エリザが己の魔力によって初めて「火」を入れた自動人形だった。机上に転がる他の、見るからに人形であると解るようなモノとは違い、フリードは「小さな人間」そのものに見える。腕や足の関節に切れ目など無く、体表は血が通ったように暖かく、人肌と同じように柔である。
制作者のデルシェリム曰く、体構造の殆どが人間と変わらないものであり、その体構造維持のエネルギーは「魔力」にて補われる為に飲食を必要としないとの事だった。
紆余曲折の果て、松下エリザはその「フリード」をデルシェリムより譲り受け、彼の君主たる地位に就いた。大仰に君主と曰ったのはフリード自身であり、突然主として祭り上げられた彼女の困惑は普段表情を変えないデルシェリムの口角を上げるには十分だった。
外装のフィルムを丁寧に折りたたんで机の端に寄せ、上蓋を取り払った後、中身の色つき寒天と白玉の個包装、また別に個包装のあんこに、さらに別の個包装であるシロップ漬けのフルーツ、これまた個包装の黒蜜。それらを恭しく丼から取り出して外装に書かれた手順通りに容器へ投入してゆく。
体高にして約二十センチ弱の人形が自分の半分程度の大きさの個包装を器用に切り開けて零れないように丁寧に作業を進めて行く。
それをただ主であるエリザは突っ伏したまま呆けたように眺めていて、一切の指示は無い。デルシェリムに不甲斐ないと暗に断じられた彼女の直接的な力による操作ではなく、フリードは自身の思考によってその身を振る。
エリザがフリードを得た日、彼女は魔法使いになった。もとよりフリードはデルシェリムの魔力によって動く人形だったが、彼女が興味本位で尋ねたところ、彼女自身で操る方法があるという。そこでなんとなしに彼女は自分でフリードを動かしたいと言ったところあれよあれよと魔法使いの弟子となった。
「我が君。できあがりました。起きられますか」
「うう。がんばる」
おもむろに起き上がり、何とか体を椅子に据えることが出来た。離れた所に座っていた滝川まりねがエリザの挙動に不安覚えて一瞬、腰を上げかけたがエリザが思ったよりも居住まいを綺麗に正した所を見てまりねは再び椅子に腰を据える。
滝川まりねは松下エリザよりも年上ではあるが、この空間では若輩である。
デルシェリムは言わずもがな、松下エリザよりもデルシェリムに師事した時分が遅い。故に滝川まりねは松下エリザという姉弟子を持つ、二番目の弟子である。
土産に渡した丼のあんみつを付属のスプーンでゆっくりと口元に運ぶ様は危なっかしいが、デルシェリムの部屋に「作業台」を与えられた年下の姉弟子を眺めて微笑ましくなる。
それと同時に、この身の上と合わせて哀れに思う。
「まだ、繊細さが足りない」
「……はい、師匠」
なんとか与えられた「作業台」前の椅子に背を預けて幾分か復帰したエリザを横目に、年上の妹弟子がタライの前で両手を突き出してタライの中の液体に「力」を送る。その「力」は「魔力」とここでは呼ばれるモノで、まりねにしてみれば覚えてから一年足らずの力に満足ゆく結果が得られた試しがない。まりね自身には「これだけ出来たのだから上出来である」という手応えも、師匠であるデルシェリムからしてみれば幼児が立って歩くよりも進歩のない出来だと処断された。
目下、タライの中に一滴、まりね自身の血液を落としてタダの水で急速培養し、それを沸き上がる水柱の如く立ち上らせ、制御、維持しろという特訓をデルシェリムの監督の下、行おうとしていた。
何度も経た単純な魔力操作の練習である。経験から急速培養は難なくやり遂げ、赤い水柱を立ち上らせる迄は出来る。そこからが彼女の特訓である。
赤い水柱は左右にうねり、一本だった柱が徐々に不格好に枝分かれして、太い血管と毛細血管の束の様な無様をタライ上に呈していた。
デルシェリム曰く、まりねは理論武装は完璧だが、実技が伴わない。
魔法という人間には超常の力を得たが、それを純然たる「感覚」として得ることが出来ていないと言う。事実、起きうる超常を事前に設計し、調整、発動する「魔術」を行使できるが、直接魔力を操る「魔法」を行使すると件のように、人間の実生活からは考え得られない「感覚」を用いる魔法は多分に苦手だった。
「あ、やばい」
「……」
見る間に赤珊瑚のように枝分かれを繰り返し、うねり狂った毛細の端は行く先を見失った様に辺りへと広がって行く。魔法にて液体の形状を一定に保てなければ、この後、魔力をこの液体から抜けば辺りに血液の雨が降る。
どう考えても師匠であるデルシェリムは家財に並々ならない拘りを持つ人物であり、縦と横に広がり行く血液の大樹が破滅的な怒りの前触れに見えた。
「し、師匠。ムリそうです……」
「はぁ……」
これ見よがしにまりねの横でため息をつき、代わりとばかりに片手を差し出す。そこから流れ出る魔力の量、質、密度は先に弟子二人が用いたものよりも遥かに高い。まりねが支え切れそうになくなった血液を力でねじ伏せるように収束させて行く。本来ならそういうやり方は好まないと以前二人は聞いていたが、その「手法」はまさにデルシェリムがまりねに求めた魔力の使い方、魔法そのものであり、弟子に対する手ほどきの側面を持ち合わせたものだった。
結局、血液全てが何事もなかったかのようにタライに納まった。
「床や天井にまりねの血液をばらまかれては迷惑千万だからな」
「も、申し訳ありません」
単なる水であればそれほど処理には困らないが、人間の血液である。木製家具の多いデルシェリムの部屋の中で金タライいっぱいの血液が部屋中に撒かれたなどという事になれば惨事に違いない。その惨事を予見してなお、用いる液体は血液が良いとの言は師匠であるデルシェリムが発したのだから、それの始末を行うのは至極当然であるとも。
魔力は使用者本人に起因するモノが最も効率よく流れ、操りやすい。滝川まりね自身の血液を増やしたものを用いているのだから、確かに「使用者本人に起因」するものである。それを用いての訓練は効率的であり、デルシェリム曰く魔法使いの初歩として自らの一部で魔法や魔術を繰るのは常識であるらしい。
一、二年程前までは弟子二人はただの人間であり、彼ら魔法使いの常識を持ち出されても彼女たちには非常識極まりなく、簡単にその能力を開花させる地力はない。
現に滝川まりねは今もって赤い水柱の魔法生成に失敗し、松下エリザは人形の動態制御魔術に失敗していた。
滝川まりねよりも一足先に魔法使いとなった松下エリザはデルシェリムの見込み通りに「魔法」の制御はなんの苦労もなく成功したのだが、問題は事前に設計した「魔術」にとことん嫌われた事である。
それぞれ初歩の苦手分野が正反対な弟子を抱え、割を食ったのは他でもない、本物の魔法使い。シュライナー・デルシェリムであった。
「エリザ、上手くいってる?」
「――」
苦手なモノを見たとき、エリザがそういう表情をするのを友人であるカナコは知っていたが、本気で嫌そうな顔を正面に据えて「その話はしないで」という雰囲気を作り上げてきた事に吹き出すように、思わずカナコは笑ってしまった。
「ちょ、ちょっと――」
「ごめ、だって――」
けらけらと笑うカナコの可愛らしい笑顔を見るに、本当に辛いことをしているのだからちょっとは同情して欲しいという自身の思いが身勝手な様に思えて気恥ずかしくなった。
「もう、でも本当に大変なんだよ」
夏の大会を終え、部活動を引退した身としては次の目標が大学受験という現実的なものだと思うと一抹の寂しさと焦燥感を覚えずには居られない。だが、彼女にはまた別の目標が出来た為に、日々忙しくしていて、それを理解して貰おうかと学校で昼食中に親友へ話したのだがどうにも努力の方向が「エリザらしい」という理由で笑われている。
「フリード君は上手に動かせるんでしょ」
「まあ、動かせるって云うか。勝手に動くし」
「でもちゃんと云うとおりに動いてくれるんでしょ」
「カナコがお願いしてもその通りに動いてくれると思うけど」
唯一、親友であるカナコには嘘偽りなく話してしまおうと、過去に何があったか、そして今現在も逐一魔法使いの弟子としての進捗を話している。
元々エリザは隠し事が下手で、何とか心の内に留めようと手を尽くしたとしても親友であるカナコは感付いてしまうのだから、無駄に気苦労をかけるくらいならと師匠であるデルシェリムにお伺いを立て、許可が下りた後に話した。
最初は何を言っているのかとカナコも訝しんでいたが、実際にフリードと会わせると驚きと共にフリードのファンになってくれた。そもそもエリザ自身、デルシェリムの作った人形に見惚れてフリードをネダったのだから造形の美しさは間違いない。
自身の師匠であるという事で「へつらい」や「媚び」を持って賞賛している訳ではなく、純粋に「人形」の造形に関して言えばそこらの「高級人形」とは一線を画す出来である。
問題は世間一般に出回るような人形ではなく、制作にもそれなりの時間を要し、更に制作費も聞けば卒倒しそうなほどに高い。そんな師匠謹製の「人形」であるフリードを何の因果かタダ同然で手に入れたのだから師匠様様である。
「じゃあ、今度お洋服持って行くね」
「カナコも好きねー」
フリードとカナコを会わせた後、手芸部魂に火を付けたのかカナコはフリードの服を手作りする事にご執心だった。カナコ手ほどき、監修の元。どうしてかエリザも縫製を強要――もとい、楽しく制作に加わり、エリザのタンスの一角にフリードの衣装箱が出来上がっていた。
普段、自らの被服に恥じらいからか、頓着しないのか、似通った服を選ぶカナコにしてはえらく幅広くフリードの衣服を制作してくる。スーツやフェルトジャケット、ジーンズや執事服。カエルの着ぐるみのようなフード付きの衣装まで。とにかくフリードを着せ替え人形のように着飾っては持ち主であるエリザ以上の興奮度合いでフリードに迫る。
その勢いにフリードの方が及び腰になる程で、何着も無償で提供してくれるカナコには感謝しつつも、フリード本人はカナコの情熱を若干苦手にもしている。
好意において受ける衣服の提供を、無碍に断るような失礼な男ではないと自称するフリードの事。人形らしく困り顔を取り繕うのは上手く、カナコにはバレずになんとか繕うものの、流石の主であるエリザには可笑しく見えてしまう。
有る秋の昼下がり。日常の教室で、他に聞けば不可思議な談笑が聞こえていた。
「ふーん、ふーん、はははーん、ふーん――」
「ご機嫌だな」
「あら、また何か事件?」
鼻歌の機嫌の良さに、対する男の声は不機嫌極まりない尋ね方だった。それもそのはずで、鼻歌を歌う彼女の目の前には白目を剝いた損壊の酷い遺体が横たわっていたからである。
さも楽しげにどんな作業をしているのかと興味本位で上司が手元を覗いてみれば、左顔面の重度擦過傷を嬉々として丁寧に修復している所だった。
「いや……仕事は無いんだが…… それより、楽しそうなのはどうなんだ?」
遺体の修復は滝川まりねの主たる仕事ではない。それでも嬉々として遺体に向き合い、その損傷箇所を修復している。問題はその遺体が不慮の事故によって亡くなった方の遺体であることだ、どうにも死んだことが彼女には嬉しいのではないかと男には思えて仕方ならないのだが、本人曰く――
「死んでしまった事自体は悼むべき事柄よ。でも、酷い傷を残したまま遺族に返すなんて可哀相でしょう、少しでも生きていた状態に近づいて貰えたら嬉しいじゃない」
「お、おう……」
真っ当な答えが返ってきた事にも若干の違和感を覚え、更に彼女の言い分は続く。
「それにね、彼はやっぱり胃ガンで亡くなるべきだったのよ。元々、そうなるべき人だったのだから、天寿を全うして亡くなるべきだったの」
どうして事故で死ななければ胃ガンで亡くなっていたと解るのかと問われれば、遺伝的に最も疾患しやすいのが彼の場合は胃ガンだそうだと注釈まで上司に寄越す。
会話中にもその修復への集中を切らすことなく、声色に上擦った高揚感はあるものの、作業そのものは淡々と、着実に進む。
「おまえ、オレには溺死体とかなんとか云ったクセに、他の人間には優しいんだよな」
「この子達のほとんどは不慮の事故や事件性の死因によるものよ。不幸を当人が求めた訳じゃあないんだから、惜しむのが人としての道理よ」
会話中は「暇」からもたらされる戯れの語彙選びに終始していて、それを互いに解った上で、年下の上司と、年上の部下の間で行われる。
「俺は? 人としての道理を弁えてくれるのなら俺の死因はどうなるんだよ」
「あたしたちに人としての道理は通じているのかしら」
「それは――」
人の死に様を知る術はない。如何様に果て、朽ちるとも知れぬ身に、それと知って生きるのが人間である。だが道を踏み外せば、その身の果て様が知れる者もある。それは防人として生きる身の者であり、阿漕の如く人様に顔向けできぬ身の者であり、そして人ならざる人の身の者である。
「――そうだな。魔法使いなら楽に死なない」
曰く、その眼をもってして、最も知る人間がまたこれに同意する。
大切な誰かが、唐突に逝く。それが魔法使いの常在である。
「それを何故私に?」
不満、不機嫌、嫌悪。そのすべての表現を隠すことなく、シュライナー・デルシェリムは願い出や依頼の類ではない、命令の伝達者を睨む。百八十を越える見るからに屈強な、大柄な男がそう凄んだのなら、大抵の人間は萎縮してしまうだろう。
だが対する男は多少なりの身長差をモノともせず、飄々と答える。
「俺は伝令役。文句なら俺じゃなく、アイツに云ってくれ」
不満の色は変わらずだが、その色の系統は変わる。言によれば単純、不平不満、嫌悪の対象が抗いようのない人物へと変貌したことに苦虫を噛みつぶすような、これ以後口答えできぬ状況への苛立ちだった。
「これは別にアンタに嫌味で『押しつけた』仕事じゃない。アンタと、アンタのとった弟子達のための仕事だ」
「弟子の?」
不満顔が一転、困惑の色に模様替えをする。どうしたことか、なぜ【彼】が弟子の事を知っているのかと驚きを禁じ得ず、またその弟子の為の仕事という言もデルシェリムには理解の範疇を超えた話だった。
「そう。アイツがどうしてアンタの弟子を知っているのかとか、なんで弟子のためにわざわざ仕事を与えようって云うのか俺は知らねぇ。だが、俺の言葉を信じるならば確実にこの話はアンタの信用と、アンタの弟子の信用は高まる。主にアイツの心うちで、だけどな」
長考には値しない話である。デルシェリムは幾通りか【彼】の思惑の先に何があるのかと勘ぐってみはしたが、どうにも【彼】自身の利益に繋がる話は見えてこない。元々利益など求めてデルシェリムや他の魔法使い達がこの星に滞在することを許可した訳ではないし、【彼】の庭で起こる問題を現地の者に対処させようというだけの話だろう。
それに、本物の魔法使いたるシュライナー・デルシェリムをもってしても、飄々と「使いっ走り」を自称するこの男にすら抗えるだけの「力」を持ち合わせてはいない。
話の内容からして拒否してもなんら滞在に自体に不都合は生まれないが、この男からの心証が悪くなれば後に援助を求める術を失いかねない。
「受けよう」
「そりゃあ良かった。きっとアイツも喜ぶよ」
そんな事で【彼】は喜びはしないだろう。当然それはデルシェリムが抱いた言葉への暗黙の返答だったが、その発言をした当人、クロウセル・ハルトベスもまた、自分で呟いた言葉に反吐が出る思いだったろう。酷く醒めた眼で、夜の月を眺めていた。
人間の住まわぬ巨像の廃屋。その屋上にて、ただ一人、クロウセルはズボンのポケットからタバコを取り出して咥え、魔法の炎でその先を焦がす。
充ち満ちる、満たされ月の夜。
「仕事を請け負った」
松下エリザ、滝川まりね両名がわざわざ師匠、シュライナーデルシェリム宅に呼び出され、何事かと身構えると脈絡無くそう聞かされた。
「はあ……」
「えっと……」
仕事。主にシュライナー・デルシェリムは人形を作る。ほぼ人間と寸分変わらぬ大きさのものから、愛玩用の手乗りの人形まで。その顧客は「人間」ではなく「魔法使い」からのモノが殆どである。時たま魔法使いと関わり合いのある「協力者」から求められる事もあるのだが、その依頼を彼女たちにわざわざ宣言したりしたことは無かった。
突然、召集してそう聞かされたのだが彼女たちには何の事かさっぱりわからない。デルシェリムが請け負ったのならば宣言せずとも一人で片付けてしまえばよい、と二人して思い至った所で――
「お前達二人に、初仕事だ」
「「゛えっ」」
口を突いて驚きが出た。
何の事前連絡もなく既に仕事が決定したと言うのだ。当人達にしてみればたまったものではない。魔法使いの「仕事」など内容は多岐にわたるのだから、最悪「人殺し」などという反社会的な行為が思い浮かぶ。まりねは職業柄、魔法使いとしての辛酸を理解しているつもりだが、エリザは魔法使いとしては「箱入り」の部類に入る。
エリザは完全にデルシェリムという師に庇護されて育てられている見習いであり、まりねの危惧する内容には一応、思い至る程度で、実際に自分がそういう状況下に置かれるとは思いも寄らなかったのだ。
「あの、内容は……」
師の言葉を待つが、恐々とする弟子二人に、さも当然そうに言う。
「影を消して貰う」
「カゲ?」
全く解らない。端的に極力解りやすく言葉を選んだような口ぶりでデルシェリムは二人にさも当然のように言ったのだ。
影を消して貰う。普通に、俗人的な考え方をすれば光を当てればよい。問題はこれは魔法使いに与えられた仕事であり、未だ見習いの身の上に与えられた仕事であるという事である。「影」と言えども「タダの影」であるはずもなく、何らかの魔法が関わるものである。それが人間に直接影響する物かどうかは定かではないが、一筋縄ではいかない「仕事」であろう。
「先頃、魔法使いが一人死んだ。いやなに、我々で争ったとか、人間と事を構えた末にという訳ではない。単純に寿命だ。その魔法使いが自らの城を守るために飼っていたモノがくびきから放たれて逃げたのだ。それを消して貰いたい」
「それが影ですか。どうして師匠や雑対係に回らず、あたし達なんですか」
滝川まりねの職業は警察官である。警察官と言っても特殊で、検視官という特殊職分である。元は救急救命を得意とした外科医であり、職能を生かして転職――という訳ではない。
ある先天的な能力にて、ある人物から魔法使いにならないかと誘われた。その誘った人物こそ、滝川まりねをこの師、シュライナー・デルシェリムへ身柄を預けた人物。
そして彼女の言う、彼女の所属する「雑対係」とは警察機関に唯一、魔法使いの「行い」に対処するための係である。
彼女の所属する係にはこれに応じた対処の出来る「人間」がいるだろうが、敢えてエリザとまりねにこの話を与えようというのは何故だろうか。
「決めるのは私ではない。この星において、私よりも優先される決定権がいくつも存在する」
これ以上は追求するなと言うデルシェリムの言に、彼女たちは追求の術を失う。
知らぬ所とは言え、既に決まった話なのだから口答えしようにも無駄である。建設的なのは概容を訊くこと。
「それでししょー、わたし達が消す? 影って云うのはどういうモノなんですか」
「それはだな――」
とある魔法使いが亡くなった日没の後。夜は生まれる。
「――」
その夜は意思を持っていた。自分が何者で、自分がどうあるべきか、知っていた。
主を守ることを。主に仇成す者を屠ることを。知っていた。
そして思い知っていた。主は影に生き、影に抱かれ、影に消えたことを。
忌むべきは光だ。
主の時に、忌むべき物が煌々と揺らぐ。
主の有り様に、殊更の忌み事を成すのは誰か。知っていた。
主を守らねばならぬ。そして、仇成す者を屠らねばならぬ。
影が路を行く。歩くのは足。影から伸びるのは足で、胴に付き、体を成す。腕にヒトガタとしての存を得て、その夜は立つ。ただ異形と解るのは相貌が無く、また色がない事である。
「――」
それが「見つけた」のは人。
紫光誘蛾の下、手提げにビニールの袋、初秋の夕闇に涼むその女性は閑静な住宅街の大通りに面するコンビニエンスストアで買い物後、表に立って氷菓の買い食いをしていた。
吹き付ける風は未だ生暖かく、夕に暮れ、帳が迫る刻限にも湿度はあいもかわらない。着衣が嫌にべた付く間隔を覚え、堪らず涼を取ろうとそれを選んだ。
その選択は、悪手である。幾ら治安が良かろうと、悪意の分母は人数に比例する。
コンビニエンスストアの蛍光に、誘蛾の紫灯、街路のダイオード光。
その下、暗い人影を見た。彼女が気がついた頃には既にそれは側にいた。人の形をしたものだが、暗くて何か良く解らないモノが。
彼女がくわえた氷菓を物珍しそうに、それは「見つめて」いた。