第七話「聖処女の水渦」
「もういやーーーーーーっ!!!」
森にこだまする叫びは、いくつもの反響を呼んでやがておさまる。
「ど、どうした!!」
犬獣人族の男が駆け寄ると鳥獣人族はひしっと抱きつく。
紺の毛皮に整った美顔が埋もれ、腕に着いた大型の羽がしおらしく垂れる。
川のせせらぎが悲しげなBGMを奏で、その音に合わせるような悲痛な叫び声が響く。
「もうこんな生活いやぁ!! 耐えられないの!!!」
鳥獣人族の赤髪を撫でながら、狼の顔が困った心配そうに見つめる。
「お、落ち着け……何があった」
「……が」
「が? なんだ?」
「洗濯物が終わらないのよぉーーーー!!!」
犬獣人族の男はガクッと崩れた。さっきまでの悲痛なBGMがもはやギャグにしか聞こえてこない。
ただ確かに川のそばには洗濯物が大量にあった。とても手洗いで終わる量ではない。
「いやな。そりゃ俺達も子供が3人いるから大変だと思うけどよ」
「それだけならまだいいわ……あなたの血のお陰でみんなワンパクすぎるの!!! 見てこれ!!! 泥のせいで元々の色がわからないわ!!!」
「お、俺のせいか!?」
流石に言いすぎたと思い、鳥獣人族の言葉に詰まる。
「……あなたのせいだけじゃないってことくらいわかってるわよ……ついでにあの子達が嫌いなわけでもない……でも嫌いになりそうなレベルなの」
「…………まぁ、たしかにひどい汚れだな」
「だいたい!! 私鳥獣人族!!! 洗濯しようにも羽が邪魔でぜんっぜん洗えないの!!!」
「む……むぅ」
たしかに、腕の肘から手首にかけて大きな翼が生えている。これでは洗濯物をするときは大変だろう。
「鳥獣人族はそもそも洗濯物はほとんどしないわ。そもそも殆どの時間を空中で過ごすから泥汚れには縁がないの。だけど、私達の子は殆ど犬獣人族寄りの亜人。正直ここまで泥汚れが大変だとは思ってなかったわ」
亜人、この世界では主に混血種のことを差し、二人の場合は犬獣人族の血が濃い。鳥獣人要素は腕の毛が若干長いくらいだ。それゆえか、泥んこ遊びはお手の物。むしろ自分から沼に飛び込む事もしばしばある。
「俺は俺で仕事があるしなぁ……変われるんなら変わってやりたいもんだが……ともかく今日は休日だし俺が洗濯やるよ。お前は気晴らしに買い物でも行ってこい?」
「……いいの!?」
パァっと明るくなった。
「ああ。王都にでも行ってくればいい」
「ありがとうアナターーー!! ほんっとうに大好き!!!」
そう言って抱きつく。これだからなんでも手伝いたくなるんだよなぁと犬獣人族は頰をかいた。
さて、犬獣人族が妻に王都に行かせたのは訳がある。彼は今、先ほどまでいた川の近くに建てられた小さな小屋の中にいた。
この小屋は今日のために建てられた。ただし寝泊まりするためのものではない。そもそも鳥獣人族も犬獣人族も寝泊まりに家など必要ない。ハンモックか枯葉の毛布さえあれば十分に眠れる。
だから、この小さな小屋は別の理由で必要なものだ。雨に濡れると困るし、何より別な理由でも必要なものだった。
扉をノックする音に、はやる気持ちを抑えきれず扉を開ける。
「おまたせしましたー? ヤマムラ電機ー? ですー?」
「おう! 待っとったで嬢ちゃん!!」
扉から現れたのは金髪の幼い翼人レイラ。その横にはレイラの身長ほどの大きな薄茶色の箱が一つ。
「先にー? 工事ー? するよー?」
「おう……ってあの店主の兄ちゃんは」
「お店だよー?」
「いやいや、嬢ちゃん一人ってわけじゃないだろ……聞いた話だと結構大掛かりな工事なんだろ?」
「そうでもー? ないよー? 排水と給水のパイプー? 繋げるだけだしー?」
そんな事ができるとは思えない。どうせ子供のたわごとだろうと次の瞬間まで思った。
「よいしょっと」
「なっ!?」
片腕で自分の身長ほどの箱をあっさりと持ち上げた。
「設置する場所ー? どこー?」
「あ……こちらです……はい」
その頃王都レークス。
「へぇ、生活に役立つ機械ねぇ……」
「はいっ! もし生活でお困りの事がございましたら、遠慮なくご相談ください」
鳥獣人族は店主のユキオに接客されていた。興味本位でのぞいてみた雑貨屋だったが、これがなんと家事専門の機械とのことだ。
「あ、洗濯物を簡単に洗える機械……なんて流石にないわよねぇ」
「ございますよ」
「あ、あるの!?!? 本当に!?!?」
「どうやら、相当お困りだったようですね。ささ、こちらです」
店主についていくと、胸より若干低いくらいの大きさの白く大きな箱のようなものがあった。
だが、箱にしては縦長でモノを入れるにはすこし不便そうだ。
「どうも不思議な形の……箱? ……これが洗い物をする機械ってわけ?」
「そうです。こちらの世界の方の住宅には設置するための排水管や給水管がないので簡単な工事が必須となりますが……」
「構わないけど……どういった工事なのかしら?」
「こことここにー? 穴あけしてー? パイプを通すよー?」
小屋では工事の再説明が行われていた。
ここで少し獣人族の住宅事情を説明しておこう。
獣人族は原則として家を持たない人数が過半数を占めている。持っているものと言えばテントと必要最低限服だ。
居住区も縄張りと言って、簡単な目印で大雑把に区切られているだけだ。ただし大抵の獣人族は縄張り内に井戸と地下から繋げられた排水パイプだけはきちんと取り入れている。……現実世界でもわかりやすく言えば公共の公園程度の設備と言ったところだ。
猫獣人族は独自の文化が発達した歴史があるためちょっとした都市レベルの街を持っているがこれは例外中の例外。
ただし近年、家の重要性を認識し始めた獣人族も多く、建設技術者の育成に注力し始める。と言っても今はまだ倉庫くらいしか使いようのない小屋しか建てる技術がない。
「なるほど……基本的に水道工事と同じってわけかい」
「そうだねー? 排水と給水の設備自体はティエアにもあるからー? その増設すれば解決なんだよー?」
生活用水は主に井戸水。そこに組み上げポンプを繋いで完成。排水も排水パイプにつなげばOK。
……ただこの子の喋り方を聞いていると本当に解決するのか不安になっていく。
「じゃあー? はじめるねー?」
「……任せた」
王都レークス。ヤマムラ電機。
「なるほどねぇ……」
「ただし、ここで注意が必要です。洗濯機はきちんとした土台が必要です」
「土台? ってどういう事?」
「この家電は中にあるドラムを高回転させて水流を作ります。なので遠心力で大きく揺れます。本体を水平に保てない場合、暴れて倒れて崩壊して壊れます」
「……妙にえげつないわね」
「なので必ず水平器という重心を水平に保つためのものがございます。設置する場合は必ずこの気泡が丸の中に入るように調整します」
と、薄黄緑色の丸いなにかが埋め込まれたぶぶんを指し示す。その丸には黒線の丸が描かれており、液体のようなものが入っているようだ。
「へぇ……なるほどねぇ」
「そして水平を保つためには土台はしっかりしてないと行けません。地面の上に直接置くと故障の原因になるというわけですね。……どうですか?土台はなんとかなりそうですか?」
「ええ、うちの旦那なら用意できると思うわ」
クレンシエントの小屋。
「どうだい? これならバッチリだろ」
「問題ないよぉ? さすが大工さんだねぇー?」
「へへっ。俺達獣人族ほとんど野宿だ。俺のカミさんも元々家を持ってないしな。だから、いつか自分の家を作るのが俺の夢なんだ」
「うちのお店の改装もー? いつかお願いねー?」
「おう! それまでに腕磨いとくぜ!……で、次は機械への排水と給水の接続かぁ」
「ここまでくるとー? 難しくないよー?」
そういうとレイラは金属の部品を取り出す。
「それかジドウキュウスイセンってやつは」
「給水のホースを繋げてる時は水が出てー? 繋げてない時は出ないようになっているんだよー?」
そう言いながら、設置した蛇口に自動給水栓を取り付ける。これで劣化破損してホースが外れた場合でも水漏れしないというわけだ。
「排水は別途パーツを使えば機械の真下に取り付ける事も可能だけどー? 基本的に別売りー?」
「本体の外側で構わない。機能的には変わらないんだろ?」
「変わらないよぉー? じゃあこれで設置完了だねー?」
「おお……これが……」
「店主さん! この機械の名前はなんと言ったかしら!」
「はい! これは」
「洗濯機です!」