雫の決意
雫視点です
椎奈さんに出会えて、よかったと思う。
ほんのちょっとしか一緒にいられなかったけど、たくさんのものをもらった。
そして――
――自分のやらなきゃいけないことがわかったから。
椎奈さんに、王宮へ帰ると告げてから、準備は急ピッチで進み、その日の夕方には騎士団を出ることになった。
実は、椎奈さんに言う前に、眼鏡の人に話をしていたからだ。
昨夜、椎奈さんが魔獣を呼び寄せることができると確認し合って、別れた。
その後、塔に戻り、部屋の中で眼鏡の人と話したのは二点。
・すぐに王宮へ帰りたいこと。
・帰ったらすぐに、聖魔法を使って、結界を作ること。
……これまで、スキルも使えず、椎奈さんの料理を食べ、使えそうになっても発動をやめてしまった私がそんなことを言っても説得力はない。
眼鏡の人は鼻で笑われるだけかと思った。
けれど、眼鏡の人はすぐに私が帰る手筈を整え、今はこうして王宮へ向かう馬車の中だ。
……もしかしたら。全部、この人の考えた通りに物事が動いているのかもしれない。
でも……。
だからこそ、聞いておかないといけないことがある。
「……あの」
夜道を走る馬車の中。
斜向かいに座って、なにか資料を見ていた眼鏡の人に向かって声をかけた。
「はい。なんでしょうか」
馬車の中は電気の代わりに光る石が室内を照らしている。
その明かりを受けて、眼鏡の人の緑色の目が光った。
「……椎奈さんについて、どう思いますか?」
「ああ……。そうですね。お人好しもここまでくると笑えるな、と思っています」
眼鏡の人は丁寧な口調で、でも、右口端は抑えきれないように、少しだけ上げて答えた。
それは椎奈さんの性格のこと。
でも、私が聞きたいのはそうじゃなくて……。
きっと、この眼鏡の人は私が聞きたいことをわかっていて、わざと私の質問の真意をかわしているのだろう。
一度、ふぅと息を吐く。
そして、今度は間違えようのない、具体的な質問をすることにした。
「私が聞いているのは、椎奈さんのスキル……。今回わかった、魔獣を呼び寄せる力についてのことです」
「そちらについてでしたか」
なるほど、と大げさに頷く。
そして、今度こそわかりやすく、ふっと鼻で笑った。
「あのスキルはありえない。一言つぶやくだけど空間転移をし、そこには水も食料もある。そこでは料理をすることができ、その料理を食べると、体力増強、傷病治療をし……ああ、スキルの効果促進もあるんでしたね。それがたった一人の意思で行われるなんて、私は恐怖を感じます」
眼鏡の人は、鼻で笑いながら、椎奈さんの危険性を示唆する。
一人が強すぎる力を持つことは、世界にとっては良くないでしょう? と。
……そう、なんだろう。そうだと思う。
でも――
「私は椎奈さんのスキルを怖くありません」
スキルってよくわからないけど、けっこう楽しいよねって笑ってくれた。
『台所召喚』はすごいんだよって教えてくれた。
台所で料理を作りながら、よしよしと撫でる椎奈さんを思い浮かべれば、眼鏡の人の言うことが椎奈さんには当てはまらないってわかるから。
「椎奈さんはきっと、料理を作ること、そして目の前の人を助けることにしか使いません」
そう。だから、怖いスキルじゃない。
椎奈さんがそのスキルを持つ限り、だれも怖がる必要なんてない。
「……まあ、そうですね。あえて深く考えていないのか、そもそも考える思考力が欠如しているのかはわかりませんが。……料理を作って、おいしくできた、と言いながら、笑っているのでしょうね」
私の言葉に、眼鏡の人は笑いを止め、やれやれと息を吐いた。
「他の力というと、魔獣を動物に戻せる力と魔獣を呼び寄せる力ですか。魔獣を呼び寄せる力について、検証はしていませんが、その力があると仮定してもいいでしょう」
「……これまで、そんな力を持つ人はいたんですか?」
この世界にはたくさんのスキルがあるのだから、これまでに『魔獣使い』とか『魔獣制御』などがあっても不思議ではないと思ったのだ。
でも、スラスターさんは、いいえ、と首を振った。
「魔獣はこの世界の理から外れた存在です。これまで魔獣に関連するスキルは確認されていない。だからこそ結界を作り封じ込めているのが現状です」
「そう、ですか……」
すこし、落胆して……でも、どこかで納得できた自分もいた。
魔獣はスキルでは操れない。だからこそ、聖魔法で結界を作り、閉じ込める必要がある。
それなら、私がやることは一つだけ。
「私が結界を作れば。……椎奈さんが、どんなにお肉を食べたいって思っても、結界を作れば、魔獣は外に出ないと思いますか?」
私のスキル『聖魔法』があれば。
『魔力∞』で、最大の力を注ぎ込めば。
椎奈さんの力に負けない、強い、強い結界を作ることができれば――
「今のところ、魔獣が出たのは二回だけ。そして、一回目は時差があったと聞いています。もちろん距離も関係しているでしょうが、それなら、空を飛ぶ魔獣であれば、一日ほどで王宮に着いたはずです。それよりも大幅に時差があったのは、やはり結界の強度が関係していると考えてもいいでしょう。……結界は刻一刻と弱くなっています。だからこそ、二回目は魔獣は時差なく、現れたのでしょう」
結界の弱さが、より椎奈さんを危険にする。
だとしたら――
「……悪い予感がするんです。もう、きっと――」
――結界はもたない。
「……そうですか。聖魔法のスキルを持ち、神の愛し子である聖女様が言うのだから、間違いないでしょう。急ぐ必要がありますね」
眼鏡の人はそう言うと、馬車を止めた。
そして、一度外へ出ると、何人かと話しているようだ。
思ったよりすぐに戻ってくると、眼鏡の人は、また斜向かいの腰をかけた。
「忙しい旅になりますが、三日で帰りましょう」
「……行きは一週間だったのに、三日で帰れるんですか?」
「途中で馬をかえ、昼夜問わず走ります。聖女様には快適な旅を提供できないことをお許しください」
「……急いでください」
快適な旅なんていらない。
とにかく、私は椎奈さんの安全のために、一刻も早く結界を張る。
……きっと、できる。そう信じて。
「ところで、聖女様。私は面白いことを考えているのですが、聞いていただけますか?」
ぼんやりとした明かりに照らされた馬車の中。
なにをするでも、話すでもなく、外を見ていたら、急に眼鏡の人に話しかけられた。
あまり良さそうな話題とは思えなかったので、警戒しながら目線を向ける。
眼鏡の人は資料をとん、と指で示した。
「実はドラゴンというのは、動物ではありません。言うならば動物と魔獣のちょうど中間の存在だと考えられています。……そのドラゴンがスキルも関係なく懐いた。これはどう思いますか?」
示された資料には、ドラゴンの絵が描いてある。
他に魔獣のような絵もあり、眼鏡の人はそういう資料を読んでいたらしい。
「……ギャブッシュは、椎奈さんの料理が好きなんだと思います」
「それなんです。本来、ドラゴンは食事を摂る必要はない。空気中にある、なにかしらから栄養を摂っていると考えられています。そのドラゴンが食事を摂りたがる。そして、食事を摂ったドラゴンが懐き、言うことを聞くようになる」
そこまで言うと、眼鏡の人は楽しそうに、右口端を上げた。
「これが魔獣にもありえると思いませんか?」
「え……」
「魔獣は生命の輪から外れ、血液の代わりに魔力が循環するようになる。だから、空気もいらなければ、栄養も必要ありません。魔獣の活動に必要なものは魔力であり、その魔力が北の森にはあふれているため、魔獣が生まれ続けるのです。その内に魔獣は体内に魔石を作り、魔力を蓄える。そうすると、魔力が少ない土地でも、しばらくは活動できるようになるんだそうです」
魔獣もなかなか考えていますね? と資料をめくる。
「魔石は有効活用し、レリィがつけている魔具も、聖女様が何度かご覧になった、結界を作る魔具も、この魔石を原料にしています」
弟君がつけていた、赤いたくさんの宝石。あれがきっと魔石なんだろう。
私はあれのもっと大きなものを見たことがある。
結界を作る魔具だ、と言われて、その魔石の大きさは私の両手で抱えられないほどだった。
「この魔獣の生態が、今の王国を支えている。魔石を役立て、魔獣への恐怖が過剰にならないようにしているのです」
眼鏡の人が、今度は、人間もなかなかやりますね、と笑う。
「だれだって魔獣は怖い。だが、それが役に立つこともある。さらに、結界があれば、まったく心配はありません。……そして、もし結界がなくなったとしても、魔獣は魔力がなければ生きていけない。人間は魔力のある土地を捨て、それ以外の土地で暮らすことができる」
……それがこの国のあり方。
平穏に暮らしていくためのバランスなのだろう。
「現在、聖女様がスキルを使えない問題や、結界の消失の問題もありますが、この前提があれば、なんとかやっていくのでしょう」
そこまで言うと、眼鏡の人はふと笑みを消した。
ただ冷静に平坦に。
「……だが、魔獣に随時、魔力を補給できるものがあるとすれば?」
眼鏡の人は、ただ一つの可能性を挙げた。
「『台所召喚』。あれは魔力を他者に渡せるスキルなのではないか、と考えました。その魔力を得たものが、体力増強、傷病治療、スキル効果促進の恩恵を受ける。人間は魔力で生きているわけではないから、それだけで済むのでは? と。……だが、魔獣は直接、命を吹きこまれるようなもの。その魅力は相当でしょう」
魔獣が……。
あの巨大で狂暴な生き物が、椎奈さんの前では、ギャブッシュのようになってしまうのだとしたら?
「まずは魔力のない土地に魔獣を呼び寄せる。そこで『台所召喚』により作ったもので、魔力を補給しながら、その土地を奪い、滅ぼす。……本来、統制など取らない魔獣を従えることができるとすれば。魔力の枯渇を待てば活動を停止する魔獣が、永続的に活動できるとすれば」
――世界を滅ぼせる。
「これを実行できる者がいる」
眼鏡の人の声には嘲りも焦りもない。
ただ、どこまでも冷静だった。
「私は思いました。ああ、こういう者を――魔王と呼ぶのだな、と」
知らず知らずのうちに、手に力が入る。
淡々と説明している声が耳の中に響いて、ぐわんぐわんと音がした。
「……もし、椎奈さんがそうだとして。……それが知られたら……」
違うって思いたい。
でも……。
「結界も安定しないこの情勢。国はどうするでしょうね。私なら生きたまま魔獣の森に縛っておきますかね」
……椎奈さん。
「ああ、しかし『台所召喚』と言えば、縛っても逃げてしまいそうですね。それなら猿轡をするか、いっそ、喉を潰してしまうか」
椎奈さん。
「それもこちらに協力するなら、ですが。どうせ使えないのなら。――殺したほうが安心です」
椎奈さんっ。
「椎奈さんを利用させない。――殺させない。絶対」
私が結界を作る。
魔獣なんて絶対に出てくることができない、強い強い結界を。
――大好きなあの人を、守る






