OLの食欲
黒豚とはその名の通り、黒い豚。
スーパーで売っていれば、普通の豚肉よりちょっと高いやつだ。
日本で普通に売られている豚は大型種で、黒豚より早く成長し、大きくなるので経済的に優れている。
なので、だいたいはそっちを食べる機会が多いよね。
その点、黒豚は中型種と呼ばれ、あまり大きくはならないので、経済性は劣る。
でも、肉質が良質。
そのおいしいおいしい黒豚が目の前にいる……! ぶひって鳴いてる……!
いや本当の黒豚はバークシャー種という種類じゃないといけないから、この豚は正確に言えば黒豚じゃないかもしれない。
でも、このつぶらな瞳と、顔に入った白い模様、そして足先だけ白いこの感じは絶対に黒豚!
「黒豚は、肉質がきめ細かく、甘みもたっぷり……」
ぶひ、と鳴く黒豚を見つめて呟く。
すると、隣で聞いていたハストさんが、わかりました、と頷いた。
「捕まえておきます」
「お願いします」
ハストさんと私。
心はいつも一つ。
「シーナ様、残りの魔獣も討伐に問題はないかと」
「もうちょっとって感じですかね」
「はい」
「あの、もしハストさんたちの迷惑じゃなければ、もう少し黒豚を確保してもいいでしょうか?」
豚肉パーティー希望。
「支援します」
「お願いします」
ハストさんと私。
心はいつも一つ。(豚肉が架け橋)
「では参りましょう」
「はいっ」
二人で心を一つにした後、騎士団のみんなが五人一組で戦っている現場へと向かった。
そこならレリィ君の炎やギャブッシュの閃光は来ない。
大きな体と牙を持つ魔獣は怖いけれど、隣にはもっと怖いイケメンシロクマがいるから大丈夫。安心感が段違い。
そんなわけで、何頭かの魔獣を黒豚に変えた頃、動いている魔獣はいなくなっていた。
うん。殲滅だよね……。魔獣に血がなくて本当に良かったと思う……。
「シーナさん、眠くなっちゃった?」
「ううん。それは大丈夫」
魔獣を屠りまくっていたレリィ君がソファに座った私の右腕にぎゅっと抱き付く。
魔獣を倒したあと、なんだかんだとあって、落ち着いたのは深夜だった。
今は部屋に戻って、あとは寝るだけ、というところなんだけど――
「雫ちゃんの気になることって?」
レリィ君とは反対の隣に座る雫ちゃんに声をかける。
一度、特務隊と一緒に砦を離れた雫ちゃんだけど、魔獣はすぐに倒され、結界も今のところは問題ないということで、砦へと帰ってきていた。
もう夜だし、砦に留まったほうが安全という判断らしい。
雫ちゃんはスラスターさんと一緒にすぐに私に会いに来てくれた。
まずは私の無事を確認した雫ちゃんだったんだけど、ほかにも気になることがあるようで――
「……今、魔獣と戦った跡を見てきました」
「そっか……」
……きっと、雫ちゃんはとても驚いたことだろう。
なんせ怪獣大決戦の跡だからね。磔とお金持ちの家の剥製と、こんがりウェルダンだからね。
「雫ちゃんには刺激が強かったかもね……」
心配になって手を握ったけれど、雫ちゃんは首を振った。
「……魔獣がすごく大きくて、騎士団の人がこんなのと戦ってるんだって驚きました。でも、それは大丈夫です。……でも、あの……豚? がいて……」
「あ、豚。黒いやつだよね」
「そうです。あれはやっぱり豚ですか?」
「うん。変な話なんだけど、私が包丁を向けると魔獣がおいしくなるんだ」
本当に変な話なんだけどね。
「私、王宮で地鶏も見ました。それを見て、なんで王宮に鶏がいるんだろうって思って……。そこで椎奈さんが鶏を『地鶏』って呼んでたこと、王宮にいたこと、そのときに北の騎士団に旅立ったことを知りました」
「そうそう。そういえば王宮に来た鳥型の魔獣を地鶏にしたんだった。雫ちゃんはあれを見たんだね」
「はい。それで、眼鏡の人に頼んでここに来たんです」
「そうだったんだね」
なるほどなるほど、と頷く。
雫ちゃんが北の騎士団に来たのは、私に会いたかったからだ、とは聞いていたけど、地鶏のことは初耳だ。
スラスターさんが『地鶏』と伝えたことで、日本との繋がりが心にできて、私に会いたくなったんだろう。
まさか地鶏が雫ちゃんと私の架け橋だったとは。お肉ってすごい。人と人を取り持つ。
「椎奈さん……。私、その、それが気になって……」
「うん。それは気になるよね」
気にならない人なんていない。私もいまだに気になっている。
そんなわけで、雫ちゃんにもわかりやすいように、説明することにした。
「えっとね、包丁をかざすんだけど……。あ、包丁はいつも使ってるあれ。雫ちゃんがベーコンやたまねぎを切ってくれたやつで……」
実際にイノシシ型魔獣を黒豚に変えるところを見せることができればよかったんだけど、雫ちゃんが魔獣のそばに行くのはいろいろと問題がある気がする。
絶対に特務隊が来るだろうし、そうなると包丁の力を見せるわけにはいかないし……。
うーん、と迷いながら説明していく。
すると、雫ちゃんは私の手を少し強く握った。
「椎奈さん。椎奈さんは温泉で黒豚のことを考えていましたよね」
「あ、うん。そうだね」
雫ちゃんと一緒に入った温泉。
そこで、黒豚の温泉蒸しのことを話をした。
ポン酢やごまだれで食べたいねって。まあ他愛もない話だけど。
「私……さっき黒豚を見たとき、それを思い出したんです」
雫ちゃんが真剣な顔で私を見つめる。
「こんな偶然あるのかなって……。椎奈さんが黒豚を食べたいって思って……。結界からはその形の魔獣が出てきて……。椎奈さんはそれを黒豚に変える。……それってもしかして……」
雫ちゃんはそこまで言うと、ぎゅっと唇を噛んだ。
思い当たることはあるけれど、あえて言葉を濁している。そんな感じ。
すると、少しの沈黙の後、ハストさんがその結論を引き継いだ。
「――シーナ様は魔獣を呼ぶことができる」
夜更けすぎ。しんと静まり返った部屋にその言葉だけが響く。
「……っ、シーナさん、シーナさんは王宮にいたときに地鶏のことを考えてたの?」
レリィ君が小さく息を飲んだのが、抱きしめられていた腕越しに伝わった。
でも、レリィ君はそんなの感じさせないような、いつも通りの声で私に質問をする。
だから私もそれに合わせて……というか、全然自分のことだと思えないので、とりあえず王宮でのことも考えてみることにした。
鳥型の魔獣が王宮に飛んでくる前。
私は――
「……考えましたね。トマトのブルスケッタを作ったときに」
トマトの調理のためにオリーブオイルをポイント交換した。
そのときに、揚げ物が食べたいな、と思ったのだ。
で、からあげが食べたいな、と思って……鶏が来ないかなって思って……。
「……椎奈さんが考えると……魔獣が来てしまう……」
ぽつりと漏れた雫ちゃんの声。
それが真実のようで――
――私が魔獣を呼んだ?
「あ、でも、今回みたいに、すぐじゃなくて、数日ぐらい経ってから来たと思います」
そう。こんなにすぐじゃなかった。
想像して、すぐに『はい! 地鶏です!』みたいな早さが売りの店みたいな感じではなかった。
「……もしかしたら王宮と魔獣の森との距離が関係しているのかもしれません」
「あと、結界の強度っていうことも関係してるかも……」
私と魔獣が無関係だと思いたい。
けれど、ハストさんとレリィ君は、魔獣が来るまでのタイムラグについての思い当たる要因を挙げた。
つまり、二人は私が魔獣を呼んでいるという意見を受け入れているんだろう。
そうなると、私もだんだん自分が無関係だとは言い切れなくて……。
すると、今まで聞いているだけだったスラスターさんがふふっと笑った。
「本当におもしろい。鳥型の魔獣が王宮に襲来したとき、だれもがその魔獣たちは聖女か結界の魔具を狙ってきていたのだろうと考えていた。――でも違う」
その眼鏡の奥の碧色の目は私を冷たく映していて――
「――貴女だ」
笑いを含んだ声。
「魔獣は貴女のために来た」
言い切られたその言葉に私はごくりと喉を鳴らした。
そして、みんなの顔を見る。
落ち着きながらも強い意思を感じさせるハストさん、心配そうに私を見つめるレリィ君と右口端だけを上げ笑うスラスターさん。出窓に座っていたゼズグラッドさんは眉間にしわを寄せていて、雫ちゃんは不安そうに私の手を握っていた。
今、みんなが考えているのはきっと同じことだ。
そう。それは――
「……私の食欲が結界を上回ってる!」
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