愛の巣
第一班の班長だと名乗ったガレーズさんは短い栗色の髪に、細い目。いわゆる糸目というやつで、いつもニコニコ笑っているみたい。
体つきはしなやかっていう単語が似合いそうな、細身な感じだ。
「俺、ずっと思ってたんっすよ。俺たちだけ風呂入ってて、イサライ様や聖女様はどうしてるんだろうなって」
ガレーズさんはニコニコとした目のまま、顎に手を当てて考えるような仕草をする。
その疑問にハストさんはそうだな、と答えた。
「風呂はあるが、野外で目隠しがないからな」
「そうっす。宿舎の裏にあるっすけど、女には無理だろって。俺たちはどうせ男しかいねぇから、その辺で脱いで入っちゃってますけど、宿舎の窓からも丸見えだし。いや、もちろん、イサライ様と聖女様のお二人にあの風呂場に入ってもらえるなら、まじ、ありがとうござい――」
バシュッ
「殺す」
「うぇ」
端的な一言と、風を切る棒の音。
うん。音速の木の棒がガレーズさんが言葉を終える前に繰り出されたよね。
もしかしたら光速を越えたかも。ほら、私が見ていたのは残像だよ、みたいな。
ハストさんは今、確実に首を狙いにいったからね。多分、一般人なら命はない。
でも、ガレーズさんはそれをバックステップで避けると、そのままぴょんと飛び上がって、くるくるとバク宙しながら逃げていった。
あ、伸身からのひねりを入れて、抱え込み宙返りだ。
「……殺意と身のこなしがすごい」
ハストさんは頸動脈とか肝臓とか大腿動脈とか、出血多量で致命傷だろうな、というところを狙っている。
懐かしのアッシュさんに繰り出していたヤツよりももっとこわい。でも、ガレーズさんはそれを見事に避けていて、やはり普段から魔獣と戦う騎士団に所属している人は違うんだなぁ。
凪いだ心で命のやりとりを見ていると、ガレーズさんは声を上げた。
「ちょっと、ちょっと!! 副団長!! 死ぬ、死ぬっす!」
「かまわない」
「かまいます!! 副団長、思い出してください! 温泉を作ることを提案したのは俺っすよ! 俺がいないと盛り上がりに欠けます!!」
「盛り上がりなどいらない」
ザシュ
くるくるくる
おー。ムーンサルト。
「見て、雫ちゃん。これはきっとサーカス」
「さーかす」
手を繋いでいた雫ちゃんが驚きで目を丸くしていたので、大丈夫だと、頷く。
雫ちゃんはそんな私を見て、不思議そうに首を傾げた。
うん。うるうるの黒目がかわいい。
「ちょっ……! い、イサライ様! イサライ様!! お二人でほのぼのしてないで、副団長を止めてください!」
「え、私?」
くるくると宙返りをするガレーズさんが私を必死に見つめる。
そうか。思わず見守ってしまったが、こういうときこそ副担任の出番かもしれない。
担任と学生が揉めたとき、そっと仲介してみる、みたいなね。なるほど、そういう役目はありそうだ。
それに、このまま放っておいたら、絶景露天風呂が曰く付きの血の池地獄に変わりそうだもんね。
「ハストさん、温泉を……! 温泉を作りましょう……!」
この場所に曰くをつける前に。
「……そうですね」
私の声が届いたのか、ハストさんは冷気を収め、木の棒を構えていた手を降ろす。
その途端、ガレーズさんはよかったっす!! と叫びながら、私の後ろへと体を隠した。
「すごい! 副団長が止まったっす! やっぱりイサライ様は最高っすね!」
「え、いつもは止まらないの?」
「皆殺しですよ、皆殺し!! あ、でも、そこが副団長の男前なところでもあるんすけどね。イサライ様には副団長の男前エピソードをぜひ聞いて欲しいっす」
「男前エピソード?」
そこまで言うと、ガレーズさんがは少しだけ声を落とした。
それは私にだけ聞こえるぐらいの音量で、ささやかれた『男前エピソード』という単語。
うん、気になる。
その言葉に惹かれた私はガレーズさんに耳を近づけた。
「副団長はそれはもう強くって強くって強いんですが、ある日、鹿が増えたときがあったんすよ。ほっとくと魔獣になるから、数を減らすために俺たちが森に入って狩りをすることになって」
「それで?」
「みんなで鹿の群れを追い込んでたんですけど、その群れが丸ごと魔獣になっちゃったんすよ。数は二十ぐらい。俺たちは一班の五人と副団長の計六人で。魔獣を狩るつもりじゃなくて鹿相手のつもりだったから、人数も武器も足りてない。俺は、あ、これは、やばいなって思ったんすけど……」
ガレーズさんの言葉にその場面を想像してみる。
人数は六人。目的は鹿狩りだったため、心構えも装備も不十分。
獲物を追っていたはずが、次の瞬間、自分たちが獲物に変わった。それはきっとすごく恐ろしいことで――
「副団長はまず俺たちを鼓舞しました。いつも通りだ。五人一組で魔獣に当たれば、必ず勝てる、と。その言葉で混乱していた俺たちもセオリーを思い出してやれたんすよ。五人一組で一頭の魔獣を相手にするのならわけないって。で、俺たちが一頭倒して、辺りを見渡したら――」
「見渡したら――」
たくさんの魔獣が牙を――
「副団長が十九頭やってたっす」
まあ、そうだよね。ヤッてるよね。
うん。知ってた。
「金持ちの家に飾られてる剥製みたいになった魔獣の頭がごろごろしてたっす」
うん。オブジェだね。
「どうっすか! 副団長、めっちゃ男前っすよね!」
「……なるほど」
男前エピソード。
おもってたんとちがう。
「おい、ガレーズ。なにをしている?」
「なんでもないっす!! とにかく、温泉の計画はばっちりで、お二人が入れるようにすごいのを作るっすから! これから源泉探しますね!!」
ハストさんの低い言葉にガレーズさんは言葉を残して駆けていく。
源泉。
え。源泉を掘り当てるところから?
「ハストさん、源泉ってここに湧いているわけじゃないんですか?」
「はい。今は騎士団の砦に一か所あるだけです。砦のほうが低いので、こちらにお湯を引くことはできません。この辺りは火山で温められた地下水が豊富な場所なので、崖の上にもあるだろう、と」
「そうなんですね」
ハストさんの言葉に、背後にある山を見る。
結構遠くに見えるが、あれが火山なのだろう。
ふむふむと頷いていると、そこに、けっという言葉が響いた。
「こんな朝から呼び出しやがって……」
その声に視線を向ければ、そこにいたのはゼズグラッドさん。
どうやらギャブッシュを連れて、ここに来てくれたらしい。
「俺はべつにお前のために来たとかそんなんじゃねぇからな」
「はい。雫ちゃんのためですよね」
うんうん。わかってるよ、まーくん。
「おい、その目!! って、待てギャブッシュ!!」
まーくん……ゼズグラッドさんは私に文句を言っていたが、後ろにいたギャブッシュがゼズグラッドさんを追い越し、私の元へと急ぎ足で近づく。
うんうん。今日もかわいいね。
「ギャブッシュ、今日も元気だね」
「シャーシャー?」
「うん?」
いつも通り私の頬をぺろんと舐めたギャブッシュが甘えるように私を窺う。
きゅるんとした金色の目がかわいくて、なんでも言うことを聞きたくなっちゃうよね。
今日はいつものギャブッシュよりも甘えん坊だ。
でも、残念ながら、私にはギャブッシュの言葉はわからない。
雰囲気や感じとれたもので答えていて、今はギャブッシュが私になにかを求めているようだった。
だから、その鼻筋をよしよしと撫でながら、答える。
「ありがとうね、すごくうれしいよ」
手伝ってくれるんだよね、すごく助かる。
だから、お礼を言ったんだけど、ギャブッシュは感極まったかのように、しっぽをバシーンと一つ打って――
「わ、どうしたのギャブッシュ?」
「シャー!! ガオガ!!」
任せろ!(たぶん)というように声を上げると、羽を動かし、飛び立っていった。
行く先は……うーん? 火山かな?
「……お前、わかってんのか?」
喜びを全身で表現していたギャブッシュに対して、ゼズグラッドさんの目は暗い。
不穏なセリフを呟いた金色の目は、びっくりするぐらい淀んでる。
「ギャブッシュは火のドラゴンだ。だから、火の気に敏感で、今日は源泉の場所を探すために来たんだ……。ギャブッシュなら温められた地下水の場所がわかる。それを掘り当ててもらおうってな……」
「あ……それは、はい。さすがギャブッシュですね」
温泉を作ろうというこの作戦の一番重要な担い手だ。
でも、その担い手は今はどこかへ飛び去ってしまった。
たぶん、私の言葉が悪かったんだと思う。
それを突きつけるように、ゼズグラッドさんはまっすぐに私を見据えて――
「今、ギャブッシュがお前に言ったのはな……」
「はい」
ごくり、と喉が鳴る。
「『俺と一緒に温めてくれるのか?』だ」
「あたためてくれる」
コンビニで言われる「温めますか?」とは違う。
これ、まずいやつ。即座にわかる。
「……火のドラゴンは地熱を利用して卵を温める。温かい地下水の巡る土地を探し、そこを掘り、石を並べる。そこにメスが卵を産んで、オスと一緒に温めるんだ」
「たまごをうむ」
「……ギャブッシュは石を取りにいった」
「いしをとる」
「つまり、これからギャブッシュがするのは――」
あ、聞きたくない。
「巣作りだ」
「すづくり」
おんせんじゃないのね。
「お前……責任取れよ」
責任……。責任……?
「ハストさん……私、みなさんが元気になるよう、ごはん作ろうと思うので、台所に行ってきますね……」
そう。ほら、温泉を作ってくれるみんなにごはんを上げたら、作業が簡単になるからね。
現実逃避?
違うよ……現実は……だって……胎生だから……。
「では、こちらは作業を進めますね」
「シーナさんの料理楽しみだな!」
ハストさんがわかりました、と頷き、レリィ君がうれしそうに笑う。
あとはいつも通りに言葉を唱えるだけ。
そう、だから、うっかりしていた。
私はまだ雫ちゃんと手を繋いだままだったのに――
「『台所召喚』!」
「え、椎奈さー―」
一瞬の浮遊感と、足元に訪れる着地した感触。
唱えたあとに聞こえた声にびっくりして目を開ければ――
「雫ちゃん!?」
「……、ここは……?」
手を繋いだまま、雫ちゃんが一緒に台所に立っていた。






