こんにちはお忍びです(気品がある)
次の日。
私は雫ちゃんの部屋のドアを、軽やかにノックしていた。ミュージカルが始まるぐらいね。
コンッ、ココンッ!
「温泉を作ろう」
ドアを開けて。
「……っ!椎奈さん!」
部屋の中から、ガタッという音がして、扉が開く。
あっち行って、と言われたらどうしようかと思っていたが、そんなことはなく、雫ちゃんは急いで出てきてくれた。
「雫ちゃん、体調は大丈夫?」
「はい、体は問題ないです……」
「それじゃあ、今日は一緒に楽しいことをしよう」
昨日、約束したもんね。
「楽しい、こと……。それが温泉、ですか?」
「うん。私も詳しいことはわからないんだけど、北の騎士団のみんなが考えてくれたらしいんだ。雫ちゃんも一緒にどうかな、って」
「一緒に……」
「そう。とりあえず、いろんなことは置いておいて。なんだか今日作るのは、私たちに関係あるらしくて。だから、雫ちゃんにも来て欲しいなって」
私の誘いに雫ちゃんは少しだけ視線をさまよわせる。
雫ちゃんはいろいろと考えたようだけど、こくんと頷いてくれた。
「あの……迷惑じゃなければ……」
「全然迷惑じゃないよ。一緒だとうれしい」
「……はい」
というわけで。
「雫ちゃん。一緒に楽しいことをする前に、まずはその服を着替えよう。部屋に入ってもいいかな?」
「あ……はい、どうぞ」
いきなり着替えようと言い出した私に雫ちゃんは驚いたようだけど、私を部屋に招いてくれる。
私は部屋に入ると、手に持っていたかごをよいしょ、とソファの前のローテーブルに置いた。
「雫ちゃんがドレスやヒールを気に入っているなら申し訳ないんだけど、今日は動きやすい服のほうがいいかな、と思って」
そう。雫ちゃんの服装は相変わらず、ドレスとヒール。
似合っていてとてもかわいいけれど、温泉づくりには圧倒的に向いていない。
「もっといい服が用意できたらよかったんだけど、こんなのしかなくて……」
かごの中から服を取り出しながら、雫ちゃんに見せていく。
「……これ、椎奈さんのですか?」
「うん。一応、新品に近いものを持ってきたつもりなんだけど……」
……気に入るのはあるだろうか。
だって、今日の雫ちゃんのドレスも大変美しい。繊細な刺繍にふんわりレース。ヒールの靴もピカピカだ。
それなのに私の、こんにちは町娘です。という服装を提案するのは非常に気が引ける。
でも、雫ちゃんはうれしそうに微笑んで――
「椎奈さんとお揃いでうれしいです……」
かわいい。
ふんわりと笑った顔が最高にかわいい。
「良かった。それじゃあ服を選ぼう」
私の言葉に雫ちゃんは遠慮しながらも、服を選んでいく。
そうして、着替え終わった雫ちゃんは――
「すごくよく似合うよ」
私が着るにはデザインがかわいすぎるから、結局着れなかったワンピースが非常によく似合っている。
雫ちゃんに着てもらった服が誇らしげだ。
雫ちゃんが着替えるとき、私もちょっとだけ服装を変えて、お揃いで小物の色を合わせたり、形を合わせたりしてみたけど、なんかこう全然違う。
私はこんにちは町娘ですっていう感じだが、雫ちゃんはこんにちはお忍びでやってきた深窓の令嬢ですっていう感じ。気品を感じる。
「かわいいね」
雫ちゃんを見て、にんまりと笑う。
こんなにかわいい子が私の目の前にいる奇跡。素晴らしい。
「よし、じゃあ出発しよう!」
はい、と手を差し出す。
すると、雫ちゃんは手を重ねてくれた。
「あ、あの」
その手を握り、歩き出そうとすると、雫ちゃんがくいくいと手を引く。
それに、ん? と雫ちゃんのほうを見ると、雫ちゃんは恥ずかしそうに微笑んだ。
「椎奈さんも、すごく、かわいいです」
「あ、雫ちゃんの選んでくれたこの色?」
腰に巻いた布を示して、だよね、と頷く。
これは雫ちゃんとお揃いの色にしたから、たしかにかわいい色合いだ。
雫ちゃんは「色じゃなくて……」と呟いていた。
そうして、部屋を出ると特務隊の人がいたので、挨拶をして雫ちゃんを連れていく。
いつも雫ちゃんを勝手に連れ出して申し訳ないけれど、特務隊との交渉はスラスターさんがやってくれているはず。
レリィ君がスラスターさんに昨日も丁寧に頼んでくれていたからね。丁寧に、そう、ゴミを見る目でね。
特務隊の人はスラスターさんの言葉と、雫ちゃん自身の意思ということで、今は納得してくれているらしい。
「おはようございます」
「聖女様、おはよう!」
階段を下りて、塔から出ると、そこにハストさんとレリィ君が待ってくれていた。
いつもの無表情なハストさんと、明るい声のレリィ君。
雫ちゃんはそんな二人を確認すると、おずおずと返事を返した。
「……おはよう、ございます」
小さな声だけど、ハストさんとレリィ君はちゃんと反応して、頷いて返していた。
そして、私と雫ちゃんを先導して、前を進んでいく。
「シーナ様、あちらです」
「ちょっと歩くみたいだけど、大丈夫かな?」
「うん。私は大丈夫。雫ちゃんはどう?」
「着替えて動きやすくなったので、大丈夫です」
そうやって話しながら、徒歩三分ぐらいかな。
着いたところは、騎士団の砦のすぐそばの丘の上だった。
なだらかな坂道が続いているが、一か所だけ切り立った崖のようになっている。
その崖のすぐ上が温泉の予定地らしい。
眼下に広がる景色は――
「絶景ですね……!」
風に揺れる草原とまっすぐな地平線。
右端には騎士団の砦が見えるが、近くにある割りには視界から外れているので存在感はあまり感じない。
私はそれを見下ろして、隣にいるハストさんに興奮しながら声をかけた。
そんな私にハストさんは優しく言葉を返してくれる。
「ここならしっかりと目隠しを立てれば、野外に浴槽を作っても、問題ないか、と」
「たしかに、そうですね」
まず、前方は崖になっているので、崖の端まで近づかなければ、下から上の人を見ることはできない。
きちんと左右に目隠しを作り、脱衣所を作る。
そうすれば、しっかりと隠しながらも、温泉に入った人は広がる景色を楽しむことができる。安心感と開放感の両方が獲得できる……!
「これは楽しみです」
ここに温泉ができるなんて、最高だ。
先を想像すると、勝手に笑みが漏れる。
「では、シーナ様、今回のことを説明いたします。ガレーズ」
そうしていると、ハストさんが一人の団員を呼んだ。
それは栗色の髪の青年で――
「副団長! 今日は話しても殺されないっすか!?」
「階級と名前、温泉に関してのことのみ許す」
ハストさんの言葉に、栗色の髪の青年がうぉぉ! やったぜ! と声を上げる。
むしろ今までは話すだけで、殺すと言われていたんだろうか。こわい。
「俺、あの! この間、パングラタンを作ってたときに声をかけたものっす! あの! ひき肉のソースを持ってた!」
「あ、あの方ですね」
「覚えてくれてたんすね! 光栄です!」
記憶ではわいわいとしているみんなの中心にいたような気がする。
この人が話すとみんなもつられちゃう、みたいな。ムードメーカーっぽい人だ。
「第一班の班長、ガレーズっす! よろしくおねがいしまっす!」






