あなたのために
しずくの好きな色はエメラルドグリーンです
2-E組の副担任になった私。
最初の仕事は、転校生である、しずくちゃんを迎え入れる準備をすることだ。
まずはしずくちゃんの部屋をどこにするかを決めていく。
使いやすさや、快適さも考慮しなければならないが、やはり聖女ということや特務隊との折り合いも考えなければならない。
なので、しずくちゃんと特務隊には、私たちが普段使っている木製の宿舎ではなく、騎士団の砦の中央にある、石造りの塔を使ってもらうことになった。
こちらのほうが不便なところはあるが、丈夫で、警備がしやすいらしい。
まだ結界が残っているから、魔獣に襲われる心配はないとはいえ、やはり、しずくちゃんの安全は最大限考慮したい。
事なかれ主義の団長的にも、北の騎士団と同じ場所で生活するのではなく、建物を変えることで、無駄な衝突が避けられるだろうということだった。
ということで、しずくちゃんの部屋は石造りの塔。
その一番上を使ってもらうことにした。
見晴らしのいいその場所は、部屋も大きく、寝室と応接室とに分かれている立派なところだ。
そこに、しずくちゃんの好きな色だというエメラルドグリーンを配置していく。
みんなで探せば、エメラルドグリーンのカーテンと、白地にエメラルドグリーンの柄の入ったソファのクッションカバーを見つけることができたのだ。
最後に、この辺りで唯一咲いているらしい、ピンクの花をテーブルに飾れば、石の色が主張していた部屋も女の子っぽい仕上がりになった。
そうして、しずくちゃんが来る、と知らせを受けてから十日後。
ついに、しずくちゃんが北の騎士団に到着する、という連絡を受けた。
「いよいよですね……」
私たちが最初にそうしてもらったように、みんなで砦の敷地の広いところに立ち、しずくちゃんたちの到着を待つ。
先触れのために来ていた特務隊の人たちも一緒に列に並ぶ。
こうしていると、本当にしずくちゃんがやってくるのだ、という実感が湧いてくる。
すると、胸がドキドキと音を鳴らして――
――しずくちゃんはどんな子だろう。
どうやって挨拶をしよう。
どんな言葉を交わそう。
しずくちゃんはどうやって返してくれるだろう。
しずくちゃんに会えると知り、それを何度も考えてきた。
会える瞬間を思い浮かべては、一人でイメージトレーニングをしてみたり。
だから、自然と緊張して、体に力が入るのは当たり前のことだ。
そして、それはここにいる団員たちも同じことだろう。
この砦の空気も私が来たときとは違い、ピリッとした空気に包まれて――
「女……」
「おんな……」
「おんな、おんなおんな……」
――いない。
全然ピリッとしてない。
同じ。私のときと同じ単語が、また繰り返されている。
「ハストさん……あの……」
これはこれでどうなのか。
しずくちゃんが怖がるのではないか、と不安になって、ハストさんを見上げれば、ハストさんは私を元気づけるように頷いてくれた。
「団員たちはいつもこうです。女性が来るということに対する、条件反射のようなものです」
「じょうけんはんしゃ」
「理性はあります」
「……なるほど」
条件反射ならば仕方がない。
反射は理性では抑えられない。しかたない、しかたない。
私だって、熱いオーブンに触ってしまったときは、「あつっ」と言って、思わず手を引っ込めてしまう。
それと一緒。そう。それと一緒なのだ。
ハストさんから吹雪は吹いてこないし、たぶん大丈夫。
副担任には温かい眼差しが重要なのだ。そう。ほら、ゼズグラッドさんに向けるあの目。あの目をすれば――
「おい、お前」
そうして温かい眼差しをすれば、即座にゼズグラッドさんから、ツッコミが入った。
私の斜め後ろに立っているから、私の目は見えないはずなのに、雰囲気を察知したらしい。
「いえ、これはゼズグラッドさんにではないんです」
そう。違う。
だから、気にしなくていいはずなのに、ゼズグラッドさんは、けっと呟いた。
「俺を見てないからわかってる。でも、なんかムカつく」
いつもと同じように据わった金色の目。
でも、その目は不本意だ、と告げていた。
すると、私の左隣にいたレリィ君は少しだけ振り返って、それを確認する。
そして、ふぅん、と呟いて――
「あ、もしかして、シーナさんに俺以外は見るなっていう……」
「え、そうなんですか?」
そっか……まーくん……。
まーくんもあたたかい目が欲しくて……?
「ちがう!! やめろ!! まーくんじゃねぇ!」
振り返って、あたたかい目をすると、まーくん……ゼズグラッドさんは、おい! と怒鳴る。
それが、本当にいつも通りで――
いつものやりとり。
いつもの軽口の叩き合い。
それのおかげか、肩に入っていた力が少しだけ抜けた気がした。
「シーナ様。なにも心配はないか、と」
「……はい」
右隣を見上げれば、優しい水色の目。
その声を聞けば、胸の中がふわっとあたたかくなった。
「あ、シーナさん! 馬車が入ってきたよ!」
レリィ君の声に促されて、正面に視線を戻す。
砦の出入り口には馬に乗った特務隊の人がいて、その後ろには豪奢な馬車が続いていた。
その一団は私たちの前で止まると、みんな馬から降り、一番偉いと思われる人が挨拶をする。
きっと、この人が特務隊長なのだろう。
これまで、一緒に並んでいたものの、まったく存在を感じさせなかった団長が、ハストさんの横からのそりと動き出し、特務隊長に近づいていく。
そして、特務隊長へと言葉をかけた。
「突然のことで準備が整っていないが、北の騎士団は聖女様が恙無く使命を果たされ、速やかに帰還されるのを願っている」
……うん。明らかに、はよかえれ、と言っている。
失礼なような失礼じゃないような微妙なラインで呪詛を吐いている。
普通なら、なんだこの団長は! となるだろうが、中間管理職の悲哀を湛えた濁り切った目で、あんな風に言われたら、言葉を返しにくいだろう……。
たぶん、自分たちでも急なことだってわかってるしね……。
うっとなっている特務隊長。疲れ切ってぼやっとしている団長。
そんなやりとりを見ていると、止まっていた馬車からなにかが転がり落ちてきた。
「私の可愛い子ウサギ……!」
響く大音量と、まっすぐに走り寄るその姿。
それは私の左隣へと突進すると、ぐしゃあ、とくずおれた。
「ああ……かぐわしい、かぐわしい……!」
「兄さん」
「ま、た香りが変わっている……! 陽光を浴び、庭を走り回っていたのが、ときに転ぶこともある、泣いたその涙の数だけ、強くなっていく匂いに……!」
……久しぶり。
すりすりと膝に縋りつくその姿勢も相変わらずですね……。
「やめて兄さん、気持ち悪い」
そして、ゴミを見るような目をし、ぺっと吐き捨てる美少年。
兄弟とは。兄弟愛とは。
そんなやりとりを、ここにいるすべての人が見ていたが、きっとスラスターさんはどうでもいいのだろう。
気にせず、すーはーすーはーとレリィ君を吸い続けるスラスターさんにハストさんが声をかけた。
「スラスター。説明しろ。聖女様は?」
その声に、こちらに集中していた視線が馬車へと戻る。
そう。あの馬車には聖女様が乗っているはず。
特務隊長が馬車に声をかけ、手を差し出せば、そこにほっそりとした白い手が乗せられた。
そして、ゆっくりと姿を現していき――
『おお……』
馬車から出てきた女の子に、団員たちが思わず、と言ったように声を出した。
真っ白なドレスにはエメラルドグリーンの刺繍がされていて、それがきれいに映えている。
黒い髪は編み込まれ、光を受けて、きらっと光った。
今まで、『おんな、おんな』と言っていた団員たちも、この清廉さにはその言葉も出てこないようだ。
私も、相変わらずの美少女っぷりに、知らず知らずに、ほぅと息が漏れる。
すると、ふっと鼻で笑ったような声がして、そちらへ視線が向いた。
「聖女様は結界のために来たわけではない」
鼻で笑ったのはスラスターさん。
みんなが、聖女様へと意識を集中させる中、スラスターさんは、じっと私を見上げていた。
「――貴女だ」
眼鏡の奥の碧色の目が私を突き刺す。
「聖女様は貴女に会うためだけにここに来た」
その言葉に弾かれるようにして、視線を向ける。
そこにいたのは馬車から降りたしずくちゃん。
黒く潤んだ瞳は、私を見て、見開かれていた。
びっくりしたような、戸惑っているような。
時間にして、ほんの五秒ぐらい。
見つめ合っていたその黒い目は、ぎゅっと細められて――
「……っ」
声にならないその吐息。
それが、漏れた音を聞いた。
「聖女様っ!?」
その瞬間、しずくちゃんは特務隊長に乗せていた手を引き抜いた。
そして、私に向かって、まっすぐに走ってくる。
ヒールの靴で、繊細な刺繍が施されたドレスで。
走りにくいその恰好でも、しずくちゃんは歩みを止めなかった。
「……しずく、ちゃん?」
まっすぐに私に走ってきた、しずくちゃん。
その勢いに、ハストさんとレリィ君は私を庇うように前に立った。
だから、しずくちゃんが立ち止まったのはわかったけど、どんな表情をしているかはわからない。
私がしずくちゃんの様子を見るために、体を動かそうとすると、ハストさんとレリィ君はすぐに横に避けてくれた。
そうして、再び、目に入ったしずくちゃんは、俯き、唇を噛んでいた。
「……しずくちゃん?」
その様子に、もう一度声をかける。
すると、しずくちゃんは俯いたまま……でも、私の服の袖をきゅうっと掴んだ。
「……たす、けて……助けて……っ」
小さな、小さな声。
はっはっと息を吐きながら、告げられた言葉。
震えながら、必死に伸ばされた手。
「……うん」
なんで大丈夫だって思ったんだろう。
なんであのとき、ちゃんと声をかけなかったんだろう。
――後悔と、懺悔と。
でも、今、私がしなきゃいけないのはそれじゃなくて……。
「わかった」
……本当はなにもわからない。
しずくちゃんが悩んでいること、望んでいること。
私にはなにもできないかもしれない。
私にはそんな力はないかもしれない。
――そんな弱音が顔を出す。
でも、そんな自分の気持ちは置いて。
「任せて」
袖を握っていた、しずくちゃんの手を掴む。
そして、両手でぎゅっと包み込んだ。
だって、目の前で震えている女の子にかける言葉は――
必死に伸ばされた手にできることは――
「絶対に助ける」
――あなたの不安を全部受け止める。
その覚悟だと思うから。






