その目が語るもの
――私がこの異世界に召喚された意味。
もし、それがあるとして。
でも、今、私がここにいるのは、私自身が選んできた道だ。
ハストさんにいろいろな情報をもらい、レリィ君、スラスターさんの助けがあって。
高笑いのアッシュさんやK Biheiブラザーズのみんなが秘密を守ってくれているから、ここにいる。
だから、まずは目の前のことを。
きっと、そのうちに、また新しいことが見えてくるから――
「というわけで、私はこの硬いパンをなんとかしようかと」
北の騎士団の砦。その中にある木造の建物の地下に厨房はあった。
だいたい三十人分を作るために、そこは思ったより広く、木で出てきている上層階とは違い、壁は石でできている。
地下とは言っても、少しだけ地上にはみ出しているようで、天井付近には明かりとりのための窓が何個も並んでいた。
そこにあるのは黒い鋳鉄でできた薪用のコンロ。かまどっぽいけれど、石やセメントではなく、鋳鉄なので、形としては薪用のストーブにも見える。
五つ並んだそれは、それぞれから煙突を出していて、天井付近で大きく一つにまとまっていた。
壁には薪用のオーブンがあるし、木で出来た広い作業台もある。
そんな厨房へと足を踏み入れた私の前にあるのは、両てのひらよりも大きいパン。
私の言った硬いパンとは、このパンのことだ。
「やはり、ここのパンは硬いですね」
「うん。僕もちょっと飽きちゃった」
厨房へと一緒についてきてくれたハストさんとレリィ君が、私の言葉に同意してくれる。
まーくんは厨房が珍しいらしく、少し離れた場所できょろきょろと辺りを見回していた。
そんな厨房の中で、私は北の騎士団の食事について聞いているところだ。
「このパンが一週間ほど続いていますけど、北の騎士団ではいつもこのパンなんですか?」
「はい。基本的には食糧調達は一番近くの村にそれぞれ頼み、配達してもらっているのです。パンも一番近くのパン屋に頼み、一週間に一度ほど配達してもらっています」
「なるほど。そうなると日持ちがするパンじゃないといけないんですね。それで、このパンをずっと食べることになる、と」
「そうなります」
私の言葉にハストさんが丁寧に説明をしてくれる。
どうやら、北の騎士団の食糧事情はあまり潤っているとは言い難いようだ。
「このパンが悪いわけじゃないんですけどね……」
そう言って、テーブルに置かれた、大きくて丸いパンをもう一度見た。
目の前にあるこのパン。
これはカンパーニュと呼ばれる、田舎風のパンだ。
精製された真っ白な小麦で作られるわけではなく、少し胚芽が入っている。さらにライ麦を配合することもあるので、中身は白ではなく、ほんのり茶色になっていた。
カンパーニュは麦の風味がしっかり感じられ、噛めばしっかりと味がある。
フランスパンよりも酸味があるそれは、酵母の力が強いからで、その分、カビにも強い。
そのおかげで、日持ちがするわけだけど、さすがに毎日、そのまま出されているだけでは飽きてしまう人もいるだろう。
一週間前にここに来たときは焼きたてで、北の騎士団の人もみんな手を伸ばしていた。
一階の食堂で一緒に食べているから気づいたのだが、最近はみんなスープばかりを飲み、パンを食べる人がかなり減っていたのだ、
「野菜もここ一週間、根菜が主でしたね」
「ここでは葉物の野菜があまり育ちません。それは近くに魔獣の森があるせいだと言われています。集まっている魔力によって特定の植物以外は枯れてしまうのだろう、と。ですので、少し離れたところで取れた、日持ちのする根菜を配達してもらっています」
ハストさんの説明になるほど、と頷く。
すると、レリィ君がうーん、と首を傾げた。
「材料のせいなのかな。ここって、毎日同じメニューだよね」
「そうだね。スープとパン。チーズ。それに焼いたお肉が多かったかな」
「王宮みたいにいろいろなものが揃っているとは思っていなかったけど、それにしても代わり映えがしないよね。食べられればいいみたい」
「うん」
そう。それなのだ。
レリィ君の言葉に私も深く頷く。
ここの食事がおいしくないわけじゃない。
でも、食べられればそれでいい、というような空気がある。
配達から一週間経った今はそれが特に顕著なのだと思う。
お腹を満たすためだけに食べる。
ぬるいスープでも。
硬いパンでも。
そこに出されているから、食べているだけ。
――それは、私がここに召喚されたばかりのころと似ていて。
「私は十四からここにいて、このような食事が当然だと思っていました」
ハストさんがゆっくりと言葉を紡ぐ。
その落ち着いた言葉の中に、私はハストさんの優しさの理由を見つけた気がした。
……私が部屋に引き籠っていたとき、そっと寄り添ってくれた。
そして、ぬるいスープと硬いパンを食べているのを知って、本気で怒ってくれた。
――それはきっと、その食事のさみしさを知っていたから。
きゅうっと胸が締めつけられる。
不思議な感覚にそっと胸を押さえると、ハストさんは低く落ち着いた声で話を続けた。
「王宮での種類の豊富な料理を食べ、材料が揃えば北の騎士団でも作れるかもしれない、と思いました。いろいろな料理のことを知り、ここに戻ることがあれば、それを団員に伝えよう、と。――そして、そんなときにシーナ様の料理を食べた」
水色の目はどこか懐かしそうで――
「シーナ様の料理にはいつも秘密がいっぱいで……。それをうれしそうに、とっておきだ、と笑うシーナ様を見ると、勝手に心が弾みました」
その目が優しく細まる。
水色の目がとろりととろける。
「あなたが笑うから。だから、食事がとても好きになりました」
その目に私の胸はまた、きゅうきゅうとして――
いつも目をきらきらと輝かせてくれたハストさん。
その目がうれしくて、私もたくさんごはんを作ろうって思った。
私のごはんをいつも興味深そうに食べてくれて、たくさんの言葉をかけてくれた。
「……ここのみなさんは仲が良いし、一緒に食べているから、いつも同じメニューでも、食事が楽しくないってことはないと思うんです。食事の当番も決まっていて、持ち回りだから、それぞれに大変さもよくわかってて、文句はないのかもしれません」
そう。また明日になれば新しく食材が配達されてくるから、またおいしいものが食べられる。
だから、今日はいつも通りのものでいいのかもしれない。
「でも、せっかくだから、喜んでくれたらいいなって思います」
カンパーニュはそのままでもおいしい。
でも、カンパーニュを使って作ったごはんもとてもおいしいって私は思うから――
「……私がここで役に立てれば、きっと、しずくちゃんのためにもなりますよね」
もちろん、聖女と平凡OLでは立場はまったく違う。
でも、ここの人からすれば、同じ異世界人。
私がここでしっかりと足元を整えれば、しずくちゃんがここに来たときに、変な衝突などなく、気持ちよく滞在できるかもしれない。
よし、と気合を入れて、ハストさんを見る。
そこには優しい水色の目。
「では、シーナ様はパンを使った料理をお願いします。今日の夕食の当番には厨房を使うことは伝えてあり、もうそろそろ来ると思います。ですので、スープや肉料理はそのまま任せましょう」
「はい。お願いします」
「僕も手伝うね」
「うん。ありがとう」
「……俺は料理できねぇぞ」
「まーくんはたまねぎの皮を剥くときに泣いちゃいそうだもんね」
「泣かねぇよ!! しかも、また自然にまーくんって呼んでんじゃねえ! ……そういえばお前、団長室からずっと、そのよくわかんねぇふわふわした目で俺を見てるな……。おい、ずっとまーくんって思ってたんじゃねぇだろうな!?」
私の表情からなにかを感じ取ったらしいまーくん……ゼズグラッドさんが、目を据わらせて、こちらに歩み寄ってくる。
なので、私は机に乗った大きなカンパーニュを左手で支え、右手にパン切り包丁を持った。
「まずはパンの上部分を切って、中身をくり抜いていきます。そうすると皮の部分が大きな器みたいになるんです」
「本当だ! 大きな木のボウルみたい」
「なるほど。パンの硬さを逆に活かしていくのですね」
「はい」
「おい。聞いてるか!? 俺の話、聞いてるか!?」
私の前には中身がくり抜かれつつあるカンパーニュがあるはずなのだが、そこに突然、ゼズグラッドさんの大きな体が視界の半分を覆った。
なので、私は右手に持っていたパン切り包丁を、はい、とゼズグラッドさんに渡した。
「それじゃあ、この作業はゼズグラッドさんにお任せしますね」
「え、あ」
「パンはたくさんあるので、大変だと思いますが……」
「いや、え」
「一人で不安なら、一緒にやりましょうか」
「だれが不安だ!! こんなの一人でできる!!」
「では、お願いします」
「……おう」
パン切り包丁を持ったゼズグラッドさん。
しばらく、あれ? という顔をした後、けっと吐き捨てる。
それでも、二十個近くあるカンパーニュの一つを取って、作業を始めた。
「なるほど。ゼズはこう動かせばいいのか」
「料理はできないって言ってたけど、ちゃんとできてるね」
そんなゼズグラッドさんを、ハストさんとレリィ君は珍しいものを見るような目で見ている。
「料理の作業自体は手先が器用な人が向いているので。ドラゴンの手綱を取って、微妙な調整ができるゼズグラッドさんなら、こういう作業も得意だろうなって思ったので」
ね。男の子は工作が好きだよね。
「お前!! また、よくわからない目で俺を見てる!! また、まーくんって思ってんじゃないだろうな!!」
お。さすがまーくん。よくわかっている。
「その目だよ、その目!!」
9/10に書籍が発売されました。
みなさんのおかげでここまでこれました。
本当にありがとうございます。
引き続きがんばります。






