わたしがママよ
キリンの訪れるホテル。
日本にいたときにテレビで見た。
アフリカにあるらしい、それは広大な敷地にキリンがおり、部屋にいるとキリンがやってくるのだ。
そして、開いた窓からその長い首を入れることもあるらしい。
つまり、この宿屋は――
「ドラゴンが訪れるホテル」
精一杯ドラゴンから離れて。壁に張り付きながらぼそりと呟いた。
いや、すごい。なにがすごいって、キリンと違って、明らかに恐ろしいってことだよね。訪ねられても困る。訪問拒否。こわい。
「ハストさんっ」
なので、助けを求めるために、緊張した声でハストさんを呼んだ。
だって、ドラゴンは人になつかないって言ってた。スキル『竜騎士』がないと意志疎通できないって言ってた……!
でも、今、ここには『竜騎士』を持っているはずのゼズグラッドさんがいない。
つまり、このドラゴンのギャブッシュは自らの意思のみでここにいる。要はただの猛獣。北海道で言えばヒグマ。
――ヒグマはこわい。とてもあぶない。
けれど、ここにはイケメンシロクマ、ハストさんがいる! 安心安全!
「なるほど」
しかし、頼みの綱のハストさんはギャブッシュを素早く観察すると、腰にはいた剣から手を離した。
え。なんで。
「ハストさんっ?」
だから、なぜ警戒を解くのか、と疑問を混ぜて声をかける。
すると、ハストさんはそんな私を安心させるようにしっかりと頷いた。
「シーナ様。ギャブッシュに敵意はないようです」
「はぁ」
え。いやいや。さっきから明らかに鋭い牙をのぞかせて口をがばっと開けているよ?
もうちょっと近づいたらパクって丸飲みされそうだよ?
「この音が聞こえますか?」
「えっと、このングガオングガオって言う、部屋に轟いている恐ろしい音ですか?」
「はい。これは滅多に聞けるものではありません」
「はぁ」
「これは喉を鳴らしています」
「のどをならす」
「ドラゴンが甘えている声です」
「あまえている」
この地獄の門が開く音が?
あの、猫がごろごろと喉を鳴らすのと同じ原理ってこと?
ハストさんの思ってもみなかった言葉に、ただただ言葉を繰り返す。
どうしよう。私が知っているかわいいにゃんことこの不機嫌獰猛ドラゴンが一致しない。一ミリたりとも。
「シーナ様、ギャブッシュはこの料理が食べたいようなのですが、あげても構いませんか?」
「あ、はい。それはもちろん」
呆然としている私にハストさんがさっと目配せをする。
その視線の先にあるのは、さっき作ったばかりのりんごのパンケーキ。乗せていたミルクジェラートはこの騒ぎの中でどんどん溶けていっている。
ハストさんは自分が食べていたお皿を手に取ると、ギャブッシュの口の前に差し出した。
するとギャブッシュはその恐ろしい口からつるつるの舌を出して、ぺろんっと料理をすべて口に入れる。
そして――
「ンガーァアー!」
吠えた。
「……どうしよう、レリィ君。私、ドラゴンの言葉がわかったかもしれない」
「うん。僕もさっきのはわかった」
「『おーいしーい!』って言ってたよね」
「うん。僕にもそう聞こえた」
レリィ君とそうして会話をしているうちに、ごはんを食べたギャブッシュがきらきらと光る。
その輝きがなくなると、ドラゴンはそんな自分に不思議そうに首を傾けた。
そして、ハストさんを見て、レリィ君を見て。最後に私と目が合うと――
「シャー? シャー?」
あ、あ、あ……あ……!
「れ、レリィ君! あの不機嫌獰猛ドラゴンが……! 『人間スベテ咬ミ殺ス』みたいな目をしていたドラゴンが……!」
「うん。ギャブッシュはそんな目をしていなかったと思うけどね」
一人、感動している私にレリィ君が冷静になにか言っているがそれはとりあえず置いといて。
「目がきゅるるん! ってしてる……!」
そう。私のごはんを食べて体が光ったからと言って、ギャブッシュの姿かたちが変わるわけではない。
相変わらず体は大きいし、牙も鋭い。赤い鱗はぎらっと光っているし、窓枠につかまっているその爪はギチギチと深く木材に刺さっている。
でも、目がかわいい。
なんせ目がかわいい。
とってもとっても目がかわいい。
だから、私はこれまでの警戒心を忘れ、ふらふらとギャブッシュに近づいていった。
すると、ギャブッシュはさらに私を呼ぶように「シャーッシャーッ」と空気だけで音を鳴らす。
さらに「ングガオングガオ」という喉を鳴らす音も響いて……。
うん……!
うんうん! お母さんはここよ……!
さっきまであんなにこわかった口元。
そこにひしっと抱き付いた。
ひんやりと冷たい体。つやつやの鱗。
そして、そんな私にギャブッシュはその舌を伸ばし、ぺろんっと私の頬を舐めた。
「……っ! ……かわいい」
その感触に胸がきゅうっとなって、思わず抱き付く力を強める。
すると、ギャブッシュは嬉しそうにその金色の目を細めた。
……ドラゴンはこわかった。酔うし、絶対に乗りたくないと思った。
でも、それはそれ、これはこれ。
――過去は忘れよう。大事なのは今。
そんなわけで、ひんやりとしたギャブッシュの鼻筋をよしよしと撫でる。
私と一緒に壁際にいたレリィ君は私がギャブッシュの元へと行ったので、ハストさんの隣へと移動していた。
そして、私を見て、二人でなにやら会話をしている。
「ヴォルさん……ドラゴンがこんなに人になつくなんて……」
「ああ。こんなに人間に気を許したドラゴンは初めて見た」
そんな二人の会話が耳に入った。
うん。確かにドラゴンは人に懐かないって言っていた。スキル『竜騎士』がいるんだ、と。
でも、もちろん私は『竜騎士』なんていうスキルは持っていない。
そう。スキルを持っているのはゼズグラッドさんで……。そういえば、ギャブッシュと一緒に街の外れの丘で野宿をする予定のはずで……。
しかし、相棒であるドラゴンのギャブッシュはここにいる。
……ゼズグラッドさんはどこに?
はて、と思い、ハストさんの顔を見る。
すると、ハストさんはスイッと視線を扉へと移して……。
「おい! ギャブッシュ、なにをして――」
その途端、バタバタとうるさい足音がしたかと思うと、ばぁん! と音を立てて、扉が開いた。
押し開かれた扉から転がり込むように人が入ってくる。
その人物は私と目が合うとビシッと体を固まらせた。
鋭い金色の目は今は驚きに見開かれている。
特徴的な波打った赤い長髪は急いで走ってきたためだろう。すこし乱れていた。
「ングガオングガオ」
宿屋の二階の一室。そのテラス窓から首を突っ込んだドラゴンとその頭に抱き付く私。
そして、響く地獄の門の開かれる音。
「……なんだこれ」
呆然とした声がぽつりと落ちる。
私はその声にそっとギャブッシュから体を離した。
しかし、そんな私を、離さない、というようにギャブッシュが舌でぺろんっと舐める。
「あ、あ……あ」
それを見て、その人物はぐしゃっと膝から崩れ落ちた。
そうして崩れ落ちながらも、その目は決してギャブッシュと私から視線をそらさない。
そして――
「んがあー!あぁああ!!??」
吠えた。
「俺の世界一かっこいい、ギャブッシュがあああ!!!」






