トマトを乗せて食べてね
「ハストさん!」
台所から部屋へと戻り、待ってくれていたハストさんに向かってにんまり笑う。
扉のそばに立っていたハストさんは、そんな私に水色の目をきらきらと輝かせた。
「それが、今日の料理ですか?」
きらきらと輝く水色を見ていると、なんだか胸が弾む。
だから笑顔はそのままで、こちらに近づいてくるハストさんに、手元にあるお皿を見せた。
「トマトのブルスケッタです」
ガラスの器に入ったトマトのオリーブオイル和え。
真っ赤な色が鮮やかで、オイルに濡れてきらっと光る。
そして、もう一つのお皿にはガーリックトースト。
焼きたてのあつあつ。にんにくの香りがふんわりと広がった。
「……なんていい香りなんだ」
思わずと言ったように呟くハストさん。
そう。もうこの部屋はにんにくに支配されている。にんにくの力すごい。
「夕食前なので、しっかりしたメニューではないのですが……。あ、ハストさんの包丁の試し切りができました。すごい切れ味で、さすがハストさんの作ってくれた包丁です」
「そうですか」
「はい。本当にありがとうございました。サイズもぴったりで、研ぎ方も最高で……このトマトを切ってみたんですけど、すごいんです! スッて切れるんです。力も入れていないのに、ストン、スッ、スッ、スッっていう……」
ハストさんとともにソファへと移動して、二人で横並びになって座る。
そして、手に持っていた料理をティーテーブルに乗せると、改めて包丁のお礼を言った。
さらに使い心地を報告していく。
身振り手振りも交えながら、本当にすごいんだ、と。
なんだか擬音語ばかりでうまく伝えられているかはわからない。でも、本当に嬉しかったから。
だから、勝手に緩んでしまう頬をそのままにハストさんを見上げる。
すると、ハストさんはそんな私を見ながら、優しく目を細めていて……。
「……あなたが笑ってくれるなら、こんなにうれしいことはないです」
……っ!
出た! 私を氷漬けにさせる、大人の余裕の笑み……!
ピシッと体が凍る。
でも、なんとか動揺しないよう、心を落ち着けるために目を閉じる。
そう! 氷漬けにさせる笑みも見なければ、固まらない!
「……では料理を食べましょうか」
目を閉じたまま、できるだけ冷静な声を出した。
うん。これなら動揺は伝わらないな。
今度、金髪剃り込みアシメにも凍りそうになったら、目を閉じればいいよ、と教えてあげよう。そうしよう。
「それで、これはどういった料理なのですか?」
ハストさんの言葉にそっと薄目を開ける。
ハストさんの水色の目はティーテーブルに置かれている料理をも見て、きらきらと輝いていた。
ハストさんの氷漬けの笑顔が終わり、安心して、私もしっかりと目を開ける。
そして、料理の説明へ!
「これはトーストにオイルで和えた具材を乗せる料理なんです」
「上に乗せるんですか?」
「はい。こんな感じで……」
トマトのオリーブオイル和えをスプーンで掬う。
そして、それをガーリックトーストの先のほうに落とした。
「色んな具材があるんですけど、今回はトマトにしてみました。こうしてトマトを掬って、パンに乗せてみてください」
「なるほど」
「具材を先に乗せてもいいんですけど、トマトは水分が多くなってしまうので。パンに水分が染み込みすぎないように、食べる前に乗せるのがおすすめです。さらに、一枚にたくさん乗せすぎると食べにくいので、一口分ずつ乗せて食べると、きれいに食べられます」
こんな感じ、と、ガーリックトーストに一口分だけ乗せたトマトを見せる。
そして、はい、とスプーンをハストさんへと渡した。
「なるほど。左手でパンを持ち、右手でスプーンを使いトマトを乗せる。そして、そのまま二つを一緒に口に入れればいいんですね」
「はい。食べてみてください」
私からスプーンを受け取ったハストさんが目をきらきらさせて、そっとトマトを掬う。
銀色の上に乗った真っ赤な色がとてもきれいだ。
トマトには少しだけバジルもついていて、きっと口に入れればその香りも広がるはず。
ハストさんは一口分のトマトをガーリックトーストに乗せると、それをがぶりとかじった。
カリッというパンの砕ける音が少しだけして、ハストさんの口からガーリックトーストが離れる。
ちょうど三分の一ほどを口に入れたハストさんは、それを味わうように目を瞑り、もぐもぐと口を動かした。
「……うまい」
――いつもの、おいしいのしるし。
「もっと固いトマトを想像していましたが、しっとりと柔らかく、とても甘いのですね。酸味もあるけれど、トマトのうまみがぎゅっと濃縮しているような気がします」
「はい。トマトをオリーブオイルで和える時に少しだけ塩を加えているので、余分な水分が出て、うまみが増しているんです。塩の少しのしょっぱさが逆に甘味を引き立てるんですよね」
そう。すいかに塩。
おしるこにも塩。
隠し塩の神秘がここに!
「この香草の風味もいいですね」
「あ、これは料理長のハーブ畑のものです」
「あの、たくさんの葉が茂っていたところえすね。そういえば、先ほどパンをもらいに行った時、料理長が喜んでいました。やっと香草をわかるやつが現れた、と」
そうなのか。私がハーブを下さいと言った時は好きに採れば? みたいなツン感だったけど、ハストさんにはデレてたのか。知らなかった。
「それに、パンもおいしいです。にんにくの香りがしっかりして、それにこれはバターですか?」
「はい。バターでカリッと焦げ目をつけた後、にんにくの風味をつけました。私の大好きな食べ方の一つです」
「バターの塩分がしっかりありつつも、パンの良さもそのままで……。裏面は柔らかいままなので、小麦の味もわかりますね」
「あ、それに気づいてくれるとうれしいです」
さすがハストさん。
それぞ私の目指した味!
バターとにんにくでパンの風味を覆い隠してしまうわけではない。小麦の味もしっかりと味わってくれると、自分の意図がちゃんとうまく伝えられたんだ、とほっとする。
うれしくってにんまり笑うと、ハストさんが残りのパンにまたトマトを乗せた。
「この香りが食欲をそそりますね……これはいくらでも食べ進めてしまう」
ハストさんが困った、と言葉を漏らす。
その真剣さがおかしくて、ふふっと笑った後、私も手元にあるパンを口に運んだ。
「んー! おいしい!」
――我ながらおいしい!
トマトはしっかりオイルと合わさり、甘さが濃くなりつつも、しっとりジュージー。
そんなトマトのしっとり感とガーリックトーストのカリカリの食感。そして、少し火が通ったことで、より小麦粉の風味が感じられるようになったフランスパンの味。
どの味もおいしい。そして、おいしい味が合わさると、もっともっとおいしい!
「これは本当に止まりませんね」
ハストさんの言った通りだ。
バターとにんにくがたまらない。
そして、トマトの酸味がさっぱりとしていて、ついついもう一口食べてしまう。
ハストさんは二口目もあっという間に食べ終わり、三口目に入ろうとしていた。
つまりパンを一枚食べきってしまうわけで……。
包丁を作ったり、少し話をしたりでおやつ時は回ってしまったから、夕食まであと少ししかない。
わかっているのに止まらない。これはまずい。私ももう一枚食べたい。
夕食のことなんか考えずに食べすぎてしまいそうだ。
「……これはトマトがおいしいのか」
二枚目のパンを食べ終わった後、ハストさんが言葉を漏らした。
そして、探るようにじっとトマトを見つめる。
「こちらではこんなに皮が薄く、糖度の高いトマトはありません。主に調理をするため、皮は厚く、身も固い。甘さよりも酸味があるタイプが多いです」
ハストさんが、おいしいトマトですね、と感心したように呟く。
私はそれに少しだけ微笑んで返した。
「……これは、私のいた場所のトマトだからですね」
――そう。これは日本のトマト。
ポイント交換で手に入れたのだから、それはいつも私が食べていたものになる。
ずっと食べてきた、おいしい味。
「私のいた場所ではトマトは生で食べるんです」
「生で?」
「はい。トマトと言えばサラダって感じで……。あ、あと、料理を鮮やかに見せてくれるつけ添えとして、そのままカットしてお皿に乗せるんです。なので、そのままでも食べやすいように皮は薄く、身は固すぎず。酸味よりもしっかり甘いトマトが定番ですね」
サラダにはトマト。
お弁当の空いた隙間にもトマト。
とんかつの横にも、からあげの横にも。
和食にも洋食にもそっと乗せられる、赤い色。
「私はこのトマトが好きです。皮が薄くて、甘くて。そのままかじって食べられるトマトって最高だなって思います」
そう。好きだった。
日本のトマトが。
「でも……きっと、ここのトマトも好きになれる」
こちらをじっと見ている水色の目。
それがまた心配そうに揺れるから、しかたないなぁと笑いかけた。
「ここのトマトにはここのトマトの良さがある。それを引き出す調理法がある。……せっかく異世界に来たんだから、もっといろいろやってみたいです」
楽しいことを探して。
できるだけ笑って過ごせるように、気持ちを上げて。
そうすれば私はどこででも生きていける。
「……あちらの聖女様がスキルを使えず、この国からイサライ様に対して、不条理な命令が下ることがあるかもしれません」
「ああ……まあ、そんなこともありますよね」
大丈夫だ、と笑いかけたつもりだった。
ハストさんは心配しなくてもいいんだよって。
でも、ハストさんはあえて、聖女の話を続けた。
私にとって、不利になることがあるかもしれない、と。
「もし、そうなったら……」
水色の目はまっすぐ。
私をじっと見つめていて……。
「私があなたをお連れします」
そして、しっかりと言葉を発した。
「イサライ様の意思に反して、なにか強制されるのならば、ここから出て行きましょう」
「え、いや、それはもちろん自分でも生きていく道を考えますが、ハストさんにそれをお願いすることは……」
だって、ハストさんはこの国の騎士だ。
私が最終的にこの国から逃げ出すことがあるかもしれないが、それにハストさんを付き合わせるつもりなど毛頭ない。
今だって大出世だったはずが、行き遅れの落ちぶれ令嬢の護衛なんていう不名誉な役割として周りから見られている。これ以上なんて求めていない。
けれど、ハストさんは私の言葉をさえぎって、強い力で私を見た。
「私はあなたの料理を食べれば、無敵だから」
……そっか。私の料理を食べると強くなっちゃうんだよね。
普通にしてても強いのに、私の料理を食べると、スキルが強くなり、なんか気みたいなのも使えるようになるんだよね。
……それって確かに無敵かもね。
「ハストさん――」
断ったほうがいい。
ハストさんは真面目な人だから、私が言えばそれを実行しようとがんばってしまう。
「――連れて行ってください」
でも、口から出たのは思ってたのとは違う言葉で……。
「この世界の楽しいところをいっぱい教えてください。おいしい食べ物をいっぱい教えてください。見たことない景色を見せてください」
「はい……ぜひ」
私の言葉にハストさんが鼻の上をくしゃっとさせて笑う。
その本当にうれしそうな無邪気な笑顔に、なんだか私はどんな顔をしていいのかわからなくて……。
すると、ハストさんはスッとソファから下り、私の右手を取った。
「……必ず、あなたを守ります」
そして、そっと唇を寄せる。
騎士っぽい仕草に騎士っぽい言葉に騎士っぽい騎士が騎士で……騎士!?
「ま、待ってください! さっきにんにくを調理したからにんにくが……!」
そうだよ! にんにくはハンドソープなんかに負けない強さがあるんだよ……!
私の手はおいしい匂いのままのはずだよ……!
ハストさんの行動を止めるため、急いで右手を引き抜こうとする。
けれど、ハストさんは慌てる私を見上げて、また大人の余裕が感じられる、年上らしい顔をした。
「おいしそうな手だ」
そして、私を見たまま、唇をしっかりと私の手に触れさせた。
「……ひっ」
思わずHIが出てしまったが、だって、これは仕方ない!
だって、寸止めじゃない! ちゅってキスした! にんにくの残り香にハストさんがちゅうしたぁ!
「ハストさぁん」
懇願するように名を呼べば、ハストさんはますます笑みを深くする。
そして、私を見上げて、そっと呟いた。
「この命はあなたのために」






