聖女の力
一しきり台所を愛でた後、料理を冷蔵庫に戻し、さっと片付けてから部屋に戻る。
いつも通り、ハストさんの瞬時のノックが来るかと思ったが、まだ帰っていなかったようで、扉が鳴ることはなかった。
少し時間がかかっているようだ。
そうして、ひとりソファでハストさんを待ち、ようやく扉が鳴った。
その音に待ってました、とソファからすくっと立ち上がる。
……ハストさん、喜んでくれるかな。
きっと、扉の向こうでハストさんは目をきらきらさせているに違いない。
そう思うと頬が勝手に緩んでしまう。
急いで扉を開けると、そこにはカットされたフランスパンが入ったかご持ったハストさん。
思った通りだ。
でも、その目はきらきらと輝いてはいなくて……。
「遅くなりました」
「いえ。……あの、なにかあったんですか?」
なんだかハストさんの雰囲気が違う。
不思議に思って、ハストさんの水色の目を見上げると、ハストさんは小さく頷いた。
「少し。……食事の前にお話したいことが」
「あ、わかりました」
神妙な空気。
そんなハストさんの様子を見て、緩んだ頬を直した。
そして、二人で並んでソファへと座り、なにごとかとハストさんを見上げる。
ハストさんは水色の目でしっかりと私を見返して、少し低い声で告げた。
「あちらの聖女様は力が使えないようです」
「……力が使えない?」
思っても見なかった言葉に一瞬、息を飲む。
そんな私にハストさんはゆっくりと頷いて、言葉を続けた。
「私はもうあちらには関わっていないので、情報を得るのが遅くなりました。先ほど、イサライ様の裏庭での一件をもう少し詳しく知りたいと上層部へ接触してみたのです」
「……そうだったんですね」
どうやらハストさんがすぐに部屋に戻ってこなかったのは、いろいろと情報を集めてくれていたらしい。
私がハーブを採り、台所を愛でている間にハストさんはしっかりと仕事をしていたようだ。
……休みなのに。
そもそもハストさんは王宮の人ではなく、魔獣を倒す北の騎士団にいた人だ。
伝手も少ない中、私の護衛をしてさらに情報も集めてくれるなんて……。
「それで、力を使えないというのは?」
ハストさんの働きぶりに舌を巻きながらも、気になる話の続きを促す。
すると、ハストさんはしっかりと説明してくれた。
「いまだにスキルが使えない、とのことです」
「え」
え。
いや、だってすごいスキルいっぱいだったよね?
「……鑑定した人が泣いてましたよね? こんなに素晴らしいスキルを複数所持しているなんてって」
「はい。確かにスキルは素晴らしいものでした。……けれど、使えなければ意味がない」
「……ですよね」
そう。いくら『聖魔法』、『魔力∞』などのスキルがあっても、それを使えなければ、結界は張れない。
結界が張れないということは、魔獣がやんややんやと森から出てくるわけで……。
「それで、あんなにピリピリしてたんですね」
先ほど、裏庭で会った青い髪に深い碧色の目、眼鏡をかけた次期宰相を思い出す。
私を見もせず、金髪剃り込みアシメ(当時おかっぱ)に威圧的態度を取っていたが、力が使えない聖女様である高校生の女の子に少しの不穏分子も近づけたくなかったのだろう。
「あちらの言葉を借りれば、聖女様の心に波風を立てたくないからだそうです。同時に召喚された女性と比べるような真似は失礼であろう。心穏やかに過ごされれば、必ずスキルは使えるようになるはずだ、と」
「なるほど」
うん。まあ、わからないでもないような。
私は普通にスキルが使えてしまった。同時に召喚された一方はスキルが使えて、もう一方は使えない。しかも使えなきゃいけないスキルは本来なら私ではない。大切なのは高校生の女の子なのだ。
高校生の女の子のことを考えれば、私のようなイレギュラーな存在をそばに置くのはよくない。
いらぬ問題やプレッシャーはかけたくない、と。
「じゃあやっぱり私は聖女様には会わないほうが良さそうですね」
見た感じ、女の子は大切にはされてたし、私がいたほうがしんどくなるなら一緒にいないほうがいいだろう。
女の子の周りには次期宰相や王太子とか偉い人ばかりだったし、それに逆らってもいいことはないし。
うんうんと一人で納得する。
そんな私に、ハストさんは少しだけ眉根を寄せて私を見た。
「……けれど、それがイサライ様をないがしろにしていい理由になるとは思えません」
……まあね。女の子に対して失礼ではないだろうが、私にはすごく失礼だもんね!
あなたがいると邪魔なので近づかないでくださいって。
いやいやそりゃ私はお呼びではなかったとはいえ、巻き込んだのはそっちじゃないか! っていうね。
「それに……」
ハストさんがじっと私を見る。
「……私はその話を聞いて、イサライ様こそが聖女なのではないか、と思いました」
え。
ええ?
「いやいや、ないですよ。それはないです」
その水色の目が冗談を言っているようには見えないので、首を横に振り、絶対にないと否定する。
片や堂々たるスキルにうるんだ黒目がちのまるい目。若い肌は光を弾いて彼女が笑えば、世界が輝く気がする。
一方の私。台所に召喚されるという不思議スキル。確かに大好きなスキルだが、聖女感皆無。
料理や洗いものをする手は爪は短く、ちょっとかさつきもある。そしてドライアイ。
圧倒的にうるおいが足りない!
でも、そんな私にもハストさんの雰囲気が変わることはない。
神妙な空気のまま、ハストさんは言葉を続けた。
「……私は違う世界から聖女様を呼ぶという行為に疑問を持っています。それが国のためだとしても」
「……はい」
「今の状況はあまりイサライ様にいいものではないかもしれません。……もし、イサライ様のスキルの力が知られれば、やはりこちらが聖女だったと方針を変えるかもしれない」
ハストさんの目が少しだけ揺れる。
それはきっと私を心配しているからで……。
……ハストさんは最初から変わらないな。
その水色はいつだって優しさにあふれている。
私が望まない道に進むことがないよう、情報を開示し、私に考える道をくれる。
いつも護衛として、そばにいてくれて、一緒にごはんを食べてくれて。
全然ハストさんのせいじゃないのに、すぐに申し訳ありませんって謝って。
休みなのに、王宮で仕事して、すぐに駆けつけてくれて。
……そんなに優しいから、私の護衛にされちゃったんだろうに。
大出世だったはずなのに、それを捨ててしまって……。
――ああ。胸がぎゅってする。
「……いつもありがとうございます」
大人なんだから、そんなに優しくしてくれなくても、全然大丈夫なのに。
一人でも立ち上がれる。
泣いたって、苦しくたって、結局は自分でなんとかするしかないんだって知ってるから。
でも。
「ハストさんはかっこいいですね」
――そばにいてくれて、うれしい。
そう思えば、また頬が緩んでしまって……。
そんな顔を一度引き締めて、しっかりと頷いた。
「私は自分が聖女だとは思えないですけど、あちらがうまくいっていないのなら、これからも目立たないように気をつけます」
だから、あまり心配しすぎなくてもいいのだ、とハストさんに笑いかける。
「いろいろありますが、こうしてハストさんと一緒にごはん食べるのはすごく楽しいです」
「そ、うですか」
「はい。ハストさんの包丁、すごい切れ味でした。もう一つは仕込んであるんで、あとはハストさんの持ってきてくれたパンをおいしくすればできあがりですよ」
聖女やスキルの話を終わらせ、ごはんのことへと話題を移す。
きっと、聖女やスキルの話をしていると、ハストさんはずっと心配そうな目のままなんだろう。
それもハストさんらしいと思う。
でも、私はその水色の目がきらきらしているところが見たいから――。
「このパンがどうなるか、知りたくないですか?」
「……それは、楽しみです」
にんまり笑う私に、ハストさんの目が優しく細まった。






