お好みではちみつを
台所から戻ると、すぐにコンコンと扉をノックされる。
さすがイケメンシロクマ。気配察知の格が違う。
「はい、どうぞ」
朝はびくぅとしてしまったけれど、イケメンシロクマの強さを見た後だから、それに驚くこともなかった。
なんといっても、イケメンシロクマは木の棒で剣を切る男。格が違う。わたし、しっている。
そうして返事をすると、イケメンシロクマが室内へと入ってくる。そして、私の手にあるフレンチトーストを見て、目をきらきらと輝かせた。
「それが、あのパンですか?」
「はい。フレンチトーストって言う食べ物なんですけど、味はえっと……食べたほうが早いですね」
うん。私の少ない語彙を使って説明するよりも、食べてもらったほうが早い。
どうぞどうぞ、と席を進めて、テーブルの上に二枚のお皿を乗せ、カトラリーを並べる。
基本的に一人で食べることが多いので、同じメニューが二つ並んだその姿はなんだかくすぐったい。
思わずにやっと笑ってしまって……。
「……あ、すみません。忘れ物しました」
イスに座ろうとしたところで、ふとあるものがないことに気づく。
一人で笑ってる場合じゃない。
「忘れ物ですか?」
「はい。フレンチトーストにかかせないものなので、ちょっと行ってきます。『台所召喚』」
イケメンシロクマに一言断ってから、もう一度台所に戻る。
すると、そこには目的のものはちゃんとあった。
「よかった。片付いてたらどうしようかと思った……」
調理台の上にあるのはここに持ち込んだパンのかご。
それを覗きこめば、黄金色に輝くはちみつがガラスの入れ物に入っていた。
「そっか。持ち込んだものはきれいになってないし、片付いてもいない」
調理台を見れば、ポイント交換で手に入れたものはピカピカになり、きれいに片付けられているが、パンのかご、カッテージチーズの入っていた器、はちみつはそのままの状態で置かれていた。
「つまり、持ち込んだものは私がなんとかしないといけないってことか」
管轄外です。と台所から声が聞こえた気がした。
なるほど、わかります。縦割りですね。はい。
「とりあえず、戻ろう。『できあがり』」
調理台の上に残っていたものを両手で持ち、台所から部屋へと帰る。
すると、イケメンシロクマはじっと待ってくれていたようで、私がイスに座ってから、ようやく自分もイスに座った。
「では、いただいてもよろしいですか?」
「はい。どうぞめしあがれ」
あまりにもイケメンシロクマの目がきらきらしているから、ちょっと笑ってしまう。
イケメンシロクマはきれいな手つきでナイフとフォークを手に取ると、フレンチトーストにそっと切り込みを入れた。
「すごい……あの固いパンがナイフで簡単に……」
「パンに卵と牛乳を染み込ませてあるんです。皮は弾力がありますが、中身はふわとろですよ」
「ふわとろ」
イケメンシロクマが妙に真面目に『ふわとろ』とか言うから、また笑ってしまう。なんて北極と似つかわしくない単語。殺気立つイケメンシロクマは『ごっかん』だもんね。
「これはベーコンと一緒に食べたほうがいいのですか?」
「そうですね。パンだけだと塩気がないかもしれないので、ベーコンやカッテージチーズを乗せて一緒に食べて下さい」
「はい」
一口分に切り取られたフレンチトースト。
黄色く、たまご色になったパンに茶色の焦げ目。そこにカリカリのベーコンとたっぷりのカッテージチーズが乗っている。
イケメンシロクマはそれを器用にフォークで取ると、ゆっくりと口へ運んだ。
「……うまい」
やっぱり敬語じゃないそれ。
その言葉が、まっすぐにイケメンシロクマの感情を伝えてくる。
びっくりしたように大きく開かれた目はおいしさのすべてを探るように、じっと料理を見つめていた。
「やわらかいけれど、すぐに崩れてしまうわけではないんですね。もっと水分を多く含んだパンを想像していました。これはやわらかいけれど、しっかりと食べている感触があります。パン粥などとはまったく違うものなのですね」
「そうですね。卵にしっかりと火を通すので、水っぽくなるわけではないんです。パンの卵焼きっていうのかな」
「なるほど。ここでもパンになにかを浸して食べることはあります。それは固いパンを食べやすくするためで、それぞれが食事の際にスープや牛乳に浸すものです。おいしさのためというよりは咀嚼しやすくするためのものなので、こうして料理として確立されているのが素晴らしいですね」
イケメンシロクマは感心したように頷き、また一口食べる。
そして、おいしそうに口元をほころばせた。
「これにも黒こしょうが使われているのですね。カッテージチーズの塩気にベーコンの香ばしさ。それと黒こしょうのピリっとしたアクセントが本当においしいです」
「それならよかったです」
イケメンシロクマがたくさん、言葉を尽くして褒めてくれるから、にんまりしてしまう。
そして、私のおなかもぐうと鳴りそうで、冷めないうちにフレンチトーストを食べる。
まずはパンだけ。次にカッテージチーズを乗せて。最後にベーコンも乗せて、いろいろな組み合わせでたくさんの味を楽しめるのがいいよね。
卵液がしっかりと染み込んだパンは中心までやわらかい。
日にちが経っていたパンは少し酸味が出ていたけど、その少しの酸味とパンに含まれている塩分を卵と牛乳が優しく包み込んでいる。
ベーコンの油で焼いたから、焼き目が香ばしくって、カッテージチーズの塩気とまろやかさが合わさって……。
「おいしい」
フレンチトースト、最高。
「あ、それで忘れ物っていうのはこれだったんですけど」
「はちみつ、ですか?」
「はい」
さっき台所から持ち帰った黄金色のはちみつ。
それを手に取って、ついていたスプーンで掬った。
「これは好き嫌いがあるので、お好みで」
そして、それをとろりとろりとフレンチトーストの上にかけていく。
たまご色のパンがはちみつで濡れて、つやつやと光った。
「しょっぱいものに甘いものをかけるのは苦手だなっていう人も多いんですけど、私は大好きで」
イケメンシロクマを見て、笑う。
こういうのは嫌いな人もいるから、笑って誤魔化してしまおうというあれだ。
イケメンシロクマはそんな私をじっと見た後、目を穏やかに細めた。
「では、私にもはちみつを」
「え。無理はしないでくださいね」
ちょっと心配になるけれど、はちみつをそっとイケメンシロクマのほうへ押す。
イケメンシロクマははちみつを手に取ると、迷いなくそれをフレンチトーストにかけた。
カリカリのベーコンが黄金色のしずくに触れてきらきらと光る。とろっと垂れていく先にはカッテージチーズとしっかり振られた黒こしょう。たまご色のパンがそのしずくを受け止めた。
「イサライ様の好きなものであれば、私も試してみたい」
「……はい」
細くなった水色の目がはちみつを映してきらきら輝く。
その目を見ていたら、なんだか胸がきゅうっとして……。
どうしよう。
うれしいかも。
人にはいろいろと好みがある。
それはちゃんと尊重したいし、優劣をつけたいわけじゃない。
だから、私が好きなものを嫌いな人がいるのは当然だし、それでいいんだって思う。
でも……。
私が好きなものを否定しないでいてくれる。
じゃあ試してみようかなって行動してくれる。
楽しいなって思ってることを共有してくれる。
全部を受け止めて欲しいわけじゃない。
ダメならダメで、それをまた話して、一緒に盛り上がったり、次はもっと楽しいことを探したり。
……そういう風に分かち合える人は、そんなにたくさんいないから。
「はちみつがかかるとよりおいしそうに見えますね」
そう言って、イケメンシロクマははちみつのかかったフレンチトーストを口に運んだ。ベーコンとカッテージチーズ、黒こしょうも一緒に。
「……うまい」
そして、噛み締めるようにその言葉を呟いた。
「フレンチトーストはチーズやベーコンなどの塩気があるものと合わせるのだと思いましたが、甘いものも非常に合いますね。それに、ベーコンもはちみつがかかることでさらにうまみにコクが出ている気がします」
「フレンチトーストは私のいたところでは甘いものが多かったんです。パンを浸す時に砂糖を入れて、フルーツを添えたり、粉砂糖をかけたり。デザートとして食べるのも最高ですよ」
つぎはこってこてに甘いのも作りたいな。
アイスとフルーツのコンポートを添えたい。
「それはおいしそうですね」
水色の目が穏やかに笑う。
うれしそうに。楽しそうに。
「……私、よかったです」
……一人でもきっと大丈夫だったけど。
でも、今。一緒にごはんを食べることを楽しいって思うから。
「ハストさんがいてくれて」
少しだけ笑って、名前を呼ぶ。
すると、なぜか、彼はきょろきょろと目を泳がせて……。
「そ、う、ですか」
カタコトになった。






