異世界はトラウマ採掘場
そして始まった僕の異世界生活は……
またもや悲鳴で始まった。
『キャイィィィィィィィィィィン!!』
と言っても痛苦の類じゃなくて、それは羞恥による悲鳴。すなわち俗に言うラッキースケベという僕の竜惑以上の色欲的都市伝説のせいだ。
しなやか……に見えたのはその体が鱗に覆われていたからかな。
よくよく見ればスレンダーにしては線が太い……なんて考えてる場合じゃないよ!?
その頭と腕と足は、どう見てもギージュ達と同じ茶毛狼の物だ。けど、首から下とわなわな震える尾は、どう見ても爬虫類の物だ。
その色は綺麗とは程遠い、泥沼にも似た黒緑色。
けど不思議と嫌悪感が湧かない。そしてそれは竜王陛下の御加護を持っていない状態の僕だったとしても、やっぱり嫌ってはいなかったと思う。
自然なんだ。
不純物が混ざり切った黒じゃなく、色鮮やかな彩を沢山詰め合わせて作った黒。つまり、いらない物の死の色じゃなくて必要の為に整えられた生の色。
その黒を支えるように深緑が慎ましやかに飾られている。まるで人跡未踏の樹海奥にポツンと存在する沼にひっそりと漂う苔や水草のよう。
そう、その色はまさしく保護色! 沼地で暮らす為に手に入れた、自然の黒緑! 沼地で、鱗。そこに人型を追加すれば答えは一つ!
「リザードマン! ってええぇぇぇぇぇぇぇ!?」
『キャイ! キャイ! 出ていき、まおと、こ?』
待って待って。狼の皮を被った蜥蜴!? いやいや、そんな事より乳でけぇないくつあるんだろう、複乳というやつかな? 違う! 現実逃避に助平心を使うんじゃないよ! もし相手がテレパスだったら僕が変態と思われてしまうから!
落ち着いて、僕?
「悪気はあった。あの若戦士ノックもせずに立ち去って、怪しいと思ったんだ。僕はてっきりそういう文化が無いものだと思って……」
『そういえばギージュが、人間はこんな姿だって言ってたね。もしやお前、人間かい?』
「僕は人間だよ。お姉さんがギルリィ? 僕は鱗紅鋼竜。落ち着いた今は素直に謝るよ、ごめん」
四十五度に体を傾けて謝意を示す。過去の物事を参照するにあたって、一番重要なのは結果だ。反省と贖罪はまずやらかした事と罪を明確にしなければ妥当な態度と罰を決めることができない。なら過程なんてどうだって良いでしょう。
そう納得する事にして、あの若戦士を今すぐ撲殺しに行こうとする逸りを抑える。理論で頭が冷めるタイプでしょ、僕は。優先順位を考えて。
『頭を上げても良いわよ。猿に裸を見られたって恥ずかしくともなんとも無いからねぇ。それと、ここには一人しか住んでないわよまだ』
ではではお言葉に甘えて。
眼を上げて見た彼女は、物珍しい物を見るような目で僕を見ていた。人間が珍しいんだと思う。けど服は着てほしいなぁ。竜王陛下の御加護が僕に劣情を覚えさせているから。
「あー、その、ところでお姉さんのその体は? あとっ、この言葉遣いは僕の加護のせいだから、気にしないで欲しいな」
そっと目を逸らして、尋ねる。狼の四肢とトカゲの体を持つ種族なんて、聞いたことも無い。てっきり狼の獣人だと思ってたけど、そうじゃないみたいだし……
『あぁ? ああ……そうだね。あんたたち人間は知らないものね。アイガ達の原初を』
アイガ……聞いたことのない単語だけど、一人称かな? 種族の名前はウルギーヴュだったし。
『ん? というより、なんで人間がここにいるんだい?』
「今さら感が拭えないけど、無差別転移魔法に巻き込まれてこの森に飛ばされて、ギージュ達に助けられたんだ。他にも一人、リィンガーダ君っていう子供もいるよ」
『ふぅん、転移魔法に。そりゃ災難だったねぇ……で?』
「うん?」
『なんでアイガの家に来たんだい?』
「あ、そうだったそうだった。実はこの集落に滞在する条件として、殺気を教える代わり魔法を教わって強くなる、って条件を出されたんだ。それでどうせなら下宿先も一緒でね、って事で」
『はぁ? なんでアイガがお前なんかを家に置いておかないといけないんだい』
「や、別に野ざらしでも良いんだけど……あ、そっか。お世話になるとは言っても衣食住までは世話になる必要ないから、野宿でいいのか」
先入観で物事を決めつけてしまった。そうだよ、僕はどっちかと言えば厄介者なんだから、必要以上のお世話なんて受けちゃだめだよ。異世界で良い事がありすぎて、ちょっと心に緩みが出来たみたい。引き締めないとだよ、僕。
『なんでもいいが、とにかくアイガの邪魔をするんじゃないよ。アイガは忙しいんだ』
「魔法も教えて貰えない?」
『見ず知らずの人間に魔法を教えて、アイガに何の得があるって言うんだい。誰が唆したのか知らないけど、お断りだよ』
「これじゃダメかなぁ?」
姐御風のギルリィお姉さんがショタコンである事を祈りつつ童顔を最大限利用して上目遣いで訪ねてみる。なおこの作戦は、服を着る気がなさそうなギルリィお姉さんの(ぽっちゃりだけど)綺麗な体に惑わされて目を背けざるを得なかったため失敗に終わっちゃった。
なのでメインオペレーション、黄流君の杖を取り出してギルリィさんに見せてみた。
もう僕に興味をなくしかけてたのか、何やら石板のような物を睨んでいたギルリィさんが面倒くさそうにチラっと半眼を杖に向けた。
途端、目つきがか弱い美少年を狙う猛獣のような圧迫感を持って僕を……
咄嗟に杖を手離して左腰のベルトループに挿していた模擬刀に手をかけた。いや、殺気はやりすぎ。落ち着いて落ち着いて。相手はただの女性。相手はただの女性。鍛えられた黒豹の群れなんかじゃ無いんだから、反射神経は仕事しなくていい。
爪で裂かれた時に出来た傷跡が……あれは左腕だったっけ。でもどういう訳か無いはずの左手首の傷が痛む。模擬刀を振るった何百分の一回しか負わない致命傷に成り損なった傷。その元凶に近い視線だからって、ここまで過敏に反応しなくても良いよ。
ふぅ、ふぅ……よし、落ち着いた。
トラウマを刺激してくれたギルリィさんは、そんな僕の異変に気づきもしないで杖に見入っていた。
『材質……古ヴェロック式、いや親戚…………琥珀だって? でもこの遊びは……』
ブツブツブツブツ。
う~ん、売春元締め成金親父の飼い豹共の印象が化け物作ったバイオ研究者に変わったような。どうも想像以上の変人だったみたい。ちょっとだけ後悔が擡げたよ。
そろそろ何もしないのもどうかと思い勝手に棚等々を漁ってギルリィさんの服を探していると、ようやくギルリィさんが現実世界に戻ってきて噛みついてきた。
『お前! なんだこの杖は!』
「キレられても困るんだけど……ごめん、僕にもよくわかんないんだけど、異世界の友人が作って寄越したんだよ」
『あぁ!? いや、待ちな。異世界だって? どういう事だい?』
うわ~ん、アクセルとブレーキの基準が分かんないよぉ! 速度制限の標識はどこなのさ!?
「えっと、僕は元々異世界でヤクザから金品を強奪するだけの一般的な子供だったんだけど」
『……それは人間にとって一般的なのかい?』
多分僕だけだね。でも戦闘関連以外ではいたって普通の、ちょっと顔が良くて童顔で声が高いけど体格は間違いなく男っていう半男の娘……これだけでも一般的じゃないね。
華奢な顔への恨み言はともかくだよ。
「ある日突然人間の姫様に勇者……災厄を打ち滅ぼしてくれって事でこことは違う世界から召喚されたんだ。けど都で反乱の魔法使いに転移魔法でここまで飛ばされて……って次第だよ」
『異なる世界だって? なるほど、この意味不明な杖はそのせいかい』
意味不明って。姫様曰く普通の杖じゃないっぽかったけど、まさか滅茶苦茶な性能だったりしないよね? 命を吸い尽す代わりにレベル1デスとか。
「えっと、貰い物だからよくわかんないんだ。説明してくれない?」
『アイガだって詳しく説明出来ないよ。分かった事と言えば、まともなウルギーヴュ……いいや、人間だろうとエルフだろうと、とにかくまともな奴には使えないって事さ!』
手の中の物を放り出してしまいたい、って顔で杖を乱暴に振り上げるギルリィさん。そんなに? そんなにおかしな代物なの? その、杖は。
それを……あの野郎が作ったっていうんだ。
(相変わらず……事態をひっちゃかめっちゃかにこねくり回す才能が凄いよね)
黄流君は会った時からそうだ。奇抜な発想と奇怪アイテムと伴う奇人を駆使して、状況を更に悪化させた上で大団円を決める……正直、付き合わされる事になる僕からすれば、迷惑極まりなかった。
その尾が、この世界でも引かれるんだね……
「まあなんでもいいけどさ。それで、どういう感じでまともに扱えないのかな? それを持って魔法を使うと肉体がトランスして異性に変身するとか?」
『意味の分からない事を言うんじゃないよ。こいつは調和とか制御とかを司る材料に塗れた、異常なまでに操作性の高い代物だよ。下手な自我の持ち主が持てば、人格まで取り込んじまうようなくらいにね。お前、絶対に集落の子供には触らせるんじゃないよ!』
「な、なるほど……分かった、肝に銘じるよ」
そんな危ない杖なんだっ!? よくもまあそんな物を気軽に僕へ渡せたものだよ黄流君はッッ!!
『それも、分かっている範囲に限定した話さ。他にも得体のしれない未知の術式や塗装様式が見て取れる。気味が悪いったらありゃしないよ』
「んー、僕としてはそれでも魔法を使いたいんだけど……っとと、話が脱線したね。ねぇ、ギルリィさんはこの杖、解析してみたくない?」
研究者に対する常道。
自分の分野に対する未知へ挑戦させる。その切っ掛けの対価を要求。
使い古されている常道にまだ歴史を重ねさせるって事に思う所が無い訳じゃないけど、僕としてはこの集落にしっかりと土台を築いておきたいんだよ。その他の事は、自分の事もひっくるめて後回し。そもそもの話、竜王陛下の御加護がその御力を発揮なさる種族が相手なんだ。という事は、少なからずウルギーヴュの皆様と、僕は仲良くなる理由がある。
その為にも、使える手はなんでも使って魔法を教わらないとなんだ。
『嫌だね』
にべもない!!!
「じゃ、じゃあほら、魔法の実験台でも、身の回りのお世話でも、幾らか役に立てることはあるから、なんでも言ってよ! なんなら特別にミルリントちゃん一日好きにする権利だってあげちゃうもん!」
《焔を刻まれしご主人様ーー!?》
ミルリントちゃんが心の中でどういう事か問い質してきてるけど、僕だって身を斬られるような気持ちなんだ。
顎でガシガシと首に甘噛みしてくる可愛いミルリントちゃんを撫でる。と、ギルリィさんが変な物でも見るような目でこっちを見て、一つ溜め息を吐いた。なんか癪に障る反応だね。こう、イチャつくなって言われた気分。や、気分だけだけどね。
『はっ、冗談だよ。その杖を模倣するような事は星が砕けようと御免だ。けど、その技術の一部でも十分価値はあるさ! 今アイガが研究中の魔法にも昇華出来そうだしねぇ』
「あぁ、ありがとう。これで僕も一端の魔法剣士……魔法侍? だね!」
『逸るんじゃないよ、クソガキ』
ショボーン。
ま、まあそうだよね。ほら、魔法使いって常に冷静沈着でなきゃいけないし。今のは僕も性急過ぎたなぁって思うよ。
反省して、ひとまず。
「とりあえず服着てよ」
『なんでお前がアイガの服を持ってるんだい、気が利くね」
気が利く……? あ、そういう事。
一瞬だけ張り巡らせた第六感……直感をそう呼ぶなら、この感覚はなんだろう? ええっと、とにかく五感に由来しない、俗に気とかオーラとか言う感覚かな? そういう類の察知網で見知った気配がこっちへ近づいてくるのが分かった。この疑問いつもしてるよね、僕。今はゆっくりできるから少し考察出来るけど、戦闘中にこの違和感が襲ってくるのはほんと勘弁。そのおかげで命拾いしても、心臓に悪すぎるタイミングがほとんどだもん。
「ギージュが来るんだ。でもよく分かったね」
『はぁ? あんな分かりやすくここに近づいてくれば、誰だって気づくだろう? 耳が遠いボケババア扱いする気かい? 殺すよ?』
ギルリィさんが例のゆったり細部フィット……つまり、ウルギーヴュのトカゲ部分が見えないような工夫がされた服を着ながら、僕を睨む。まるで適当なチンピラだよ。怖くなんかないね。
「性急なのはギルリィさんもだよ。人間はそこまで五感が良い訳じゃないんだ。僕が気付いたのも……ニュータイプ的に言えばプレッシャーを感じたからだもん」
『ニュータイプ? プレッシャー? 聞き覚えの無い言葉だね』
「僕の故郷の物語に出てくる人種でね。ちょっと勘が異常に鋭いスペースノイド――来たね」
礼儀正しいノックの音がすぐに扉でご機嫌お伺いを確認する。その問いに対し、まだちょっと支度が整っていないギルリィさんに代わって僕が答えておいた。
「淑女を訪ねる時、男ならどうするか。それはね、相手の都合を考えずにかっ攫うんだよ!」
『貴様は何を言っているのだ、ハガタツ!』
『本当だよ! ギージュ! 入ってきたら殺すからね!!』
ええー。僕としてはそれが理想なんだけど。僕は僕のお姫様を見つけたら、そうやって攫いに行きたい。それがドラゴンのやり方だからね。
僕と意思疎通できる、彼らなら分かると思ったんだけどさ。流石に独りよがりだったよ。
「姫捕える尖塔……瓦礫。愛塞ぐ衛兵……燃やす。抗う姫……魅了する。くふっ」
『不気味だねぇ……ちょっと後悔してきたよ』
ちょっと、って所がいい具合にネジ緩んでるね。
《素敵な夢です、焔を刻まれしご主人様!》
ミルリントちゃんはちょっと盲目に過ぎるかな。
着替えタイム終了。ギルリィさんがギージュへ威圧的に「入ってもいいよ!」と姐御風に投げかけ、一拍遅れて扉が開く。入ってきたのはやっぱりギージュだ。
『失礼する、ギルリィ。ハガタツが何かやらかしてないか?』
「僕が何かやらかす輩のように言うのやめてよ!」
『やらかしてないかだって? ギージュ、あんたらしくないんじゃないかい? 合理合理と五月蠅いジジイの弟子だっただろう?』
『……そうだな。悪かった、ギルリィ』
「君達、さては結託して僕の心を滅多打ちにするつもりだね? キャットオブナインテイルあたりで」
僕の頭の中で、恐ろしい悪魔が持つと言われる極悪極まりない九尾の鞭が僕を打ちのめす姿を想像して……そういえばそういう武器を使う相手とのシミュレーションはしたこと無かったっけ。ああいうのは扱いが独特だから純粋な想像だと諸々の物理法則を加味すると再現に骨が折れるんだけど……まあ、異世界では奇抜な武器がどんな方向に進化するか分からないんだし、想像の中でくらいそういう輩との模擬戦くらいはしておいた方がいいかな。休み時間の暇つぶしが決まったね。
『どうした、そんな楽しそうな顔をして』
「シミュレーション先が決まったんだよ。ギージュとギルリィさんの容赦ない鞭打ちに感謝だね」
『おいギージュ。こいつひょっとして合理ジジイが言ってた、被虐趣味という奴じゃないのかい?』
「マゾじゃないよ? 『痛みは発想の母』っていう持論があるから、痛みを受ける事にはわりと肯定的だけどね」
痛みを受ければ反復練習の三百倍は学習する。痛い思いはあんまりしたくないからね。
「ま、雑談はさておいて。どうしたのギージュ?」
会話の端々から察する限り、ギージュとギルリィさんはそれなりに親しい間柄らしい。勝手知ったると言った感じで椅子――背もたれの中心にトンネルみたいな形をした窪みが縦に走って、根本に同じだけの太い穴が空いている珍しい形――に座って足を組んだ。ギルリィさんも同じ形の椅子に座って、床に座る僕を見下ろしている。
『ギルリィ、ハガタツの椅子はどこだ?』
『そんなもんある訳ないだろう? この家に訪れるのはあんただけなんだから』
『む、そうだったな』
言外のぼっち発言に二人とも特に思うところは無いみたいだ。ただ、すこーしだけギルリィさんの頬が緩んだ事で可能性が浮かんだけど。
「気にしないでよギージュ。僕の故国の小説の中の名将曰く、『雨風に晒されない場所なだけマシ』。特に僕は一回だけ理不尽に命を拾われた経験があるから、安全で安心できるだけ贅沢な物って考えがあるんだ」
忘れもしない、僕の根底、僕の狂気、僕の救済。赤い鱗の輝かしいドラゴンに拾われた僕は本来亡くなった筈の物なんだ。硬くて冷たいだけの床にどうして文句を言えるんだろう。
『だが……ならば俺が床に座ろう』
「ギージュ、この僕に生暖かい所へ座れって言うのかな? 血塗れの床にやむを得ず座ることもあったって言えば、これ以上話題に挙げないでくれる?」
『……そこまで言うなら、仕方ない』
納得してくれたようでなにより。
その程度のトラウマなんて気にする必要も無いくらいだけど、今は僕が居心地よく話をする事が先決だから。
「じゃ改めて聞くけど、どったのギージュ?」
『いや、用という程の事でも無いが、一言で言えば嘆願だ』
「嘆願?」
『ああ。ギルリィは見ての通りの性格だから、ハガタツの事を無下に扱うかもしれん。だから頼みに来たのだ』
なんて優しいんだ。
思わずミルリントちゃんを撫でる手がさらに優しくなってしまった。ミルリントちゃんから喜んで良いのやら嫉妬すれば良いのやら分からない複雑な乙女心(?)が伝わってきたくらいだ。本当に感受性高いね、最近のっていうか異世界の百足って。
「わぁ、それはどうもありがと。でも安心して、ギルリィさんとの取引は成功したから」
『そこの人間の言う通り、ちゃんと魔法は教えるよギージュ。大体、あんたはアイガの事をなんだと思っているんだいまったく……』
ぶつくさ言うわりにどこか嬉しそうじゃあーりませんかねぇ? ねぇねぇねぇ?
馬に蹴られて思わず斬り返した大道芸の二度目をするつもりはないから首は突っ込まないけど。
『二人が納得しているなら良いが……取引というのはどういう事だ?』
「そこは企業秘密だよ。何気に僕にも得がある事だし、あの場での約束を反故にはしないよ」
『キギョウというのが何かは分からないが、魔法使いの秘事に戦士が口出しをするのも無粋だな』
「そこまで大層な物じゃないけどね」
『こっちとしては大層どころの話じゃないんだけどねぇ……』
今度はどこか黄昏るように僕の杖に視線を移したギルリィさんが、慌ててふいっと逸らした。この杖は邪神か何かなのかな?
『ともかく、ギルリィの説得が成功していたのは行幸だ。今日はもう遅いだろうし、俺はそろそろ帰ろう。仲良くするんだぞ、ギルリィ』
まるで素直になれない子供を諭すような口調で念を押した後、立ち上がってドアに向かうギージュ。その様子を若干寂しそうに見つめるギルリィさんが可愛らしい。素直になりなよ。
『ふんっ、厄介事を押し付けて偉そうに。二度と来るんじゃないよ、ドアホっ』
『あぁ、すまんな。また来る』
ツンデレ(確定)全開で罵ったギルリィさんに慣れた口調で返し、ギージュは扉の向こうへ去っていった。ギルリィさんは嫌味を無視された怒りで頬が緩んでいる。これはもう誰が見ても分かるよね。
「ギルリィさんってギージュの事好きなの?」
あ、しまった。言うつもりなかったのに。
『……はぁ!? ば、馬鹿言ってんじゃないよっ、この猿面!』
僕の甘いマスクを指して猿面とは言ってくれる。
「隠さなくたっていいよ。別に言いふらすつもりは無いし」
『違うっつってんだよ!』
「まあどっちでもいいけどね」
顔を真っ赤に、の代わりかな? 歯をむき出しにして低く唸るような声で叫ぶギルリィさん。そういう態度が見え見えの原因ってわかんないのかな? 天才とナントカは紙一重って言うけど、その手合い?
「それより、魔法だよ魔法。僕に使えるかな?」
『……まあいいさ』
てんで動じない僕に呆れ果てたのか、一つ溜め息を吐いて片目に手を置くギルリィさん。よし、作戦成功。
『魔法は一部の才能あるウルギーヴュしか使えない特殊な術だよ。確か人間もそうだったねぇ。基本的には生まれつきだけど、中には加護を授かった直後に魔法が使えるようになるような変わった奴もいるよ。戦神みたいな魔法に関係のない神の加護だとそういう事は無いみたいだけどね』
ふぅん……となると、僕の身に宿る竜王陛下の御加護はどういったポジションになるんだろう。非常に気になる。
『ま、加護持ちなんてそう多くは無いし、お前には関係無いだろうさ』
「いや、僕も授かってるんだけど」
『本当かい? どんな加護か言ってみな』
「竜王陛下の御加護。正式名は竜王の御加護」
言った瞬間、ギルリィさんの表情が胡乱げな物に変わった。まるでドラゴンを見たことがあるって言った時の幼いころの僕を見るような目だ。
『神ですらないじゃないかい! ふざけるなら今すぐここから出ていきな!』
「本当なんだけどなぁ……ミルリントちゃんも竜王陛下の誉れ高き御加護によって僕から遠く離れない限り人間と同等の知性を与えられるって言うし」
『はっ! 確かに青百足のペットは珍しいけど、虫をペットにするウルギーヴュもいない事は無いんだよ』
「今気づいたんだけど、僕らが話せるのも竜王陛下の輝ける御加護のおかげだよ?」
『……そういえば妙だね。なんでアイガ達の言葉を人間が知っているんだい?』
興味が移った形になったね。だから竜王陛下の素晴らしき御加護のおかげ様だって言ってるのに。
「ミルリントちゃんが教えてくれた事なんだけど、竜王陛下の御加護を授かった身はあらゆるトカゲ、狼、鯉、百足と意思疎通が出来るらしいんだ。僕の予想だとドラゴンともちゃんと話が出来ると思うけどね」
むしろそれが出来なかったらいくら竜王陛下の御加護だろうとあんまりだ。むしろドラゴン以外との意思疎通なんてオマケみたいなものじゃないと。
『信じられないね。動物と意思疎通を可能にするだけなら和神の加護でも事足りるしねぇ』
信じられないっていうか納得できないから否定してる、って感じになってきた。他に説得材料は無いし、この辺でしぶしぶ諦めよう。
「むぅ、本当なのに……いつか絶対に本当だって証明してみせるから、とりあえず話戻そうよ」
『はぁ? まったく、訳の分からないガキだね』
心底馬鹿にしたような表情がムカつく。この辺りの機微が分かる事だって竜王陛下の御加護のおかげ様なのにねぇ、ミルリントちゃん。顎(?)の下をナデナデ。
『とにかく、魔法を使えるかどうかが分かってからじゃないとお話にならないね。鶏に飛び方を教えるのと同じさ』
「それじゃ、判定お願いするよー」
『ふんっ、食らいな』
ぐっ!? こ、これはっ、お、おぉぉぉ……っ!
「ぽりぽり……美味しいねこのぽり、ふやけた豆みたいなポリポリ」
『蟻の頭の干物食いながら喋るんじゃないよ』
「むぐっ!?」
うぇ、げほっ、げほっ……なんてカミングアウトしてくれちゃってんのこのウルギーヴュ!
「びっくりして変なとこ入っちゃったじゃん。もう一個ちょーだい」
『無いよ。それは空蟻の女王の側近の頭を干した物だからねぇ……そこそこ手に入りにくいけど、その効果は保証するよ』
「~~? にッぎっ!?」
かァっ……熱い……暑い……あ、つい……
「み、水……水、を、かけ……」
ヅっ!?
あ、ああ……炎が、炎が来たっ、僕にとり憑いた炎が、僕を燃やしに来た!! 冷た、熱い痛い……
『ちょ、大丈夫かい!? 余程酷くないとこうはならない筈なのにねぇ……!』
「ぁ、かい……紅い、紅いっ、紅いぃぃぃ!!!」
誰かっ、たすけ、助けてぇ! お父さんっ、おがぁさんっ! だすげでよぉ!
『無駄な落ち着き、内の焦。まったく見てらんない激怒の流水、アイガがやらなきゃ誰がやる。あんたの心も冷やしてやるよ、礫でねぇ!』
「ぃやぁ! 離さ――」
『落ち着きな、に――』