誘われ、異世界で初めての戦闘
次に見たのは、ドラゴン。
瞬間、僕の胸は高鳴った。
あ、ああ、ドラ、ゴン……赤い、ドラゴン。はぁぁぁ、なんて格好良く、気品溢れる猛々しい姿……
『ほう……貴様』
ふわっ!? 頭の中に、直接? いや、なんか違う。この声は僕の声だ。けど肉声では決して無い。普段本を読むときの、心の声とでも呼ぶべき声だ。
『我の質問に答えよ、人間』
「なんなりと」
反射神経で答えて、僕は慌てて頭を垂れる。ドラゴンを前にして頭が高すぎだ。どうせなら土下座でもしようか。いや、そうすべきだ。
『……楽にせよ。我にとってはどのような姿であれ
等しく、無防備には違いあるまいよ。なあ、人間』
うっ、どうやら気を使わせてしまったみたいだ。僕の戯け者め。脳内で猛省しながら、すちゃっと正座に移行する。武芸者の僕には、正座でもちゃんと楽になるから大丈夫。
『貴様、我を前にして何故恐れない? 我は古き者の一柱だが、この身は畏怖の対象であろう? 人間にとっては。何故恐れない』
「恐れ多くもドラゴン様」
『我は竜王だ。彼奴らも位が高いとはいえ、同類と考えるなよ、小童』
「こ、これは失礼をっ」
竜王様っ! なんて大物を目の前にしているんだ僕はああ素晴らしいなんて事だもしや一生分の運を使い果たしてしまったのではあるまいか!?
「竜王陛下、僕が貴方様を恐れないのは、ひとえに貴方様やその配下、眷属、系譜の方々の奴隷であれとわが身に誓ったからであります」
竜王陛下が『ふむ』と一言頭にお聞かせくださった。ああ、僕は今、ドラゴンと、いや、その上位者である竜王陛下と、会話をしているんだ! なんて幸運。なんて幸せ。これだけで今までちゃんと生きてきた甲斐があったってものだよ。感無量だよ。
『……貴様は邪竜信仰者なのか?』
「もしこの世に竜王陛下の配下、眷属、系譜の方に関する宗教が邪竜信仰しか無いのであれば、喜んでこの身を捧げましょう」
まあつまるところそういう類の信者では無いんだけどね。はぁ、赤竜信仰とか無いものかな。あったら是非入りたい。貢ぎたい。狂いたい。
『思想としては邪竜信仰者より余程過激だが、なるほど。自ら仕えんと欲したか』
「はい、その通りでございます。竜王陛下」
ナチュラルに心をお読みになられたけど、まあ僕の心の声を操れるんだからそれくらい出来るよね。当たり前過ぎる事、世界の常識、この世の理、だ。
『ならば何故、貴様は我ら一族の奴隷となった?』
「一度、幼き頃に助けて頂きました。赤い鱗のとある竜王陛下の配下、眷属、系譜のお方に」
今思い出すだけでも胸が躍るよ。
雄々しい尾、優雅な翼、鋭利なカギ爪、凛々しいお顔、チロチロと動く悪戯めいた舌、そして何よりも、縦に割れた猫の物とも蛇の物ともつかない優し気な瞳……はぁぁぁ、思い出すだけでも胸キュンだよ~。や、恋はしてません。恐れ多すぎるよ。
『……あの馬鹿息子。どこをほっつき歩いているかと思えば、異なる世界で何をやっておるのだ……』
「なんと!」
僕の憧れの竜君は、竜王陛下のご子息にあらせられましたか!
「竜王陛下、あの説はどうもご子息様にご助力頂き感謝しております。この御恩は一生忘れません」
『息子の恩は息子の物だ。不逞の幸いであろうと、それは変わりあるまい』
それはそうだけど、でも命の恩人のお父様だよ? 竜王陛下がご子息様をご生誕させなければ、僕はとっくに死んでいたんだ。その縁で、感謝するくらい許されると思う。少なくとも、この感謝の思いは本物だしね。
『ふむ……懲りもせずにヴェルヴァライストが異界より人間を引きずり出したと思い、妨害してやろうと手始めに貴様をこの場に置いたが、中々どうして面白いではないか。気に入ったぞ』
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
『直接心を通わせた影響か。貴様少し落ち着け。この我の心に負荷を与える程心が叫び声を上げるか』
やっ!? こ、ここ、これは申し訳ございませんでしたっ!
「グルァラァァァァァア!! 構わん。むしろ、ますます気に入った、人間!」
僕の、声じゃない! これは、これは、これは、いつの日か聞いた、あの、あのあのあの……!
――「僕、カギ爪は磨いておかないとダメだよ?」
再生される。
屋根を打つ冬空の雨のように優し気な声、一転として誇り高く山々の友に聞こえよと吠える狼のような凛々しく猛々しい声。そんな子供心をかき乱す人外の声、ドラゴンの声が、頭の中でリフレインする。まるで、揺りかごに籠る父母の声みたいに。
僕が父方の実家の模擬刀を拝借して、毎晩振り続けた理由。それまでは普通だった僕が、徐々に狂人となっていった元凶の福音。
鉛玉が弾け、道路が砕け、紅蓮の炎が吹き荒る。
入っちゃいけない所に入った僕に告げられた紅と黒の制裁。その理不尽から僕を助けてくれた、赤い鱗のドラゴン。炎を操るその姿は、まるで天使のようにも悪魔のようにも見え、幼い僕の心から何もかもを奪い取り、見惚れさせてくれた、赤い竜君。
あのお方に似た、声。厳しく愉快そうであっても尚、その響きだけは同じ、声。
涙が零れた。
「感涙したか。あの馬鹿息子も少しは役に立つ事をしたものだ」
はい。
単なる命の恩人なんかじゃありません。あの方は僕の、人生の指標なんです。魂に刻まれた憧憬は、僕を後戻りできない気高き道に導いてくれました。
どうしてあんな所にいたのかなんて、疑問を抱く必要は無い。あれは運命だったんだ。僕をドラゴンの奴隷にする、運命の使者がさり気なく僕とご子息様を引き合わせてくれた。
「ふむ、貴様の《年鱗》……人間に言わせればステータスだが、確かに【竜の虜】と刻まれているな」
虜だって! つまり囚われてからまだそれほど経って無いって事だから、これから先の長い人生、自分から逃げようと思わなければ……というより、虜って奴隷というより捕虜の意味合いが強いから、深みに嵌れば嵌るほど囚われて離れられなくなるんだよ。これ以上の深み……あぁ、涎が。
「好都合だ。では我から一つ、貴様に贈り物をしようではないか」
贈り物……それはプレゼント!? そんな、命と人生の指標と僕専用の福音等々を頂いてばかりだと言うのに、これ以上貰、う…………
「ごちゃごちゃと考えるな。やれやれ、我の竜眼も鈍ったものだな。これだけの時間見つめ合わねば、睡眠の一つも満足にかけられぬとは。しかし、なんとも面白そうな芽だな、リンダルヴリム・エフィラメート。異界渡航など奇癖だと思っていたが、我も試しに他の世界にでも渡ってみるとしよう。新たな楽しみを齎した褒美も含めて、貴様には我の御加護を授けよう。その武器も、あまりに貧弱が過ぎるだろう。我が鱗を一枚、混ぜてやる。その奇妙な杖にも同様に、我から祝福を授けよう。貴様はこの上なく幸運だぞ。この我直々に干渉するなど、古の時代における侵略を除いて、片手で数えられる程度の数なのだからな。我の気紛れと息子の気紛れ、そして我ら二竜の眼に適った貴様の激運に、感謝せよ。
貴様は今この時から、我が隷属物だ――」
「――なんか素敵な御言葉が聞こえた気がする!」
「おはよう&おかえり神野君」
「そしてどこへ行くつもりだ! 帰ってこい!」
……んん? あれ、僕は確か竜王陛下の虜になっちゃいまして、ええと、何かご褒美を頂けたようなんだけど……ここはどこなんだろう?
胡乱気に瞳を動かすと、僕の正面には美人なお姫様がいらっしゃり……
「デッキコマンド、速攻:庶民を使用。僕だけ動ける。じゃ、そういう事で」
「待てよ! 一国の姫様相手にそれは無いだろ!」
離せ! 離してくれ! 僕は竜王陛下ともう一度お会いして、詳しく聞いてない贈り物のお礼を言わなくちゃいけないんだ! 竜王陛下からの贈り物なら、例え毒だって光栄な事なんだから一刻も早くゆかねば! 庶民じゃなくて武者にしとけばっ!
「あの、神野君は今がどういう状況か、理解してるのかな?」
「どうせ異世界召喚で、勇者になって戦ってくれ、でしょ? 悪いけど僕はこの世界でやる事があるから、ロトだかガイだかライディーンだかの真似事は常識人である君たちに任せた! ではっ」
拘束が緩んだその瞬間を狙って膝を曲げ、屈伸運動を全力で応用しながら前に逃げる。もちろんお姫様らしき美人さんを器用に避け……大仰な装飾細工が栄える扉より遥かに前で二人の衛兵らしき人物に槍を構えられた。
「止まれ! エネリア様の御前でなんたる無礼を!いかな勇者様とてただでは済まさないぞ!」
ええい、鬱陶しい! ここは模擬刀で打ち捨てて突破するしかないっ! いつの間にか消えていた模擬刀袋に好都合と今までの働きに感謝の意を浮かべて、模擬刀を右手に握る。左手には黄流君が送ってくれた幸運の杖があるからね。大丈夫、僕の力量なら変則二刀流くらい余裕だって。あ、でも黄流君の杖は戦闘用じゃないかも……僕は大人しくベルトループに杖を納め、改めて模擬刀を両手で握る。最初は非力な存在というのが定番の勇者が取った蛮行に戸惑いを覚えたか、衛兵は隙だらけで唖然としている。どうやらこの国の衛兵の質はあまり高くないのかも……いや、銀メッキのロングソードを持つ某領地の警備兵だって何度も不思議な事態に唖然としていたんだ。そもそも戦いもしないで質を決めるのは良くないだろう。よし、そうと決まれば早速バトルだよ!
「僕は鱗紅鋼竜! 悪いけど押し通るよ!」
「……はっ。させるか!」
やっぱり、さっきの判断は早計だったみたいだ。衛兵二人はすぐさま意識を取り戻し、なんとも見事な連携で槍を振りかぶってきた。しかし甘い。そんな非殺傷攻撃、大振り過ぎてあくびがでちゃうよ!
「なっ!?」
「馬鹿な!」
驚いてる驚いてる。でも自分より十も二十も下の子供が、大振りとはいえ勢いよく迫る槍の真下を潜ってやり過ごし、その直後に迫った上からの槍を模擬刀で逸らしてしまわれたら、誰だって驚くだろうさ。
なんだかいつもより振りが強くて、メキッ、って音が聞こえた気がするけど、たぶん気のせいだ。
「おのれっ、もしや化生の類か!?」
「化け物め! さてはモンスターだな!?」
「海賊が敵性NPCとして現れるような世界なら、狂人だって立派な怪物さ!」
初代アルファベットの六文字目×2のとある場面を思い出しつつ、鞘付きの模擬刀で右側の衛兵の頬をぶっ叩く。勇者補正でもあるのか、はたまた【竜の虜】という誉れ高き称号が作用したのか、おざなりだった筈なのにわりと威力が出て焦ったのは秘密だ。家族に愛されるお父さんの愛娘に「お父さんの仇!」とかなんとかで命を狙われるなんてまっぴらごめんだ。僕は子供に弱いからつい殺されちゃう。
けど心配は無用だったみたい。
巻き込まれた衛兵共々、多少ふら付きながらも立ち上がった。やるねぇ……今度は顎にぶち込もう。
「くっ、これが勇者の力だと言うのか!?」
「近衛の中で最も武勇に優れた我らですら、止められないなんて!」
いやぁ、それは勘違いだと思うよ?
「見くびらないでよ、お兄さん方。僕は齢四つから毎日この刀……剣を振るって来たんだ。それなりに死線だって潜り抜けたし、経験の密度が違うんだ。仮に後ろの子たちがお兄さん方と戦えば、億に一つも勝ちは拾えないと宣言出来るね」
僕のクラスには幸い、殺気を感じ取ることすら出来ない人ばかりなのは確認済みだから、本当の話。
しかしこの言葉、どうも信用ならないらしい。
「馬鹿な! ただの経験で、鎧を纏った我らを吹き飛ばすなどという芸当が出来る筈が無い!」
「お兄さん、お兄さん。さっき自分で言ったよね? 僕は勇者として呼ばれた。だから筋力に補正が付いて武芸に怪力が加わった。そういう事でしょう?」
さて、おしゃべりはお終いだ。
――人の努力を虚仮にした代償は払って貰うよ。
いくら相手が僕みたいな理不尽相手と言え、自分の勝機を疑わず槍を捨ててロングソードを抜いた二人に急接近し、さっき叩いた右側の衛兵に再び模擬刀を振り下ろす。右の衛兵はわざと剣で受け止めて僕の得物を封じ、その隙に左の衛兵が剣の腹を叩き付けようと目論んでいたようだけど、甘い甘い。
迫ったロングソードをキチガイみたいな動き、つまり右腕を右の衛兵に押し付けたまま、体を極端に沈ませ、かつ足でしっかり踏ん張るというお綺麗な武道者が嫌う人間の道を外れた動きで避け、左足に全体重を乗せる勢いで力を籠め、黄金の左アッパーを左の衛兵の顎に炸裂させた。左の衛兵はロングソードを両手で振り切ってたから、反応すら出来ずにノックアウトされた。ふふん、僕は格闘術だって鍛えてるんだもんね。主に漫画の。
……役に立ったのは、今回が初めてだけど。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「無理無理。熊でも気絶する黄金の左アッパーが、ただの人間に防げるわけないから。散々熊で試したから間違いないよ」
筋力が付きにくい体質だからガタイからは想像もつかないだろうけど、僕は猪とだって素手で渡り合えるんだから。もちろん正面からじゃないけどね。そんなのはもう野菜の星の戦士レベルだろう。
「おのれ! リターナーの仇!」
うわー、お父さんの方から言われちゃったよ。
うん、でも推定年代おじさんのお兄さんなら無問題。普通にボコれる。そして殺してないよ?
直情的に振り下ろされた、しかしあまり隙の少ない剣を変態的な動き、つまり体を九十度ずらして胸と剣が平行になるような立ち位置に移動して躱し、その数ミリしか離れていないが故に横薙ぎへ繋げられない剣を握る手に左手を押し付け、一瞬だけ絶対に逃れられない隙を作った瞬間に、振り上げておいた右手の模擬刀を斜めに打ち下ろす。っと、おお。凄い! 咄嗟に片手を剣から離して、模擬刀の軌道へ強引に潜り込ませた。流石近衛。
でもさ、さっきの威力忘れてない?
「がっ!?」
呻き声をあげて、片手を抑える右の衛兵。そして流れるように浮かした左手で顎を揺らす。崩れ落ちる衛兵その2。
それより、僕自身にはあんまり違和感とか無いんだけど、筋力とかどうなってるんだろう? 超回復は二回くらい体験したけど、二回ともしばらくまともに技術的な素振りは出来なかったし、筋力が上がったんならそれ相応に自分の体が使いにくくなるはずだ。勇者凄いというよりただ不思議でしかない。
自分の体の異変について考えていると、いつの間にかお姫様が僕のすぐ近くに立っていた。
「えっとね、姫サマ? 僕これでも忍者……間諜兼暗殺者の真似事が出来るんだけど、何故気配も感じさせず僕の隣にお立ちになれたので?」
「何がお立ちになれたですか! 東雲様の仰っていた言葉を、今一度よくお考え下さいませ!」
しののめ……? えーっと……えっと。
「まさか……ご学友のお名前をお忘れになられたのではありませんよね!?」
「いやぁ、はっはっは」
「…………あんなに話しかけてたのに」
「東雲ぇー! しっかりしろー!」
およ? そういえば竜王陛下の御下へ誘われる前に、僕ともう一人の男同級生と一緒にいた女の子がいたような……そしてその女の子が今崩れ落ち、男同級生に支えられている。
「あっ、東雲ってもしかして」
「今さらかよ!? 忘れっぽいとはいえ限度があるだろ!」
「いやぁ、人の名前を憶えるのって難しいよね?」
「王侯貴族の一員である私に聞く事でしょうか?」
そうだけどさ。でもひょっとしたら、この世界の貴族が異常に長い家名を持っていたりとかしたら、もしや共感してくれるのではと考えても無理は無いと思うんだ。シェムナシャオヴィロダントラシヴュ先生みたいにさ。貴族じゃなくてドラゴンだけど。
失礼の矛先を逸らす作戦失敗。素直に謝ろう。
「えっと、ごめんね東雲さん? 悪意は無いんだ。ただ興味のないことに使う脳の容量が勿体ないというか」
「やめろ神野! それ以上口を開くんじゃない!」
むぅ、謝ろうと思ったのに。
「よく分からない言い回しですが、女性に対して憶える価値も無いとは失礼極まりありませんわ」
なんと、お姫様からもダメ出しをくらってしまった。酷い酷い。そういうのを男性差別って言うんだよ!
「……まあなんでもいいけど」
「おい」
「酷いお方ですわね」
「……いいの。こういう人なのは分かってたから」
それなら紛らわしいからショックとか受けないで欲しい。あといくら友好関係ほぼゼロとはいえ皆言過ぎだよっ!
「状況ってどういう事? この世界で生き抜くには力が云々とかはいらないからね。見ての通り、僕は強い。言葉も通じるし、元の世界なんてむしろ帰りたく無い。さあ、僕がここから逃げ出してりゅ……旅をする事に何の不安があるの?」
竜王陛下へ会いに行く、と言いかけた。危ない危ない。この国での竜王陛下の立ち位置が分からない以上、無暗やたらと言いふらす愚は侵さない方が良い。僕は盲目じゃなくて、傾倒しているだけだからね。
「……随分と傲慢なお方ですわね。聞けば、貴方の世界で、魔法はまやかしだとか?」
そういえばおはようとか言われた気がする。竜王陛下も、僕をなんとかから連れ去ってきたって言ってたし、気絶に近い状態だった? その間に話でもしてたのかな。だとしても、僕には関係ない。
「だから、何? 生憎だけど、知らない脅威に怯えていた時期はとっくに過ぎた。姫様方こそ、細菌兵器や殺人カビはご存知? 知らないでしょ。小惑星接近は? エイリアン来襲は? 地底人侵略は?」
聞いたことも無いって顔だ。多分いくつかは、この国の言葉の単語にも無いはずだから。
言葉に無い、即ち知らないって事。
「全人類級の脅威の存在を知らないのは姫様方も同じ。僕は自分の知らない脅威がいつか自分の身に振りかかってくるかもしれないって事を、よく心得ている。無知は怠惰だよ。だからそれ故に死んだとしても僕は気にしない」
大体、情報操作の一つや二つでもされそうな一国の下で学んだ知識が、どれほど役に立つって言うんだ。それなら庶民の力を借りて学んだ方が、よっぽどマシってものだ。無理ならそれでもいい。
「……どうしても話を聞かないというのですね」
「ああもうこれだから……それだよ、それ」
王侯貴族ですら察せない? いや、僕が紛らわしい? どっちでもいい。
「話を聞かない? どうして聞いて貰えると思ったの? 僕は姫様と、お話をするような間柄? 信頼関係って言葉をご存知ないようだ」
他人の言う事なんか極論として信じられない。
そんなのは王侯貴族として当然知っているべき事なのに。もし腐ってるならそれこそ付き合う意義は無いし、状況がどうのと言うなら、まず簡潔にどうなってるのかを言って、注意を自分に向けないとダメでしょうに。話術の基本じゃないか。
「後学の為に言っておくよ。これが異邦人のありふれた行動。相手の事より自分が大事で、気に留める価値の無い事に一々気を配ってなんていられない。混乱する学生の心の隙を付いたアコギな詐欺なんて通用しないからね」
言いたいだけ言って、さっさと出ていこうとする僕に「お待ちください!」という姫様の声が聞こえた。その声は妙に覚悟が含まれていて、思わず振り返る。何をするのか、と……
瞬間、僕は怒声を上げていた。
「馬鹿な! こんな無礼者相手に、なんて事を!」
「こんな事で貴方と関係を築けるなら、これくらい惜しくありませんわ」
姫様の手には果物ナイフくらいのダガーと、髪。
なんて事を……女性の命である髪を斬るなんて! しかも姫様なんて肩書の美女が!
怒りが通り越して呆れになって何も言えない。そんな僕に、姫様が頭を下げた。『姫』が!?
「浅慮を詫びますわ、勇者様……いえ、少年。同じ立場による対話にはまず、その為の価値を示さねばならない。これは貴族や商人の考えであり、第一王女である私とて忘れてはならないというのに……」
真剣に謝意を伝えるその姿勢に、やっぱり笑いより呆れの方が勝る。ええぇぇ……真面目だよこの姫様。悪い意味じゃないけど王侯貴族らしくもない。
「……ひょっとしてバカ?」
「待て待て待て! 神野、お前それは無いぞ!」
男同級生がツッコミを入れてくるが、本当にバカとしか形容しようが無いんだよ。単語限定ではね。
だってさ。
「そこは普通に命令とか平民の分際で、とかで良かったのに」
「「「……は?」」」
えっと、東雲さん? と男同級生、姫様がハモった。その声が一回だけ山彦を生んだ事で、ここが広い空間だって事に気付いた。
「だって僕はなんの肩書も無いクソガキだよ? 仮に前の世界で世界を統べる天才美少年皇帝とかだっ
たとして」
「自分で美少年とか言うのかよ」
お黙んなさい。
「この世界に自分の権力が及ばない以上、そこらの農村で「我こそは古の王家の末裔なり」とかなんとか言い出すのと同じレベルでしょ。なら立場はそこらの庶民と同じ。もし勇者として、ならもう遅い。僕は既に王侯貴族である姫様と同じ立場を要求したに等しいんだから、下手に出なきゃいけない勇者として僕を見ちゃ、いけない」
ベルトループから黄流君の杖を取り外して、今度は模擬刀を挿す。そして杖を突き、姫様を真正面から見る。
「それが立場による関係、って物じゃない? 圧倒的正しさによる圧倒的速い問題解決。それを選択しないでわざわざ自分と対等に扱おうするとか、バカ真面目って言われても仕方ないでしょ?」
あ、崩れ落ちた。
「ギライヴ王国の国命を左右する重大な儀式を押し付けられて、厳しい覚悟を背負ってまで挑んだ勇者召喚の儀で、よりによってバカ扱い……」
これは予想外。もしかして勇者召喚って、あまり名誉な事じゃないの? いや、完全他力本願って意味では確かに不名誉だけどさ。
すると東雲さん(憶えた)が恐れ多くも姫様へ近寄り、その肩にポンと自分の手を当てた。バッと顔を上げる姫様に向かって、東雲さんが諦めきったどんよりとした表情で、呟いた。
「この人は、こういう人だから……悪気無く人の頑張りをぶち壊しにする、天才」
「東雲様ー!」
眼尻にキラリとした何かを浮かべて東雲さんに縋り付いた姫様と、妙に手慣れた様子で姫様を抱き締めた東雲さんを見て、思わず洩れた。
「僕……何か悪い事したかな?」
「全ての元凶が何言ってんだよ」
容赦のない男同級生の指摘。でも多分、僕のせいなんだろうなぁ……納得いかないけど。