その7 子隼くんは自称天才
累の得意とする戦法は、とりあえずその場に領地を発生させ、領地の力で底上げされた魔術を、相手によって属性を選んで打込むというものであった。まったく愚かな作戦ではない。教科書レベルで推奨されている戦い方であった。
しかし、それを容易に狂わせてしまうものがここにいる。
子隼だ。
類が領地拡大の術式を描き込むと、それがいかに小さく、見えにくく、難解なものでも、あっさりと消し去ってしまう。腕前は大したもので、下手をこくと展開した累自身が、消滅に気が付かないほどなのだ。
結局いつまでたっても領土を確保できず、素の実力のままで累はゴルダミングと戦うことを決意した。
「やっと正々堂々戦う気になったのかね」
「正々堂々なんて、魔術師同士の戦いには存在しませんよ」
事実のつもりだったが、ちょっとだけ、負け惜しみだ。
「子隼。あの使い魔は強いから、本気でやりなさいね」
「あいっ」
元気よく片手を上げる子隼。
累のことは無視した指示を飛ばす。このことで累が怒って、冷静さを欠けばさらにいいと思って、ゴルダミングは累をなぶった。
それは、予想以上に効いたらしかった。
特に言葉を発するではなかったが、爆発しないか不安になるほど頬を真っ赤にした累が、指二本をつきつけたまま絶叫した。
「舐めるな! 傾城羞月の陣!」
「だっせえ!!」
子隼が指をさして笑った。
それは見事に火に油を注ぎ、累の指先から展開される魔法陣は一層強度を増した。
一般の、一山いくらの魔術師ならば間違いなく脅威となったに違いなかった。笑っている暇など普通はないだろう。
だが床を覆い尽くさんとする、害虫の群れの疾走に似た術式の進行を押えたのもまた、子隼であった。描き込んで焼き付けたはずの床も、壁も、そこから場違いに可憐な花が萌えいづると同じくして「なかったこと」にされてしまう。頑張ったって、相も変わらずそこには何も起こらなかった。奮闘しているのは累独りで、本来なら助けなければならないはずの”領主”は楽しそうに観察しているだけだ。
「そんな頭の悪そうな使い魔で……よくも、よくも……!」
ゴルダミングは苦笑する。確かに、子隼はどう贔屓目に見たって頭が悪そうだろう。実際、そんなに良くもないだろう。
だがしかし、そんなやつでも得意分野ならば、とんでもない実力を発揮する可能性がある、と累は理解していないし、したくもないようだった。優秀か、落ちこぼれか、そのどちらかしか彼の頭にはない。カタログスペックが世界のすべてなのだ。それを憐れむと同時に、組し易しとほくそ笑んだのは誰にも責められるべきものではない。魔術師として、当然のことだ。
ゴルダミングの”相棒”たる子隼は、人間だったことがある悪仙だ。それも、武官の一族。生前には、実戦はともかくとして、机上の論理ならば天才とほめそやされたという(本人談)。
つまりは、目に見えて理論的なものならば、彼に理解できないものなどないのだ。
彼には魔術の道筋が見えた。それがどんな術式で、いかなる効果を……とまではいかなくとも、その術式の敵意が誰に向いているかくらいは容易に分かった。
そして道筋が見えるなら、術式そのものを消してしまうこともまた容易だ。
術式を編んだ本人がいかに強固だと思っていても、子隼がその力を行使すれば編み物の糸を解くが如く。そのうえ「どこをほどいてしまえば致命的か」すらわかるのであった。
「おい、領主、やれ! 命令だ!」
「はいはい、絶対服従」
領主が、消えた。
次の瞬間には耳をつんざく金属音が鳴り響き、領主と子隼が刃を交えている。
領主の得物は映画の海賊が持っているような湾刀だ。だが全体が不自然なまでに黒い。対する子隼は方天戟。本人の衣装同様派手な布が巻かれてたなびき、刃の部分がうっすらと桃色を帯びている。間合いに飛び込んできた領主の刀を、かなり無理な態勢で受け止めたようだ。踏ん張りがきかないこともあり、じりじりと押されている。
「……あらよっと!」
「むっ」
方天戟が花と散る。急に相手がなくなって前のめりになった領主へ、小魚の群れのごとく桜吹雪が叩きつけられ、空に散る。二歩、三歩、飛びすさって領主はちらと、累のほうを顧みた。
「ぼん、さがれ……」
「人には効きませんから、安心しておくんなまし」
「おい、何だ」
「毒を吸わされた」
えっへんと胸を張る子隼。
「ど、毒が効くのか!?」
「本体ならやり過ごせたんだがな」
毒を吸わされたとは言いつつも、領主はさほどつらそうではない。多少声と表情に精彩を欠く程度だ。
「さ、おいで。これくらいなら、遊ぶのに支障はない」
「あいよ、お言葉に甘えて……」
子隼が再び方天戟を発現させる。この悪仙の一挙手一投足に漏れず、はらはらと花びらが舞った。領主も湾刀を構えなおす。こちらは赤い薔薇でも散らしたらさぞ美しかろう。
「やめだ」
声の主以外の全員が、えっ、とそっちを見る。
声の主はゴルダミングであった。
「試し撃ちといったろう。魔術の拡散による被害はいくらでも対応できるが、その仰々しい武器がいただけない。そっちの棚にはお気に入りの茶器がいくつも入れてあるし、向こうの棚には封印を施してはいるが、面倒な怪異を起こす呪物がごっそり入っている。物理的手段で壊されてしまうと困るのだよ」
彼が指す二か所の大きな棚には、明らかについさっき作ったとわかる急ごしらえの物理向け障壁が張られていた。
「じゃ、じゃあ、おれ方天戟やめるよ! 魔術だけで戦うよ!」
「できんだろ」
「う、うう」
子隼は仮にも武人である。もっとも慣れた手段を封印するとなると不便なうえ、追いつめられたらうっかり出しちゃう、可能性も大いにある。
「まあ、元はと言えば私の私室に攻めてくるルイが悪いな。さて、子隼」
「あい」
「領主殿に吸わせた毒は致命的かね?」
「うんにゃ、急場しのぎのクスリでしたからねぇ。頭痛くてふらふらするくらいで、半日も休めば治りまさぁ」
「ということだ。帰って領主殿を休ませて差し上げなさい。また、決闘の際は場所もよく考えること」
「……はい。何突っ立っているんだ、領主、帰るぞ。帰ったら寝ろ」
「はいはい」
覚えていろよと型にはまった捨て台詞を残して、アンバランスな二人組は去っていった。
***
「ね、ぬしさん」
「なんだね」
多少荒れてしまった部屋を片付けつつ、子隼はこの仮そめの主に聞いてみる。
「ぬしさんがやめろって言ったのは、あのままやればおれが負けたからでござんしょう」
「そうだよ。初戦敗退なんて、恥ずかしいじゃないか」
子隼の予想では、毒を吸わせた時点で相当参るだろうと思っていたが、予想よりぴんぴんしていた。それに、多少落ちているにしろ、離れた位置から一瞬で懐に入ってくる瞬発力と、刃と刃を合わせたときのおそるべき腕力。
これらを考えて、ゴルダミングは撤退を決めた。その撤退の理由は、適当にくっつけただけだ。
「次の戦の時は、もっと強い毒を吹っ掛けることにしやしょうね。もとが化け物でも所詮は使い魔……なんて、舐めてました」
「後はほかの術も絡めて、何ができるかだな」
「お付き合いさせてくださいましな。おれ、そういうの大好きなんで」
自称天才軍略家(ただし実戦経験あんまりなし)は、喜々として紙とペンを執った。




