その3 道成寺迅乃は紅茶が好き
視界が戻ると、慈雨の目の前には知らない外国人男性が尻もちをついていた。物置の中は実に狭いので、接触しそうに目の前だ。背丈がありそうなこと、体重もありそうなこと、でも引き締まっていそうなこと、ついでに着ているスーツが高そうなことを認め、慈雨は物置の小汚さから「ケツが汚れちゃったろうな」「そのスラックス、いっそクリーニングに出したほうがいいかもな」と余計な心配をした。
現実逃避である自覚はあった。そうでもしないとやってられなかった。
その男性は非常にびっくりした様子でまず目と鼻の先の慈雨を見、どきまぎと右を見て左を見て、天井を見て床を見た。褐色の肌に埋め込まれた明るい黄色の瞳が再度慈雨に向く。じり、と尻を引きずって後ずさったので「ケツの汚れが致命的になったな」と慈雨はまたおせっかいを考える。
「ここはどこだね、きみはなんだね」
案外、流暢な日本語だった。でも声は上ずっている。
「文明は発達しているのかね」
彼は大いに混乱しているようだ。
「ここは日本で、俺は日下部で、インターネットは光回線」
慈雨も自分で何を言っているのかよくわからなかった。
彼は自分の両膝の間に頭を突っ込んで呻いた。
「……死にたいッ」
なんとなく、彼が自分と同じ種類の人物のような気が、慈雨にはした。
***
「……そういうわけで、手の内を見せないためにも自分からは動かないほうがいいと思うのよ」
「それもそうね。経験豊富な相棒で助かるわあ!」
「こっちこそ、話のわかる相棒でとっても嬉しいわ。一緒に頑張ろうね!」
「うん! あー、”法王”ちゃん喚起してよかったあ」
「アタシもこんなにステキなコに喚起してもらえて幸せ者ね」
「もう、褒めてもお菓子しか出ないよ?」
「お茶も出してくれるともっと褒めちゃうよ?」
「ふふふ、もうっ!」
「えへへっ」
実に華やかな絵面だった。カップに紅茶を注いでいる女性は美しく、笑うと愛嬌もあった。可憐ではない。もっと成熟した、大人の色気のある美しさだ。そして注がれた茶を口に運ぶのは、可憐な悪魔だった。
豪奢な金髪、大きな瞳が印象的で、愛らしくくるくる変わる表情に、スレンダーな肢体、それを包む後ろの開いた今風のカットソー。悪魔が比喩ではない証に、剥き出しの背中から延びる真っ黒な翼がむしろ異質で滑稽ですらあった。裾からはみ出す矢印尻尾は、様式美を求める丁寧さすら感じるほどであった。
二人は実に平和的に紅茶を飲み、お菓子を食べ、笑いあっていた。
しかし話の内容は「いかにうまく対戦相手を排除するか」という可愛げのないものである。
「本体だったら絶対負ける気しないんだけど、ほら、この戦いって性能が術者依存でしょ。なるたけ慎重に動いたほうがいいわ。あっ、はやちゃんの練度が低いって言ってるんじゃないのよ」
「うーん、でも実際、素で法王ちゃん喚起するレベルではないよね」
「じゃあ、将来はやちゃんが大魔術師になったら素のはやちゃんで喚起して頂戴ね。サービスするわよ」
”法王”が堅苦し気な通り名に似つかわしくない軽薄さでウインクを飛ばした。
「もう、何十年後の話よ!」
「うふふっ、何十年でも待つわ。アタシ、死なないから」
「簡単に言ってくれちゃうなあ……」
道成寺迅乃は順調にスタートを切ったと確信していた。なぜなら、使い魔とこんなに楽しく話ができるのだから。
たいていの魔術師は、使い魔を機能のみで選ぶ。純粋なスペックの高さ、および、自分の扱う魔術と相性がいいか、だ。迅乃ももちろんそこには重点を置いている。だが、もっと重点を置くべきところがほかにある。
性格だ。
この「お祭り」の開催中、使い魔は魔術師に従うという掟が敷かれてはいるが、仲が悪いよりは良いほうがいいに決まっている。良い関係が築けなければ、使い魔は掟の範囲内で魔術師にイヤガラセをするものだ。このような「特殊」な状況下ではなおさら。たかがイヤガラセと侮ってはいけない。過去の決定戦で、優勝と目されていた魔術師が反りの合わない使い魔のせいで負けた例は皆が思っているよりたくさんある。
法王は比較的喚起の頻度が高い存在だ。だけれど能力でも認知度でもなく、迅乃が選んだ理由は性格。仮にカタログに性格欄がなかったら、もう少し能力が劣っても自分の魔術に対応しやすい使い魔を喚起していた。
それでもなお、迅乃は法王を選んだ。似た者同士、仲良くなれると思ったからだ。
”ソドムとゴモラの法王”――性格:陽気にして、残忍。