その17 烏谷累は困惑する
「状況を整理しよう」
慈雨の声は暗かった。
もっとも、この状況では致し方ないが。
「まず、俺には3600万円の負債ができた」
自分の鎖骨のあたりを指で叩いて、沈痛な面持ちで慈雨は言った。
「そして、俺が死ぬとあんたも死ぬ」
次にその指でアンバーを指す。
「勝ち残れば――少なくとも俺のほうは解決するが、あんたが帰れるかどうかは聞きそびれちゃったな……」
「生身のきみはともかく、相手は『使い魔』を殺す気でかかってくるんだろう。どのみち勝ち残らなければわたしは助からん」
もう死んでるけど便宜上、とアンバーは力なく笑った。つられて慈雨もひきつった笑顔を返す。笑えないほど状況はひどいが、もはや笑うしかなかった。
「そうだけど……魔法使いなんかに勝てないよ……」
逃げるという手段も当然考えたが、相手は「魔法使い」だ。どんな手を使って追ってくるかわかったものじゃない。「一般人」の借金取りでも想像するだけで恐ろしいのに、ましてやそんな非常識な連中から逃げ切る自信は慈雨にはなかった。
「そのくらいならわたしが稼いできてやりたいところなんだが、地盤がないからな……」
悔し気にアンバーが親指の爪を噛む。
「そのくらいって……金額わかって言ってる? つか、あんた吸血鬼なのに仕事してるの?」
「してるさ」
爪が割れるんじゃないかと思うほど噛みしめる合間に、アンバーは答えた。
「詐欺師だ」
「犯罪者かよ……」
「保険金殺人とか、銀行強盗よりはましだろう」
「ちょっと基準がわからない……それはもうこの際さておいて」
さておくようなことではない。犯罪者とひとつ屋根の下にいるなどとてもじゃないが耐えられない。が、もうここに至ってはそれすら些細な問題だった。
「どうする? ――戦う?」
「それ以外に答えが?」
二人は視線を交わすと、どちらともなく肩をすくめた。
***
烏谷累は困惑していた。
それというのも、決闘状が送られてきたのである。
よせばいいのに不慣れな日本語で、くわえて毛筆で書かれているため、解読が困難だ。雰囲気でひらがなと漢字の文章であることがなんとなく伝わってくるため、かろうじて日本語であるとわかった次第である。
それがなぜ決闘状とわかったかといえば、ご丁寧に英語版とロシア語版が付け加えてあったからだ。こちらは活字をプリントアウトしたものだ。既に彼が読み終わったそれらの手紙は現在のところ、楽しそうな領主に見比べられている。
「素敵なことをする魔法使いだね。洒落がわかっているよ」
いたく決闘状をお気に召したらしい領主は、ピクニックにでも行くかのようなわくわく顔で「差出人と一戦交えるのかい?」と聞いてくる。累は大きなため息を一つついて頭をばりばりっと掻くと「そのつもりだ」と返事をした。
「この間ゴルダミング卿を仕留め損ねたからな。早く終わらせたい。毒は抜けたよな?」
「ああ。本調子だ。”本体”には及ぶべくもないが」
「仕方ないだろう。おまえを本体ごと喚起できる魔術師なんて、何人もいないさ」
「生きているうちにその何人かに入れるように、精進したまえ」
「それだけの力があったら、お前よりも気が合いそうなやつを喚起するよ」
「それもそうだな、ぼん」
「ぼん、言うな。……決闘は、あいつめ、明日の晩をしていしてきたぞ」
「好都合だな」
朱色の唇をゆがめて領主は笑った。昼間はほとんど力を使えないのがネックだが、夜こそ彼の領土である。その時間帯を相手から指定してきたというのは、願ったり叶ったりだ。
「相手はわたしのことを知らないのか?」
「最終戦の参加者はわかるが、使い魔は会ってからのお楽しみだ」
「ふむ。幸運の女神に愛されたね。ではさらなる幸運――ついては勝利のために、相手の魔法使いのことを教えてくれないかな。使い魔を”使う”のはあくまで魔法使い。え、そうだろ、ぼん」
たっぷりの皮肉にも累はもう慣れ始めていて、無様にきいきい言うことはなかった。が、気分を害したのがまるわかりになるような(つまり、領主を心底満足させるような)顔つきになって、書類をやや乱暴に広げた。写真入りのものもあり、ゴルダミングの顔を見つけて領主はにやりと笑った。
「決闘状の送り主は彼女だ」
一枚、紙が領主の前に出される。魔術師協会の会報をコピーしたものだ。そのページは写真入りで、まだ幼い、だが恐ろしいほど整った顔立ちの少女が無表情で写っている。
「髑髏城のヴァレーリヤだ」
「髑髏城、ね……有名どころだね」
髑髏城ももちろんそんな名前の一族や、そんな名前の城が存在するわけではなく、烏谷のような通りなのたぐいだ。地元ロシアでは他の追随を許さない実力を持ち、毎回のように理事決定戦に参加している。
だがさすがに、ヴァレーリヤのような子供が送り込まれてきて、しかも彼女が最終戦まで残る、というのは異常すぎた。話半分に聞いていた彼女の評判を、もう少し世論に歩み寄って考えなければならないと累は思案した。そもそも今回の決定戦が始まる前から、ヴァレーリヤは有名人だったのだ。
天才少女、として。




