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現代魔術師のための行進曲  作者: 猫田芳仁
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その14 道成寺迅乃は腰が重たい

 ヴァレーリヤの右手はゆっくりと開閉している。視線はじっと二人の上に据えられ、隙を窺っているらしかった。

 まともな喧嘩をしたのは小学生以来の慈雨は隙もくそもなく見よう見まねの構えだが、彼を後ろにかばう格好のアンバーはもうちょっとましだ。あくまで”まし”というレベルで、とても歴戦の勇者には見えないが。

 それでも慈雨にはアンバーが頼りだった。少なくとも自分より喧嘩慣れしていそうなこの男の背中に隠れていれば、独りぼっちよりは心強かった。

 だがそれが、ゆらぐ。

 あっと思った時にはまた五つの光点がこちらに狙いを定めていた。とっさに動こうとする慈雨の腕を、アンバーが後ろ手で掴む。なぜだ。動けない。

 やられる。

 死ぬ。

 心底そう思った。

 轟音を上げて、自らの耳すれすれを通っていく光線を認めるまでは。

「何故ッ!」

 ヴァレーリヤが吼える。次に振り上げるのは両手。流れ星にも似た十本の光条が、ただ敵を求めて降り注ぐ。

 だが、慈雨は無傷だった。肌が破れたのではないかと思うほどの圧と冷たさを幾度も感じつつも、実際、彼には傷ひとつない。前に立つアンバーも、前髪をほんの何本か持っていかれただけのようだ。

「お嬢さん」

 地獄の底から響いてくるような喜悦の声で、アンバーは言った。

「魔術師なれば、習わなかったか? 死者の眼、見つめることなかれ!」

 白皙の乙女がぎりりと奥歯を噛みしめて、次の砲弾を準備する前に――踵を返して逃げた。それはもう、全力で逃げた。

 ちゃんと小脇に慈雨を抱えているあたり、義理堅いのだか、何なのだか。

 「運ばれる」慈雨にとってはたまったものではないが。

「待て!」

「誰が待つか、くそったれ!」

 やけっぱちの笑い声が後に続く。慈雨はこれ以上ないほど不安になったが、文句を言って落っことされても困るので黙っておくことにした。

「やれっ!」

 絶叫に近い少女の怒号。

 それと同時に、街灯の明かりが陰った。

 

 ***


 相変わらずこの家では、のんべんだらりとした時間が流れている。

 紅茶の匂い。お菓子の匂い。大きめのテレビに映る毒にも薬にもならない映画の一幕。

「暇だねぇ」

「案外、誰も攻めてこないねぇ」

「はやちゃん、アタシおなかすいたぁ」

「あー、あたしもぉ。宅配頼む? 何がいい?」

「えー、どうしよ。何ある?」

「んーと、チラシ出すね。待っててぇ」

 いささかだらけすぎな、迅乃と法王であった。

 本人たちに言わせればさぼっているわけではない。敵の出方をうかがっているのであって、立派な戦法なのである。

 比較的時間的制約の少ない魔術師家業、その中でも迅乃は特に自由気ままなほうであった。

 眠くなったら寝る。目が覚めたら起きる。まだ眠かったら二度寝する。無論依頼人のある時にはその時間に合わせるが、基本的には言っちゃ悪いが本能の赴くままに行動している。食べ物についても偏食のうえ食べる時間が滅茶苦茶で、それなりのプロポーションを保っているのが不思議なほどである。

 そしてさらに不思議なことに、迅乃のリズムとも言えない生活リズムは法王と素晴らしく一致していた。そういう意味では、彼女たちは理想のパートナーなのかもしれない。

 肩を寄せ合ってくすくす笑い、ひそひそ話を交わす麗しい二人。一緒にのぞき込んでいるのが寿司の出前の広告でなければ、いっそう絵になったことだろう。

 ふっと、二人して顔を上げる。

 その直後、ノックの音。

 一瞬身を固くする迅乃。

 だがその表情はすぐに緩み、面倒くさそうに「なあんだ」とこぼす。

「ニコのおじさん、何の用?」

「おやおや、ばれてしまいましたか」

「嫌でもわかるよ。お茶飲んでく?」

「ありがたくいただきましょう」

 特徴的な魔力の色彩をだだもれにして、胡散臭い男は胡散臭い笑顔を浮かべたまま部屋に入ってくる。相手が相手だけ会って平静を装いつつ緊張気味の迅乃とは逆に、法王はニコが入ってきてもくつろぎ切っている。

「ニコ、おひさ! ねえねえ見てよ、アタシ超当たりなんだけど。こんなカワイコちゃんに喚起されたうえお茶とお菓子もらい放題なんだけど」

「ああわかっておりますとも法王さま、迅乃さまは日本支部では指折りのカワイコちゃんでございますからねえ。あ、どうもおかまいなく」

 かわいらしい茶器を素早く迅乃が差し出す。中にはあつあつの紅茶が湯気を立てていた。

「おじさん、甘いもの平気?」

「むしろ好きです」

 テーブルの上に無造作に積まれていた紙箱から、次々お菓子が取り出される。クッキー、チョコレート、キャラメルにボンボン。果ては一口大の可愛いケーキまで。言葉に嘘はなかったらしく、ニコの頬が嬉し気に緩む。

「で? わざわざキレイどころとお茶飲むためだけに来たの?」

 法王がニコに後ろからかぶさって、耳元で囁く。さすがにどうかと内心焦る迅乃をよそに、ニコは余裕の表情でカステラを嚥下した。

「いいことを教えて差し上げようと思いまして」

「いいこと?」

「五人目のことです」

「……ふぅん」

 迅乃は微かな落胆を紅茶と一緒に飲み下す。正直五人目はどうでもよかった。どこの誰かもわからないということは、いま日本にいるかもわからないということだ。自分から動くつもりの少ない迅乃は、もしそいつが最後に残ったら仕方ないから出かけよう、くらいに思っていた。

「五人目は――わりと近所にいらっしゃいます。そして今、ヴァレーリヤ様が交戦中のようです」

 ヴァレーリヤ。確か、ロシアだかどこだかの支部の子だ。天才の誉れ高いと噂はかねがねだが、迅乃の知ったことではない。来たら戦う。来なけりゃほっとく。それだけだ。

 だが意外にも、相棒はそれだけではないらしかった。

「今、もうやってるの?」

「はい、今まさに」

 身を乗り出して戦況を尋ねる法王に、迅乃はちょっと嫌な予感がした。

「ねぇねぇ、はやちゃん」

 当たった。

「ひっかきまわしに行こうよー。ガチでやり合わなくても、ちょっかいだすだけでもいいからさー」

 ニコはにやにや笑っている。きっと動く気配のない迅乃を、動かすために法王から動かそうとしているのであろう。まんまとやられた。

「……しょーがないなあ」

 法王のきらきらした眼。ニコの満足そうな眼。

「でも、お茶飲み終わってからね」

 それまでに面倒ごとが終わっていればいいなと思って、迅乃はチョコレートを口に放り込んだ。

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