その13 決闘場は河川敷
「けっ、とう……」
耳慣れない言葉だった。口に出してみたが、使い慣れない言葉でもあった。慈雨の中の変換機能が、いくつか候補をはじき出す。
何度か試してみたものの、人から人に申し込むような単語は残念ながら一つしか残らなかった。
すなわち、決闘。
広辞苑を引くまでもない。つまりは、喧嘩を吹っ掛けられているのだ。この美しい少女から。
少女はちらりと困ったような顔をしたが、勝手に一人で納得したようだった。ふんふんと頷いている。
「われヴァレーリヤ、汝日下部慈雨。ともに”最終戦闘”有資格者なり。故にわれ、決闘を申し込む」
「せんとう……戦闘? 待ってくれ、詳しく説明してくれ」
「敵に塩を送るいわれ無し。使い魔を出せ」
空気が変わる。
武道の心得などない慈雨にもわかる、それは闘気だった。
年端もいかない女の子から、そんなものを感じ取る。異常すぎる状況故に、慈雨のこころは、すうっと冷えた。
冷え切って、それゆえに、現実的な冷たい判断を下す。
「ここでなにかすると、近所に迷惑がかかっちゃう。場所を移そう」
ヴァレーリヤは少し驚いた顔をして、頷いた。
***
決闘と言えば河川敷。
そんな中途半端な知識に従ったわけではないが、それ以外に「広くて、夜中に物音を立てても迷惑が少なそうな場所」というものが慈雨にはとっさに思い付かなかった。ヴァレーリヤは拍子抜けするほど素直にあとをついてくる。あの時奥の部屋にいたアンバーだが、慈雨が移動するのを察してついてきてくれている。わざとらしいほどあからさまな尾行は、ヴァレーリヤへの牽制……であってほしいと慈雨は祈った。
「……着いたよ」
「ん」
時間にして、五分以上十分以内。慈雨には永遠のように感じられたが、ヴァレーリヤは平気な顔だ。
「で、決闘……するの?」
「そう」
「よくわかんないけど……君と俺が決闘して、君は勝つと得をする……ん、だな?」
「……そう」
わかりやすく表現しようとしたつもりの慈雨だったが、結果的に「わかりやすい」より「頭悪い」になってしまい、少女は憮然とした表情で彼を見上げた。
「あと、わたしとあなたの決闘というより、使い魔同士の決闘……術者も、手、出せるけど」
さすがにわれと汝は標準装備ではないらしい。
「とにかく、使い魔、出して。生身の人間、殴りにくい」
「いや、あれが使い魔なのかもわかんないんだけど……」
背後の暗がりに向けて名前を呼ぶと、上からアンバーが降ってきた。ついてきたのは知っているがまさかそんなところから出てくるとは思わず、慈雨は悲鳴を上げて醜態をさらした。ヴァレーリヤは最初呆れた顔で様子を見ていたが、アンバーを見つめるうち様相が変わってきた。
「物置の本開いたら出てきたんだよ……なんかイメージと違うんだけど、こいつが”使い魔”なの?」
「違いない、と思う」
「思うって」
一歩前に出る慈雨。ヴァレーリヤが胸に下がったペンダントを左手で握りしめる。
「思うけれど、その使い魔、カタログにはなかった」
少女の右手が挙がった。
夜空――ではなく、もっと近い位置に光点が五つ。それは街灯よりもさらに近かった。
(なんだろう?)
呆けて見上げる慈雨が正体に気づいた時には、アンバーと一緒に河川敷に転がっていた。心臓がばくばく言っているのが嫌というほどわかる。
剣か、矢か。とにかくまっすぐで長い光条が、明確な敵意を持って自分に突っ込んできたのだ。上になっていたアンバーが起きてどく。さっきまで慈雨がいた地面は、薄っすら煙を上げている。燃えていたり、クレーターができていたりという漫画さながらの演出はなかったが、慈雨はずっしりとした重さで「殺される」と感じた。
「大丈夫か」
「うん……」
引きずられるように、アンバーに起こされた。乱暴に過ぎる回避行動であちこち打って擦って、痛くないと言ったら嘘になる。けれどそんな痛みを気にしている暇はなさそうだ。
「アンバー、ああいうのできる?」
「できん」
「そんな気はしてたよ……」
恐れおののく慈雨を見据えて、ヴァレーリヤは右手をしぱしぱ握って開き、きょとんと首をかしげて「いい?」と尋ねた。
「よくない!」腹の底から叫んだ後に、そっとささやく。「逃げれる?」
「算段はないでもない……やってみよう」
頼りない相棒だ。
もっとも、急ごしらえの相棒に迅速な対応を求めることこそが非情なのかもしれないが。
隙のないヴァレーリヤと腰の引けた二人組は、じりじりと距離を詰めた。




