その12 ヴァレーリヤ嬢は疾風迅雷
己の使い魔が身じろぎしたことにより、添い寝していたヴァレーリヤは目を覚ました。申し訳なさそうに後ずさる使い魔にかまわないと手を振って、理由を聞く。「彼」はやろうと思えば何時間でも同じ姿勢でいられるので、理由もなしにかりそめとはいえ主を起こすようなことはしないはずだ。
「敵が」
答えは簡潔だった。ヴァレーリヤは「彼」のこういうところも好きだ。今のところ「彼」に嫌いなところなど一つもなかった。叶うならば今すぐ生涯の使い魔としたいくらいだし、彼女の実力と伸びしろなら、今すぐにでは無理でも将来的には可能になるだろうから、その暁には正式に契約を交わさずにはいられないと彼女は思う。
「五人目?」
「彼」には四人の相手と魔力の質を覚えさせている。知っている相手にここまで派手に驚くほど、気の小さい「彼」ではない。
「是」
「……行くわ。叩き潰す」
「是。わが公主ひめ」
ごくわずかしか眠れていないはずのヴァレーリヤだが、その瞳はらんらんと輝いていた。完全に臨戦態勢である。
いくら話が通っているといっても、今の彼女にとってはエレベーターを降り、フロントを通ることすら煩わしかった。
素早く窓を開ける。ここは十二階だ。鋭い夜風が部屋に吹き込む。ヴァレーリヤは躊躇いなく、跳んだ。
その後を追う夜空より黒い「彼」は、危なげなく彼女に追いつき、翼を広げて舞い上がった。
***
ぴんぽーん。
永久に続くかと思えた不毛な作戦会議が、止まった。
「……ご家族が帰ってきたのか?」
「まさか。こんな時間だぞ」
慈雨の家族の旅行先から自宅まで、この時間に着くような電車もバスもないはずだ。家族以外となるとセールスが真っ先に連想されるが、この時間はさすがに、非常識に過ぎる。
「居留守を……」
「それだな……」
ぴんぽーん。
しつこい。
よく考えれば、先ほどまではばかることなく展開していた作戦会議の内容はともかく、声が外に漏れ出ていただろうことは想像に難くない。
「変な宗教じゃないのか」
アンバーも気持ち悪そうに眉を寄せる。
「相手が諦めるのを待とう」
ぴんぽーん。
無慈悲にチャイムは鳴り続ける。
二人がこそ泥のように息をひそめていると、もうそれ以上は鳴らなかった。
諦めたか。
ほっと息をつく間もなく、声がする。
《出てこないなら、壊して入る》
外でしゃべっているとは思えないほど鮮明にはっきり響いたその声は、可憐な少女のものだった。そして声のみならず、彼女が”本気”であることまでも嫌というほど伝わった。
「とりあえず……俺、行ってくるわ」
おっかなびっくり慈雨が立ち上がる。それを案ずるようにアンバーは手を伸ばしたが、途中でひっこめた。慈雨が制したせいだ。
「ヤバそうだったら出てきてほしい……あんた、俺より喧嘩強そうだし、顔怖いし」
「……わかった」
神妙にうなずくアンバーを残して、玄関に向かいう慈雨。チェーンがかかっているのを確認。超常現象と吸血鬼に立ち会って、こんなものあって無きが如しじゃなかろうかと脳裏によぎるが、無いよりましと言い聞かせて、鍵を開ける。扉を開く。
隙間から顔を出したのは、ぞっとするほどの美少女だった。
声からして可憐であったが、そこから想起されるべき少女の何倍も、彼女は美しかった。紺のケープ、紺のスカート、微かに覗く白いブラウス。二列に光る金ボタンがアクセントとはいえ地味な服装であったが、それはすべて彼女の美貌を引き立てるためにあるのだった。金と銀の中間あたりの微妙な色彩を持った髪を所謂ツインテールに結って、肌はあくまで白く、髪よりやや濃い色の睫毛に彩られた薄氷色の瞳が慈雨を見つめ返す。神が己の趣味で造形したかと思うほどの美しさを前に、慈雨は一瞬、意識を飛ばした。
「……どちらさまですか」
意識を取り戻して、何とかそれだけ尋ねた。彼女は満足げに微笑み(それだけでも世界が揺らぐような心地が、慈雨にはした)、薄い胸に空気を一杯吸い込んで、可能な限りの声で返事をした。
「われ、髑髏城のヴァレーリヤなり! 汝に決闘を申し込む!」




