その11 ゴルダミングの個人授業
結局5分以上の攻防を経て、慈雨はアンバーを寝床から引っ張り出すことに成功した。ぐしゃぐしゃの髪を手櫛で整えながらも、アンバーはまだ半分眠っているらしく舟をこいでいる。器用な男である。
「……起きろよ。冷たい水飲むか」
「いらん……この身は血しか受け付けん……」
水も飲めないとは不便な体だ。喉が渇いたらどうしているのであろう。どうでもいい疑問が慈雨の頭をよぎる。
「血でないものを腹に入れたら便座にしがみついて泣きながらゲロを吐く羽目になる……」
「吸血鬼って大変なんだな。いいから起きろ」
それでもアンバーは生返事をして舟をこぐばかりだ。
腹に入れちゃあいけなくっても、触るくらいなら害もあるまい。そう思って慈雨は居間にとんぼ返りすると、どこぞのケーキ屋の保冷剤を冷凍室から掘り当ててきて、やっぱり寝室にとんぼ返りし、アンバーの横っ面にぴったり当てた。
「ぎゃっ」
と叫んでアンバーは床に転がった。
「起きた?」
「起きた」
そこはかとなく恨みがましい目ではあったが、気にしていたら始まらない。
「まずなんでおたく、異世界? に放り出されてもそんなに無遠慮にやっていられるわけ?」
「端的に言うと――開き直った」
毛布の上で、アンバーは胡坐をかいた。腕も組んだ。人ん家に間借りしておいて、ふてぶてしいことこの上ない。それでいても実に(慈雨にとっては)悔しいところだが、アンバーは実に絵になった。元の造作がいいのだ。それに、立ち振る舞いが美しい。
慈雨は気づいていないが、その手の所作に慣れたものに対しては、とってつけて誇張したような印象をいささか、受けるが。
「舞台の上の俳優と、自分を思うことにした。それでもってなおかつ、一番いい役をやっていると」
「吸血鬼って言ってたけど、生前は役者さん?」
「役者……まぁ、近いな。その類の職業になりたかった者さ」
アンバーの顔つきが苦々しく、曇る。追求しないほうが吉、と慈雨は判断した。彼の過去のいざこざよりも、優先すべき話がある。
「それはさておき、僕ん家じゃ何日もアンタをかくまっておけないのは言った通りだろ。これからどうするんだ?」
アンバーはクレジットカードや通帳なども持っていたのだが、いずれもこっちでは通用しなかった。何件ものコンビニや銀行、郵便局まで回った慈雨だが、残念ながら徒労に終わった。
「貴金属やその他装飾品の換金は面倒なのか? 少しだけならそっちの持ち合わせがあるが」
耳に気障ったらしいピアスを光らせているだけあって、アンバーのポケットには綺麗な貝殻のブレスレットが一つと、素人の慈雨が見ても「高価だろうなぁ」と思う指輪が二つ入っていた。何でこんなものを持ち歩いているのか聞くと「念のため」とのことだった。
「よくわかんないな。僕、そういうのやったことないし」
「困ったこったな」
「全くだよ」
慈雨は嫌味を言ったつもりだった。
しかしこの異邦人は、ただ言葉面の通りに受け取っただけだった。
(修行が足りん)
嫌味に修行も何もなかろうが、慈雨はしみじみとそれを噛みしめた。
***
「ルイの使い魔は見たことと思う。あれは実に強い。魔術にも秀でるし、武術でも引けを取らん。今までの決定戦でも毎回のように喚起されている代物だ。またやり合う機会があれば、油断は禁物」
「あい」
「ヴァレーリヤ嬢は私も親交があるが、質実剛健な使い魔を選ぶ傾向にある。逆に言えば、騙し合いはあまり警戒し無くてもよい」
「あい」
「迅乃嬢については……ほとんど話したこともない間柄だ。どんな使い魔を従えているか知れぬから、もし対峙するとなればよくよく注意をするのだよ」
「あい」
どちらかと言えば、これは逆である。
この決定戦ではだいたい喚起される使い魔が固定化している。なので喚起した魔術師が、使い魔から戦うべき相手の使い魔の情報を得るのが普通だ。
しかし子隼はど素人である。
喚起に応じることすら初めてというど素人なのだ。
そのため本来のやり方とは反対に、魔術師が使い魔に勝手を教える、実に奇妙な状態となっている。
そして、彼が警戒しているのは、すでにわかっている相手ばかりではない。
「五人目の参加者は……どこの誰かもわからんと聞く。もし、見慣れない人物から強い魔力を感じたならば、それが五人目である可能性を常に考えるように」
「あいっ!」
返事はいい。いいのだが、そこはかとない不安を感じる彼であった。