眠り
はっと目を覚ますと部屋の中は真っ暗になっていた。寒さに身震いし、近くに落ちていた小さな毛布を引き寄せる。
いつの間にか眠りに落ちていたらしい。ずっと床に座ったままでいるせいか、肩も背中も足も痛い。そっと肩を回すと、パキッと思いのほか大きな音がした。毛布を肩に羽織って傍らのベッドをのぞき込む。
「新?」
新は眠ったままだった。仰向けで、左に少し顔を傾けて。最後に見た姿勢のまま、規則正しく胸のあたりを上下させている。ベッドの傍の小窓から月を見ると、そんなに時間は経っていないようだ。
「新、もう目を覚まさないの?」
そっと呟いた。月明かりに照らされた新の肌は、一昨日から何も食べずに眠っているせいか、朝一番に掬った雪のように白い。
3日前までは、新はまだ眠りから目を覚ましていた。最後に目を覚ました時はベッドに座ったまま、起き上がることはできなくなっていたけれど、それでも私が採ってきた木の実を食べてくれた。半分くらい残して、また眠りに落ちた。
そっと閉じられた目の長い睫毛が、蝶が羽を震わせるようにかすかに揺れる。その後、必ず新は眉間にしわを寄せた。苦しそうな表情に何度も起こそうとして、でも踏みとどまった。眠りについた者を起こすなんて、そんなことをすれば何が起こるか分からない。
それに、眠りについている新の表情は息が止まるくらい美しくて、ずっと見ていたかったのだ。
新に最初の眠りが訪れたのは半年くらい前だ。仲間のうちでは早い方だった。でも、眠りを半年も繰り返すのは、私たちの知る限り異常なことだ。普通は最初の眠りの訪れから長くても3カ月くらい、早ければ1週間ほど眠りと目を覚ますのをを繰り返し、やがて眠りが訪れる感覚が短くなって、最後には目を覚まさなくなる。それまで訪れた眠りがどんなに苦しそうでも、最後は木漏れ日の中の薔薇の花のように美しい、幸せそうな微笑みをたたえて、みんな目を覚まさなくなるのだ。
誰にでもいつか必ず訪れる眠り。2週間前、鈴が目を覚まさなくなってから、目を覚ましているのは新と私だけだった。
半年前初めて新が眠った時、私は、さすがだな、と思った。なんでもできて、なんでも知ってる新なのだ。最初の眠りの訪れも早くて当然だった。その頃はまだ私や鈴だけじゃない、彩だって陽だって、眠りが訪れたことは一度もなかった。
新の眠りはいつも苦しそうだった。ごく稀に嬉しそうな表情を浮かべることはあっても、すぐに辛そうな表情に戻り、そして目を覚ますのだ。
新と同じ時期に最初の眠りが訪れた紅は、それから1週間後には目を覚まさなくなった。その5日後には、最初の眠りの訪れから3日という異例の早さで風が目を覚まさなくなった。
2週間後には彩が目を覚まさなくなり、1カ月後に最初の眠りが訪れた陽は、じっくり3カ月かけて目を覚まさなくなった。新は本当に嬉しそうだった。陽が眠れてよかった。ずっと心配だったけど、これで安心して眠れる、と陽に向かって微笑んだ新は、それでもまた目を覚ましていた。
目を覚ましてそっとため息をつく新は、不謹慎だけど、美しかった。
私は新が目を覚まさなくなってしまうのが嫌だった。目を覚ます度に悲しそうに俯く新を見たかった。私が悪い子だから目を覚ましてしまうのね、なんて自分を責める新が愛しかった。
ベッドの傍らで新を慰めながら、私はこの上なく幸せだった。眠りですら、私をこんなにも幸せにはしないのではないかと思う。
こんなこと、新は勿論、他の誰にも言えない。眠りは祝福されるものだ。目を覚まさなくなることは、誰もが望む、一番の幸せなのだ。眠ってほしくないと願うのは、不幸を願うのと同じだ。
私は新に幸せになってほしい。新の寝顔は美しい。でも、目を覚ましている新と一緒にいたいのだ。新とごはんを食べたいし、新の話を聞きたいし、新に笑いかけてほしいのだ。
私の幸せのために、新の不幸を願うなんて、最低だ。私は、きっと罰を受けるだろう。
新はまだ眠っている。今まで見たことがないくらい和らいだ表情を浮かべている。美しくて幸せそうで、見つめていると涙が出そうだ。目にかかっている綺麗な黒い前髪をそっと払っても、新は目を覚ます気配はない。睫毛を震わせることもなく、眉間にしわを寄せることもなく、穏やかな寝息を繰り返している。
「新、しあわせ?」
月明かりの差す寒い部屋。新の寝顔を見つめて、私はあくびをひとつした。
眠り、それは○○の象徴。誰かが眠っちゃうのは、嬉しいはずなのに、なんか嫌だ。