第2話 伝えられなかった言葉
「いらっしゃーい。もうちょっとでこっちの作業が終わるから、まぁその辺にでも座ってて」
学園長の最初の一言はそんな言葉だった。一見すると軽すぎる気もするのだが、アリスとコレットは何も言わず指定された通りにソファーに座る。
エルドアの中で広さ的にも人数的にも一番規模の大きい学園、それがこのエルドア学園だ。そしてその学園の学園長となっているのが今アリスとコレットの視線の先でパソコンを扱っている女性。
名前は「篠崎真莉音」。特徴的な二つのピンクの巻き髪。瞳は少々キツそうなツリ目で、細身な身体は茶色のスーツに身を包まれている。
彼女はしばらくしてタイピングを終えると「んーっ」と小さな背伸びをし、アリスたちの元へとやってきた
「急に呼び出して悪かったね……あっ、コーヒーでも飲む?」
「あの、真莉音さん。私たちって緊急で呼ばれたんですよね?今はそれどころじゃ……」
「まぁまぁ、そう言わずにさ。その様子だと走って来てくれたんでしょ?そんな状況じゃ今回の依頼を落ち着いて聞けないよ」
「依頼、ですか」
「そう、今回の要件は依頼。しかもちょっと大変なヤツなんだ。それで、二人はコーヒーでいいの?」
「……私はコーヒーに砂糖を一つお願いします。アリスは?」
「わ、私はコーヒーは苦手なのでカフェオレでお願いします」
アリスが少々焦りながらそういうと、真莉音は小さく笑った
「そうだったそうだった。アリスは苦いのが苦手だったっけ。ごめんごめん」
「むぅ、もしかしてせんせー、子供っぽいってバカにしてませんか?」
「いやいや、してないよ。アリスの見た目的にピッタリなチョイスだから可愛いなって思っただーけ」
そんなことを言いながら真莉音が隣の部屋へ移動する。それから彼女が戻って来たのは数分後の事だった。
アリスとコレットの前に置かれたのは注文通りのコーヒーとカフェオレ。コレットが隣に添えられた容器から角砂糖を人る取出し、コーヒーの中に入れて溶かす。
アリスはカフェオレなので砂糖を入れず、カップに口を付ける。正直な感想を言うと美味しかった。 コーヒーとミルクの分量調整が上手なのだろう。苦みを感じる事なくどちらかと言うと甘さが強い
「最近は自分でコーヒーとミルクの配合を研究してるんだ。今回のはミルク多め。どうどう?気に入った?」
「はい。苦みが無くて甘くて……」
「まさに子供舌にはピッタリ?」
「はい……ってせんせー!?」
「あはは、ごめんごめん。アリスをからかうのが面白くって。んで、コレットの方はどう?気に入ってもらえた?」
「えぇ、とても美味しいです。今度どうやって作ったのか教えて下さい」
「いやいや、教える何も感覚で配合しただけだよ。あとは……って、まぁいいや。それは今度学園全体でお菓子パーティでも開いたときに教えようかな」
そこまで言うと真莉音は持っていたカップを置いた。同時に表情が引き締まったモノへと変わる。
話の内容が変化するのは明らかだった。真莉音が咳払いをする
「落ち着いた所で本題に入らせてもらうよ。二人は最近エルドアで起こっている異変を知っている?」
「異変……植物の変色のことですか?」
「そう。アレが今、エルドアの街で大きな問題になっていてね。事態を把握する為に学園の研究者が変色した植物の調査したんだ。その結果、原因が判明した」
「その原因っていうのは?」
コレットの問いに真莉音は短い沈黙を挟み答えた
「……ユグドラシルだよ」
「ユグドラシル?」
「ユグドラシルが原因って……どういうことなんですか?」
「調査を行った木々の内部からユグドラシルのモノと思われる魔力が検出されたんだよ。それが原因で異常が起きているんだ」
「なるほど」と小さく呟きアリスが一瞬だけ納得の表情を浮かべる。がすぐにそれは変わった。
同時に隣にいたコレットが眉をひそめながら真莉音に質問をぶつける
「でもユグドラシルは少量であれば常に魔力を放出しているはずです。そしてユグドラシルの位置はエルドアの中央部分。ユグドラシルの魔力を他の木々が吸収してしまうのも、そう珍しくないんじゃないですか?」
「確かに、少量なら耐性が付いてると思うよ。けど今回検出された魔力量は少量とは言えない。過剰と言える量なんだよ」
「過剰……?じゃあユグドラシルがいつもよりいっぱい魔力を出して、それを植物たちが吸っちゃってるってこと……?」
「簡単に言えばそういうこと。そこから私たちはユグドラシルに何らかの異常が起きた影響で魔力の過剰な放出が発生していると判断した。ここまでくれば依頼内容は……分かるかな?」
「その原因の調査と解決ですか」
「そういうこと。けど、解決は出来たらでいいよ。一番の目的はユグドラシルにどんな異常が起きているかの調査だからね」
話が終わった合図かのように真莉音がカップを手に取りコーヒーを飲む。その間、二人はカップを手に取る事もせず、黙り込んでいた。
アリスは考えていた。調査だけなら戦闘の苦手な自分でも何とか出来るかもしれない、と。だから真莉音の依頼に対して拒む必要はないと思っていた。
するとコレットはその沈黙を破り、そして言った
「だったら私一人で行かせてください」
「えっ……?」
アリスが驚き思わず声をこぼす。一方のコレットは真剣な表情で真莉音に視線を向けている。
そんな二人を真莉音は冷静な表情と瞳で見ていた。カップがテーブルの上に置かれ、真莉音が口を開く
「……その理由は?」
「調査だけなら私一人でも出来ると判断したからです。それに二人で向かって軽い戦闘が発生した場合、アリスの身に危険が及ぶことになります。それは絶対に避けたいんです」
「…………」
真莉音は黙り込み、再びコーヒーを飲む。その間もコレットの表情に変化は無かった。アリスはその場の空気の重さに圧倒され、まるで怯えた小動物の様にしている。
それから真莉音が口を開いたのは数十秒後のことだった
「分かった。一人で行くって言うならそれでもいいよ。こちらとしては調査さえしてもらえればいいわけだからね」
「ありがとうございます」
コレットが頭を下げるその隣でアリスの顔に寂しさが浮かぶ。だが何かを口にすることは無かった。それを確認した真莉音は内心でため息をつきながらカップを手に取る
「一応言っておくけど、こっちもちょっとした問題を抱えててね。日本から魔法師見習いとして来た子がどこかに行っちゃったんだ。だからその子を探さなきゃいけない」
「真莉音さんは調査には同行できないって事ですよね。大丈夫です、私一人で何とかして見せます」
「そう。それじゃあまぁ、よろしくね」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真莉音から調査依頼を受けた翌日、アリスとコレットはエルドアの街とその外を繋ぐ巨大な「門」の前にいた
「コレット、ちゃんとディレクトリは持った?ゲージはちゃんと溜まってる?」
「ふふ、大丈夫よアリス。街の外に行くのにディレクトリを忘れる様な事はしないわ」
心配そうな表情のアリスにコレットは微笑みながら自身のディレクトリである「ヴァルハラ」を見せ、光の粒子に変える。
コレットの性格上、ディレクトリを忘れることがないのは分かっていた。それでもアリスは彼女と何かを話したくて確認した。
だが会話はそれだけでは足らず、聞くかどうか迷っていた様な事も言っていいか考える間もなく言葉として発してしまう
「あのね、コレット。その、本当に一人で行くの……?」
「えぇ、アナタを危険な目に会わせるわけにはいかないもの。だからその分、クッキーを作って待っていて。私はそれを楽しみに頑張るから」
「…………」
アリスが小さく頷くとコレットは彼女の頭を撫でる。
二人の前にある巨大な門が音を立てて開き始めた。エルドアの街の外に出るための門。魔力によって作動し完全に開いた状態となった事を確認すると、コレットはアリスの頭から手を離す
「じゃあ行ってくるわね」
「う、うん。……あ、あのね、コレット」
「ん?」
「あっ、えっと、その……わ、わたしっ!!」
両手を胸の前で握りしめ精一杯に声を出す。
自分の中に浮かぶ言葉を伝えようと前進に力を込める。
そして、出てきた言葉は―――
「……私も美味しいクッキーを準備しておくから、コレットも頑張って」
「えぇ、それじゃあ行ってきます」
コレットはまるで遠足にでも行くかのような笑顔を見せて歩き始めた。そして数秒後、彼女が通った事を確認し門はゆっくりと閉じていく
「コレット……」
振り向くことなく歩き続けるコレット。そんな彼女をアリスは門が完全に閉まるまで見つめていた