第90話 もう一つの切り札
戦場と化したその荒野はつい数秒前に戦闘あったとは思えないほど静けさに満ちていた。まるで時が止まったかの様にすら思える。
そんな空間で一人の少女の声が響いた。天川美加の声だ
「終わらせる……?」
彼女の言葉に陽花がコクりと頷く
「そうだよ。私にはアナタに勝つ為の切り札がある。それでこの戦いを終わらせる」
「そう、終わらせるんだ。へぇ……」
まるで噛みしめるかのように美加がゆっくりと呟いた。
瞳に溜まった涙を服の裾で拭い、ニヤリと小さく笑みを見せる。狂気ではないがそれに近い笑み。それを浮かべながら美加は首を傾げた
「あは、あはは……アハハッ!!それってもしかして、勝利宣言ってヤツなのかな?ねぇ、私を倒せるって言いたいの?もしそうなんだとするなら……うん、随分とナメられたもんだよね」
その瞬間、美加の笑みが消え去った。その表情は一変し、怒りの籠った瞳が真っ直ぐに陽花を睨み付ける
「いい気にならないでよ。別に陽花が有利になったわけじゃない。アナタはただ私との戦いを続けるってだけ。そして……」
美加は左手に持ったカードを見せた。それはこの戦いに大きな影響を与えている禁断魔法≪ブラック・グラビティ≫のカード。それを見せつける様に揺らすと彼女の声色が得意気の込められたモノへと変わっていく
「アナタの攻撃は全部この≪ブラック・グラビティ≫が防いでくれる。ねぇ、この意味が分かる?私に負けはない。アナタに勝ちはないってことなんだよ」
「そんな事ない。≪ブラック・グラビティ≫にだって突破方法はある。勝ち目は必ずある」
「そう、まだそんなこと言うんだね。だったら……試してごらんよ!!」
目を見開き地面を蹴り上げ、美加が陽花に接近しようとする。陽花の様な遠距離魔法を得意とする魔法師が基本的に苦手とする間合い、近距離戦に持ち込もうとしているのだ。
そんな彼女を目の前にして、けれども陽花に焦りの様子はない
「ここからが勝負……いくよ、リク」
「『うんっ!!』」
「「『≪アルティメガス・ジオ・グラビティ≫』」」
「ムダだよ!!≪シャドウ・イリュージョン≫!!」
陽花の口から魔法名が放たれた。同時に美加は≪シャドウ・イリュージョン≫を発動させ、その姿が消える。
唱えられた魔法は未知のモノだったが、姿を消すことでそれを回避し、加えて陽花の後方に現れる事でその隙を付こうと考えたのだ
「そんな単調な攻撃が当たるわけ―――えっ!?」
姿を現し、僅かに浮遊した美加の身体が地面に着地したその瞬間、彼女の足元を過ぎ去っていく波動。見てみるとそれは陽花を中心に全方向に放たれたモノであり、何度も何度も波となって広がっていく。
それが彼女の使った≪アルティメガス・ジオ・グラビティ≫のエフェクトだということは即座に理解できた
「うぐっ!!」
変化はすぐに訪れた。重力が一気に強くなり、立っている事も出来ず地面に膝をつける。歯を食いしばりながら美加は反射的に顔を上げた。
その視線の先にいるのは陽花。発動の動作としてルミナスを振り終えたのであろう彼女は右腕をゆっくりと降ろし、振り返える
「≪アルティメガス・ジオ・グラビティ≫、≪グラビティ≫の強化版魔法だよ。その効果範囲は自分の周囲全体。だからどんなに場所を変えたとしても、私との距離が離れない限り回避することは出来ない」
「だったら、ここから攻撃すればいいだけでしょ!!」
「―――ッ!!」
美加が魔力弾を放つとほぼ同時に陽花の右手に力が込められる。すると弾は急に動きを止め、地面に向かって落ちてしまった。その衝撃で爆発し、小さな煙が発生する
「攻撃が届かない……!?」
「その重力の中なら射撃系の魔法は重力を強める事で止められる。もちろん、込められた魔力や強さによって限界はあるけど、力を消耗した今の美加が撃った魔法ならそのどれもが止められる」
「……そう。これで私はその魔法が解除されるまで、まともに攻撃も出来ないってことね。厄介だなぁ、うん。本当に厄介だよ」
そう言いながら、美加はわずかに動く手で≪ブラック・グラビティ≫のカードを握り、すぐに発動が出来る様セットする
「だけど……だからどうしたの!?まだ終わりじゃない。この状態でも≪ブラック・グラビティ≫は使える。これで陽花の攻撃を凌いでその魔法が解除されれば、今度は魔力が枯渇した陽花を私が倒すだけ。そうだ、私はまだ戦える。私は……私は負けてなんかない!!」
「そうだね、この魔法を使ったからって私が勝ったわけじゃない。≪アルティメガス・ジオ・グラビティ≫は私がアナタを倒すために用意した切り札の一枚。だけど切り札は一枚じゃない」
「一枚じゃ……ない!?」
「美加、見せてあげるね。私の全てをかけた、もう一枚の切り札を!!リク、ルミナス、いくよ!!リミットバースト……2nd!!」
「『ゲージ、フル・ブレイク!!』」
陽花とリクの声と共に強い光が放たれた。ルミナスに溜めこまれた魔力ゲージが全て破壊され、陽花の中にあった「限界」が強制的に突破されたことで、溢れて零れ纏った風の様に靡く魔力。その全てが陽花の右手に握られたルミナスへと集束されていく。
そして陽花がルミナスを一振りした瞬間、美加は驚愕した
「なに……これ……」
彼女は空を見上げていた。光によって若干明るさを取り戻した空はまるで夜明け前の様な光景となっている。だがそんな事はほんの些細な事にすぎなかった。それ以上に目立つモノがあったのだ。
明るさの中で見える謎の巨大な塊。漆黒の黒と呼ぶに相応しい空とは違う色の黒い何かがそこにはあった。
「岩石」―――そう理解するのに大した時間はかからなかった。巨大な岩石が空に穴を開けたかの様に浮かび、その周囲には謎の物体の小型版といえるであろうモノが浮遊している
「こんな大量の岩石を一瞬で創り出した……!?それだけじゃない。この全てをコントロールして浮遊させるなんて、並みの魔力量じゃ出来っこない。こんな事すれば魔力なんて残らないじゃない!!」
「そうだよ。だから、これが私の全てなんだよ」
「……だけど、これだって魔力の塊なんだ。魔力なら≪ブラック・グラビティ≫で吸い込んで防げる。……アハハッ!!残念だったね、陽花!!アナタの切り札は私には効かな……」
「確かに、魔力だけをぶつけても≪ブラック・グラビティ≫は攻略できない。だけどそこに「魔力じゃない物質」が入ったらどうなるかな?」
「魔力じゃない物質……?」
「この浮かんでいる岩石は地表の岩石を瞬間移動で空中に移動させて、纏った魔力を変換して石に変えている。つまり、魔力と岩石の融合体。これがもし美加に向かって飛んで行ったなら≪ブラック・グラビティ≫でも防ぎきれないんじゃない?」
「ッ!?」
美加のセットした≪ブラック・グラビティ≫が吸収できるのはあくまで「魔力」のみ。仮に魔力を吸収したところで残った岩石が≪ブラック・グラビティ≫を通り抜け、美加の元に届いてしまう。
理論上、美加に勝ち目は無かった。だが彼女は怯える事がイヤで強がりに、狂ったように笑ってみせる
「アハハ……アハ……アハハッッッ!!考えたね、陽花。だったら試してごらんよ。その攻撃を通すことが出来れば陽花の勝ち。逆に防げれば私の勝ち。これがこの戦いの……最後の勝負だよ」
「―――貫け‼」
「「『≪重力流星群≫!!!!!!』」」
「≪ブラック・グラビティ≫!!!!」
両者の声が響き渡ると共に空中の岩石たちにかかる重力が強くなり、勢いよく美加に向かって降り注ぐ。
対する美加の目の前にはこの戦いで何度も攻撃を防いできた漆黒の重力が姿を現した。彼女は顔を上げ、その右手と≪ブラック・グラビティ≫を襲いかかる流星群に向ける。
それぞれの魔法の発動と衝突はあっという間だった
「ッ‼」
美加が反射的に力を込めた。一方、彼女に接近した≪重力流星群≫は手前に仕掛けられた≪ブラック・グラビティ≫に触れた瞬間、魔力を吸い取られ急激に収縮する。
だが攻撃が止まる事はなかった。黒く渦巻く重力を抜け、勢いを失うことなく美加の足元、正確にはそれに近い場所に激突する
「くッ!!」
小さな無数の攻撃が次々と美加の周囲に着弾していく。その衝撃は一つ一つは小さいが数が増えれば増える程、美加にダメージを与えていく。
そして、最後に一番巨大な岩石が≪ブラック・グラビティ≫と接触した。だが、それも今までのモノと変わらない。大きさは少々小型となったが、岩石と呼べる形を保持したまま美加の目の前に落下する。
その衝撃は他のモノとは違っていた。中規模な爆発が起きたかのように煙を上げ、美加の身体が吹き飛ばされる。
この時、彼女は感じた。唯一の勝ち筋であった≪ブラック・グラビティ≫を攻略されたのだと。
それはつまり、自分自身の負けである……と
「美加っ‼」
響いたのは叫ぶような声だった。美加が声のする方を見てみると陽花がこちらに向かって走り、近づくなり膝を曲げて飛び込むように美加を抱き抱える。
陽花の息が荒い。美加はそれを不思議な面白さを感じ、少しムリに笑って見せる
「どうしたの、陽花。そんなに息切らして。らしくないよ。陽花は……勝者はもっと、余裕持ってなきゃ」
「……美加こそ、ムリに笑う必要なんてないんだよ」
「あはは、バレたか」
舌をちょっぴり出して美加がいう
「……あーあ、負けちゃった。禁断魔法まで使ったのに私、負けたんだね。なんていうか、ホント悔しいなぁ」
「ごめんね。あの技、痛かったよね……?」
「……うん、痛かった。すごく痛かったよ。けどそれ以上に嬉しかったかな」
「嬉しかった……?」
「うん。陽花と同じレベルで戦えたってことが嬉しいんだ。もちろん≪ブラック・グラビティ≫を使っての結果だから満足はしてないけどね」
言葉とは違い、満足げに語る美加。その表情はどこか暖かく、ついさっきまでのモノとはまるで違う。
そんな彼女を見て、陽花は呟くように言葉をこぼした
「カードに込められた魔法は誰でも扱えるわけじゃない。適正問題があるし、それをクリアーしたってそれなりの力を持ってないときっと発動も出来ない」
「それってつまり、≪ブラック・グラビティ≫は私に適性があって、なおかつ私の実力を認めてるってこと……?」
「だと思うよ。むしろ今回の戦いにイレギュラー要素があるとすれば、美加のちょっとした魔力暴走じゃないかな」
「……それがなかったら、私、陽花に勝てたのかな?」
「そんなの分からないよ。もちろん私だって勝ちを譲る気はないんだから」
「相変わらず負けず嫌いだなぁ。そういうとこ、ホント変わってないね」
少々辛そうに、だけどハッキリと笑顔を見せる美加。そして
「陽花、ありがとう。アナタは私の、最高の親友だよ」
彼女は瞳に涙を浮かべながらそう言った。溢れた涙が頬を伝って落ちていく。
「隠れた契約者」天川美加との戦いは紫乃原陽花の勝利によって終了した