第9話 弥生の想い
「それで、どういうことなんだ?」
教室の机の間に隠れた俺は隣にいる弥生に聞いた。
月明かりが俺達を照らし、微妙にではあるがお互いの顔が見えている。
弥生の表情はあまり冴えていない。そんな状態の彼女にいきなり聞くのはどうかとは思った。しかし、聞かなければ彼女の心は分からない。何を考え、何を思い、なぜ逃げたのか分からない。だからこそ、固まった口を開き、言葉を発した。
するとそれを感じとったのか、弥生も口を開いてくれた
「逃げたこと……ですよね」
「もちろん。俺は弥生のパートナーだ。聞かせてくれ。なんであの場で逃げたのかを。何か理由があるんだろ?」
「…………はい」
いきなりは話しにくかったのだろう。弥生の作った少しの沈黙。その間、なるべくプレッシャーをかけない様に脱力して待った。
すると、弥生は話しづらそうにしながらも、その理由を単刀直入に話してくれた
「…………怖かったんです」
「怖かった……?」
「はい」
弥生から発せられた意外な一言。怖がらせに来たのに怖い思いをしてしまったとはどういうことだろうか。
そんな事を思っていると彼女の言葉が続く
「私は怖がらせると言って来ました。だけど、もしそれに成功してしまった場合……どうなるか、分かりますか?」
「多分だけど、消える……のか?」
「その通りです。どんな風に消えるのかは分かりません。だけど、目的を達成してしまえば、私はこの世から完全に消えてしまう。そう考えると怖くなったんです。このままじゃまだ終われない。それに……イヤなんです」
「イヤ?」
「せっかく……せっかくハルと出会えたのに、このまま終わりなんてイヤなんです」
「弥生……」
「私は、もっともっとこの世界でハルやみんなと思い出を作りたい。楽しい事だけじゃなくて良いです。悲しい事、苦しい事があっても……それでもこの世界で、ハル達と一緒にいたって事実が、私は欲しいんです」
いつの間にか落ち込んだ顔は無くなり、必死に訴えてくる弥生がそこにいた。
大きな声ではないものの、その一生懸命さは十分に伝わってくる。
そんな姿に俺は圧倒されていた
「その一つとして今回みたいな出来事が欲しかったんです。ワガママだとは思いました。途中で止めた方が良いかなっても思いました。だけど、やっぱりハルと一緒にドキドキしたかったんです。でも、今回のは失敗でした。ハル、その……ごめんなさい」
弥生は申し訳なさそうに頭を下げた。つまり弥生が怖がらせると言ったのは嘘だったのだ。
だから潜入の時は楽しそうだった。
だから校内に入る時、人がいることを嫌がっていた。
この「ごめんなさい」はきっと、見つかるかもしれないという危険にさらしてしまった事、騙してしまったことに対する謝罪だろう。
だからいつもの明るさが無くなり、本気で謝っているよく分かる
「…………」
彼女は本音を話してくれた。そうなれば俺も本音を言うべきだろう。そう思った瞬間、俺は本心を口に出していた
「……結構、楽しいぞ」
「えっ……?」
「確かに本当はいけない事だし、危険もある。もし見つかれば停学は確実だろうからな。そこだけ見れば今回の事は絶対に嫌だったと思う」
「ですよね……」
「だけどさ。それを余裕で超えるくらい今が楽しい。普通出来ない体験にドキドキしてる自分がいる。さっきから冷静に装ってるけど、内心は結構楽しんでるんだ。弥生が最初に言った通りドキドキワクワクしてる。たまにはこういうのも良いかもな、なんて思ってる」
「ハル……」
落ち込んでいた顔がむくりと上がり、俺を見てくる。
明かりが月明かりのみなので、泣いているのかは分からない。
だが確実に、笑顔になった事だけはハッキリしていた。雰囲気で分かる。
俺の言葉で慰めることができただろうか。いや、あれは慰めなんかじゃない
「(俺の……本心だもんな)」
全く、こんな状況を楽しんでしまうとは。自分の本性に呆れて微笑してしまう。
弥生の方からも微笑の声が聞こえてくる
「えへへ、楽しんでくれてたんですね。よかったです」
「……ただし、今度からは止めてくれよ。結構心臓に悪いんだからな」
「はい、了解です」
「よし。それじゃあ……ここから脱出するとするか」
俺と弥生が立ちあがったその時、廊下の階段から音がした。コツコツという音が一定のリズムで響いている。
間違いない、人だ
「は、ハル!!足音です!!誰か来ちゃいますよ!!」
「そうだな。それじゃあ……さっさとここから出て行こうか」
「はい?」
俺は勢いよく弥生を背負い、教室のドアへと向かった。音のする階段とは逆方向のドアだ。
一方、急な事に弥生が慌てている
「ちょ、ちょっとハル!?」
「ん、どうした?」
「「どうした?」じゃありませんよ。今人が来てるって言うのに、なんでわざわざ廊下に出るんですか!!見つかっちゃいますよ!?」
「おいおい、今更そんなこと聞くのか?どうしてかって……そんなの決まってるだろ」
「……?」
「楽しいからだよ」
俺の言葉を聞いた瞬間、弥生はとても驚いてた。
無理もない。普段の俺はそんなこと言わないのだから。だが、今は違う。なぜかワクワクしていた。俺は今の状況を心の底から楽しんでいる
「……まったく、私の契約者さんは一見普通なのに、変な所でかなり変わった人ですね。けど……だからこそ、私にピッタリな最高のパートナーさんです」
「そりゃどうも。さて、見つかっちゃマズイからさっさと行くぞ。しっかり掴まってろよ」
「はい!!」
首に当たった2本の短い腕に苦しくない程度で力が入り、小さなその手はギュッと握りしめられた。背中に感じる温もりは強くなり、より密着した状態になる。
そして俺たちは、そのまま走って行った。
だがその時、俺たちは周りの状況に気づいていなかった
「……あの子ってこんな所にいたの。ったく、世話が焼けるわね」
そしてきっとこの時、事の歯車は本格的に回り始めた