第65話 ノワール
俺達が向かったのは第一研究室だった。第一研究室と第三研究室。大して離れていなかった為、数十秒で着く事が出来た。
しかし、室内から大勢の人々が飛び出していき、中に入る事が出来ない。通り過ぎていく人を見てみるとケガは無いようだった。だが、その顔は明らかに混乱しており、異常事態である事が伺える。
そして飛び出す人がいなくなった瞬間、俺達は室内に飛び込んだ。
そこにいたのは―――
「やぁ、初めまして……というわけではないんだが。覚えているかね?」
黒い帽子から瞳が姿を覗かせた。全身が黒のスーツで包まれ、口元は僅かに緩んでいる。
そして何より、彼の少し低めの声が俺の頭の中で響き続けた。俺はどこかで彼の声を聞いている。いや、聞いているんじゃない。僅かだが会話をしたことがあるはずだった。
そして、彼の言った言葉の意味を理解した。あぁ、確かに「初めまして」ではない。あの時―――京也さんと別れ学園に帰る際に聞いた「声」だ
「もしかして、あの時ぶつかった……」
「そう。その通りだよ。久しぶりだね、特待生の諸君」
「よく出来ました」と言わんばかりの拍手。それから彼は軽く頭を下げ、それをすぐ元に戻した。よく見ると、彼の周囲にある棚や実験機器は吹き飛ばされている。
爆発か、それとも風か。ともかく、何かを使って攻撃を仕掛けた事は間違いなかった
「部屋が荒らされてる……。これは、アナタがやったんですか?」
「あぁ、それか。周りの研究者達が邪魔になったのでね、魔法を使わせてもらったよ。≪ライラック・プルード≫、規模の小さい竜巻を起こす魔法だ。これでも威力はかなり落としてある。恐らく怪我人は出ていないだろう」
「……アナタ、名前は? ここに来た目的は?」
真剣な表情の陽花さんに、男は顎に手を当て「ふむ」と小さく頷く。まるで、この状況に危機感を持っていない様な落ち着いた素振りだった
「何者か、か。そう言えば自己紹介が遅れたね。私の名前は「ノワール」。ここには、カードロードシステムの成果公開を拝見しに来たんだよ。むろん、それだけでは無いがね」
「正直に言ったらどうだ。その研究成果を盗みに来た……って」
「盗む? いやいや、そんな事はしないさ。アレについては、キミたちの方でもう少し研究をしていてほしいからね。何より、今の私達には不必要なモノだ。時が来れば、その時にまた頂くとするさ」
ノワールが微笑した。その態度を見る限り、本当に取りに来たわけでは無さそうだった。その雰囲気を感じ取ったからだろう。良太が「ありゃ? そうなのか……?」と目を丸くしている。
すると、そんな彼の前に氷河が立った。その手には既にブリューナクが握られており、服装も戦闘時のモノへと変わっている。それを見て、ノワールの微笑は急に止まった
「……キミは一体、何をしているのかね?」
「貴様の様な不審人物の存在を認識した以上、拘束するまで油断するつもりはない。俺とこのサルを一緒にするな」
「は、ハァ!? 俺だって別に油断してたわけじゃねぇぞ? こう、相手とのコミュニケーションを……」
「……≪フリージング・ハイウォール≫!!」
「うおっ!!」
良太の言葉を遮り、氷河の魔法が発動された。氷の壁は僅かな凍結音と共に、氷河と良太の前に現れる。
刹那、何かが刺さるような音がした。同時に氷壁に小さなヒビが入り、それが徐々に大きくなっていく。そして壁が破れると、その奥でノワールがこちらに手のひらを向けていた
「ほぅ、≪スパラニッシュ≫を止めたか。いい反応速度だ」
「気を抜くな、サル。コイツは俺達を攻撃してきた。それはつまり、コミュニケーションを交わすだけで解決する様な事態ではない、と言う事だ。いくらお前でも、理解出来るだろう?」
「……まぁ色々と言ってやりたい事は多いけど、もちろん分かってるさ。ゴチャゴチャ言っても、目的は一つ。コイツを、倒せばいいんだろ? なぁ、鈴?」
「アンタはまた、変にカッコつけて……もう」
良太がニヤリと笑みを浮かべながら立ち上ると、ため息をついた鈴がその隣に並ぶ。そして
「「リンクコネクトッ!!」」
両者の声が重なった。一つの光が二人を包み込んだかと思えば、すぐに訪れた一瞬の煌めきと共に弾け飛ぶ。中から現れたのは「コネクト状態」となった良太だった。
全体を覆うのは炎を連想させる紅の装備。背中には同色のマント、腰には彼のディレクトリを収める少し大きめの鞘が備えられている。黒かった髪は金色へと変わり、荒々しく逆立っていた
「うっし、コネクト完了……ってね」
「良太。お前、それ……」
「へへっ、ハルよぉ。強くなってんのは、お前だけじゃねぇんだぜ?」
鞘からディレクトリ「アロンダイト」を抜きながら、良太が振り笑った。パートナーであるオバケとの融合「リンクコネクト」。どうやらその能力を彼も手にしていたようだ。
ノワールに向けて構えられた刀は僅かに炎を帯び、威嚇するかの様に熱を発している。
しかしそれを目の前にした彼の表情には、やはり危機感はなかった。それどころか、喜びの笑みを浮かべているようにすら見える
「なるほど、噂には聞いていたよ。この学園に、数十年ぶりに採用された特待生。その中に珍しい「契約者」が数名いる、とね。しかし、そんな力まで使えるとは。いやぁ素晴らしい、素晴らしいよ。キミ達のその力、是非とも……見せて欲しいものだね!!」
ノワールの右手が窓際に向けられ、風が発生する。あれが≪ライラック・プルード≫だろうか。その威力によってガラスにはヒビが入り、あっという間に割れてしまう。すると彼はそこに視線を向け、室外へと飛び込んだ
「んにゃろ、逃げやがった!! 追うぜ、氷河!!」
「言われるまでもない」
反応した良太と氷河が割れた窓からノワールを追う
「に、逃げちゃったよ。どうしよ、陽花?」
「大丈夫だよ、安心してリク。ゆずちゃん、沼島先生に報告してきて。ハルくんは私と一緒に研究者さん達の安全の確保をお願い」
「分かりました」
陽花さんの指示を受け、ゆずが廊下を走り出す。すると陽花さんの視線が俺に向けられた
「行くよ、ハルくん」
「はい」
俺達は頷き合い、すぐさま外に出る。ノワールたちが向かったのは恐らく校内グラウンド。それを察していた俺達は言葉を交わす事もなく、そこに向けて走り始めた
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
春人達が動き出した時、良太と氷河は校舎と校舎の間を駆け抜けていた。
第一研究室からグラウンド―第1バトルフィールド―までの距離は、決して長いモノではない。非魔法使用時で約30秒。それを身体能力の上がっている状態で走り抜けるのだから、やはり大した時間は必要ない。
良太と氷河が足を止めた。その数メートル先にあるのはノワールの姿。彼らは1秒たりとも目を離さずに追ってきたのだから、幻想である可能性はかなり低い
「なんだ、ここで止まるのか?」
挑発的な言い方をする良太。その隣で氷河は静かに武器を構えた。
普段なら、良太のこういう行動を抑止する彼だが、今回ばかりは都合がよかった。
正直、逃げ回られるのはあまり好ましい事ではない。逃げ回る時間が増えれば増える程、その間に周囲や生徒たちが攻撃される可能性が高くなってしまうからだ。
それを考慮すると、この人気が無い場所で戦闘に持ち込むのは、好都合。加えて現状、武装形態の氷河とコネクト状態の良太がいるのだから、単純な一対一よりも特待生側に勝機があると言えるだろう
「……あぁ、ここでストップだ。いやぁ、疲れてしまったからね。それに、逃げていたって目的は達成できない」
「目的……?」
「そう言えばまだ、教えていなかったね。私がここを訪れた他の理由。目的。それは―――」
ノワールがゆっくりと振り返ると、強い風が吹いた。良太と氷河は目を細める。そして
「キミ達と、戦う事だよ」
彼は不敵に微笑み、そう言った