第6話 ハルの試練(1)
「……これは困ったことになったぞ」
俺は一人で思わず呟いていた。その声に驚いたのか、周りの人の視線を少し浴び、慌てて下を向いた。
今いるのは近くのデパートだ。それなりに大型なので、ある程度の物が揃う便利なそこは、もちろん何度も利用したことがあった。
だがしかし、今日ほどオロオロして来たのは今までになかったことだろう。ではなぜそうなっているのか。答えは単純だった
「ここに入るのか……」
俺の前にあるのは女性の下着が売ってある店だ。
中には何人もの客がいて、下着を見ている。もちろん女性ばかりなので俺が行けば完璧に場違いすぎるだろう。しかし、俺はここに行かなくてはならない。
その理由は数十分前の出来事がきっかけだった
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あっ、そういえばハル」
「うん?どうかしたか?」
学校から帰宅し、ご飯を食べ終わった弥生がテレビを見ながら言った。対する俺は台所で食器を洗っている。ちなみに弥生は身長的にこの台所で食器洗いをするのは大変らしい。だから俺が洗っているわけだ
「まさか、ご飯が足りなかったなんて言うんじゃないだろうな」
「ち、違いますよ!!そんな食いしん坊さんじゃないです。……その、お風呂に関して困った事があって」
「困った事?」
「はい。実はオバケの下着って靴のようには出せないのですよ。だから、お風呂に入っても着替えがない状態なんです」
「あぁ、なるほど。そこは人間と同じなんだな……って、えっ?」
納得はしたものの、俺の頭が一瞬で止まった。
話の流れから察するに、今の弥生には新しい下着が必要な状態になっている。しかし、弥生はあくまでオバケであり買い物なんて出来るわけがない。
つまり―――
「そ、そういうことか……」
「すいません。お願いします」
俺はすべてを理解し溜息をついていた
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お待たせしました。すいません、ハル」
トイレに行ってくると言った弥生が俺を見つけて走ってくる。
気のせいだろうか、来た時は少し乱れていた気がする髪の毛が今はきれいに整えられている気がする。人に見えないとはいえ、そういう部分は女の子として気を遣っているのだろうか。
そんな弥生を見て俺は優しく返事を返した
「いいよ、そんなに長い時間待ってたわけじゃないし。それより……いよいよ行くんだな」
「……はい」
俺も弥生も妙に険しい表情をしていた。一種の戦いに行くような気分になっている。そう、下着コーナー、そこは一つの戦場なのだ
「弥生、俺はこれから数分周りの目を気にしないようになる。そう、空気になるんだ。空気となって目立たない存在となり、人知れずこの任務を終わらせる。そうだよな?」
「えぇ。きっとハルなら出来ます。私、信じてます」
「よし。それじゃあ……行くか」
喉をゴクリと鳴らし、俺は一歩前に進んだ。それに合わせて弥生も右足を前に出す。
するとなぜだろうか、凄まじいプレッシャーが俺に襲いかかった気がした。プレッシャー、つまり視線が俺に集中している気がする
「(な、なんだ!?俺はまだあまり近づいていないはずなのにこの視線……。一体どこの誰が……)」
「キミ……ちょっといいかい?」
「ッ!?」
突然の呼びかけに俺の体がビクッと動いた。しかし反射的に出てしまったその動きは普通の人が見れば唯の挙動不審、怪しいことこの上ないだろう。そう思いつつ、ゆっくりと呼びかけられた方に顔を向けていく。
徐々に見えてくるその姿。それはどこかで見たことのある服だった
「(こ、この服……この店の警備員の服だった気がする……)え、えっとなんでしょう……?」
「キミ、ずっとトイレの横から下着売り場を見ていたよね?そして今、その売り場に向かって歩き出している。悪いけど、ちょっと一緒に来てもらえるかな?」
「えっ、えっと……」
「話を聞かせてもらう。さぁ、来てくれ」
若い警備員は俺の手を握ろうとしてきた。きっと連れて行こうとしているのだろう。俺は咄嗟に後ずさりしてしまった。
すると警備員の眉がピクッと動き、口調が少し荒くなる
「抵抗しても無駄だ。現場はしっかり押さえてある。あの下着売り場でやましい事をしようとしていたのは丸わかりだ」
「えっ、ちょ、それって偏見なんじゃ……」
「いいから。そういう話をする為に来てもらおう」
「ハルっ!!」
弥生の声も空しく、もう一度警備員が手を伸ばす。恐らくこれ以上抵抗すれば厄介な事になるだろう。逃げるなんて最悪だ
「(どうすれば……どうすればいい!?)」
徐々に近づいてくる手に反抗できず、俺は考えるものの良い案は全く出てこない。
万事休すか、そう思ったその時だった
「ごめんね。待たせちゃったみたいで」
「……えっ?」
突然の声に自分でも驚くほど情けない声が出た。声の方を見てみると知っている顔がある。陽花さんだ
「あ、警備員さん、ごめんなさい。この人、私と一緒に来てたんですけど、ちょっと用事があったので、この売り場の前で待っててって言っちゃって」
「……じゃあ、この子はキミを待っていただけってことかい?」
「はい。そうです」
「はぁ、全く。紛らわしい事は今度から止めてくれよ?」
「はい。すいませんでした」
陽花さんの言葉に納得した警備員が頭を掻きながら去っていく。どうやら俺の疑いは晴れたらしい。
そう思うと気が抜け、思わずため息が出てしまう
「ふぅ、陽花さんありがとうございました。おかげで助かりました」
「それはいいんだけど……なんでキミがこんな所に?まさか本当に下着売り場に来たの?」
「えっ?いやまぁ、それはそうなんですけど……」
「えぇ!?それじゃあ本当に趣味でここに来たの!?」
「えっ、いや、そうじゃないですよ!!俺はただ弥生の下着を買いに来ただけです!!俺の趣味なんかじゃありません!!」
「あー焦ってる。もしかして動揺してたりする?」
「し、してません!!」
陽花さんの言葉に必死になって反論し続けた俺はいつの間にか息が荒くなっていた。だから「ハァハァ」と呼吸をして息を整えた。
そんな俺を見て、陽花さんは小さくクスクスと笑い始める
「ふふ。ホント、春人くんってかわいいなぁ」
「……はい?」
「そうだよね。いくら春人くんがエッチでも、こんな所に来てまでやましい事、するわけないよね」
「そうですよ、いくら俺でも……って、俺はそんな危ないヤツじゃありません!!人を変態みたいに言わないで下さいよ」
「でもエッチなんでしょう?」
「まぁ、そりゃあ人並みには……って、何言わせるんですか!!」
顔を真っ赤にした俺を陽花さんは笑っていた。よく考えれば女性の下着売り場の前でこんな会話、明らかにおかしいだろう。俺はもっと恥ずかしくなり、なんとなく咳払いをしてしまう
「まぁとにかく、そんなわけで俺は今から行かなくちゃ行けないんですよ。ここに」
「なるほど。それで中のお客さんに変な目で見られる……と」
「そ、それは……」
確かに考えてみればそうだ。近づいただけでこの始末だ。入ればたとえ連行されないにしても、変な目で見られるのは確実だろう。
そう思うと一気に気合いが抜けていく。いや、そもそもこの行動に気合いを入れること自体が間違いだった気さえしてくる
「……でも、しょうがないじゃないですか。弥生をこのままにしておくわけにはいかないですし……」
「……じゃあ私も一緒に行こっか?」
「……はい?」
「私も行けば、私の買い物にキミが付き合ってくれてるって見られるでしょ?そうなれば、キミは変な目で見られない」
「ま、まぁ確かにそうですけど……いいんですか?」
「私の買い物は済んでるしね。これといって予定もないから全然いいよ」
いや、俺が言いたいのはそういうことじゃない。俺と一緒に下着を見るってことは傍から見れば付き合っているように見えるかもしれない。陽花さんは俺の彼女として見られて良いのか、そういう質問だったわけだが……
「弥生ちゃん、どんなのがいいの?」
「えっ?えーっとですね……」
気にしていない。全く気にしていらっしゃらない。それどころか弥生に話を聞いて進展までさせている。どうやら俺の気遣いは無用だったようだ
「(まぁ俺としては助かるけど……)」
「よし、それじゃあ早速行こっか」
弥生と話していた陽花さんはいつの間にか、弥生と共に売り場に入っていく
「あっ、ちょ……よし、それじゃあ俺達も行くか、リク」
「うん。いこう」
後ろからは俺とリクの男子組が付いていく。こうして、俺は予測とは別の形でこの戦場に足を踏み入れた