第33話 チビッ子博士
「さぁ、座って下さい」
「あっ、うん。ありがとう」
少女の言葉に甘えて、俺達は用意されたイスに座った。目の前には温かいココアがあり、クッキーも置かれていた。部屋に充満している良い匂いから察するに、恐らく作られて間もないクッキーなのだろう。色合いもよく、とても食欲をそそられる
「今朝作ったクッキーなんです。よかったら食べて下さい」
少女が笑顔で言ってくれた。そんな彼女に感謝をして、俺達はそのクッキーに手を伸ばした――
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
あの戦いの後、少女は俺達を建物内へ連れ込んだ。教室の前には「科学研究室」と書かれたプレートがあった。実際、中に入ってみると、確かに化学薬品や実験で使用するのであろう用具が沢山置かれていた。
しかし、少し奥へ進むとそこは一般家庭のリビングの様になっていた。台所、食器棚、電子コンロ、レンジ、テーブル、イス、テレビなど。生活するのに必要な家具などは全てある。恐らくここで暮せと言われれば数日間は暮らせるのではないだろうか。
そんなとても充実した部屋で俺達は今、イスに座ってクッキーを食べていた
「……ん、おいしい」
「あっ、ホントですか?それはよかったです」
少女がまた笑った。その顔に偽りは無い。純粋に嬉しいという気持ちが、こちらにも伝わってくる。すると突如、彼女は何かを思い出したような顔をした
「あっ、すいません。自己紹介が遅れてしまいました。私はこの学園で研究をしている「姫宮ゆず」と言います。アナタ方は日本から来た春人さん達……でよろしいでしょうか?」
「あぁ、俺達も自己紹介が遅れたな。俺は水上春人。こっちがパートナーの弥生だ」
「よろしくです」
「私は紫乃原陽花。この子はパートナーのリク」
「よろしくね、ゆず!!」
「ふふっ、元気の良いパートナーさんですね」
姫宮が髪を撫でると、リクは気持ち良さそうにした。どうやら子供に好かれやすいようだ。その理由が、本人が幼く見えるからという事はあるんだろうか。そんな事を思ったが、言えば反感を買いそうなので黙っておく事にした
「あれ?でも、なんで姫宮は俺達の事を知ってるんだ?初めて会うと思うんだけど……」
「あぁ、それはラグさんに聞いたからですよ」
「ラグさんに?もしかして姫宮もラグさんと知り合いなのか?」
「はい。というか、もっと深い関係です」
「深い関係って……えーっと……」
「おぉ!!も、もしかして「恋人さん」だったりするですかっ!?」
弥生が勢いよく出てくる。どうやら恋愛事かと思って興奮しているらしい。しかし姫宮は苦笑いしながら首を振った
「あはは、違いますよ。そういう「深い」じゃありません。私は……あの人に助けてもらったんです」
「助けてもらった……?」
「はい。少し長くなってしまいますが、聞いてもらっても……いいですか?その、誤解を解くためにも」
「あぁ、よろしく頼むよ」
陽花さんやリクを見ると2人共静かに頷いてくれた。予想が外れたとはいえ、もちろん弥生だって気になっている。それは俺も同じだった。すると彼女は目の前のココアを一口飲んで、話し始めた
「あれは、もう数年前の事です」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
外はとても吹雪いていた。空は漆黒に染まり、冷気が全てを凍らせていく。地には解けきれなかった雪が積もり、足場を悪くしていた。
そんな中を一人の少女が歩いていた。小さな体で、一歩一歩必死に前に進んでいる。しかし、その先にあるのは吹雪だけ。方角的に見れば街に進んでいるものの、その距離は遠く、とてもじゃないが辿りつけないだろう
「ハァ……ハァ……」
体力的に限界が近いのか、歩く速度が落ちて行く。その瞳の力は無くなり、段々と細くなっていく。そして彼女は、バタリと地面に倒れ込んだ
「……………」
幸い雪が積もっていた影響で痛みは感じなかった。しかしその冷たさは小さな体の体温を奪い、同時に体力、そして気力すらも奪っていく。両手に力を込め立ち上がろうとするものの、その手に力が入らなかった。感覚すらも無くなってきている。それは足も同じだった
「(もう……ダメかもしれないですね……)」
少女は悟った。自分の最後の時が近づいている事を。そしてそれは免れない事だと分かっていた。だから彼女は抗う事を止めた。身をこの積雪に任せ、この世と別れようと思った。
軽い決断では無い。歩き始めて数時間、彼女はずっと歩き続けた。自分の不思議な力で家族を守って、ここまで歩き続けた。けれど、それももう限界だった。自分の中から不思議な力が無くなっていくのを感じる。それはつまり「自分が守っていた者を守れなくなる」と言う事だった
「ごめんね……お父さん……」
彼女は小さく呟いた。倒れた足の先には一人の成人男性がいた。彼と少女を一つの膜が包んでおり、雪を弾いている。しかし、それももう薄れ、内部に雪が侵入してきた。膜は点滅を繰り返している。それは「魔法」の持続が出来なくなる前兆だった。次第にそれは小さくなり、そしてついに消えてしまう
「私……せっかくお父さんに助けてもらったのに……。本当に……ごめんなさい……」
男性は彼女の父親だった。頭からは流血しており意識は無い。彼は数時間前、落下してきた岩から娘―少女を守ったばかりだった。その時負った傷は癒えることなく、同時に彼の意識を飛ばした。だから、少女はこの街の近くまで父親を連れて来ていた
「うっ……うぅ……」
彼女は数時間前まで魔法が使えなかった。存在は知っていたし訓練はしていたものの、ファンタジアに来て3日目ということもあり、まだ慣れてはいなかった。だけどそれは変わった。倒れた父親を救おうと彼女の浮遊魔法が発動していた。もちろん、数メートル上昇なんて事は出来ない。地面から30センチ持ちあげるのが精いっぱいだった。それでも彼女はそれを維持し、ここまで歩き誘導した。
少女の位置と街は普段であれば遠くは無い。走れば5分で着くような、そんな程度。しかし今は吹雪であり、体力も低下していた。そんな彼女にとって、その距離はとても長く感じた
「うぅ……うぅ……うぅ……」
頑張って堪えていた涙が溢れだしそうだった。ここまで「泣いてはいけない、強い意志を持たないと」と思って止めていたその感情が今爆発しそうだった。絶対的な絶望、それは小さな彼女にとってあまりに荷の重すぎる事だった。食いしばる歯の力は強くなり、瞳に涙が溜まっていく。
そして―
「私……まだ、死にたくないよ……」
彼女の涙が一滴、雪に落ちて溶け込んだ。その時だった
「えっ…………?」
急に風を感じなくなった。体に積もった僅かな雪が一瞬で無くなり、温かさに包まれる。それは不思議な感覚だった。さっきまで寒かったはずなのに、地面の雪も解けていき次第に地面が見えてくる。
「こ、これって……一体……」
彼女は残る力を使ってうつ伏せの状態から顔を起こした。すると前に見えるのは雪ではなく緑色の膜。それが綺麗に輝いていた。雪を弾きまるで自分を守ってくれているようなその膜に彼女は数秒見とれた。すると今度は頭上で声が響き渡った
「キミーっ!!大丈夫ーっ!?」
声はすぐに近くまで来て膜の中に入ってきた。もちろん、危ない連中だった場合抵抗する力が無い今、一種のピンチかも知れない。けれど少女は確信していた。彼はきっと信じていい人なのだと
「よかった、衰弱はしてるけど、まだ息はあるみたいだね。もう大丈夫だよ。僕が助けてあげるからね」
だから彼女はその身と父親を彼に託し、温もりの眠りへと潜って行った
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……というわけなんです」
姫宮はそう言って笑った。明るいその笑顔はまるでひまわりの様だった。彼女の過去、それを聞いて言葉では表現しにくい感情を抱いている。もちろん、詳しい事はまだ聞いていないから、全てを知っているわけではない。それでも、俺はきっと今の話しに感動していた
「えっぐ、えっぐ、よかったです。ゆずさんが無事でよかったです」
弥生は大泣きしている。ポケットのティッシュでリク共々鼻水をかみながら、それでもボロボロ泣いていた。陽花さんもハンカチで涙を拭っている。きっと今の話しを聞いて何も思わない人間はいないだろう
「あぁ、皆さん!?そんな泣かないで下さい。その結果こうして無事だったわけですし。私とラグさんの関係を知ってほしかっただけですから」
慌てた姫宮が棚にあったティッシュを手に取り渡してくれる。今は、そんな彼女の優しさが余計に温かく見えた
「私のお父さんは研究者さんなんです。その時、とある依頼でファンタジアに来たんですけど、私も魔法に興味があるって事で連れてきてもらって。それで依頼を達成する為一緒に山脈に行ったんですよ」
「ちょっと待ってくれ。連れてきてもらってって事は、姫宮って元々ファンタジアに住んでるわけじゃないのか?」
「はい。私の出身は春人さん達と同じ日本ですよ。ファンタジアに住み始めたのは数か月前からです。それまでは日本で研究をしていましたから」
「ということはもしかして……」
「私も皆さんと同じ今期の入学生。もっとハッキリ言うと「特待生」なんですよ」
彼女はそう言って、ココアを飲み微笑んだ