第23話 弥生の過去
「はぁ……はぁ……はぁ……」
俺は走っている。必死に、懸命に、全力で。学校の中を走っている。普段なら1段1段上がる階段を2,3個跨いで駆け上がる。息は切れていた。普段運動をしていない分、苦しくなるのが早い。正直休憩を入れたくなる。だけど、俺は「ある場所」を目指して走り続けた
「弥生……弥生……」
もう呼吸が苦しいというのに、俺はその名前を呼び続けた。さっきまで近くにあったその温もりが、永遠に離れることを恐れていた。だから、どんなに辛くても俺は走り続けた
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「弥生はね……この世界から、消えるの」
鈴のその言葉に、一瞬時が止まったように感じた。温かい空気が漂っているにも関わらず背中を寒気が走り、普段意識しない心臓の音が大きく聞こえる。現実なはずのこの世界が、まるで偽物の様な感覚すらした
「お、おい鈴。お前何言って……」
「ホントの事よ。あと少しで弥生は消える。あの子だけじゃないわ。アタシやリクも……ね」
「消えるって……どういうことだよ。それに、なんでお前達まで消えるんだよ!?おかしいだろ!!」
「おかしくなんてないわ。だって……アタシ達はあくまであの子に「付いてこの世界に来た」のだから」
「付いて来た……?どういうことだよ、お前達は試験の為にここに来たんじゃないのかよ!!」
俺は感情を抑えられず、半ば叫ぶように言った。しかし鈴に怯える様子は全くない。冷静沈着、まさにその言葉が似合うだろう。隣のリクも、少し怯えていたものの、やはり落ち着いていた。どうやら冷静で無かったのは俺だけらしい
「……ごめん。少し興奮しすぎた」
「いいのよ、別に。アナタがそうなるってことは分かってたから。驚きもしないわ」
「けど……違うのか?お前達も弥生と同じように試験を受ける為にこの世界に来たんじゃないのか?」
「一応聞いておくけど、試験って言うと……例えばどんな?」
「……人を……驚かす試験だよ」
「あぁなるほどね。弥生は、それでカモフラージュしてきたってわけなんだ」
鈴がゆっくり頷いた。カモフラージュ、その単語が俺の頭に残り、更なる疑問を生みだしていく。普段の俺なら一旦言うべき事か考えてから言っていただろう。しかし、今の俺にそれを考える事は出来なかった
「カ、カモフラージュって……どういうことだよ」
「ホント、謎ばっかりよね。けど、それも仕方ないことだわ。そしてその真実を知りたいと思うのも自然なこと。……ハル、あの場所に行きなさい」
「あの……場所?」
「えぇ。この学校にあるでしょ?最上階の西側、1番奥にある部屋」
「1番奥って……音楽室か」
「そっ。私から言える事はこれだけよ。音楽室へ行きなさい、ハル。あの子はきっとそこに居るから。そして……別れの前、最後の会話を交わしなさい」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……くそっ!!」
鈴の言葉を思い出し、自然と歯を食いしばった。この状況に納得出来ず、悔しさや哀しさや色んな感情が心に溜めこまれていく。何より彼女の言葉の意味が分からない。
「(なんで……なんで、なんで消えるんだよ。まだ目的は終わってないはずだろ!!)」
俺と初めて会った時、弥生は言っていた
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「「やり残したことがある」って言うのが一般的ですね。オバケのうち、9割の人はこれが理由です。でも稀に、ごく稀にそうでないオバケもいます」
「あの世に行く為の試験に不合格だった人です」
「はい、詳しいことはお話し出来ませんけど、あの世に行く為の試験があるんです。それに不合格だった人は現世にオバケとして残ることになります」
「現世に残ったオバケにはですね、ある試練が出されるんです」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そして彼女は、その試練をこう説明していた
『それはですね……「人を怖がらせること」なんですっ!!』
俺の聞き間違いなんかではない。彼女は確かに言っていた。目的は「人を怖がらせること」だと。だから俺達は夜中の学校に忍び込んだりした。本当に驚かそうとした。そしてアイツは、弥生は言った
『私は、もっともっとこの世界でハルやみんなと思い出を作りたい。楽しい事だけじゃなくて良いです。悲しい事、苦しい事があっても……それでもこの世界で、ハル達と一緒にいたって事実が、私は欲しいんです』
そんな彼女の言葉を思い出して余計にわけが分からなくなる。あの時言っていた事と今の状況があまりに違いすぎる。だって、だって、まだあの日から5日しか経っていないのだ。一緒に居た時間は、共に作った思い出は、あまりに少なすぎる
「絶対……絶対このままじゃ終わらせないぞ……。このまま……このままずっと離れるなんて絶対に認めないからな!!」
思いを言葉にして、その感情を糧に先へ先へと走っていく。そして俺は、ようやくその場所に辿りついた
「はぁ……はぁ……。ここ、だよな」
息切れしながら確認した。ドアの上に貼られている「音楽室」と書かれたプレート。間違いない、俺の目指していた場所。そして、弥生がいる場所。俺は息を整えてからドアを開けた
「……って、あれ?」
中に入ってみたものの人はおらず、開いた窓から風が入り込んでいた。その音が余計に静けさを強調し、俺に緊張を与える
音楽室は授業でしか使わない上、その音楽の授業自体が少ない事もあり、ここはあまり訪れた事のない場所だった。辛うじてどこにあるかは知っているものの、中に何があるなどは把握していない。それを知っているのは吹奏楽部や合唱部くらいだろう
「弥生が……いない?」
俺は歩きながら周囲を見て確認した。しかし人影はおろかその気配すらしない。もし虚空化していたとしても俺なら見えるはずだ。それでも、弥生の姿は全くない
「鈴が言った事は嘘だったのか……ん?」
内心でサプライズだったらと期待していた俺の目の前に、一冊のノートが写り込んだ。小さな机の上に広げられたノート。いや、正確にはノートじゃない。写真の貼られたアルバムだった
「これは……合唱部のアルバム?」
表紙に書かれたその文字を確認し、俺は最初のページから順に見ていった。入学当時、合唱部に入部希望だった生徒が写っている写真。5月のゴールデンウィークに必死に練習している写真。そして6月にコンクールに出た写真。大きく分けてその3つの写真が貼ってあった。続きのページは真っ白。恐らくこれから貼っていく予定なのだろう。だけど、気になった部分はそこじゃない
「なんだよ……これ……」
貼られた写真を全て見て、もう1度1ページ目を見てみると、生徒の写った写真の下に名前が書かれていた。多分生徒たちの名前なのだろう。全部で12人の名前が書かれている。そしてその中に、俺にとって衝撃的な名前が書かれていた
「小鳥遊……弥生……」
鳥肌が立ち、鈴から話しを聞かされた時の様に凄まじい寒気が襲ってくる。窓からは風が強く吹き、カーテンが激しく宙を舞っていた