第103話 小麦の事情
「……美味しい」
海老衣のその言葉から数十分が経った。彼女が俺や弥生と一緒に食べた夕食のメニューは元々予定にあったカレーとサラダ、そして追加のエビフライ。海老衣はそのどれもが気に入ったらしく、食事中ずっと嬉しそうに笑みを浮かべていた。
そして食後、彼女は弥生と一緒に皿洗いをしている
「弥生さんって料理上手なんですね。美味しかったぁ」
「ふふっ、ありがとうございます」
まるで先輩と後輩がするような平和な会話が耳に入ってくる。最初の引っ込んだ感じはなくなっており、敬語も使っている。弥生には料理をきっかけに心を開いてくれたらしい。
だけど俺に対してはそうじゃないようで、目線が合うと―――
「ッ!!」
一瞬驚いた後に顔を背けられてしまう。
もしかして嫌われているのかと気になってしまうが、そればかり考えるわけにはいかない。聞くべきことは他にある。むしろ、それを考慮すれば弥生になついてくれただけでも十分だろう。
今ならきっと彼女は話を聞かせてくれる
「なぁ、海老衣。それが終わったら聞かせてもらえるか? お前の……事情を」
「そ、それは……やっぱり、気になるのかしら?」
「あぁ、もちろんだ。言っただろ、放ってはおけないって」
「私からもお願いします。何か力になれるかも知れませんから」
「……分かりました」
俺と弥生に言われて渋々といった感じの海老衣。そんな彼女に俺たちは苦笑しつつも、とりあえず話が聞けるということに一安心していた
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
洗い物を終えた後、俺と弥生、そして海老衣は再びテーブルを囲んでいた。
目の前にあるのはココアの入ったカップ。また洗い物をする手間が出来てしまうが、弥生が「飲み物があった方が話しやすいと思うから」と言って一緒に用意したものだ。この気遣いが出来るのは流石だろう。
実際、海老衣は落ち着いているらしく自分から口を開いてくれた
「私は……家出してきたの」
「い、家出……?」
思わず聞き返した俺に海老衣が冷静に頷く
「そう。転移ゲートがあるでしょう? あれでアルカディアからファンタジアに来たの。食べ物もお金も少しだけ持ってきてたけど、なくなっちゃって」
「だからあの状態で学園前にいたのか」
海老衣がまたコクりと頷く。
思い返してみれば彼女はリュックを背負っていた。恐らくあれに食料が入っていたのだろう。
だが、普通に考えればあれに数日過ごせるだけの食料は入らない。他にもカバンやバッグなど入れ物を用意した方がいい
「なぁ海老衣、どうして―――」
どうして別の入れ物を用意しなかったのか、と言葉を続けようとする。が、すぐに止まった。察したのだ。
彼女は家出したと言った。であれば―――
「そうか。急いで家を飛び出したから大した準備時間もなかった……と」
「えぇ。お母様と言い合いになって咄嗟に家出した。準備をする時間なんてほとんどなかったのよ」
「どうしてケンカしちゃったんですか?」
「……夢を否定されたんです」
弥生に質問され、海老衣の表情が更に険しくなる
「私は魔法の研究家になりたいんです。小さな頃からの大切な夢。だけどお母様……いいえ、お父様にも反対されました。別の道を探してみろって」
彼女の語る魔法の研究家は恐らく魔法研究会のことだ。
俺がこのファンタジアに来る事となったきっかけのゲーム「マジックバトルコロシアム」。その制作に携わっている魔法研究会はその名の通り、魔法に関する研究を行っている組織だ。詳しい事は分からないが、いくつかの部門に分かれていて、それぞれにその道のエキスパートが所属しているらしい。
とりあえず言えるのは研究会に入ることは難しいということ。それを考えれば海老衣の両親が反対するのも頷ける
「心配してくれてるのは分かってます。だけど、私だって譲れない。夢に挑戦して、叶えたいんです」
言葉が繋がる毎に海老衣の身体に力が込められていくのが分かった。感情が込められているのが伝わってくる
「その気持ちが分からないワケじゃない。けど家出はマズかったんじゃないか?」
「そ、それは……私もちょっとやり過ぎたなって思ってるわよ」
海老衣は視線を横にズラし頬を膨らませた。勢いで行動したことを素直に認めるほど反省はしているらしい。
俺は弥生と顔を見合わせた。反省は十分にしている。だったら俺たちがすることは決まっている
「とりあえず、事情は分かった。まずは沼島先生に連絡だな」
「連絡って……ちょっと待ってよ。その沼島って人、確かこの学園の先生でしょ? その人を通じて私がここにいることがお母様たちに伝わっちゃうじゃない」
「あぁ、それが目的だからな」
「なっ……!! それってつまり、あなたは私の味方にはなってくれないってこと? あなたも反対するってことっ!?」
「いや、待てって海老衣。最後まで話を聞いてくれ」
「……」
怒りで興奮したらしく身を乗り出した海老衣を何とかなだめる。そんな俺の姿を見てハッとした彼女は腰を下ろし、再度椅子に座った。
再開の合図として咳払いをして話が続く
「さすがにこのまま心配させるのはマズい。だから居場所や無事なことを伝えるんだ。だけどそれだけが目的じゃない」
「他に目的があるの……?」
海老衣の不安そうな表情にコクリと頷いて見せる
「お前を少しの間、こっちで預かるって話をするんだよ。そうすればお前の両親が状況を把握した上で、家出の時間を少し延ばせるかも知れない。あとはその時間で探せばいいんだ」
「探すって……」
「お前が研究家になれるって証拠だよ。家に戻った時、それを材料に説得するんだ。上手くいけば、お前の両親は認めてくれる。違うか?」
「それもそうね。でも、その材料はどうやって探せばいいの?」
「そ、それは……」
海老衣の純粋さを秘めた瞳と言葉。それを向けられた俺は返答に困ってしまう。両親を説得する材料、その具体的な案が浮かばない。
そんな俺の隣でしばらく黙っていた弥生が口を開いた
「それもぬーちゃんに話してみましょうか。小麦さんの事を説明すれば自然と事情も知ることになりますし、相談すれば何かアドバイスがもらえるかも知れません」
「確かに。どうせ話すなら全部話して協力してもらった方がいいな」
「そうですね…って、もしかしてあなた、どうやって材料を探せばいいか考える前に提案してくれたの?」
「そ、それは……そうだよ。そこまでは考えずに提案した。けどな、俺だってお前のために……」
「えぇ。私のために一生懸命考えてくれたのよね。あなたと出会ってまだ少しだけど、悪い人じゃないのは分かったわ。まぁ今ので、いつも弥生さんに助けもらってるのも分かったけど」
「うぐっ!?」
海老衣の少し緩んだ頬と視線。それとは真逆に鋭く的確な言葉が俺の心に刺さる。その反応を見て彼女はまるでイタズラの成功した子供のようにクスクスと笑ってみせた。
俺は困った表情を浮かべながらも、内心では彼女の年相応の笑顔に安堵する
「と、とにかく明日の放課後は特訓があるから、そのあと沼島先生に話すって感じで。それまで海老衣はここで待機。それでいいか?」
「えぇ。協力してもらってるんだもの、構わないわ。ただ……」
「ただ?」
海老衣は両手をモジモジとしながら視線を右や左に動かす
「あなたから海老衣って呼ばれるのはちょっと違和感があるわ。だから、その……」
「なんだ、小麦ちゃんって呼んでいいのか?」
「小麦ちゃんはダメ!! 子供扱いされてるみたいで、なんかイヤ」
「だったらなんて呼べばいいんだ? まさか小麦って呼び捨てにしてもいいのか?」
出会った時に似たような展開があったな、なんて思いながら苦笑する。プライドの高い彼女だ。きっと「呼び捨てなんて許すわけないでしょ」なんて言われるだろう。そう思っていた。
けれど彼女から帰って来たのは予想外の言葉だった
「い、いいわよ……小麦で」
「……えっ?」
俺がそう言うと海老衣は少し視線を逸らしてみせる
「だから小麦で……呼び捨てでいいって言ってるの。聞こえなかった?」
「いや、聞こえてるけどさ。ビックリしたんだよ。だってお前、呼び捨てで呼ばれるの嫌いなタイプじゃないのか?」
「そりゃあ、見知らぬ誰かにそう呼ばれるのは好きじゃないわ。でもあなたはそうじゃないでしょ。……ちゃんと私のこと考えてくれてるみたいだし」
「えーっと最後の方、小声にしてるけどバッチリ聞こえてるぞ」
「う、うるさい!! とにかくあなたは弥生さんのパートナーなんだし呼び捨てで構わないから。分かった!?」
「わ、分かった分かった。それじゃ今度からは名前で呼ばせてもらうよ、小麦」
恥ずかしさに加えて怒った様子の小麦だったが、俺の名前呼びを確認すると落ち着きを取り戻し両腕を組む
「それでいいのよ、それで。それじゃあ私はお皿を洗ってくるから」
「いいよ。弥生も小麦もさっき洗い物やってもらったし、今度は俺が―――」
「いいから任せなさい。これはその……これから協力してもらうから、そのお礼よ」
満足げに頷き、俺や弥生の使ったコップを持ってキッチンへと向かって行く。その後ろ姿はとても楽しそうで。弥生と視線を合わせる。
少しは心を開いてくれたってことでいいのかな。
そんな意味を込めながら俺は彼女と微笑みあった