第101話 海老衣小麦
保護施設を訪れた翌日、俺たちはいつも通りの生活を送っていた。
学園に行き、授業を受け、放課後は部活動のように恒例となっている特訓をする。だいぶ馴染んできた日常だ。
今はそれらを終え、夕飯であるカレーの食材を買った帰り道。
買い出しに行ったのは俺一人で、弥生は家でサラダを作ってくれている
「……」
右手に握った買い物袋、その中に入った具材を見て思い出し笑いしてしまう。
夕飯がカレーに決まったきっかけは昼食時にカレーの話題になったからだ。隠し味に何を入れるか、甘口と辛口どっち派か、そんなことを話している間に俺も弥生もカレーを食べたくなり、夕飯のメニューが決まったのだ。
ちなみにリクや良太もカレーが食べたくなったらしいので、恐らく陽花さんや鈴が作っている頃だろう。影響されてゆずや氷河も今日はカレーにしているかも知れない
「そうなると、今日の夕飯はみんなカレーか」
そんな事を考えている間に学園の門が視界に入ってきた。時間帯が少し遅めで暗く、一見すると周りに人の姿はない。
しかし、近づくにつれて人影がハッキリと確認できた。門の近くにある段差に誰かが座っていることが分かる
「……誰だ?」
怪しいと思いながら目を細める。見た感じ女の子のようだった。小柄な体型には少々大きいリュック。服装は白いブラウスの上に黄色いカーディガンを羽織っており、薄茶色のスカートを穿いている。
学園の制服とは明らかに違うし、関係者ならあんな所に座るなんてことはせず敷地内に入るだろう。となれば、あれは一体誰なのだろうか。
一度冷静に、そして気を整える意味を込めて深呼吸。それから話しかける
「えーっと、どうかしたのか?」
俺の声に反応したらしい少女は栗色の髪を揺らしながら、こちらに視線を向ける。
可愛らしい顔立ちだった。小さな子供というわけではないがまだ幼さが残っている。
というかこの子、どこかで見た気がする
「……あっ」
頭の中に浮かんだのは昨日の保護施設を出たあとの光景。間違いない。この子は昨日、俺とぶつかった女の子だ。
彼女もそれに気づいたらしく、口を開け少々驚いた顔をしている
「あなた、昨日のぶつかった……誰?」
「俺は水上春人、この学園の生徒だよ。キミの名前を教えてもらってもいいか?」
「……小麦。海老衣小麦」
「海老衣小麦……じゃあ小麦ちゃんか」
「小麦ちゃんか、じゃないわよ。いきなり馴れ馴れしく呼ばないで」
海老衣小麦―――そう名乗った少女はプイッと顔を背け怒ってみせる。どうやらプライドの高い性格らしい。だったら呼び方はこちらで勝手に決めるのではなく、本人が決めたモノの方がいいだろう
「だったらなんて呼べばいいんだ? 海老衣さんとか?」
「さんはいらないわ。あなたの方が年上っぽいし」
「分かったよ。それでどうしたんだ? こんなところに座って。もしかして具合でも悪いのか?」
「具合は……悪くないわ。いえ、ある意味悪いけど」
「いや、それどっちだよ」
苦笑してみせる。が、それがよくなかったらしく海老衣はハッと気づいた様な表情と同時に赤面する。ムキになったという方が適切だろうか。声が一気に大きくなる
「わ、悪いわよ!! 私は今すっごく……あぅ、大きな声出したら余計に意識しちゃったぁ。もう、あんまり体力を使わせないでよ」
「いやいや、そっちが勝手に自滅してるだけだろ。それで何で具合が悪いんだ?」
「そんなの、あなたには関係ないでしょ」
「目の前で具合が悪いって言ってるヤツを放ってはおけないだろ」
「……」
俺の言葉をきっかけに海老衣が黙りこむ。それからチラチラとこちらに視線を向けてため息をついた。どうやら諦めて事情を話してくれるらしい。
恥ずかしがるように身体を更に丸めて膝を抱えて彼女が小さな声で呟く
「お、お腹が……お腹が空いたの」
「えっ?」
俺の反応が気に入らなかったらしい海老衣は顔をガバッと上げ、真っ赤になりながら
「だから、お腹が空いたの!! 意味、分かるでしょ」
「えーっと、一応確認するけど空腹って意味でいいんだよな?」
「当たり前でしょ。他にどんな意味があるのよ、バカ」
「ば、バカ!?」
「そうよ。お腹が空いたって言葉に他の意味なんてあるわけないじゃない。それなのに、あなたは……あぅ」
「お、おい」
勢いが急に途切れ、彼女はゆっくりと倒れていく。俺は咄嗟に彼女の元へ駆け寄り身体を支えた。
一瞬、病気や何かかと思ったが「眠い……」なんて呟きを聞いてホッと安心する
「って、寝不足か。まぁとりあえず、沼島先生に報告かな」
「沼島先生って……この学園の先生……?」
「あぁ。そうだけど」
「待って。それはダメ……ダメなの」
彼女は首を横に振った。今までの強きな態度と真逆の弱々しい瞳。表情や声色には妙に真剣さが込められており、何かに怯えているようにも感じる。きっと本当に報告されたくないのだろう。
しかし、その要求を簡単には飲むことは出来ず、俺は自然となだめるような口調になる
「でもこのまま放っておくわけにはいかないだろ?」
「だったら、あなたの家に連れてって」
「……はい?」
海老衣がふと呟いた言葉に思わず驚いてしまう
「なんで俺の家に……っていうか、それはマズイだろ」
「お願い。私がここにいることを、知られるわけには……いかないの」
「いや、でもだからって」
「おねがい……」
そんな言葉を最後に彼女は眠りについてしまった。
空腹、寝不足、そしてこの状況を知られたくない。そんな彼女が何かしら事情を抱えていることは確定だろう。生意気な性格ではあるが、困っているのだから出来るだけ助けたい。協力もしてあげたい。
だが、果たして俺の寮に連れて行っていいのだろうか
「……どう考えてもヤバいよな」
衰弱し、眠っている年下の少女を家に連れて行く。それはどう考えてもアウトな気がする。
途中で誰かに会ったら。もし会わなくても寮に入れば確実に弥生には見つかるだろう。たぶん、大人しく先生に報告するのが正解だとは思う。
だけど、ついさっきの彼女の真剣な表情と声色が頭を過り俺の決断を鈍らせる
「仕方ない……か」
諦めのため息をついてから、俺は彼女を背中に乗せて学園へと入っていく。買った食材を持ちながら人を背負うのはかなり大変だが仕方ないだろう。
目指すのは沼島先生ではない。弥生が待っているであろう、俺の部屋だ
「弥生には説得するとして……とりあえず、誰にも会わないでくれよ」
そう必死に祈りながら、俺はいつもより少し重い足を進めて行った