第3話 小さくて大きな一歩
まだ昼食には少し早い時間、エルドアの道には多くの馬車が行き交っていた。
馬の後方には荷物があり、食材や木材などが積まれている。中にはこのエルドアでは珍しい機械類を運んでいるモノもあった。
もちろん道を通るのは馬車だけではない。学園の休日を満喫している学生や家事の為に買い物に訪れている大人。そしてその大人に付いて来たであろう、小さな子供たちもいる。
そんな人目の多い時間、アリスは門の前で立ったまま動かなかった。たまに向けられる通行人の視線に気づく事もなく、只々立ち尽くしている。
その姿はどこか元気がない様に見えて、彼女の存在を良く知る街の人々は声をかけようとした。
だが、実際に声をかけることはなかった。別に彼女を放っておこうなどと冷たい感情を持ったわけではない。
アリスの真後ろにいる「ある人物」と視線を交わし声をかけるのは待ってくれという意思を受け取ったから、人々はアリスの事をその人物に託したのだ
「コレット……」
そんな人物の存在に気づく事もなく、アリスはその名前を口から零した。
途中までは言えそうだった。頭の中に言うべき言葉は正確に浮かんでいたし、身体にしっかり力は入っていた。
しかしそれでも咄嗟に言葉が詰まった。本当の事を言えなかった。文字にすればたった数文字なのに「私も行く」と言えなかった。
そんな後悔が頭の中をグルグルと駆け巡る
「よかったの?あれで」
「きゃっ!!」
アリスは思わず声を発し身を丸めた。それから恐る恐る振り向くとそこには茶色いスーツに白い白衣をきた女性が立っていた。真莉音だ
「せ、せんせー!?いつの間に……?」
「いつの間にも何もただ近くにいただけだよ。これに気付かないなんて、アリスもまだまだだねぇ」
「むぅ、それはせんせーが気配を消すのが上手いだけですよ」
「気配を消すのが上手いねぇ……。けどアリスが私に気付かなかった理由は他にもあるでしょ?」
真莉音の言葉にアリスの身体が一瞬、強張る
「それでさ、さっきの質問だけどあれでいいの?コレットを一人で行かせちゃってよかったの?」
「……仕方ないです。私がコレットに付いて行っても、きっと足手まといになっちゃう。だったらここでコレットの帰りを待ってた方が良いんです」
「その答えが自分の気持ちに嘘をつくものだったとしても?」
「それは……でも、気持ちじゃどうにもなりません。気持ちじゃ実力はどうしようもないんです」
アリスの言葉に迷いはなかった。彼女は理解しているのだ。その言葉の通り「気持ちだけじゃ実力はどうしようもない」ということを。だから彼女は賢い選択をした。的確できっと正しい選択をした。
しかし真莉音は首を横に振っていた。アリスの導き出した正しいはずの答えを「間違い」だと否定する
「それは違うよ、アリス。気持ちは、人の意志は、強ければ強いほど不可能を可能にする。出来ないを出来るに変える。そんな大きな力を持ってる。それにアリスだって、何だかんだ言ってもちゃんと努力してるんでしょ?」
「えっ……?」
「精霊召喚だよ精霊召喚。ちゃんと自分の精霊と一緒に戦えるように努力して、それに合わせてディレクトリを微調整してるでしょ?」
「ど、どうしてそれを……あっ!!」
「ディレクトリを調整する時にはアタシの所に連絡が来るんだよ。ここ最近は毎日のように変更してるから、アタシもアリスの書類にハンコ押すのが日課みたいになってるの。それだけ努力してる、頑張ってるってことでしょ?」
「…………」
「アリスはちゃんと努力して、成長している。だからもっと自分に自信を持ちなよ。もっと自分の気持ちを大事にして動いてごらん」
不安を包み込み癒してくれるような優しい声。それを聞いたアリスは思わず俯いた。
訪れる沈黙。だが真莉音は急かすことなく、黙ってアリスの反応を待った。きっとアリスの中で色々な気持ちと情報が混じりあい、結論を出そうと頑張っている。それが分かるから、彼女はずっと黙っている。
そしてアリスはその泣きそうな顔を上げ、真っ直ぐに真莉音を見つめた
「……けど、私は弱いんですよ?」
「うん」
「魔法師なのに戦うのが怖いんですよ?」
「うん」
「それに人にはそれぞれ役割があるんです。向いている立場があるんです」
「うん」
「教科書にだって載ってました。実際に戦う人もいれば、後ろで補助する人もいる。それも戦術の一つなんです」
「うん、そうだね。今、アリスが言ったことは全部正論だよ。人にはそれぞれ向き不向きがあって、的確な立場があって、それを活かした戦術もある。それは教科書にも載ってる。けど、そんなの関係ない。だって、それでもアリスはコレットと一緒に行きたいんでしょ?だったらそれが全てだよ」
アリスの言葉の一つ一つに真莉音は理解し、頷き、認める。しかし、それでも真莉音は否定した。
再びアリスが黙り込む。が、今度の真莉音は待ってくれなかった。素早くアリスの背後に回り込み、両手を構えて、そして―――
「それにほら何度も言う通り、アリスだって成長してるでしょ?」
「ッ!?」
アリスの胸に手を当て、軽く揉む。すると胸は確かに僅かな動きを見せた。服の上からなので詳細は分からないが、真莉音の手は確かにアリスの胸を揉んでいる。瞬間、状況を理解したアリスの顔が一気に赤くなる
「ほらほら、こんなところもちゃーんと成長してるし」
「キャッ!!せ、せんせー!?」
驚いたアリスは自身の胸を抑えながら前方に飛びだし、真莉音の両手から逃れた。それから真っ赤なまま少々ムッとした表情を見せた
「きゅ、急になにするんですか!?こんな所でいきなり……む、胸を揉むなんて……」
「うんうん、数年前には無かったモノが今はしっかりある。ちゃんと成長してるんだねぇ、アリスも」
「もーっ!!せんせーっ!!」
「あはは。冗談だってば、冗談」
アリスがジト目になりながら頬を膨らませ怒りを露わにする。そんな彼女を見て真莉音は安堵の笑みを浮かべた。
さっきまでのイタズラの成功した子供が見せる笑みではなく、大人が子供を見て浮かべる笑み。
そのまま彼女は言葉を続ける
「もう一度言うよ。もっと自分に自信を持ちな。アリスはちゃんと成長してる。足りないのは勇気だけ。だから、勇気を持って自分の気持ちに素直になってごらん。勇気を持って挑んでごらん。そうすれば不可能も可能に変えられるかも知れないよ?」
「……せんせー、学園に預けてる私のディレクトリってもう調整は終わってますか?」
「もちろん。シルキさんの紹介してくれた整備者が整備してるんだから。微調整ぐらいだったらとっくに終わってる。いつでも使えるはずだよ」
「私、ちょっとユグドラシルに行ってきます。だからその、クッキー作るのお願いしていいですか?」
「あぁ、コレットにあげるって言ってたヤツね。うーん、それは出来ない約束かな。アタシも仕事があるし、クッキー作ってる時間なんてない。だから、向こうでコレットと合流して言ってごらん。クッキーは一緒に作ろうって」
「あっ……はいっ!!」
そう言ってアリスは寮に向かって走って行く。ユグドラシルに行く準備をしに行くのだ。恐らくそう時間はかからないだろう。
そんな彼女の後姿を見て、真莉音は小さく微笑する
「ちゃんと先生出来てたのかなぁ、アタシ」
「フォッ、フォッ。真莉音ちゃんはバッチリ出来とったと思うぞ」
「お疲れ様でしたな、せんせー」
「……フフ、ありがとうございます」
通りかかった老人たちに誉められ、真莉音が照れくさそうな表情を浮かべる
「……さて、こっちもこっちの問題を片付ける様に努力しますかねぇ」
白衣を着たエルドア学園の学園長はそんなことを呟きながら、アリスと同じく学園に向かって歩き始めた