3、賢治好きに悪い奴はいない…かも?
「でも良かったね。当番外してもらって」
「よかねえよ…」
次の委員会のことを考えると泣きそうになる。俺はただでさえ遅刻のため当番を増やされてしまっていると言うのに。
これ以上当番回数が増加すると俺は図書室の主にでもなってしまいそうだ。
しかし真の支配者はあの司書の先生であることには違いない。
図書館を追い出されてしまった俺は仕方無しにオオツカリョウジを探して校内を歩いていた。
遠くから吹奏楽部が楽器をぶかぶか鳴らす音が聞こえるだけで、放課後の学校はひっそりと、まるで火の消えたような静けさだった。
「つうかさ、オオツカもう帰っちまったんじゃねぇのか?」
噂は置いとくとしてもどうも部活に励むタイプとは思えない。
むしろ奴は帰宅部だろう。もちろん家に帰って大人しく定期試験に備えて勉強してるとも思わないが。
「馬鹿にしないでよ。そこら辺はちゃんと確かめてあるに決まってるでしょうが。外靴があるんだから校舎内にいるはずなのっ」
なるほど、そこらへんに手抜かりはないわけだ。
「じゃあ、下駄箱ででも待ってっかな」
「そうね、それがいいかも」
うちの学校はそれほど広くはないが、その分入り組んだ造りになっている。
下手に探し回ってもあっさり入れ違うのがおちというものだろう。ならば必ずやってくる場所で待っているのが一番効率がいい。
だが階段へ向かった俺たちは、しかしどんな偶然が作用したのか。そこでばったりと目的の人物に出会ってしまったのだった。
あまりの巡り合わせの良さに思わず立ち尽くしてしまった俺たちを見て、オオツカは訝しげに眉を上げた。
「図書委員か…」
「…うっす」
片手を挙げて挨拶する。
「ねぇ、もしかして知り合いなの?」
顔を引きつらせそそくさと俺の背後に隠れたミサトがつんつんと俺のわき腹をつつく。俺はねじりドーナッツのように身体をひねった。
く、くすぐったいぞっ、こんちくしょう。
「―――し、知り合いと言うほどでもない」
なんとか魔手から逃れ一息つく。
そんな怪しげな俺たちの攻防を気にもかけず、無表情にオオツカは首をかしげた。
「図書委員、もしかして今日は図書室は閉まっているのか?」
「うんにゃ、単に俺が追い出されただけ」
実はオオツカは図書室の常連なのだ。
そうすると必然的に図書委員で当番の回数の多い俺は顔見知りになると言う寸法である。
別に本を読むから不良じゃないと言うつもりは俺にはさらさらないが、奴の借りていく本の傾向を知っている人間としては一概に悪い奴とは思えない。
宮沢賢治や夏目漱石を好んで読む人間が根っからの悪人ということはないだろう。
「そうか」
無愛想にそれだけ言って、オオツカは俺たちを追い越していく。
「あ、待った」
図書委員としての義務を全うして満足していた俺は慌てて声をかける。当初の目的をすっかり忘れていた。
「ちょっとあんたに聞きたいことがあったんだ。実は…」
ふとミサトをうかがったが、ミサトはがちがちに緊張していてどうにもモノを尋ねられる状態ではない。
お前が聞きたいって言ったんじゃなかったのか?
女ってわからんなぁ、と思いつつも仕方無しに代りに訊ねてやることにした。もちろんこの貸しはノートで返してもらうつもりである。
オオツカは怒りもせずキレもせず全くの自然体で俺の言葉を待っていた。
「あのさぁ、この歌…」
俺は短いメロディーを口にした。やはり恥ずかしいのだが、こうなればやけだ。
毒を食らわば皿まで残さず!
「あんた知ってるんだろう? この歌のこと、ちょっと教えて欲しいんだけど―――」
しかしその歌を聴いたとたん、今まで無表情に近かったオオツカの顔色が見る見る変わった。
「知らんっ」
「知らんってあんた…」
それはどう見ても知らないと言う顔ではない。
だが足音も荒く、オオツカはこの場を離れようとする。
「えっ、ちょっと待てよ」
「ついてくるなっ」
窓ガラスを震わすような怒声に俺は思わず首をすくませる。その隙にもどんどん距離が開いていく。反射的に追いかけようとした俺は、今度は後ろからシャツを引っ張られ尻餅をついた。
「何すんだよ、ミサト〜」
完全にオオツカを見失ってしまったではないか。
「もう、いいから」
振り返るとミサトがぶんぶんと頭を振っていた。ふわふわのツインテールがデンデン太鼓のようにくるくる揺れる。
今にも泣き出しそうなその顔に俺は思わず怯んだ。
「ちょっと気になっただけなの。だからもう無理しなくていいから」
「でも…」
「いいからっ」
そう言い放ち、顔を覆ってしゃがみこんでしまった。
やれやれ。
ミサトから言い出したことだ。無理強いすることも出来ず、俺もため息をついてその場で足を伸ばす。フローリングの床の冷たさが尻に染みいる蝉の声。
オオツカにしても、まさかあそこまで怒りっぽい奴だとは思っていなかった。
何があんなに気に食わなかったのかは知らないが、やはり「我輩は猫である」や「銀河鉄道の夜」では人間性は測れないようだ。
それとも一緒に芥川竜之介の「羅生門」や太宰治の「人間失格」を借りていたことも考慮に入れるべきだったか。
「そうか…、オオツカも自分が歌っているところを聞かれたのがそこまで恥ずかしかったんだな」
うんうんとうなずく。
それは後から見当違いも甚だしかったということが分かるのだが、そのときの俺は本気でそう思っていたりした。
俺はやれやれと息を吐くと床に手をつき立ち上がる。
否、立ち上がろうとしていたのだ。
俺は片膝を床につけたままの体勢で、じっと耳を澄ます。
「シンヤ?」
「しっ」
俺は全身の神経と言う神経を耳に集中させる。
かすかに耳にメロディが届く。
「歌だ」
「えっ?」
「あの歌がまた聞こえる」
俺は今度こそ立ち上がると、歌の出元を探して廊下を走り出した。
「待って、シンヤ」
もうやめようよ、と言う悲愴なミサトの声がしたが、俺は聞こえない振りをした。
誰にも聞こえなかったあの歌。
俺だって、気にならない訳じゃなかったのだ。