2、激闘!カラオケ女王への挑戦
学校に教員は数いるが、中でもこの篠崎と言う教師はダントツでよく判らない。
針金みたいに細い身体をして、神経質そうに眼鏡をかけている科学の教師。
奴はかねてよりいろいろおかしな噂に事欠かない。
俺的におすすめなのは眼鏡を外すとビームが出るというある意味お決まりのものだが、他にも都内に千坪の土地を持っているだの、校長の弱みを握っているなどがあったりする。
あとはT大卒だなんだのと妙に信憑性を持つものもあれば、昔付き合っていた女子生徒を校舎の壁に塗りこめたなどと言う思わずギョッとさせられるものもある。
しかし何ともバラエティーに富んだものである。
まあ、そうでなくとも階段でぼうっと立ち尽くしていたり、放課後の校舎を当直でもないのに歩き回っていたりと奇行がたびたび目撃されているので、口やかましいPTAから文句のひとつも届きそうなものだが意外にも授業はかなり面白かったりするから世の中不思議だ。
おかげで俺も眠りの国へと誘われることなく、なんとか無事に取れたノートを机にしまう。
「だけどやっぱり得体が知れないやつだよなぁ」
「得体が知れないじゃなくてミステリアスって言うのっ」
「あいてっ」
振り返るとチョップを構えたミサトが険しい目でオレをにらんでいた。妙にマジな眼差しに俺はちょっとびびる。
「何だよ、別にノートは必要ないぞ」
「そうじゃないわよ、馬鹿っ」
噛み付くように怒鳴りつけ、ひとつ前の椅子に逆向きに座るミサト。
足を開いてまたがっているためスカートが持ち上がり白い太ももがのぞくが、別に俺は注意しない。
眼福とまではいかないがなかなかいい眺めを自分で壊すほど、現役高校生は枯れてはいないのだ。
「何見てんのよ、スケベ」
「…」
どうやらばれていたらしい。
だがそこまで露骨に眺めていた訳でもないのだがな…。やはりこやつはエスパーか?
「アホなこと考えてるんじゃないわよ。そうじゃなくて、あんたが耳にした幻聴のことよ」
「別に幻聴とは限んねぇだろ」
「あんたにしか聞こえないんだから幻聴に決まってるでしょうが」
もしかしてバカ? とありありと顔に書いてある。とことん人を馬鹿にしないと気がすまないようだ。
おれはふんっとそっぽを向いた。
「そんな話はどうでもいいだろ。もうやめだ、やめ」
「あんたが歌った幻聴、あたしもどっかで聞いたことある気がするのよね」
「へっ?」
思わずミサトの顔を凝視してしまう。それから慌ててそっぽを向き直した。
「そんなん、ナツメロかなんかだろ。うっせえな」
「ナツメロとか最近の曲じゃないことは確かなの」
「ミサトが知らないだけなんだろ」
「…ほお」
ゆらり。
ミサトが陽炎のように立ち上がる。
しまった!
おれは自分の痛恨のミスに今更ながら気付き青ざめた。
「それは持ち歌二千曲を誇るカラオケ女王のこのあたしに対する挑戦と受け取ったわよ!」
「いや、違っ。ウソウソ! 俺の失言だったっ!!」
高らかと宣言されたその言葉にぶんぶんと超高速で手を振り慌てて言いつくろう。
「ならいいのよ」
と傲慢に言い放ち、ミサトはすとんと再び席についた。よきに計らえとでも言い出しそうな様子だ。お前はいったいどこの女王様だよ。あっ、カラオケ女王か…。
ともかくその偉そうな物言いにかなり腹が立つが、いつぞやのようにカラオケボックスに拉致されその二千曲ものレパートリーを永遠と聞かせられたらたまったものではない。
あれは今思い出しても鳥肌モノ。もはやトラウマと言ってもいい。
おかげで俺は、あれきり女の子と二人きりでカラオケボックスに入ることが出来なくなったのだ。
俺の青春を返せ、こんちくしょうっ。
「じゃあいったい何の曲だよ?」
「それがわかったら苦労はしないわよ。シンヤこそ聞き覚えないわけ?」
首を振る。
悪いが俺はロック専門だ。
「でもホント、いったいどこで聞いたのかしらねぇ」
結局ミサトが思い出したのは、一週間の時間がたってからだった。
「で、何だって?」
俺はカウンターの中から呆れた顔でミサトを見上げた。
歌の話をしてからまる一週間。
ついに歌の出元を思い出したらしくわざわざおれのいる図書館まで報告にきたらしい。何とまあ暇人である。
おれの方はミサトに話した事すらすっかり忘れていたと言うのに、物覚えのよろしいことだ。
たぶん他に考えることがなかったのだろう。
ちなみに俺はこれでも図書委員である。
自分でも似合わないとは分かっているので笑いたければ笑ってくれ。恨むべきは俺のジャンケンの弱さである。ちなみにミサトは大爆笑してくれた。
うるせえ、お前の保健委員の方がよっぽど似合わねえよ。そう言った俺がぼこぼこにされたのはそれこそ言うまでもない。
「誰があの歌を歌ってたか思い出したのよ」
「だからそれは分かったてば。いったい誰の歌だって? 今はやりのイブニング息子ってやつらか?」
「…それ、本気で言ってるの?」
ミサトが凍傷を起こしそうなくらい冷たい目を向けてくる。
どうやら俺のジョークはフィギュアスケートより見事に滑ったらしい。
ちくしょう。慣れないことなどするもんじゃねえ。
「思い出したのは歌手の名前じゃなくて、誰の口から聞いたかなのよ。実はね…」
ミサトはきょろきょろとあたりを見回すと、こっそり俺に耳打ちした。
「あの、オオツカ リョウジ なの」
「へぇっ」
「シィー――ッ!」
ついつい大きな声を出したオレをミサトは慌てて諌める。しかしそれは図書館だからではない。
なるほど。確かにその名前は意外だった。
二年のオオツカといえば俺でも知っている、いや、校内では知らぬ者はいない超有名人だ。
「でね、あたしひとつお願いがあるんだけど」
おずおずといった雰囲気でミサトが俺に頼む。
滅多にない殊勝な態度にいつもこんなんだったら嫁の貰い手に困らないだろうにと考える。
「あたしどうしてもあの歌のことが気になるの。だからオオツカに歌のことを聞こうと思うんだけど、シンヤお願いだからついて来てくれない?」
「何でさ。ひとりで行けばいいじゃん」
「だって相手はあのオオツカなのよ!!」
ミサトははっとして自分の口を抑えたが、叫んだ後で口をふさいでも意味はない。
周囲を見回しほっと息をついた。
俺としては別にそこまで神経質になることはないと思うのだが。
オオツカリョウジはのほほんとした気風のこの学校において、唯一にして最悪の不良として名を馳せている生徒だ。
大学生並みの大柄な体格と狂犬のような目付きの悪さで、どこぞの学校の番格と喧嘩して勝っただの、中学の時人を殺して鑑別所に入れられただの生徒どころか教師からも恐れられている。
しかしながら本当に噂の多い学校だよな。
「別に平気だろ。そんなにびくつかなくてもさ」
噂なんてだいたい無責任に大きくなっていくものだ。せいぜい話半分だろう。
特にこの学校なら四分の一ぐらいに割り引いてもいいかもしれない。
「そこまで言うくらいならついてきてってば!」
半泣きのミサトに俺はやれやれとため息をついた。そんなに怖いのならやめればいいのに。
「別に構わないけどさ、おれ今日当番で…」
「シンヤくん」
ぞわりと背筋に鳥肌が走る。背後から禍禍しい気配を感じた。
「知ってる? 図書室って私語厳禁なのよ」
猫なで声があまりにも怖すぎる。
死すら覚悟して恐る恐る振り返ると、司書の先生がまるで般若のような素敵な笑顔でにっこりと微笑んでいた。