「ぼくと結婚してください!」「いや、しているんですよ」
「ぼくと結婚してください!」
まだ声変わりもしていない天使の声でそう言われて、口元が緩むのを必死に我慢した。
ですからね、旦那様…! 私たちもう結婚したのですよっ…!!!
私の旦那様であるアルガー様、御年8歳は毎朝のように同じことを言う。
「ベルイーラ、ぼくと結婚してください!」
「はい、もうしておりますよ」
いつものように返すと、栗色の眉毛がむむむと垂れていく、かわいい。
「ちがうの、そうじゃないの」
「何が違うのですか?」
「ベルイーラがぼくと結婚してくれたのは、お父様とお母様が亡くなって、こーけんにん?が必要だったからでしょ?」
不安そうな顔で私を見上げてくるので、今すぐにでもぎゅっと抱き締めたくなる。
あああ、8歳ってもうお年頃かしら? 抱き締めたら怒られるかしら。
「そうですね。アルガー様が爵位を継ぐために成人した妻が必要でしたので、親戚の中から私が選ばれましたよ」
「……だから、それじゃダメなの」
「どうしてですか? 結婚がお嫌でしたか?」
そうは言っても、この件にしては致し方ない。
本家存続のためにもアルガー様に継いでもらうしかなかったのだし、分家の中で成人していて未婚だったのはちょうど私くらいしかいなかったのだし。
お嫌だと言うのならば、それこそ成人した時に離縁でもなんでもすればいいと思うし。
私はそれまでの中継ぎだと思っているし。
「ベルイーラと結婚できて、とってもうれしいよ。でも、ダメなの……」
「何がお嫌でしたか……?」
「だって、ベルイーラはぼくのことが好きで結婚してくれたわけじゃないでしょう……?」
しょもしょもと項垂れていくアルガー様の唇が不満そうに尖っていくのが上からよく見えた、かわいい。
「ぼくが大人になったら、ベルイーラとの結婚がなくなっちゃうんでしょう……? それじゃイヤなの。ベルイーラとずっと一緒がいいの」
うりゅうりゅの瞳が上目遣いでこちらを見てくるではないか。
それ、可愛いって知っててやってますよね? え、そうですよね???
ずきゅーーーんっと、天使の矢が胸に刺さったのは言うまでもない。
かわいすぎて、こちらがおかしくなりそうである。
いやいやいや、いつまでそう言ってくれるかわからないのだしっ!
アルガー様は、まだ子どもだしっ!
私は親戚の中からたまたま選ばれた今だけの後見人代わりのような存在で!
実際はいろんな大人たちが頑張ってくれているから、ほとんど世話係のようなもので!
踏み外してはならんのです、ええ、ええ、ええ、アルガー様が成人する時は16歳で、私は22歳になっているから、年上の女房を持つアルガー様が揶揄われて終わりだわ、うんっ!そうよっ!
「まあ、そのようなお言葉をもらえてとても嬉しいですわ」
大人の余裕は見せられているだろうか。
と言っても、私もついこの間成人したばかりなのだけれど。
「だから、ベルイーラ。ぼくと結婚してほしいの」
「しているんですけどね。……うーん、でしたら、アルガー様が大人になった時に結婚を続けるかどうか決めるというのはどうですか?」
まだまだ低い身長のアルガー様と目線を合わせるべく、膝を曲げて屈んだ。
その夜空みたいに深い色の目が、ゆらゆらと私を見つめ返していた。
この目が曇ることなく、一緒にいられればいいなと思う。
「大人になったら?」
やっぱり不安そうに首を傾げるアルガー様に、私はにっこり笑ってみせる。
怖いことなど何もないと伝えるみたいに、笑った。
「はい、私とアルガー様の結婚は、アルガー様が成人するまではずっと変わりません。そのあとのことは、その時になったら決めたらいいと思いますよ」
「そしたら、ベルイーラはぼくと結婚してくれる…!?」
「ふふふ、アルガー様が私と結婚したいと思ってくださっているのなら、その時はぜひよろしくお願いしますわ」
「……っ!! 絶対だよっ!? ベルイーラ、絶対だからねっ!」
「アルガー様が成人する時が楽しみですね」
そう言うと、一本歯が抜けている口元がようやく笑ってくれたのだった。
「約束だからねっ!」
これで喜んでくれるなら、後見人冥利に尽きるというものだ。
はてさて、私はどうやって振られるのかしらねぇ。
他に好きな人ができたとか、年増な妻はいらないとか、これまでご苦労であったとか、どれも今からは想像つかないけれど、あと8年という時間がきっと何かしらを形作ってくれるのだろう。
それまで楽しみにしていよう、この小さき旦那様の隣で。
うん、アルガー様の成長をすぐそばで見られるというのは、新妻の特権ね。
……と思っていた私は甘かったのだ。
アルガー様はその日を境に、毎朝私が家にいるのを確認してからプロポーズするというのはしなくなったのだが、むしろ大事な節目の時にだけ言ってくるようになった。
アルガー様の誕生日、私の誕生日、ご両親の命日、私たちの結婚記念日の日。
まるで、「忘れていないよね?」と刻まれるように、「ベルイーラ、僕と結婚してね」と囁く。
すっかり声変わりして、いつの間にやら背も抜かれ始めたというのに欠かさず言われるので、いよいよ子どもの戯言ではないかもしれないと焦りを覚える。
…………どこまで本気ですか、アルガー様。
「アルガー様は、貴族学校で好いている方などはいないのですか?」
もう15歳になったアルガー様にそう訊いてみると、あの頃のあどけなさはどこへやら、すっかり端正な顔立ちになったアルガー様は優雅に首を傾げた。
天使のちょこんとした可愛らしさの面影はあるが、最近では体もしっかりしてきたようで、線に細さがない。
濃紺の瞳が、ギラリと光った気がした。
「うん? 学校でできた友人たちは好ましく思っているけど?」
「いえ、そうではなくて、ご令嬢の中で好きな方といいますか」
「ベルイーラがいるのに? ベルイーラは浮気性の男が好きなの? だったら、頑張ってそうなるけど……」
「いえっ!!!全く!浮気野郎のことは好きではありませんがっ!!」
「ふーん、そう」
「ええっ!ですから、目指さないでいいですからねっ!?」
「浮気性の男が好みではないのに、何の僕に好きな女がいないか聞くんだ。ひどいや、ベルイーラ」
天使というより小悪魔のようににっこり笑って、私を見つめてくる。
この見つめ方は、子どもの頃から変わらないと思う。
私がちゃんといるか確かめるようなその視線に、まだ心は癒えていないのかと勝手に思ってしまう。
8歳で両親をいっぺんに事故で亡くしたのだ、私を親代わりに思っているのだと思っていたのだけれど……。
「……アルガー様がいいのなら、私だっていいと思っておりますよ」
「本当かなぁ〜?」
「アルガー様の幸せが、私の幸せですよ」
「じゃあ、ベルイーラには一生僕といてもらわなきゃダメだね」
『ダメ』という言葉選びが変わらなくて、やっぱりかわいい。
「それは、今度のアルガー様の誕生日の日に決めましょう」
そういう約束なのだから、私はそれまで隣にいればいいのだ。
何を選ぶかは、アルガー様次第なのだから。
「ひひっ、僕今度の誕生日が人生で一番楽しみなんだ」
そう言って、とうに乳歯のなくなった口元を緩ませて、微笑んだアルガー様は大人の表情をしていた。
「アルガー様、16歳のお誕生日、それからご成人おめでとうございます」
朝、最初に会った時にそう伝えた。
今日だけは、誰よりも早くおめでとうを伝えたかったから。
「ベルイーラ、僕と結婚してください」
いつ用意したのか、まだ朝なのに大きな花束を持ってまっすぐ伝えてくるものだから、私から間抜けな声が漏れた。
「ええぇ……、誕生日の話はすっ飛ばすのですか……」
「そっちはそれほど大事じゃない。ベルイーラとの結婚継続がかかっているんだから、僕今必死なの」
そう言って、花束と一緒に腰を引き寄せられて、その腕に抱かれてしまう。
いつの間にこんなに力が強くなったのだろうか。
青年と呼ぶにはまだ少し若すぎるかもしれないが、彼はもう子どもではない。
それだけは、いくら私でもわかる。
「ベルイーラ、あなたが僕と結婚してくれたから、僕はあの日から寂しがらずにここまで来れたんだ」
変わらない栗色の眉毛が、なぜか苦しそうに歪んでいく。
どうしてそんな顔をなさるのですかと、胸がチリチリ痛くなっていく。
「ベルイーラがいないと、僕ダメなんだよ……」
アルガー様の弱音が零されていく。
それを床に落とすことなく、受け止める役目は、やっぱり私にあるのだと思う。
「私がいてもいなくても、アルガー様はずっとご立派ですよ」
「ベルイーラ…、僕っ」
「ですが」
アルガー様の手の力がグッと強まったのを感じながら、遮るように微笑んでみせた。
「アルガー様がそれでいいのなら、私もそれがいいです。ですから、そのプロポーズお受けしてもよろしいですか?」
そう答えると、夜空の星が潤んでいくのが見えた。
結婚した時からあまり泣かない子だったのに、ここで泣くのかと私まで泣きそうになる。
「……ベルイーラ、ずっとそばにいて」
「はい、アルガー様」
「僕のこと、捨てないで……」
「いや、どちらかというと捨てられそうだったの私でしたけどね」
「それはベルイーラが勝手に思ってただけだから……っ」
「中継ぎとしては、成人までだと思うじゃないですか」
「それもベルイーラが勝手に思ってただけだから……」
いつの間にか私の肩に顔を埋めて泣き顔を隠してしまった、かわいい旦那様のくぐもった声が耳に届いてくる。
いつまで経っても、かわいいのには変わりないかもしれない。
「ベルイーラ、僕と結婚して」
「はい、旦那様喜んで。というか、もう結婚しているんですけどね」
「……今日からちゃんと夫婦だから。僕もう遠慮しないから」
「え」
私の相変わらずな間抜けな声を掻き消すように、アルガー様は私をぎゅうぎゅうと抱き竦めるのだった。
えっと…、覚悟が決まってなかったのはどうやら私だけだったようです。
濃紺の目がギラギラと本気の目をしていることなど、この時の私はちゃんと気づいてはいなかったのだった。
了
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295日目。




