おいしいごはん
※注意※
生理的嫌悪をもよおす表現があります。食事中や前後に読むと気分を害する恐れがあるのでご自衛ください。作中の全てはフィクションです。
あれは当時勤めていた会社の、送別会と言う名の飲み会で起きた出来事だった。
営業部の男性が「嫁の飯がくそまずい」と言い出した。
空気が凍った。
女性職員たちの目はとんでもなく冷たかった。男性職員たちもだいぶ居心地が悪そうだった。
言い出しっぺのメシマズ男はだいぶ酔っていた。同僚の男性たちがたしなめたが文句が止まらない。女性たちはだいぶオブラートに包んでやんわりと、要約すれば「出されたもん気に入らねえなら食うな。つーか自分で作れば?」という内容の事を笑顔で提案していた。だいぶ地獄だった。
そんなとき、同期のAが「まずいというのは、食べたら美味しくなかったということですか?」と聞いた。
Aは普段から唐突に変な事を言ったり、空気が読めないところがある人で、その時もまた何かずれたことを言い出したと周囲はげんなりした。
酔っ払いメシマズ男も怪訝な顔をしたが、Aは「そうだとしたら、それは凄くラッキーだし、よかったですね」と言って笑った。
唐突にAは自分の話をし始めた。
Aは子どもの頃胃腸が弱く、何を食べてもお腹が痛くなるから、食事そのものが苦痛だったらしい。
しかし小学生にあがったあたりでAはある事に気づいた。
朝食のベーコン、おやつの菓子パン、みそ汁に入っていた豆腐、食後のジュース。
全部傷んでいたのだ。
消費期限は凄い時はひと月を超え、牛乳をコップに注いだら全部固形で落ちてきたこともあった。
野菜類は有機栽培うんぬんは絶対関係なさそうな虫が集り、食事はどんな献立だろうと常に独特の酸味がした。
Aの母親は、とにかく何も捨てられない人だったらしい。
色が出なくなるまでコーヒーフィルターの粉にお湯を注ぎ続けて飲み、一度カレーを作れば水を足して永遠に作り続ける。
そして腐っていようが原型を留めてなかろうが、食べ物を捨てれば烈火のごとく怒ったという。
Aにとって不幸だったのは、母親の異常なもったいない精神に加え、母親の衛生観念が尋常では無く緩かった事だ。
真夏に飲みかけの麦茶を放置し、床に落ちている布巾で手を拭いた後で洗った皿を拭く。
地域猫に餌付けした皿に米をよそい、水垢のできたペットボトルに飲み物を注ぎ足す。
「私、ナスが食べられないんです」
Aが言った。
「ダンボールの箱にね、ナスがいっぱい入ってたんです。
ご近所のお裾分けだったかな。暑い日がずっと続いてて、変な匂いがずっとしてたから、場所を移そうと思ったんです。
箱を両手で持ち上げて、そしたらね、箱の底がぞるっと抜けて。
茶色い半液状のどろどろがザバーッて落ちてきて。
あの匂い、多分一生忘れないんじゃないかなあ。
とにかく必死で、泣きながら素手で掬って、全部お手洗いに流しました。
本当はだめなんですけどね。水道職員の人には今でも申し訳ないです。
言い訳でしかないけど、こわかったんです。とにかく1秒でも早く、何もかも全部始末しなくちゃって。母の目に付かないところに片付けないとって。
じゃないと、きっと、コレも食べさせられる。
まあでも子供なりに頑張ったんで、だいたい間に合いましたよ。
搬送されたあとで母とも縁が切れましたし。
奥さんのごはん、まずいってことは、口に入れられるし、飲み込めるってことですよね?
なら、よかったなあと思って。
それで、うっかり口に出しちゃったんですけど、失礼でしたね。プライベートな事に勝手に言及したりして。
恥ずかしい事をしてしまいました。すみません」
そう言ってAはほがらかに笑った。
あったかくなってくると虫が元気になりますね
読了ありがとうございましたm(_ _)m




