Act1 回線の断絶 偽りの観測者(オブザーバー)
航聖が陣取っていた図書室の窓際、研斗は学生専用Wi-Fi『MIZUHO STUDENT』に接続されたノートPCを誇らしげに操作していた。
「……フン、このファイヤーウォール。一般生徒には鉄壁だろうが、加納家の観察者である僕には、バックドアを通るパスワードが与えられているんだ」
研斗は、学園のネットワークを自分が支配しているものだと思い込んでいた。しかし、彼が必死に潜り込んでいるそのファイヤーウォールの先にあるのは、学園の出席管理や図書の貸し出しといった、極めて生徒の表面的なデータ群に過ぎない。
彼には見えていなかった。同じWi-Fiの電波が飛び交うこの空間のさらに深い階層を、校則の激流が流れていることを。
深層回線……航聖の独壇場、『特別演算室』
三枚のモニターを埋め尽くすログの激流は、学園の一般回線とは物理的に切り離された、姫神会独自のダークファイバ―を通じて流れていた。
「……ヒメ、自称観察者が、学生用Wi-Fiのファイアウォールを弄り回して悦に浸っているぞ、どうする?……わざわざ僕が用意した『偽の裏口』を、あたかも自分で見つけたと勘違いしているんだが……」
航聖は激流を捌きながらも、嬉しそうな声を出す。かれにとっては、研斗が使っているWi-Fiなど、空中に漂っている微細なノイズとおなじだった。航聖は深層回線から一般回線へ「逆流」するように干渉し、研斗の画面を完全に支配下に置いていた。
「あら、健気だこと。他の生徒と同じ電波を拾って、必死に『加納家の威光』を通信しようとしているなんてね」
薫はカウチで足を組み、手元のスマホで時折、図書室の研斗をチェックしている。
「彼には一生届かないでしょうね。……私たちが今、どれ程高い場所からデバックしているか……学生用Wi-Fiのファイアウォールを超えた程度で『支配者』を気取れるその安っぽい頭脳。……気持ち悪いわね」
「……彼が送ろうとしている加納家の報告パケットを、僕のローカルサーバーで一括キャプチャーした。
加納家には、僕が作った『順調です』という適当な一分だけが、研斗の報告として届くように細工してある」
研斗は、自分のノートPCのアンテナアイコンが、「強」であることに満足し、勝利を確信している。
「玉木 航聖。君がどんなに地下で汗をかこうとも、最終的な決定権はこの僕にある。……薫様の隣に相応しいのは、この僕なんだよ」
図書室で一人、悦に入る研斗。その頭上を、目に見えない「姫神会の激流」が音もなく通り過ぎ、彼が必死に掴もうとしている糸を、航聖が指先一つでプツリと切り離していく。
「……演算を続行する。……学生用Wi-Fiの帯域が少し混んできたな。……奴の通信優先度をさらに下げておこう」
航聖がキーを叩く。
図書室の研斗の画面が、一瞬だけ不自然にカクついた。しかし研斗は、それが自分への破滅のカウントダウンであることにまだ気づいていない。




