第二次戦国記 人物辞典 - 七条幕府編 -
七条幕府――それは、京の治乱を鎮め、新たなる秩序をもたらすために誕生した第三の幕府である。
武門と公家の融合、そして旧来の幕府政治の再構築を掲げ、八条家・九条家・東朝・西朝の対立の狭間に立ちながらも、七条家は「調停」と「中庸」の道を歩んだ。
本辞典は、七条幕府を中心に活躍した武将、公家、学者、そして天皇方との関係を記したものである。
歴史と伝承の狭間に生きた者たちの軌跡を、ここに記す。
◇ 七条幕府 概要
•正式名称:七条幕府〈しちじょうばくふ〉
•成立:図俊天皇東朝八年(架空年号・永応元年)
•初代将軍:七条頼兼〈しちじょう・よりかね〉
•政庁所在地:京・七条院(旧南館を改修)
•旗印:「調和の鳳凰」
•理念:「武と徳、朝と幕の融和」
七条幕府は、八条幕府と安土幕府の対立を調停するため、東朝の勅命によって設立された。
当初は中立的立場を保ったが、のちに東朝の実質的支柱となり、南北西の三朝との外交・軍事の均衡を図る存在へと発展した。
◇ 七条幕府 将軍家系譜(全八代)
代
将軍名
在職期間
主な功績
初代
七条頼兼〈よりかね〉
永応元年~永応十年
東朝再興の功。幕府創設、京の治安回復。
二代
七条政房〈まさふさ〉
永応十一年~永和五年
西朝との講和締結、内政改革を推進。
三代
七条定綱〈さだつな〉
永和六年~永建三年
新日本皇軍の設立に協力。軍制改革を断行。
四代
七条義遠〈よしとお〉
永建四年~永治二年
北辺反乱を鎮圧、八条幕府との同盟締結。
五代
七条景高〈かげたか〉
永治三年~延明元年
南朝との和平交渉、永治文化の興隆。
六代
七条忠親〈ただちか〉
延明二年~延祥四年
京文院を設立、学問奨励政策を推進。
七代
七条範兼〈のりかね〉
延祥五年~慶徳七年
北朝との戦争回避、外交で均衡を維持。
八代
七条信隆〈のぶたか〉
慶徳八年~(現任)
四朝統合の夢を掲げ、再統一の道を探る。
◇ 主な将軍列伝
● 七条頼兼
七条幕府の創設者。もとは八条家の重臣であり、図俊天皇の勅命により独立。
「調和の鳳凰」を掲げ、徳治による政治を志した。晩年は東朝文化院の総裁として文治を支えた。
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● 七条政房
穏健派の名将。外交手腕に長け、西朝および南朝との和平を実現。
戦を嫌い、民の安寧を第一に掲げた人物。
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● 七条定綱
軍制改革の祖。新日本皇軍の創設に関与し、旧皇軍の伝統と革新技術を融合。
のちに軍学書『鳳凰戦略録』を著し、後世に大きな影響を残す。
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● 七条義遠
戦略家として知られる。八条幕府との協定を結び、北方反乱を鎮圧。
冷静な判断力から「氷将」と称された。
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● 七条景高
文治政治の完成者。南朝・美勇天皇との会見を成功させ、「永治文化」の中心人物となる。
芸術と学問を愛した名将。
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● 七条忠親
学問第一の将軍。京文院を創立し、理学・史学・兵学を統合。
「学による国の安定」を掲げた思想家でもある。
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● 七条範兼
慎重な政治家であり、冷静な外交家。
北朝との全面戦を回避し、貿易・文化の交流で均衡を維持した。
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● 七条信隆
現任将軍。
東朝の図俊天皇を支え、四朝統一を悲願とする。
新日本皇軍を再編成し、戦後の国家再構築を指揮している。
◇ 幕府主要家臣・文臣・軍臣
名称
役職
解説
久我永真〈こが・えいしん〉
執政大老
八条家の元老。七条頼兼の右腕。
一条実兼〈いちじょう・さねかね〉
管領
西朝との折衝を担当、和平の立役者。
九条雅道〈くじょう・まさみち〉
学頭
京文院総裁。哲学者で忠親の師。
藤原兼続〈ふじわら・かねつぐ〉
兵部卿
新日本皇軍編成の軍師。戦略家。
七条麗子〈しちじょう・れいこ〉
将軍補佐
信隆の妹。内政・軍略双方に通じる才媛。
二条俊範〈にじょう・としのり〉
右筆長官
朝廷勅令と法典編纂を担当。
小早川景道〈こばやかわ・かげみち〉
軍監
西海の制海権を掌握し、海外貿易を指揮。
七条幕府は、第二次戦国時代において最も「調和」を重んじた政権であった。
その道は険しく、八条幕府・九条家・安土幕府・新日本皇軍との板挟みの中で、七条家は常に「中庸」と「理性」を選んだ。
だが、その理念こそが後の東朝の礎となり、日本再統一の精神的支柱となる。
戦乱の時代を超えて、今も七条家の名は「鳳凰の理」として語り継がれている。




