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第二次戦国時代 ―令和動乱記―  作者: 足利
第二次戦国記 第二部番外編 
28/100

第二次戦国記 人物辞典 - 七条幕府編 -

七条幕府――それは、京の治乱を鎮め、新たなる秩序をもたらすために誕生した第三の幕府である。

 武門と公家の融合、そして旧来の幕府政治の再構築を掲げ、八条家・九条家・東朝・西朝の対立の狭間に立ちながらも、七条家は「調停」と「中庸」の道を歩んだ。

 本辞典は、七条幕府を中心に活躍した武将、公家、学者、そして天皇方との関係を記したものである。

 歴史と伝承の狭間に生きた者たちの軌跡を、ここに記す。

◇ 七条幕府 概要

•正式名称:七条幕府〈しちじょうばくふ〉

•成立:図俊天皇東朝八年(架空年号・永応元年)

•初代将軍:七条頼兼〈しちじょう・よりかね〉

•政庁所在地:京・七条院(旧南館を改修)

•旗印:「調和の鳳凰」

•理念:「武と徳、朝と幕の融和」


 七条幕府は、八条幕府と安土幕府の対立を調停するため、東朝の勅命によって設立された。

 当初は中立的立場を保ったが、のちに東朝の実質的支柱となり、南北西の三朝との外交・軍事の均衡を図る存在へと発展した。

◇ 七条幕府 将軍家系譜(全八代)


将軍名

在職期間

主な功績

初代


七条頼兼〈よりかね〉

永応元年~永応十年

東朝再興の功。幕府創設、京の治安回復。

二代

七条政房〈まさふさ〉

永応十一年~永和五年

西朝との講和締結、内政改革を推進。

三代

七条定綱〈さだつな〉

永和六年~永建三年

新日本皇軍の設立に協力。軍制改革を断行。

四代

七条義遠〈よしとお〉

永建四年~永治二年

北辺反乱を鎮圧、八条幕府との同盟締結。

五代

七条景高〈かげたか〉

永治三年~延明元年

南朝との和平交渉、永治文化の興隆。

六代

七条忠親〈ただちか〉

延明二年~延祥四年

京文院を設立、学問奨励政策を推進。

七代

七条範兼〈のりかね〉

延祥五年~慶徳七年

北朝との戦争回避、外交で均衡を維持。

八代

七条信隆〈のぶたか〉

慶徳八年~(現任)

四朝統合の夢を掲げ、再統一の道を探る。

◇ 主な将軍列伝


七条頼兼よりかね

 七条幕府の創設者。もとは八条家の重臣であり、図俊天皇の勅命により独立。

 「調和の鳳凰」を掲げ、徳治による政治を志した。晩年は東朝文化院の総裁として文治を支えた。



七条政房まさふさ

 穏健派の名将。外交手腕に長け、西朝および南朝との和平を実現。

 戦を嫌い、民の安寧を第一に掲げた人物。



七条定綱さだつな

 軍制改革の祖。新日本皇軍の創設に関与し、旧皇軍の伝統と革新技術を融合。

 のちに軍学書『鳳凰戦略録』を著し、後世に大きな影響を残す。



七条義遠よしとお

 戦略家として知られる。八条幕府との協定を結び、北方反乱を鎮圧。

 冷静な判断力から「氷将」と称された。



七条景高かげたか

 文治政治の完成者。南朝・美勇天皇との会見を成功させ、「永治文化」の中心人物となる。

 芸術と学問を愛した名将。



七条忠親ただちか

 学問第一の将軍。京文院を創立し、理学・史学・兵学を統合。

 「学による国の安定」を掲げた思想家でもある。



七条範兼のりかね

 慎重な政治家であり、冷静な外交家。

 北朝との全面戦を回避し、貿易・文化の交流で均衡を維持した。



七条信隆のぶたか

 現任将軍。

 東朝の図俊天皇を支え、四朝統一を悲願とする。

 新日本皇軍を再編成し、戦後の国家再構築を指揮している。

◇ 幕府主要家臣・文臣・軍臣


名称

役職

解説


久我永真〈こが・えいしん〉

執政大老

八条家の元老。七条頼兼の右腕。

一条実兼〈いちじょう・さねかね〉

管領

西朝との折衝を担当、和平の立役者。

九条雅道〈くじょう・まさみち〉

学頭

京文院総裁。哲学者で忠親の師。

藤原兼続〈ふじわら・かねつぐ〉

兵部卿

新日本皇軍編成の軍師。戦略家。

七条麗子〈しちじょう・れいこ〉

将軍補佐

信隆の妹。内政・軍略双方に通じる才媛。

二条俊範〈にじょう・としのり〉

右筆長官

朝廷勅令と法典編纂を担当。

小早川景道〈こばやかわ・かげみち〉

軍監

西海の制海権を掌握し、海外貿易を指揮。

七条幕府は、第二次戦国時代において最も「調和」を重んじた政権であった。

 その道は険しく、八条幕府・九条家・安土幕府・新日本皇軍との板挟みの中で、七条家は常に「中庸」と「理性」を選んだ。


 だが、その理念こそが後の東朝の礎となり、日本再統一の精神的支柱となる。

 戦乱の時代を超えて、今も七条家の名は「鳳凰の理」として語り継がれている。

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