第16話 和令元年
戦火の後、宿政は静かな庵で新たな理想を描く。
それは血なき律、“和”の時代の始まりだった――。
季節は春――。
戦火が消え去った東京の空に、ようやく青が戻りつつあった。
焦土と化した皇居の周囲には、復興の工事が始まり、
倒壊した瓦礫の隙間から、無数の草花が芽を出していた。
かつての戦士たちは、いま鍬を握り、
鉄ではなく土を耕している。
人々の顔には疲労が刻まれているが、
その瞳の奥には、ようやく安堵の光が宿っていた。
八条宿政――。
かつて征夷大将軍と呼ばれたその男は、
いまは肩書きをすべて捨て、一介の庶人として
「東山庵」と呼ばれる山の庵に身を置いていた。
朝霧が立ちこめる庭で、宿政は筆を取る。
墨をすり、白紙の巻物に一文字、静かに書き入れた。
――「和」。
その筆跡は太く、しかし穏やかだった。
それが、彼の新たな時代の名となる。
和令元年。
「兄上……これで、よかったのだろうか。」
庭先に咲く桜に向かい、宿政は呟いた。
彼の脳裏には、あの日、燃え盛る皇居で
最期に微笑んだ兄・家太郎の姿が浮かぶ。
あの笑みは、敗北ではなく、託す者の微笑であったのだ。
「剣に頼らず、法に縛られず、人の心で国を治める。
それが“令”の本義であり、“和”の本懐だ。」
宿政はその巻物を巻き、机の上に置いた。
そこには、彼が新たに制定した六つの条文が記されていた。
第一条 民を守ること、武に勝ること。
第二条 権を競うことを恥とす。
第三条 法は人のためにあり、人は法のために非ず。
第四条 信を以て国を繋ぐ。
第五条 和をもって貴しとす。
第六条 争いを以て正義とせず。
それは、かつての“令和律令”とは似ても似つかない、
柔らかく、しかし芯のある律法だった。
血ではなく信で国を治めるという、
宿政なりの答えであった。
やがて、彼の庵を訪れる者が現れる。
彼らは元皇軍兵、旧自衛官、あるいは民間の若者たち。
皆、同じ問いを抱いていた。
「どうすれば国は再び立ち上がれるのか」と。
宿政は笑い、答える。
「立ち上がるのではない。
ただ、歩みを止めぬことが肝要なのだ。」
その言葉はやがて広がり、
各地に“和令庵”と呼ばれる庵が建てられた。
そこでは武器を置いた元兵たちが学び、
農を興し、地域を助け合う姿が見られた。
そして、和令元年の秋――。
宿政はふたたび都を訪れた。
焼け落ちた皇居は再建され、
その中心には、一本の桜が植えられていた。
それは、兄・家太郎が最期に倒れた場所に芽吹いた若木だった。
宿政はその桜の前で立ち止まり、静かに手を合わせた。
「兄上。貴方が望んだこの国は、今も生きています。」
春の日差しが差し込み、花びらが一枚、宿政の肩に落ちた。
彼は微笑み、その花を掌に包む。
その瞬間、遠くで子どもたちの笑い声が聞こえた。
かつての戦場が、いまは遊び場となっている。
「人の世とは、かくも脆く、かくも美しい――」
宿政は空を見上げ、深く息を吸った。
雲の切れ間から、柔らかな陽が降り注いでいた。
新しい時代の始まりを告げる光。
それはまるで、兄の魂が空から微笑んでいるかのようであった。
宿政はその光に向かって、最後の祈りを捧げた。
「和の国よ、永遠なれ。」
そして筆を置き、静かに庵へと戻っていった。
その背はすでに老いていたが、歩みには迷いがなかった。
やがて、庵の戸が閉じられ、
風に桜の花びらが舞い散った。
その後、宿政の消息を知る者はなかった。
だが、各地に残る庵の壁には、
ひとつの言葉だけが刻まれているという。
――「和こそ、律なり。」
それが、新しい日本の始まりであった。
剣が去り、筆が残る。
和令の誕生は、終焉ではなく、永遠の始まりとなった。




