第11話 平和の代償
戦火の跡に訪れた静寂。宿政は理想と現実の狭間で揺れる。
秋の風が近江の湖畔を渡り、黄金の稲穂を揺らしていた。
安土の城下は、ようやく戦の焦げ臭さを拭い去り、再び賑わいを取り戻しつつあった。
だが、その表の平穏とは裏腹に、安土城本丸では、再び政争の火種が静かに燻り始めていた。
将軍・八条宿政は、父・家御の急死から一年が経つ今も、戦乱の記憶を夢に見る夜が多かった。
夢の中で、父が何度も問いかけてくる。
――「平和とは何だ?」
その声に答えようとするたび、宿政は目を覚まし、枕元に置いた佩刀を見つめる。
家太郎との停戦協定によって、形式上は「安土幕府」と「中央政府」が共存する形となった。
しかし現実には、両者の間に横たわる溝は深く、互いの諜報員が暗闘を続けていた。
宿政は戦を避けたいと願い、和睦を重ねるために京への使節を派遣したが、帰る者の多くは消息を絶った。
「殿下、これ以上の譲歩は国を滅ぼしますぞ」
幕府重臣・榊原征人は、堅い声で進言した。
「皇都にはすでに旧皇軍の残党が潜み、中央の軍備を支えております。
彼らは殿下の理想を笑い、次の戦を待っているのです」
宿政は深く息を吐き、視線を落とした。
「私は……民を飢えさせることを望まぬ。血の河を再び見ることもな」
「ですが、殿下。剣を捨てた国を、誰が守りましょう」
榊原の言葉に、室内の空気が重く沈んだ。
会議後、宿政は庭へ出た。
月明かりが白砂を照らし、池の水面に金の波が揺れている。
「父上……私は間違っているのか……?」
そう呟いたとき、背後から柔らかな声がした。
「間違いではありませぬ」
振り返ると、妹・八条美鈴が立っていた。
彼女は兄と違い、政治の場には姿を見せないが、密かに宿政の心を支えていた。
「兄上が理想を語らねば、誰がこの国を導けましょう。
戦を終わらせたいと願うことこそ、父上の遺志です」
宿政は微笑を浮かべ、しかしその瞳には翳りが残っていた。
――理想だけでは国は守れぬ。だが、理想を失えばそれは国ではない。
彼の心は、その狭間で揺れていた。
その夜、京より急報が届く。
「中央政府軍、東山に大規模な兵を集結。再編の兆しあり」
報せを受けた宿政は立ち上がった。
榊原が一歩進み出て問う。
「出陣の御沙汰を?」
宿政は静かに首を振った。
「まだだ。……戦を避ける道があるなら、私はそれを探す」
月は静かに雲に隠れた。
翌朝、安土の空に黒煙が立ち上る。
それは、再び血と炎に包まれる日本の、序章であった。
平和を守る覚悟が、新たな血の予感を呼び起こす――。




