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新生活

 ……全身を包み込む優しい毛布の温もりを感じながら、私はぼんやりと目を覚ました。

 ふわふわした毛布に顔を擦り付けて、またうとうとと微睡みそうになる……。

「ん……」

 再び毛布に顔を擦り付けて……、その途端に自分の状況が理解できなくて体がビクッとした。

「っ?!」

 胸がバクバクする中で考えて、昨日のことを思い出す。

 そうだ。テオ様に買われて、テオ様の家へ来たのだった。

「……」

 思い返せば夢のような話だ。

 本当なら私は全然知らない人に買われるはずだった。犯罪奴隷だからと手酷く扱われたかもしれない。

 それなのに。

 テオ様が私を見つけてくれて、私を買ってくれて、私のことを粗末に扱わないと言ってくれて……。

「……」

 窓辺からは柔らかな朝の陽射し。

 穏やかな時間。

 体温に馴染んだベッドが心地いい。

 テオ様も「ゆっくりしているように」と言っていた。

 でも……。

「……んん……」

 長年の習慣というべきか。目が覚めてもベッドの中にいるとは、これはこれで落ち着かない。

 思いきって毛布をめくって起き上がり、ベッドから足を下ろす。

 寝ていた間についた服のシワをパタパタと手で払って伸ばして、右腕の袖を少し引っ張った。

 部屋を出て一階へと向かう。

 何となく気まずい思いで足音を殺して階段を降りたところで、階段から一番近くにあるドアからテオ様が出てきた。

「ん? シア、もう起きたのか?」

 きょとんとしたような表情のテオ様を見て、私は何だかホッとした気持ちになった。

 わかっていたことだけれど……、昨日のことは夢じゃなかったんだって改めて実感する。

「お、おはようございますテオ様」

 頭を下げる私にテオ様がフワッと微笑む。

「おはよう。まだ早いから二度寝してもいいんだぞ?」

「えっ。あの、いえ、大丈夫ですっ」

「そうか? なら、顔を洗っておいで。風呂の湯を使うといい」

「は、はいっ」

 昨日使った脱衣場へ行き、湯船からお湯をもらって洗面台で顔を洗う。

 温かなお湯で顔が洗えるのって幸せ……。

 心がほっこりしながら鏡を見ると、前髪が寝癖でピョコンと跳ねていた。これをテオ様に見られたと考えると少し恥ずかしい。

 鏡を見ながら髪を手櫛で整えて、身なりを確認しながら右腕を擦る。

 物音がしているリビングへ行くと、テオ様がリビングのカーテンを開けていた。

 爽やかな朝の陽射しがリビングへと射し込んでくる。

「朝食の準備はまだなんだ。今からするから待っていてくれ」

「あ、あ、あの……っ。お手伝いさせてくださいっ」

 せっかくこのタイミングで居合わせたのだ、テオ様のお手伝いをしたい。気合いで手に力が入る。

 そんな私に、テオ様はフッと微笑んで頷いた。

「なら、一緒に作るか」

「っ! はいっ」

 私はテオ様の後ろについてキッチンへと入った。

「パンと卵で簡単に作るつもりだったんだが、シアが手伝ってくれるのならもう一品作るか」

 キッチン奥の小部屋はパントリーになっていた。テオ様の後ろから覗くと色々な食材が納められているのが見える。

「昨日買った丸パンがあるからなぁ。パンをトーストして、卵を焼いて、後はスープを作るか。具は……ああ、昨日の鶏肉の残りがあるか。鶏肉を炒めてから野菜を……」

 テオ様は呟きながらごそごそと食材を漁っている。

 残り物を活用して献立を組んでいるから、面倒だと言いながらも料理がちゃんと出来る人なんだなぁと思う。

「ウチは魔道具のコンロなんだ。使い方はまた後で教えるから、シアは材料を切ってくれるか?」

「は、はいっ」

 魔道具は専門の魔道具職人が作る不思議な道具だ。火がなくても明かりが点くランプなど便利な道具だが、高額なので庶民では手が出しにくい。

 魔道具のコンロだから煤や灰がなくてキッチンが綺麗なんだ、と納得する。

 バルカのお屋敷ではレンガ造りのかまどだった。中流家庭はかまど、下流家庭は薪ストーブが主流だと思う。

 魔道具のコンロだなんて実物すら見たこともなかったけれど……、テオ様は魔術師だから魔道具を使うのが普通なのかな?

 テオ様の指示に従って材料を切っていく。包丁の扱いには慣れているので問題ない。

「調理器具や調味料は一通り揃えているからな。俺はやれば出来るんだ。単に面倒だからやらないだけで、やれば出来るんだよ。やれば」

 ブツブツとぼやきながらテオ様は順序立てて調理を進めている。本気を出せば凝った料理が作れる人なのかもしれない。

 私はその間に洗い物を済ませたり、食器棚からお皿を出したりしていく。

 水回りも魔道具の水道だったのでテオ様が動かしてくれた。わざわざ外で水汲みをしなくていいのはとても便利だ。

 魔術師の家って凄い……というよりも、テオ様が凄い? 魔道具って高いよね? お金持ち?

 ……あ、そうか。偶然見つけた私をその場で全額現金を出して買えるくらいには財力があるんだ。

 そうしている間に料理が完成した。

 香ばしくトーストして温かな湯気が立つ丸パン。

 トマトソースを添えたふんわりスクランブルエッグ。

 野菜とキノコと鶏肉の具だくさんスープ。

「さっ、食べよっか」

「は、はい。いただきます」

 テオ様と同じ内容の食事を同じテーブルで食べる。奴隷だったら絶対にあり得ない状況だ。

 朝から温かい食事が食べられて、それでお腹がちゃんと満たされるだなんて幸せ……。

「リー、来たのか」

 見ると、リンクスがテオ様の足首に擦り寄っている。

 リンクスはテオ様の膝へと飛び乗ると、テーブルに前足をちょこんと乗せた。

 ちょうど私の正面に見えて可愛い……。

「使い魔は俺の魔力を食っているから食事はいらないんだがな。俺が何か食っているとこうして来るんだよ」

 人が食べている物は美味しそうに見える、というあれか。

 リンクスはテオ様が自分のスープから取り出した鶏肉を食べている。

 仕草が可愛い……。

「猫好きか?」

 釘付けだった私の視線に気付いたテオ様が訊いてきた。

「あ……っ。は、はい。好きです……」

 少し恥ずかしくなりながら答える。

 猫や犬も好きだし、バルカにいた頃はお屋敷の庭木で見掛けるリスが可愛くてよく眺めていた。

「リー、愛嬌を振り撒ける相手が増えたぞ」

 食べ終えて顔を洗っていたリンクスは、テオ様が言い終えたと同時に床へと降りた。

 そのままどこかへ行ってしまうのかと思ったら、なんと私の足首にスルリと擦り寄ってきた。

「?!」

 すっごいふわふわで温かい……っ。

 突然のことで驚いて固まっていると、リンクスはソファへと移動していった。

「な? 行動は猫だが言葉は理解してい――おいやめろ、猫をアピールするんじゃない」

 ソファの背もたれで爪研ぎを始めたリンクスにテオ様が頭を抱えた。

 リンクスはテオ様が抗議を言い終えたと同時に爪研ぎをやめて廊下へと消えていく。明らかにテオ様の言葉を理解しての行動だ。

 テオ様が特大のため息をついた。

「……行動はアレだが、頼りにはなる。困った時には話し掛けてみるといい」

「は、はい」

 少し悪戯っぽい目でテオ様に言われて、私はよくわからないまま頷いた。

 食休みをしてから、テオ様と一緒に使用済みの食器を片付ける。

 隣で洗い物をしているテオ様をチラッと見上げた。テオ様の横顔が見える。

 私はこんなに近くに男の人がいると怖くて体が動かなくなるはずなのに……、テオ様相手だと少し緊張はしても不思議と怖くない。

「じゃあシア、家を案内して説明するからな」

「は、は、はいっ。よ、よろしくお願いしますっ」

 緊張して胸をバクバクさせながら頭を下げる私に、テオ様がフッと笑った。

「その前に」

 テオ様が掌を上にした左手を出すと、掌にペンダントのようなものがチャリッと音を立てて現れた。

「これを身につけていなさい」

 私の瞳と同じ翡翠色の石がついたペンダントだ。貝殻の真珠層みたいに淡くキラキラしている。

「掛けていいか?」

 テオ様が私の許可をとってから私に手を伸ばしてペンダントを首へ掛けてくれた。

 こうしていきなり私の首に触らないのも、私がビクッてしないように気を使ってくれているんだろうなぁ……。

 首に掛ける部分は焦げ茶色の組紐だ。サラッとしているのに肌に馴染む素材で出来ている。

「魔石だ。俺の魔力を十分に補填してある」

「え、えっと……?」

 困惑しながらテオ様を見上げると、テオ様は説明を続けた。

「この家は魔道具が多い。魔道具を動かすには魔力が必要なんだが、魔術師でない者は魔力入りの魔石を代用するんだ」

「へー……」

 思わず声が漏れる。

「一般向けに魔石が内蔵された魔道具もあるがな。どちらにしても、使用していく間に魔石内の魔力は減っていく。一般的な石だと保って三年程度だろう。魔力を失った魔石はただの石だ。そうなる前に、魔力を補填し直さないといけない」

 指先でそっと石に触れてみると、ほんのりと温かい。

 この温もりがテオ様の魔力なのかな?

「魔道具は本体も割高だが、それに加えて定期的な魔力補填や専門的なメンテナンスなどで維持費がかかる。だから高級品というイメージが強い」

 なるほど……。

 私は感心しっぱなしだ。知らないことを知るのは楽しい。

 そんな私の反応をテオ様は楽しんでいるようだ。私が怯えないように見える位置で手を伸ばして、頭を撫でてくれた。

「その魔石には俺の魔力をしっかり入れてあるからな、枯渇することはまずないと思っていい。失くさないでくれよ?」

「は……、はいっ。大事にしますっ! ずっとつけていますっ!」

「あははっ、寝る時くらいは外していいんだからな?」

 テオ様は笑いながら私の頭をわしゃっと撫でて手を離した。

 私は何だか嬉しくて石を触っていたけれど、どこかに引っ掛けでもしたら大変だと思って服の中へと入れた。

 石が触れる素肌に温もりを感じる。

「じゃ、説明していくぞ?」

 そう言ってテオ様は私にコンロとオーブンの使い方を教えてくれた。着火。火力調整。消火。

 うーん……、楽だ。お金持ちが欲しがる理由がよくわかる。魔道具って凄い。

「水源は地下だ。浄化処理を挟んでいるから生水で腹を壊す心配はない」

 この水道は本当に便利だ。外への水汲みがないだけで家事の効率が全然違う。

「で、こうするとお湯が出る」

「?!」

「出るように改良した」

「……」

 あれ? 魔道具って魔術師じゃなくて魔道具の専門職人が作るんだよね?

 それを改良したの?

 魔術師のテオ様が?

 ……うん。やっぱり、魔道具よりもテオ様が凄い。

 テオ様は次にパントリーを説明していく。床面積は人が立って三人分くらいで、三方の壁に様々な食材や保存瓶や木箱などが納まった棚がある。

「在庫管理を任せてもいいか? 食材が減ってきたり欲しい食材があれば俺に言ってくれ。買い出しはその都度しているから、買い出しタイミングはあまり気にしなくていい」

「は、はい。わかりました」

 テオ様はパントリー内に設置された小さめの戸棚を開けた。

「この戸棚には保存の魔術を掛けてあるから、生肉とか魚とかをそのまま入れて大丈夫」

「凄い……」

 本当にお肉が普通に入っている……。

 私はたぶんさっきから無意識に「凄い」を口から漏らしていると思う。

「そういえば、保冷機能がないんだよなぁ。戸棚の術式を弄るか、それとも別で保冷庫を作るか……」

 テオ様が真顔でブツブツ言いながら思案している。

 今後ますます便利になってしまう予感……。

「昨日も言ったが食事は一日三食な。朝も昼もそんなに凝る必要はないからな」

「わ、わかりましたっ」

 下流家庭の場合だと朝食はパンやチーズを簡単に食べて、昼食は食べないかビスケットやクラッカーなどで済ませることが多い。そして夕食は品数や質を少しだけ増やした内容を食べる。

 中流以上になってくると朝夕は豊かになり、昼食も様々だ。片手間で食べられる程度に済ませる家もあれば、しっかりとしたメニューを食べる家もある。更に余裕があれば、食事以外に間食の時間を設けることもある。

「今朝はわりとちゃんと作ったけれどな、朝食は本当に簡単で構わないんだ。睡眠を削ってまで朝食に手間をかける必要はないから、朝は無理に早起きをしないように」

 テオ様は気を遣ってそう言ってくれるけれども、お屋敷にいた時はまだ暗い早朝から働いていたから、気持ちがもどかしい……。

 もじもじしている私にテオ様が苦笑した。

「それがウチのやり方だと思って、慣れてくれ」

「……は、はい」

「よし」

 私の返事に頷いたテオ様は、次に風呂場へと移動した。

「風呂の湯は俺が好きな源泉から引いてきている」

「……お、温泉……ですか?」

「そう」

 温泉なんて初めてだ……。

 そもそも「源泉から引いてきている」ってどういうこと? 一体どこにある源泉なの……?

 テオ様はたぶん……いや、確実に普通のお金持ちよりも遥かに贅沢な生活をしていると思う。

 洗面台の水道もキッチン同様にお湯が使えた。温泉のお湯もあるし、洗顔で冷たい思いをしなくていいのは嬉しい。

 隣室のトイレも魔道具で、水洗式だった。衝撃的だ。

 物置部屋にある掃除道具などを確認しながら階段近くまで戻っていく。ちなみに照明も魔道具だそうだ。

 今朝テオ様は階段近くのドアから出てきたっけ……などと思っていたら、テオ様がそのドアを目で示した。

「あれは俺の魔術工房だ。魔術関連の研究や実験をしたり、色々作ったり……、まぁそういうことをする部屋だな。勝手に入るなよ?」

「は、はいっ」

 説明されてちょっとワクワクしてしまった。

 魔術工房。研究。実験……!

 何だかとっても魅力的だ。

 家の間取りからして中は結構広いと思う。

 どんな感じなんだろう……?

「……そんな目で見ても入れてやらないからな。ここはダメだ」

「す、すすすすみませんっ!」

 慌てて頭を下げる。

 やってしまった! なんて生意気なことを!

 さすがに怒られる――ッ!

「……っ」

 力いっぱいに目をギュッと閉じて固まっていると……、ため息をついたテオ様が頭を撫でてきた。

「気になる気持ちはわかるけれどな、ダメだぞー?」

 小さい子供を窘めて叱るような声音だ。

「……はい……、すみません……」

 そのまましばらく頭を撫でられ続けて……、だんだんと気恥ずかしくなってきた。

 おそるおそるとテオ様を見上げると、テオ様は実に楽しそうな目で意地悪な微笑みを浮かべていた。

 わ、わざとやってる……。

 おかげで緊張はほぐれたけれど……、恥ずかしい。

 私の視線に気付いてクスッと笑ったテオ様が、私の頭から手を離した。

「次は二階か」

 テオ様と一緒に階段を上がった。二階はドアが三つある。

 左側の廊下を進んで一番奥の部屋……、ここって。

「俺の部屋な」

 悪戯っぽくそう言って、テオ様はドアを開けた。

 私の部屋より広めだ。ベッド、クローゼット、キャビネット、物書き机と椅子、ソファと小さいテーブルがある。

 テーブルに本が数冊積んだままだったり、ベッドの毛布が丸まったままだったりと生活感はあるけれど、雑多な感じはない。

「ま、普通の部屋だな。俺がいない時に入ってもいいが――」

 そこまで言って、テオ様は丸まったままの毛布へ左手をズボッと突っ込んだ。

 そうして毛布から引き出された左手には、首根っこを掴まれたリンクスがぶら下がっている。

「コイツみたいに勝手に寝るなよ?」

「し、しませんっ!」

 慌てる私にテオ様は喉をクツクツ鳴らすように楽しげに笑った。

「次は隣の部屋だ」

 テオ様はそう言いながら私の横を通り抜けようとして、胸の前で組んでいた私の両手にリンクスをもふっと乗せた。

「っ!」

 うわぁぁ……っ! 猫の重みぃぃ……っ!

 あったかい。やわらかい。ふわふわだぁ……。

「行くぞ」

 固まっている私を見てご満悦なテオ様が促してきた。

 リンクスを抱いたまま歩いても大丈夫かと心配だったけれど、リンクスは逃げずにおとなしく抱っこされている。

 毛の長い耳がピコピコと動いているのが視界に入った。

 か、可愛い……。

「ここは書斎な」

 まず目に入ったのは壁に備え付けられた大型本棚。本がびっしりと納まっていて迫力がある。

 重厚な書斎机と椅子。机には何やら書きかけの紙と本、羽ペンとインク壺、小物入れと置き時計が乗っている。

 落ち着いた雰囲気で何だかかっこいい。

「俺は基本的にここか工房のどちらかにいる。用があったらノックをして声を掛けてくれ」

「は、はい」

 テオ様が寄りかかっている書斎机に近付いたら、腕の中でもがいたリンクスが机へと飛び移ってしまった。

 ちょっと寂しいけれど、重さで腕が限界だったので助かった。

 軽く手をブラブラとさせて、よれていた右袖を引っ張って直す。

「ところでシア、読み書きはどれくらい出来る?」

「え、ええっと……。自分の名前は、書けます。他は、その……、ほとんど出来ない、です……」

 私は孤児院出身だ。しかも小さい頃から住み込みで働いていたから学校へ通っていない。一応は必要最低限の読み書きは教わったが、お粗末な程度だとわかっている。

 私の答えにテオ様は顎に指を当てながら何かを考えている。

「……ま、いずれだな」

 テオ様はボソッと呟いて、寄りかかっていた机から体を起こした。

「工房は俺が管理するから掃除に入らなくていい。自室もだな。掃除は工房と俺の部屋以外を頼みたい」

「は、はい。わかりました」

「全室や廊下を毎日隅々まで掃除しろとは言わない。完全にシアのペースでいい。休憩も自由にとっていいからな。昼寝は大事だぞ?」

 テオ様がお茶目な言い方をするので思わず小さくクスッとしてしまった。

「ここまででわからないことは?」

「え、えっと……。ない、です」

 テオ様が私に寄り添って丁寧に説明してくれたから、今は問題ない……と思う。

 私の返事と表情に、テオ様は満足げに頷いた。

「あとは外か」

 テオ様と一緒に階段を降りて玄関を出る。

 爽やかな風と暖かな陽射しが目の前に広がった。

「見ての通り、ここは森の中だ。広大な大森林でな、人里からも相当離れている」

 家の敷地が木の柵で囲われていて、柵の外側は空き地を挟んで森が広がっている。

 適度な木漏れ日が射していて明るいので、森林浴が楽しめそうな森という印象だ。

「この辺りはいいが、少し離れれば低級の魔獣がいたりするからな。森の中へは一人では行かせられない」

「ま、魔獣……」

 魔獣は家畜化した牛や豚などとは完全に異なる狂暴な野生の獣だ。凶悪な爪や牙、ずば抜けた体躯と体力、頑強な皮膚や鱗などを持ち、中には魔術を操る獣もいるらしい。

 一方で魔獣から採れる素材は一部高値で取引されており、旨味が凝縮した肉はワンランク上の食材だ。

 そんな生き物が近くにいるだなんてちょっと怖い……。

「柵を境に結界を張っているから、敷地へ魔獣が侵入することは完全にない。それに一定範囲はセブの縄張りだ、危険な魔獣や動物は近寄りもしない。もしも敷地内で変わった生き物を見掛けたとしても俺の使い魔だから安心していい」

 怖い想像をして体が強張っていたら、テオ様が補足をしてくれた。

 そうだ。テオ様がいるのだから心配する必要はないんだ。

 そういえば、今日は黒い犬――セーブルがいない。

「セブなら今は()()――見えない場所で昼寝をしている。何かあればすぐに飛び出してくるから心配ない。優秀な番犬だよ」

 キョロキョロと探していると、テオ様が気付いてくれた。

 テオ様は本当によく私を見てくれている。心強い。

 その後、テオ様は敷地内の庭を案内してくれた。

 水道があって、物干しがあって、小さな物置小屋がある。

 テオ様の薬草畑もあったが、手入れが面倒だとぼやいていた。

「疲れたか?」

「あっ、い、いいえっ」

 ふぅとため息をついていたら、テオ様に見られてしまった。

 慌てて両手を振りながら否定するとテオ様はクスッと笑う。

「少し部屋で休んでおいで。昼時になったら、今度はシアが主体で昼食を作ろう」

「え、あ、あの。私は今からでも……っ」

 休憩を挟むほどの疲労じゃない。気を遣わせてしまった焦りにあたふたしていると、テオ様は小さくため息をついた。

「まだ初日なんだ。そんなに張り切りすぎる必要はない。俺も少し書斎で調べ物がしたいからな」

 そうか。私が物覚えが悪いから、テオ様の時間も無駄にしてしまったんだ。

「あっ……、ご、ごめんなさいっ。えっと、休憩しますっ」

 テオ様と一緒に二階へ上がって、階段でテオ様と別れて自室へと戻る。

 休憩……、少し座っていればいいかな?

「……ふぇっ?!」

 当たり前のようにベッドで寝転んでいるリンクスを発見して、驚きから変な声を出してしまった。

 ドアは閉まっていたのにどこから入ったんだろう……?

 リンクスは尻尾を大きく揺らして私を見ている。

 まるで私を誘っているみたいだと思って、思わずフラフラとベッドサイドに座った。

「……な、撫でてもいい?」

 声を掛けてから、そーっと手を伸ばす。

「っ!」

 か、可愛いっ! ふわっふわだぁ……っ! 

 リンクスは私に撫でられるままだ。おとなしくしていてくれる。

 もしかして……、リンクスにも気を遣われている?

 リンクスは使い魔だし、たぶん何か考えがあっての行動だと思う……。

 そんな不安を感じたけれども、目の前のもふもふには敵わない。

 結局私は昼頃までリンクスを愛でていた。おかげで休憩にもなったし、気分転換にもなった。

 この家は温かい。

 テオ様もテオ様の使い魔も、本当に優しい……。

「……」

 じんわりと温かくなった心の中に、暗い不安の雫が一滴落ちる。

 ――――……こんな素敵な場所に私がいても、本当にいいのかな……?

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