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奴隷と魔術師

 ――それまでは乾いていた空気が一変した。

 潤いのある空気。

 清涼感のある風。

 さわさわという木立のざわめき。

 体感温度も下がっている。

「……?」

 ゆっくりと目を開けて……、また驚く。

 風景が緑溢れる場所へと変わっていた。

 前の小道の先にあるのは石レンガの家。

 周囲は木々に囲われていて、新鮮で清々しい空気が肺を満たしていく。

 驚いてご主人様を見上げると、ご主人様は少し悪戯っぽく笑って目を細めた。

「俺の家だ」

「……」

 えっ?

 魔術で場所を移動したの?

 一瞬で?

 呪文もなく?

 そんなことが出来るの?

 ……なかなか驚きから抜け出せない……。

「さぁ、こっちだ」

 ご主人様は私の手を引いて家へと歩いていく。

 家の回りには芝生のような短い草が生えているけれど、人がよく歩く部分は草地が剥げているので歩きやすい。

 玄関前で背筋を伸ばして座ってこちらを見ていた大きな黒い犬が、玄関に近付くにつれて尻尾を小さく振り始めた。

「セブ」

 ご主人様が声を掛けると、犬はますます尻尾を大きく振った。

 しかし……、私を警戒してなのか近寄っては来ない。

「セブ、この子は今日からウチに住むからな。守ってやれ」

 犬が観察するような目で私をじーっと見つめてきた。

 相変わらず近寄っては来ないけれど……、敵意はないみたい。

 全身が真っ黒な毛で覆われた狼みたいな犬だ。グレーっぽい青い目で、穏やかな眼差しをしている。

 犬はしばらく私を観察していたけれど、やがてのっそりと立ち上がって家の右横へと歩き去っていった。

「今のはセーブル。俺の使()()()だ」

 ……えっ? 使い魔?

 聞こえた言葉に驚いてご主人様を見上げると、ご主人様はまた少し悪戯っぽく笑った。

「また今度紹介しよう。とりあえず、中に入ろう」

 ご主人様に連れられて家の中へと入っていく。

 石レンガの家だからか、玄関を入ると外よりも更に空気がひんやりと感じた。

 家の外観では二階建てだ。玄関は吹き抜けで、玄関正面に上階への階段がある。落ち着いた内装でよく片付けられており、窓から適度な明るさが確保されている。

 リビングと思われる部屋に案内されて、そこでご主人様は私の手を離した。

「ここに座って」

 ご主人様がテーブルの椅子を引き下げて座面をポンポンと叩いた。

 奴隷は主人の許可がなければ椅子に座ってはいけないのだと、ご主人様はわかっているみたい。

「は、はい」

 椅子に座った私を確認して、ご主人様は上着と鞄を外して向こう側にあるソファへ置いた。

 それから、私の向かい側の椅子に座る。

「さて」

 ご主人様が少し心配そうな目で私を見た。

「シア、大丈夫か?」

「……ぁ……」

 シア。

 私の名前。

 でも……。奴隷になってから一度も名前で呼ばれてこなかったせいか、こうして呼ばれると何だか変な感じがする。

 まるで……、私じゃないみたい。

「普通に『シア』と呼んで構わなかったか?」

 そう言われて、とても驚いた。奴隷の私に対してそんな言葉が掛けられるとは思わなかった。

 ご主人様がとても気を遣ってくれているのがわかる。

「……だ、大丈夫です」

「そうか」

 私の返事にご主人様は小さく頷く。

 それからご主人様は小さな深呼吸をして口を開いた。

「改めて、自己紹介な。俺はテオ。魔術師だ」

 ご主人様の名前……。

 あれ?

 そういえば私、名前を知らなかったかもしれない。

 それとも、前に聞いたけれども忘れていたのかな?

 前は「魔術師のお兄さん」って呼んでいたから、名前で呼んだことがなかった。

「二年前になるのか。あの時は野暮用でバルカへ行ったが、今はここに一人で住んで魔術研究とかをしている」

 そう……、魔術師のお兄さんはバルカの住人ではなく旅人だった。

 あの頃の私は、バルカにある商人のお屋敷で使用人をしていた。

 ある日お屋敷の用事で町へと行ったときに、私は落とし物をしてしまって困り果てていた。

 そこに偶然居合わせた魔術師のお兄さんが助けてくれて、私は事なきを得た。

 それからお兄さんは再び旅に出るまでの間に、私に時々会ってくれた。

 色々な楽しい話を聞かせてくれたり、私の話を聞いたりしてくれた。

 ……あの時は、楽しかったなぁ……。

「ちょっと待ってな」

 ご主人様は一言断ってから一度席を立った。

 ここからでも見えているキッチンに行くと、水だし用ティーポットと空のコップを持って戻ってくる。

 ご主人様がコップを指先で軽くトンと叩くと、コップの中にカランと軽やかな音を立てて氷が現れた。

 当たり前のように呪文もなしで魔術が使われている。

「飲みな。喉が渇いていただろう?」

 ご主人様がポットのお茶を氷入りのコップに注いで私に渡してくる。

 正直に言って……、私は本当に喉が渇いてカラカラだった。

 イザードは空気が乾燥して日光も強かったし、何よりも緊張の連続だったから……。

「い、いただきます……」

 氷入りの飲み物だなんて初めて飲むかもしれない……。

 透明感のある黄緑色のお茶だ。爽やかな味で少し甘味があって喉ごしがいい。火照っていた体に冷たいお茶が優しく染み入る。

 初めて飲む味だけど、とても美味しい……。

 私が飲む様子を見て安心したのか、ご主人様の表情がフワッと和んだ。

「あらかじめ言っておく。俺はシアを手酷く扱うつもりは微塵もない」

 ご主人様が指先でこめかみをトントンしながら話し始めた。

 言葉を選びながら話しているようだ。

「そもそも、俺は奴隷を買う気はなかった。イザードには日用品とかの買い出しで出掛けていただけだったからな。そうしたら、身に覚えがある気配を感じてな。魔術師は気配に敏感なんだ。それで不思議に思ってあそこへ行ったらシアがいた、というわけだ」

 それで最初とても驚いた様子だったんだ……。

 私が心の中で納得していると、ご主人様はそれが聞こえたかのように頷いて続けた。

「このまま放っておくのはよくないと思ってな、色々と考えた結果シアを買った。だからといって、シアがそれを負担に感じることはない。俺は得をすると思ったんだ」

 得……?

 ご主人様は小さく苦笑する。

「さっきも言ったが、俺はここに一人で住んで魔術研究とかをしている。家事は気が向いた時に魔術で片付けているんだが……、魔術関連の作業に没頭するとつい時間を忘れてしまうのが問題でなぁ。知らないうちに五日飲まず食わずで徹夜してぶっ倒れていた時は、さすがに我ながら呆れたな」

「五日……」

 思わず小声で呟いてしまった。

 そ、それは……、確かに問題だ。そもそも一人暮らしで倒れてしまうなど危険でしかないのでは?

 唖然としていると、ご主人様は失笑した。

「だから、シアは家のことをしつつ俺に声を掛けて欲しい。食事のタイミングとかでな。そうすれば俺は作業が中断できて、マトモに飲食ができる」

 な、なるほど……?

 少し困惑していると、ご主人様は手元のコップへと目を落として氷を揺らす。

「つまり。シアにはこの家のこと――掃除とか炊事とか、そういう家政の仕事をお願いしたい。特に食事。ちゃんと一日三食作って欲しい。それで、シアも俺と同じ食事を同じ食卓で食べること」

 食事……。奴隷は主人とは別に食事をするのが基本だ。食事の内容も、食事の場所も。

 それなのにご主人様は、私も同じ食事を一緒に食べろと言っているのだ。

「奴隷を買う気はなかったって言っただろう? 俺はシアを奴隷とは見ない。何だろうな……、一緒に住んでいる仲のいい使用人的な感じだ。本当なら奴隷契約もしたくなかったんだが、契約しないとあの敷地から連れ出せない呪術を土地に組まれていたからやむを得なかった。

 この先シアが何かを失敗したとしても、俺は手酷く怒ったりはしない。ま、家が火事にでもなったらさすがに本気で怒るけどな?」

「ふふ……っ」

 ご主人様がおどけたような口調で言うので、思わず笑ってしまった。

 しまった! と慌てて笑いを引っ込めたけれど、ご主人様は嬉しそうだ。

「そう、笑っていいんだ。色々言ったがな、俺が一番シアに望むのは『人間らしくいて欲しい』ってことだ。シアが人間らしく寝起きして食べて飲んで笑ったり怒ったりしていてくれれば、俺もそうしていられる。

 つまり――、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そこまで言うと、ご主人様は氷が溶けかけた自分のお茶を飲み干した。

 私はご主人様が話したことを心の中で振り返る。

 つまり私は掃除炊事洗濯など家政のお仕事をして、ご主人様に声掛けをして、一緒に食事をしたりすればいい……、ってこと?

 家政のお仕事ならこれまでもしてきたから、仕事内容自体は問題なさそう。

 むしろ奴隷の仕事にしては内容が軽いような……あ、ご主人様は私を奴隷とは見ないんだっけ……。

「出来そうか?」

「はい、ご主人様」

 私が返事をすると、ご主人様は少し困ったように頬を掻いた。

「俺のことは名前で呼んで欲しい。ご主人様呼びはどうも居心地が悪い」

 あ、そうか。奴隷じゃないから?

 でも、使用人でも雇い主をそう呼ぶと思うけれど……。

「……わかりました、テオ様」

 少し悩んで、そう言ってみる。

「敬称も敬語もいらないんだがなぁ」

 そう言われても、私が敬語もなしに男の人と話すことは無理だ……。

 黙ってうつむいていると、ご主人様がやれやれといった具合にため息をついた。

「じゃ、それでいこう」

「は、はい」

 私がほっとして返事をすると、ご主人様――テオ様は納得したように頷いて席を立った。

「シア、疲れただろう? 風呂に案内するから、ゆっくり入っておいで。俺はその間にシアの着替えとか用意して、夕飯を作っているから」

「えっ。あ、あの、そんな」

 テオ様の提案に慌てながら、つられて椅子から立ち上がる。

 奴隷と主人……じゃないけれど、とにかく、テオ様にそんなことはさせられない。

 慌てる私に対してテオ様は「いいから」と楽しげに押し通して、私を家の奥へと案内していく。

 たどり着いたドアをテオ様が開けると、ドアの向こうから黄金色の猫が飛び出してきた。

「あっ。こら、リー! お前なぁ――」

 テオ様が窘めるように声を上げたが、猫は素早く廊下の向こうへと消えてしまった。

 やれやれ、とテオ様が疲れたように首を振って額を押さえる。

「今のも俺の使い魔だ。ま、後で会うだろう」

「は、はぁ……」

 魔術師の使い魔って魔獣のように恐ろしい生き物だと思っていたけれど、テオ様の使い魔は怖くないんだ……。ちょっと安心。

「ほら」

 改めて、テオ様が私をドアの向こうへと案内した。

 中は十分な広さの脱衣場だ。鏡付きの綺麗な洗面台と椅子があって、身支度に必要な道具も揃っていた。

 棚には真っ白なタオルとカゴが準備されている。足元のマットがふかふかだ。

「このタオルを使っていいから。シアが風呂から出てくるまでに、このカゴへ着替えを入れておく」

「えっ? あ、あの、着替えはなくても……」

「買ってくる。俺にセンスは期待するなよ?」

 特にセンスは気にしないんだけれど……、わざわざ買ってくるの? 奴隷に無駄なお金が掛かるような真似は……って、違うんだった。

 というか、今からお店に? あっ、テオ様なら魔術で移動できるから今すぐにお店に行けるのか……。

 魔術師って凄い……というよりも、テオ様が凄い。人間がポンと簡単に移動できる魔術を使えるだなんて。

「ちゃんとお湯と石鹸を使えよ? のぼせない程度にゆっくり入っておいで」

 テオ様は奴隷の扱い方に詳しいみたいだ。さっきも思ったけれど、私が困らないように先回りで話してくれている。

 そもそも自由にお湯が使える浴室だなんて、一般的な個人宅にはないものなのに……。

 私があたふたしている間に、テオ様はさっさと説明を終えていなくなってしまった。

「……」

 気を取り直して、脱衣場で簡素な衣服を脱いで浴室に入る。

 浴室も十分な広さだ。白色を基調としていて、清潔感に溢れている。

 窓からは柔らかな陽射しと風に揺れる草木の音が聞こえてきて、その穏やかな雰囲気に緊張していた心が自然とほどけていく。

 すでに湯船にはお湯が満たされていて湯気が立っていた。湯船は大人二人が足を伸ばして寛げるくらいに広い陶器製だ。

 洗い場の棚には石鹸と手桶が置かれてあった。言われた通りにお湯と石鹸を使って、髪と体を丁寧に洗っていく。

 奴隷商では水浴びだったし、バルカにいた頃も使用人は貴重なお湯を使って体を洗うことは出来なかった。贅沢すぎる。

「ふわぁ……」

 適温のお湯も、泡立ちのいい石鹸も、とても気持ちがいい……。

 モコモコな泡で洗ったら髪のごわごわがなくなって、肌も凄くスッキリした。

 もしかして私、汚いと思われていたのかな……?

 不安に思ってもう一度、髪と体を洗う。

「……」

 右腕の奴隷印が目について心がざわついた。

 元々あった奴隷印の上に捺された焼印が見える。

 触ってみると、皮膚がちょっとボコッとなっている。出血や痛みはまったくないし、元々の奴隷印で感じていた皮膚のヒリヒリ感もない。テオ様のおかげだ。

「えっと……」

 少し心配になりつつ、おそるおそると湯船へ足を入れる。

 湯船でお湯に浸かるだなんて、人生で初めてかもしれない。

「……うわぁ、気持ちいぃ……」

 思わず声が出た。

 全身を適温のお湯に包まれて……、何だか安心する……。

 とても滑らかなお湯で、ただ浸かっているだけで肌に潤いが浸透してくる気がする。

 のぼせない程度にゆっくり入って、ってテオ様は言っていたっけ。ほどほどにしないと……。

 体が熱くなりすぎないうちに、湯船から出る。

 脱衣場に戻ると棚のカゴに着替えが入っていた。動きやすいチュニックとズボンだ。凄く肌触りがいい。

 うわ、タオルもふわふわだ。どうしよう……、贅沢すぎて怖い……。でも気持ちいい……。

 ジレンマに悩みつつ身支度をしていく。

 タオルで髪を乾かしていくと、髪が未だかつてない程にサラサラのふわふわになって驚いた。

 こんな髪質は私じゃない……。あの石鹸の力は凄い。

 右の袖を引っ張りながら廊下を歩いていくと、お腹が空いてくるいい香りが漂ってきた。

「大丈夫だったか?」

「は、はい。あの、ありがとうございました」

 キッチンで鍋の中身を小皿にとって味見していたテオ様が、私に気付いて声を掛けてきた。

 私の返事にフッと微笑んでチラッと私を見る。

「サイズは問題なさそうか?」

「あっ、はい。大丈夫です」

「さっきの席に座って待ってな」

「う、あ、あのっ、お手伝いを……っ」

「今日はいいから。俺にやらせて」

 そう言われてしまうと手が出せない。戸惑いながらリビングに行っておとなしく椅子に座る。

 ……や、やっぱりちょっと落ち着かない……。

 せめて配膳のお手伝いくらいは……。

「お待たせ」

 そわそわしている間に、テオ様がお皿を運んできた。トマトリゾットとスープが目の前に置かれる。

 すっごくいい匂い。口の中に涎が湧いてきた……。

 お腹が鳴ってしまったけれど、たぶんテオ様は気付いていない……と思う。 

「ほら、食べな」

 お水のコップを置きながらテオ様が促してきた。

 テオ様が食べ始めるのを待ってからスプーンを手に持って、色鮮やかなトマトリゾットを掬う。

 うわぁ、本当にいい匂い……。

 口に入れると、コク深い味が口いっぱいに広がった。

 具は玉ねぎと鶏肉が入っていて……、すっごく美味しい!

「どう?」

「美味しいですっ」

 思わず声が弾む私に、テオ様は嬉しそうに目を細めた。

「俺だってな、やれば出来るんだよ。面倒だからやらないだけで、やれば出来るんだよ。やれば」

 テオ様の口調は言い訳をする小さな子供みたいだ。私は思わず口元を綻ばせながら食べ進める。

 本当に美味しい……。

 奴隷商での食事は簡素なスープと味がないパンばかりだった。

 こんな食事は久しぶりで、しかも美味しくて……。

「……っ」

 ちょっと涙が込み上げてきたけれど、我慢する。

 スープには三種類くらいのキノコとベーコンが入っていた。こっちも旨味があってホッとする味で……、すっごく美味しい。

 全部食べ終えて、ふぅ、と満足のため息をつく。

「お腹足りたか?」

「はい。とっても……」

 テオ様に心の底から返事をすると、テオ様はまた嬉しそうに微笑んだ。

 お腹も心も満たされた感じだ……。

 食後の多幸感で頭がふわふわしていると、足元をふわふわした何かが通り過ぎた。

 何だろう? と思っていたら、さっきの猫がテーブルにトンと飛び乗ってきた。

「何だよ、リー。食いたいのならもっと早くに来い」

 自分へと擦り寄る猫にテオ様が文句を言っている。

 金色のような淡黄色に黒色の豹柄を持つ猫だ。長い尻尾も体も実にしなやか。ピンと立った大きな耳は先端の毛が長めで、凛々しくて神秘的な雰囲気がする。

 私の視線に気付いて、テオ様は苦笑した。

「使い魔のリンクスだ。ま、ほとんど猫だな。適当に相手してやってくれ」

 私に言って、テオ様は猫――リンクスの喉元を撫でる。

「リー、今日から一緒に住むシアだ。迷惑をかけるなよ?」

 ひとしきりテオ様に撫でられて満足したのか、リンクスが身軽な動きで床へと降りた。

 また私の足元を掠めるように軽く触れながら、廊下へと消えていく。

 挨拶してくれたのかな……?

「言葉はちゃんと通じているから話せばわかる。普段は完全に猫を被っているがな」

 どこか不満げなテオ様にまた小さくクスッと笑ってしまう。

 男の人は怖くて苦手だけれど……、テオ様が相手だとちょっと気が緩む。

 さて、とテオ様が席を立った。

「疲れただろう? 部屋に案内するから、今日はもう休みなさい」

 窓の外を見るといつの間にか夜になっていたが、室内の明るさが変わらないから全然気が付かなかった。

 この明かりも魔術なのかな?

「え、でも、あの、お皿のお片付けは……」

「いいから」

 食後の皿をそのままに、またもやテオ様は押し通して私を案内していく。

 玄関近くにあった階段を上って右側の廊下を進み、一番奥の部屋へと案内された。

「ここだ。ちなみに俺の部屋は反対側の一番奥だ。トイレは風呂場の隣にあったドアな」

 説明しながら、テオ様はドアを開けた。

 ちゃんとした個室だ。ベッド、物書き用の机と椅子、クローゼットとキャビネットがある。家具があっても余裕のある広さだ。

「元は客室なんだが、客なんて来ないからな」

「あの、こんなにいいお部屋なんて……」

「いいから」

 テオ様が卓上ランプに火を点した。火種となる物を持っていないから、やっぱり魔術なんだろう。

「明日の朝食は俺が準備するから、シアは気にしないでゆっくりしていい」

「い、いえっ! あの、そんな」

「まだ説明をしていないんだから、シアだって勝手がわからないだろう?」

「……ぅ……」

 申し訳なさでもじもじしていると、テオ様は軽く息を吐いて穏やかな笑みを浮かべる。

「明日は忙しいぞ? 色々覚えることがあるからな。明日に備えてゆっくり休みなさい」

「……はい」

「よし、いい子だ」

 テオ様は「おやすみ」と言いながら部屋を出ていった。

 パタンとドアが閉まって、私一人になる。

「……」

 初めての部屋で緊張する……と思いきや、室内は穏やかな雰囲気で不思議と気持ちは落ち着いていた。

 試しに、ベッドサイドに座ってみる。

 うん、ちゃんとしたベッドだ。マットレスも程よい硬さで寝心地がよさそう。

「……」

 窓の外から虫の声が微かに聞こえてくる。

 外が気になってカーテンを開けたけれど、暗くてよくわからなかった。

 窓を少しだけ開けてみる。

 澄んだ夜風は少し冷たくて、空気が美味しい。木々がさわさわと葉を揺らす音が聞こえる。

 イザードともバルカとも気候が全然違う。ここってどこにあるんだろう?

「ふあ……っ」

 欠伸が出て、窓を閉めた。

 ベッドには柔らかな毛布も準備されていた。ランプの明かりを消して、毛布に潜り込む。

 枕とマットレスの具合もちょうどいい。というよりも、今まで経験した寝床の中で一番いい。

 本当に、贅沢すぎる……。

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