無自覚
「うんうん、いい感じだねー」
「よかったぁ……っ!」
パントリーで五日間寝かせていたブランデーケーキを確認したルナリア様のお墨付きに、私の口角は自然と上がっていった。
これはテオ様の誕生月のお祝いに準備したケーキだ。ブランデーケーキは作りたてよりも数日間眠らせた方がブランデーとドライフルーツが馴染んでしっとり美味しくなる。
テオ様が喜んでくれるといいなぁ……。
「ルナリア様、その、ありがとうございます。何度も来ていただいて……」
「大丈夫だよー。私も楽しんでいるからねー」
ルナリア様に感謝を伝えると、ルナリア様はふふっと優しく笑った。
伝達の魔術具でブランデーケーキのレシピをルナリア様に確認したのが十日前のこと。そうしたらその日のうちにルナリア様がわざわざやって来てくれて、私に直接作り方を教えてくれた。そのままルナリア様と一緒にブランデーケーキの生地に混ぜ込むドライフルーツのブランデー漬けを仕込んだのだ。
そのブランデー漬けを使ってルナリア様とケーキを焼いて寝かせたのが五日前。
そして今日、ルナリア様が完成品の様子を見に来てくれた、というわけだ。
「本当に上手にできたねー。とーっても美味しそうで、テオに食べさせるのがもったいないくらいだよー」
「えへへ……」
ルナリア様と出会ったばかりの頃は緊張したけれど、今では私にとって憧れの頼れるお姉様といった存在だ。そんな人に褒められるだなんて嬉しくて心までぽわぽわしてくる。
ブランデーケーキは完成したし、テオ様には内緒で作ったプレゼントも準備できた。
明日の夜はテオ様の好物を作ってお祝いをしよう。
とはいえテオ様は自分の誕生月には無頓着だし、そもそも誕生月は先月だ。気合いが入ったお祝いは逆に困らせてしまうだろうから、料理とケーキに喜んでもらえればそれで十分だと思っている。
「シアちゃんが私を頼ってくれて本当に嬉しかったんだよー。テオが『シアは人に頼ることが苦手だから一人で抱え込んでしまう節がある』って眉間にシワを寄せて悩んでいたからねー」
「えっ?」
あのテオ様がそんなに悩んでいたの……?
予想外の言葉に驚いてルナリア様を見ると、ルナリア様は少し首を傾げながら優しく微笑んだ。
「シアちゃんが来たばかりの頃の話だよー。相談というよりも心配の吐露って感じだねー。テオなりに考えてシアちゃんと向き合おうと努力していたから、私も師匠も見守る方向でいたんだよー」
「……そう、だったんだ……」
テオ様は悩んだり困ったりする姿を私に見せない。
怠けてだらしない時もあるけれど基本的には頼もしくて、私にいつも安心感を与えてくれる存在感があるのだ。
「そもそも私からすれば『お前がそれを言うな』って感じだったけれどねー。子供の頃のテオは警戒心が強くて他者に壁を作っちゃってねー。他人に頼るのが苦手だから自分で何でもこなそうとする子だったからねー」
「え……」
テオ様の昔を知る機会がない私は思わず手を止めてしまう。
テオ様は幼い頃に地獄のような状況から脱出して、それからお師匠様と出会ったことで救われたと聞いたことがある。
きっと私には想像できないような苦労や葛藤があったに違いない……。
「今も面倒だ何だと言って人付き合いを避けているけれどねー、それは他人に心を開くことが苦手だからなんだよねー?
そうだよねー? テオー?」
「えっ?」
ルナリア様が最後の方に声を張り上げながら廊下へ視線を向けたので、私もつられてバッと顔を向けた。ドアは開けっぱなしだけれど……。
様子を窺っているとため息が聞こえて、ドアの影からテオ様が顔をのぞかせた。
「俺に話を振らないでくれよ……」
「そんなところに突っ立って盗み聞きをしているからでしょー?」
「冤罪だ。俺はただの通りすがりだ」
「ふーん? 本当はシアちゃんと私が気になってそわそわしているくせにねー?」
「ったく、勘弁してくれよ……」
テオ様はブツブツ言いながら引っ込んで、少ししてからドアの開閉音がした。魔術工房へ入ったみたい。
ルナリア様は曲げた人差し指を口元に添えてクスッと笑っている。
「私にはあんな態度だけれど、シアちゃんにはわりと素直に話すでしょー?」
「えっと……。は、はい」
「ふふっ、二人とも可愛いねー」
ルナリア様から見ればテオ様も可愛いの部類に入るようだ。あのワイルドなレガリオ様も「可愛い」になるのかもしれない。
帰宅するルナリア様を見送るために玄関を出ると、玄関前で昼寝をしていたセーブルがのっそりと起き上がってルナリア様を見上げた。
「いい子だねー」
ルナリア様が頭を優しく撫でると、セーブルは気持ちよさそうに耳を倒して小さく尻尾を振っている。
和やかな雰囲気の中、私は少し緊張しながら事前に準備していた瓶をルナリア様へと差し出した。
「ルナリア様、お世話になったお礼ですっ。どうぞっ」
秋の森で摘んだ新鮮なベリーで作ったジャムの瓶だ。
テオ様も喜んで食べてくれるジャムだから味は大丈夫だと思うけれど、テオ様以外の人が食べる機会なんてなかったから少しドキドキする。ルナリア様の口に合うかな……?
そんな私の緊張はルナリア様には筒抜けのようだ。
「ふふっ。ありがとー、シアちゃん。お菓子作りにも使わせてもらうねー」
ルナリア様は優しく微笑みながら瓶を受け取ってくれた。私は少し肩の荷が下りた思いでホッと安堵の息をつく。
「テオ様は幸せ者だねー。シアちゃんが作る美味しい物を毎日食べられていいなー」
話しながらルナリア様は魔力を操ってジャムの瓶を収納空間へと入れた。
ルナリア様の魔力は羽毛のように柔らかな白色で、陽射しに当たると少しキラキラしていて綺麗だ。
魔力を観察していると、ルナリア様はおっとりと小首を傾げた。
「ねぇシアちゃん、無理はしていないかなー? シアちゃんは頑張り屋さんだから少し心配だなー」
「あっ……、私は本当に大丈夫です。のんびりしてやっていますし、テオ様も手伝ってくれますから」
家事は私の大事な役目だ。けれどテオ様は家事と勉強による私の負担を気にしてくれて、先日から風呂場やトイレのお掃除はテオ様が担当してくれることになった。
テオ様は基本的に魔術で家事をする。テオ様は「サボり魔術だ」と笑うけれど、私は手抜きだとは思わない。お掃除する時のテオ様の魔力は複雑な動きをしているから、魔術での掃除や家事は決して簡単なことではないのだとわかるからだ。
「困ったことがあったらいつでも言ってねー。シアちゃん、いい子いい子ー」
ぽわぽわ笑顔のルナリア様が頭を撫でてくれる。テオ様とはまた違った感じで少し心がくすぐったい。
「シアちゃんを苛めたレオは私が『えいっ』って懲らしめたからねー。安心していいよー」
「えっ」
予想外の言葉に私は思わず固まった。
レガリオ様は私に悪意を持っていたわけじゃない。悪いのはあの場で男性恐怖の発作を起こした私の方なのだ。
それなのにルナリア様から「えいっ」をされてしまっただなんてレガリオ様に申し訳ない……。
狼狽える私にルナリア様はニコッと微笑む。
「シアちゃんを思いやることができなかったレオの方が悪いんだよー。あんな図体して大人げないよねー」
ル、ルナリア様とレガリオ様との間で何があったんだろう……?
私に断言できるのは……、レガリオ様よりもルナリア様の方が圧倒的に強いということだ。
「それじゃあねー。シアちゃん、またねー」
「はいっ、ありがとうございました! お気をつけてっ」
ルナリア様はぽわぽわ笑顔のままバビュンッと飛んでいった。
お人形さんみたいに可愛らしい見た目からは想像がつかない豪快な移動魔術……。最初は驚いたけれど、テオ様いわく「アネキは空の散歩が好きなんだよ」とのことだ。
ここからルナリア様が住む王都まで相当距離があるみたいだけれど、空から景色を眺めながらの長距離移動は気晴らしにもなるみたい。
空を飛べる魔術、羨ましいなぁ……。いつか私も使えるようになれるかな?
そんなことを考えながら空を見上げていると、こちらへと降りてくる鷹のような鳥――ルグナが見えた。
ルグナは翼をバサッと羽ばたかせて近くの柵に降りると、橙色の瞳で私をじっと見つめてきた。
「こんにちは、ルグナ」
私が挨拶するとルグナは頭を上下しながら『ピュルルッ』とご機嫌な鳴き声で返事をしてくれた。
ルグナは時々こうしてやって来ては柵や物干しで一休みしていくのだ。
「? 何か持っているの?」
左脚で小さな何かを握っているみたい。私が近付くと私へ向かって左脚を出す仕草をしてくる。
私が右手を差し出すと、ルグナは私の掌に小石をコロンと乗せた。薄緑色でつるんとした綺麗な小石だ。
「私にくれるの? いつもありがとう、ルグナ」
お礼を伝えるとルグナは嬉しそうに『ピャッ』と鳴いて返事をした。
ルグナはいつも綺麗な小石や珍しい木の実などのお土産を私にくれるのだ。ルグナはテオ様以外の人間に懐かないらしいけれど、こうして私にお土産をくれるということは私のことを認めてくれているみたい。
そっと頭を撫でているとルグナはウトウトと目を閉じて、やがて気持ちよさそうに眠り始めた。
黒と白の羽根。鮮やかな黄色の嘴と鉤爪。かっこよくて可愛いなぁ……。
ルグナは大森林の見回りで飛び回っているのだという。大森林に棲む魔獣の異変や人間の立ち入りの有無などを厳しく監視しているらしい。
普段ルグナはテオ様の書庫で休息をとっているから、こうして家に立ち寄って休むことは稀だ。
私がこの家に来たばかりの頃は、ルグナの存在さえ知らなかった。見回りで多忙だったからというよりも、他人である私に会うのを避けていたんだと思う。
ルグナはテオ様のことが大好きな反面、人間嫌いというか他の人間にはほとんど懐かない。
それが今では私の前に現れては手土産までくれて、更には眠る姿まで見せてくれる。
私がテオ様の傍にいてもいいのだと気難しいルグナに認められた感じがして、誇らしさにも似た嬉しさが込み上げてくる。
「おやすみ、ルグナ」
ルグナの寝顔に癒されてから家に入ると、タイミングを計ったかのように工房のドアが開いてテオ様が顔を出した。
「あっ、テオ様。今ルグナから貰ったんですけれど、これって翡翠ですか?」
「ん? 見せてごらん」
ルグナから貰ったお土産をテオ様にも見てもらうのもいつものことだ。
テオ様はちゃんと小石を手に取って確認してくれる。
「うん。魔鉱石化したジェダイト、つまり翡翠だな」
魔鉱石はマナが宿った状態の天然石だ。魔鉱石内のマナを調整し加工した物が魔石で、魔石は魔道具の原動力やお守りなど様々な形で利用することができる。
しかし魔石の魔力が空っぽになるとただの石になってしまう。そうなった石を再び魔鉱石に復元するのが錬金術師の一つのお仕事だ。
これらはテオ様の授業で聞いた話だ。テオ様は本当に物知りだし、私の興味を掻き立てる話術で話してくれるから、私はテオ様の授業が大好きだ。
「魔鉱石だから綺麗に見えるんですか?」
私はテオ様から返された石を眺めつつそう訊ねる。研磨加工などしていない自然な状態のはずなのにツルッとしているし、不思議と心引かれる存在感があるのだ。
テオ様は間延びした声で「まぁそうだな」と答えると、何やら考える間を置いて、うんと一つ頷いた。
「シア、おいで」
「えっ」
工房内へと誘われた私は驚きで固まる。
テオ様の魔術工房は私がこの家に来てから半年の間、一度も入ったことがない未知の場所だ。
それに最近の授業で「現代魔術師の魔術工房は古代魔術師の内面世界にも匹敵する大切な場所」と教わった。
テオ様は現代魔術師でもあるから、この魔術工房はテオ様にとって重要な場所。私なんかが勝手に入っちゃいけないのだ。
……だからと興味がないわけじゃない。工房のドアを開けたテオ様越しに中をこっそり覗き見たことだって何度もあるけれど……。
「ほら、おいで。少し散らかっているがな」
悪戯っぽく笑うテオ様に再度促されて、私はおそるおそると工房のドアを潜った。
まず始めに目に入ったのは床に描かれた緻密な魔術陣。
壁際に備え付けられた棚には様々なガラス瓶や不思議な実験道具、魔術書らしき書物がそれぞれ納められている。
テオ様は「散らかっている」と言っていたけれど、そこまでごちゃごちゃしていない。むしろ雰囲気があってワクワクしてしまう。
魔術具通りで見掛けるお店とは違った、使用感のある魔術師の部屋だ。
「わぁ……」
「シア、こっちだ」
物珍しくてキョロキョロと辺りを見回していると、テオ様が可笑しそうに笑いながら工房の奥にある小部屋へと手招いた。
ここは倉庫になっているようだ。見たことのない物がたくさんあって、まるで魔術具通りにある素材屋さんみたい。
「ほら。この辺りは全部、魔鉱石だ」
テオ様が見せてくれたのは箱や瓶に納められた色とりどりの鉱石達。どの鉱石も研磨したような滑らかな表面で、宝石とはまた違った美しさがある。
「わぁ……、綺麗ですねっ」
「シアは石が好きだもんな」
興味津々な私にテオ様は優しく目を細めている。
私は河原で焚き火をするときに必ず綺麗な小石を探して、気に入った物は持ち帰って自室の小箱にしまっているのだ。
我ながら女の子らしくない地味な趣味だと思うけれど、テオ様は私の趣味を馬鹿にするどころか一緒に小石探しをしてくれる。
「俺も収集癖があるからシアの気持ちがわかるんだ。ここにある魔鉱石の大半も俺が自分で収集した物だ」
「え? テオ様が実際に採ったんですか?」
「ああ。最近は行っていないが、洞窟や岩場なんかでマナの流れを読みながら探すんだ」
テオ様が指差した方を見ると、採掘に使うと思われる小型のピッケルや専門の工具が置かれてあった。
魔鉱石の採掘……。河原の小石拾いなどより遥かに難しそうだ。
「本来なら無許可で採掘してはダメなんだが、俺は魔術公だからな」
「……魔術公って何をやってもいいんですか?」
「好き放題な真似ばかりをやっていたら位を剥奪されるぞ。だがまぁ、俺みたいに個人で楽しむ範疇なら大丈夫さ」
「個人で楽しむ範疇……」
呟きながら倉庫の中を見回す。
テオ様が集めた魔鉱石は魔術具通りのお店より高品質に見えるし、多分この倉庫にある素材だけでも莫大な価値があるんだと思う。
ここにいたら私の中の価値観が崩壊しそう……。いや、そもそも魔術公が作った魔術具を普段使っている奴が何を言っているんだ、って感じだけれど。
「来年の暖かい季節には、シアと一緒に素材採集へ行けそうかな」
「素材採集? 魔鉱石とかですか?」
「この大森林には稀少な貝殻が採れる湖もあるし、星屑の砂が採れる砂原もある。他にもシアに見せたい場所がたくさんあるが、シアが魔力を使えるようになってからの方が好ましいからな」
「あ、危ない場所なんですか?」
警戒する私にテオ様は優しくフフッと笑った。
「魔力を使えるようになったら、今以上に自然界のマナがはっきりと見えるようになる。さっき俺が話した湖や砂原がより綺麗な景色として楽しめるんだ。その景色をシアにも見てほしいからな」
「っ!」
テオ様の気遣いが嬉しくてくすぐったくて、無意識に口元が綻んでしまう。
私もテオ様に喜んでほしい。テオ様に笑っていてほしい。もっとテオ様の役に立ちたい。ずっとテオ様と一緒にいたい。
ずっと、ずっと、一緒にいたい。
「テオ様……」
思わずテオ様の裾を掴むと、テオ様は小首を傾げながら優しく微笑んで頭を撫でてくれた。
「ん? どうした? 甘えたくなったのか?」
「うう……」
テオ様にはバレバレだ。前と比べれば背が伸びた私だけれど、テオ様の傍にいるとつい甘えてしまう。
テオ様は私を子供だと思っているんだろうなぁ。……まぁ、実際に私はまだまだ子供なんだけれど……。
いつかテオ様の隣に立っていてもおかしくない大人の女性になれるかな?
テオ様と一緒に並んで、手を繋いで、そして――……。
「~~~っ!」
その先のことを考えて、ボボボッと顔が熱くなる。
そして――。
自分の気持ちが、今、ハッキリとわかった。
――――……私は……、テオ様が、好き、なんだ……。
「どうした?」
テオ様の声に私はハッと我に返った。
顔を赤くして狼狽えている私をテオ様が不思議そうに見つめている。ついさっきまで普通だった私が突然謎の反応をしているのだから当たり前だ。
私は慌てて両手を振って「だだだっ、大丈夫ですッ!」と無事を必死にアピールした。
「? そうか?」
私を見て可笑しそうに微笑んでいるテオ様がまたかっこいい……。
ああっ、ダメだ! 一度意識したら止まらなくなってきた!
テオ様の顔がマトモに見られないっ!
「あ、あああのっ! 急用を思い出したので部屋に戻りますッ!」
「ん? そうか」
テオ様に見送られて工房を出た私は一目散に階段を駆け上がって自室に飛び込んだ。お行儀が悪い行動だけれど、今の私はなりふり構っていられない。
そのままベッドに飛び込んで、ぼふんっと枕に顔を埋める。
「うぅ~……っ」
顔が熱い……。
ど、どうしよう……? どうすればいいの……っ?!
もどかしさのようなやり場のない気持ちに堪えきれなくなった私は、うつ伏せの状態で枕に顔を埋めたまま両足をバタバタさせた。




