イザードの奴隷商
どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる商業の国イザード。イザード最大規模のバザールは、今日も多くの人で賑わっていた。
色鮮やかな旗の数々が注目を集め、様々な人種の人々が行き交い、数多くの品物が取り引きされ、悲喜交々のざわめきに満ちている。
この街で取り扱われている商品は実に多彩だ。食料品や日用品はもちろん、きらびやかな宝飾品、魔獣素材の売買、珍しい魔道具に怪しげな薬品――。
イザードでは「手に入らない物はない」「成り立たない商売はない」と言われているのだ。
当然のように、この奴隷商のような商売もある。
「さぁ、来るんだ」
恰幅のいい奴隷商が商品の手枷に付けられた鎖を引いて、屋外展示用の檻へと移動させている。
イザードでは奴隷商は日陰者の存在ではない。正式な専用の売買許可さえ得ていれば、堂々と奴隷を取り扱うことが出来るのだ。ただし買い手は身元がはっきりとした者に限られており、奴隷の値段も他国と比べて割高だ。
人が奴隷となる過程は様々だ。借金のカタに奴隷となった者。戦争捕虜から奴隷となった者。犯罪者が奴隷となった者。人攫いが売り払った者。中には自ら望んで奴隷となった者までいる。
イザードの正式な奴隷商は、奴隷を商品として丁重に扱う。
まず第一に、商品価値を落とさないために原則として体罰は与えない。その上で奴隷としてのあり方や言動などを厳しく躾する。健康管理のために清潔を保ち、食事を与え、日光浴を兼ねた屋外展示で買い手を探す。
「ほら、こっちに来い」
恰幅のいい奴隷商が淡い褐色肌の少女奴隷を屋外にある檻へと移している。
今年で十三歳となった少女は犯罪奴隷であった。
少女の故郷はイザードから遠く離れた砂塵の国バルカ。バルカで犯罪奴隷として奴隷仲介業者の手に渡り、イザードの奴隷商の元までやって来た。
「おとなしくしていなさい」
奴隷商が少女を一人用の檻に入れ、扉を施錠した。
檻に商品情報が掛かれた紙を掲示される。値段。年齢。性別。出身地。犯罪歴。身長。体重。健康状態。傷の有無。性経験の有無。病気の有無。躾の進行状況など。
買い手が好みの名付けが出来るように、名前は掲載されない。
「……」
少女はおとなしく檻の中で両膝を抱えて座っている。
イザードは空気が乾燥していて日光が強い。奴隷の健康を損ねないために檻には日除けが設置されており、決められた展示時間が設定されている。
他の奴隷達は買い手となる客を見定めて反応している。自分を大切に扱ってくれそうな客には顔を上げて無言でアピールし、いかにも乱暴そうな客からは目線を逸らしている。中には少女と同じように檻の中でじっとしている奴隷もいる。
風に乗ってバザールの賑わいが聞こえてくる。
日除けの幕が風でバタつく音がする。
奴隷商と買い手がやり取りをしている声がする。
檻の外は様々な音で満ちている。
しかし。ぼんやりとした思考の中にいる少女には、それらの音が自分とは無関係で遠くに感じていた。ただ無気力に虚ろな視線を地面へと落として座っている。
――檻が展示されている砂地を歩いていた足音が、少女の檻の前で立ち止まった。
「…………シア?」
驚きと困惑の声が少女の耳へと届く。聞きやすい声調をした男の声だ。
それに反応して、少女は力なく顔を上げる。
逆光の中で、青年が不思議そうに少女を見ていた。
「……?」
この青年に見覚えがあるような気がして、私はぼんやりとした思考の中で記憶を辿る。
誰だろう……?
二十代半ばくらいの男の人。黒髪で髪型はウルフヘア。濃褐色の目。肌は色白だ。白いシャツにベージュの上着を羽織っていて、黒色っぽいズボンとブーツを履いている。
黒髪で、見覚えがあって、聞き覚えのある声で……?
記憶の中で、私へと向けられた穏やかな眼差しが浮かぶ。
「……ぁ」
小さく声が漏れる。
そうだ。この人とは約二年前にバルカで会ったことがある。
親切にしてくれて色々な話をしてくれた、魔術師のお兄さんだ。
「……」
お互い静かに驚いて、しばらく見つめ合いが続く。
やがて数回瞬きを繰り返したお兄さんが、チラリと私の商品情報が書かれた紙を見てしまった。
「どうかされましたか?」
檻の前で立ち止まっていたお兄さんに気付いた奴隷商が近寄ってきた。
私は思わず体がビクッと震えて、縮こまってしまう。
「この子はどうしてここに?」
お兄さんから訊かれた奴隷商が顎を擦って答える。
「あぁ、バルカの仲介業者から仕入れたんですよ。犯罪奴隷です」
お兄さんがチラリと私を見てきた。
……視線が辛い……。
「いつもこんな調子なのか?」
「えぇ、まぁ。この年代の奴隷には珍しくないんですがね? 畏縮してしまう質がありまして」
「あぁ……」
「躾は出来ていますし、この性格ですし、従順ですよ」
「……」
お兄さんが小さく首を傾げて何かを考えている。
やがて、口を開く。
「買い手はつきそうなのか?」
「いやまぁ……。正直、どうですかねぇ? この年代の女奴隷はわりと買い手がつきやすいんですが……。その、犯罪奴隷なので」
「……」
チラリと私を見たお兄さんが、左人差し指でこめかみをトントンしながら何かを考えている。
「犯罪奴隷ではありますが、躾は出来ています。正規の奴隷契約をしますから、買い手様にご迷惑をお掛けすることはまずないかと。手付金さえいただければ分割払いが可能ですよ」
奴隷商が商売人として商品をアピールしている。
……私は奴隷という商品なんだ、と再認識させられる。
暗い気持ちになって、膝を抱える手に力が入った。
「買うよ。全額現金でいいのか?」
……えっ?
聞こえてきた言葉が理解できず、一瞬遅れてお兄さんを見上げた。
「えぇ、はい! もちろんです!」
弾んだ声で応じた奴隷商が両手を揉んでいる。
しかしその後、お兄さんを窺うように首を傾げた。
「ですが、その、ウチは身元がはっきりとされている買い手に限定しておりまして。その……?」
「あぁ、そうか」
そう呟いたお兄さんはゴソゴソと首元を漁って、服の内側に入れていたネックレスを外している。
「これでいいか?」
お兄さんは外したネックレスを奴隷商が見えるように提示した。私からはよく見えない。
それを見た奴隷商が一瞬固まり、息を呑んでお兄さんを見る。
「えぇ! えぇ! もちろんです!」
奴隷商は喜色満面という表現が似合う笑顔で答えた。
早速と言わんばかりに私の檻を開けて、手枷の鎖をクイと引っ張る。
「さぁ、ご主人様が決まったぞ。出てこい」
檻が開いたことで奴隷商との距離が近くになり、思わずビクッとしてしまった。おそるおそると檻から出た私は奴隷契約用の小屋へと連れていかれる。
奴隷教育で習ったのでこの後の流れはわかっている。注意事項の確認とサイン、支払い、奴隷契約だ。
「……」
私は専用の位置に立って様子を見つめていた。
自分のことじゃないみたいで、何だか現実味がない。
「ご確認とサインをお願いします」
奴隷商がお兄さんに注意事項の書類を差し出した。枚数は二枚、同じ内容だ。一枚は買い手の保管用、もう一枚は奴隷契約で使用する。
お兄さんは文章を指で軽くなぞりながらサラッと流し読みして、二枚の記名欄に流暢な字体で手早くサインした。
苗字がある……。お兄さん、普通の庶民じゃないんだ。
次はお金のやり取りだ。
「千三百ギラだったな?」
「はい、そうです」
お兄さんがテーブルに金貨を一枚と大銀貨三枚を置いた。金貨なんて庶民が簡単に拝めない代物だ。
私は私の支払いが行われている光景をぼんやりと眺める。
「……」
この後は奴隷契約だ。思わず身構えて、そっと深呼吸をする。
奴隷契約は奴隷が主人に逆らうことを防ぐためのものだ。奴隷が主人の命令に背くと奴隷の心臓がキリキリとした鋭痛を起こし、奴隷は身動きがとれなくなる。そして主人は契約によって奴隷の所有権を得て、奴隷の存在を保証する。
契約方法は「主人となる人の血を混ぜた特殊な酒を奴隷が飲み、奴隷印に奴隷契約を吹き込む」というもの。
奴隷になった時点で私の右腕には奴隷身分の証である焼印――奴隷印が捺されている。これに呪力を吹き込んで主人と奴隷の間に契約を結ぶのだ。
更に犯罪奴隷は主人に買われる際に、犯罪奴隷の目印となる焼印を追加で額に捺されるのだ。
……右腕の時も痛くて怖かったあの焼印が、今度はおでこにされるんだ……。
想像したら怖くて、思わず目をつむって震えてしまう。
「額の奴隷印はいらん。通常の奴隷契約だけでいい」
お兄さんの声に、え? と顔を上げた。
そ、そんなことが可能なの……?
奴隷商も困惑した顔で、お兄さんのご機嫌を低姿勢で窺っている。
お兄さんはそんな奴隷商の視線にまったく動じていない。
「ですが、奴隷商会の規定というものがありまして……」
「この俺がいいと言っている。全責任は俺が持つ」
お兄さんがスッと綺麗に凄ませた目で「まさか文句はないよな」とでも言うかのような強者の圧を奴隷商に掛けた。
奴隷商は明らかに動揺して冷や汗をかきながら目線を泳がせている。
が。
「……わかりました」
ため息をついた奴隷商が、お兄さんの要求に折れた。
え……?
おでこに焼印をしなくて、本当にいいの……?
私がポカンとしている間にも契約の準備が進んでいく。
お兄さんが右親指の根元をナイフで躊躇いなく切った。垂れた血を受けた盃へと、私が三口くらいで飲み干せそうな量のお酒が入れられていく。
「ほら」
お兄さんに促されて、お酒を飲む。
うっ……、お酒がけっこうキツい……。
何とか飲み干した……けれど、頭がふらぁっとする。
目を閉じて堪えていたら、お兄さんが奴隷商に見られない位置で私の頭を軽く撫でた。
頭を触れられたことにビクッと驚いて目を開けると、私を労るかのような眼差しが見えた。
「では、奴隷契約を」
背後で準備をしていた奴隷商が、専用の炭で起こした火の中に書類の一枚をくべた。火の色が不思議な青色に変わる。
奴隷商はその中に長い柄のあるコテを入れて熱し始めた。
「……っ!」
それを見て思わず息が詰まる。
それって……、焼印のコテ?
まさか奴隷契約ってもう一度焼印を捺すの?!
コテを熱している間に、私の右上腕が台に固定されてしまった。
「……ぅぅ……っ」
こ、怖い……。
お酒の酔いで誤魔化せる? いや、この様子だと絶対に無理。単に頭が少しふらふらしているだけだもん。
「用意が整いました」
そう言った奴隷商が焼いたコテを火から取り出した。熱されたコテは真っ赤に変わっていて、回りを青い煙が覆っている。これが奴隷契約の呪力なんだ。
それを台に乗っている私の右上腕に近付けてきた。
近付くと、熱を感じる。
「……!」
こ、怖いっ……!
ギュッと目を閉じる。歯を食いしばる。
腕に熱を感じた直後、グッと押し付けられた。
「~~~ッ!」
痛い! 痛い! いたい!
捺されていた時間がとても長く感じたが、実際は三秒ほどだった。コテがゆっくりと離れていく。
皮膚が剥がれなくてよかった……けれど、やっぱり痛い……。
「これで契約は成されました。正式にあなた様は主人に、奴隷はあなた様の奴隷となりました」
奴隷商の宣言を聞いて、自分の中で魂みたいな何かを手で握られたような感覚がした。ゾワッと鳥肌が立つ。
不快な感覚は一瞬で収まっていく。
「……」
自分の意識が自然とご主人様に向けられていくのがわかる。
体をご主人様に向け直して、おずおずと頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします……、ご主人様」
「……ん」
下げた私の頭をご主人様がフワリと撫でた。
そのまま自然な動きでさっきの焼印が捺された右腕にも軽く触れる。
男の人に触れられると思わず身構えてしまうけれど、ご主人様は奴隷商とは違って怖さはない。
「……?」
あれ? ご主人様の手が離れるのと同時に、頭のフラフラと奴隷印の痛みがなくなった。
もしかして……、ご主人様の魔術?
でも、魔術って呪文を唱えないといけないんじゃないの……?
「……」
思わずご主人様を見上げると、目が合ったご主人様が意味深な様子でフッと目を細めた。
そして「内緒だよ」と言うかのように人差し指をそっと唇に当てる。
「手続きは以上です」
「ああ。枷はいらない、外してやってくれ」
「はい」
奴隷商が近寄ってきたので、反射的に身構えてしまった。
鍵を持った手を伸ばされて、カシャンと呆気ないほど簡単に手枷が外された。
手枷の重みに慣れていた両腕が何だか落ち着かず、肘を曲げて胸の前でギュッと握る。
「さ、行こうか」
ご主人様が私の背中をそっと押して私を促す。
背中を触れられて思わず身を縮ませてしてしまったけれど、私はおとなしくご主人様に従った。
小屋を出て敷地外へと向かって歩いていく。
「……っ」
檻の向こうにいる奴隷達から集まる視線を感じてビクッとなった。
何だか気まずい……。反射的に視線を落として、自分の足を見つめながら歩く。
敷地を出て、目の前にバザールの往来が広がった。
今まで無関係だった光景が目の前にあることが不思議だ。
「とりあえず一旦帰るか……。人気のない場所まで移動するよ」
「は、はい」
「はぐれないように手を繋いでおこう」
ご主人様はそう言って、私に向かって右手を差し出してきた。
いきなり私の手を掴まないのは、たぶん触れられる度に何度もビクビクしている私を気遣ってくれたんだと思う。
それとも、呆れられているのかな……。
「は、はい……」
おずおずと手を伸ばして、ご主人様の手を取る。
男の人の手の感触だ。私の手よりも大きくて、少し骨張っている。
「行こうか」
ご主人様は私の手を握ったまま、賑やかなバザールの人混みを慣れた様子でうまく交わしながら進んでいく。
私が離れないように気を使われたのか、歩く早さはちょうどよかった。足がもつれずにご主人様についていく。
色んな音と声が周囲から押し寄せてくる。
威勢のいい客寄せ。
感情が乗った軽快な値段交渉。
店前で商品を吟味し相談する声の数々……。
ご主人様は建物の間にある路地へとスルリと入って、迷いなく進んでいく。
あれだけ溢れていた人がどんどん減っていき、ついにはまったく人気のない袋小路へとたどり着いた。
「さて」
ご主人様が繋いでいた手を離して、口を開く。
「これは命令じゃなくて、約束な? 俺の魔術については他言しないこと。いいな?」
「……?」
命令じゃ……ない?
命令じゃなくて、約束?
他言無用なら、命令した方が確実なのに?
奴隷に、約束?
「いいな?」
もう一度、念を押される。
「わ、わかりました……」
「よし」
困惑しながら返事をすると、ご主人様は満足げに頷いた。
そうして視線を私から前の空き地に移すと、パチンッ、と左手で指を鳴らす。
その直後――。
そこへ、輪郭が白くうっすらと輝く両開きの扉が現れた。
「?!」
驚いて固まっている私にご主人様が少し苦笑している。
ご主人様が扉に一歩近付くと、音もなく扉が静かに開かれた。
中は真っ白で、何も見えない。
「おいで」
ご主人様が左手を伸ばしてくる。
胸をドキドキさせながら手を取ると、ご主人様が手をギュッと握り返した。
ご主人様に手を引かれて、扉の中へ入っていく。
「っ」
扉を潜った瞬間、体と魂が少しふわっと浮く感じがした。思わずご主人様の手を強く握って目を固く閉じた。